イスラエル美術館で優雅な休日

2011.08.21 イスラエル6日目

朝8時30分に目が覚める。
前日に読書などをして夜更かしをしたため眠さが…。
よって二度寝。この旅初かもしれない二度寝。

起きると10時過ぎ。さすがに寝過ぎた、起床。

今日はイスラエル美術館に行くことに。
ホテルを13時前に出て、ダマスカス門の近くのアラブバス停から行くことにした。
が…、お目当ての17番バスがない。
仕方なく、シェルート乗り場へ。
だが、ここからも出ていないらしく、途方に暮れていたら…
現地の男性が
「musiamは6番バスだよ。大通りから出てるよ!」
と親切に教えてくれてた。
ありがてえ。
親切な人が多くて嬉しくなっちゃいます。

大通りに出て、バス停を発見、少し待つとバスが来た…!
一応美術館に行くか聞いてみると…
「6番バスではいかないよ。17番バスだぜ。」
らしい。

地元の人も理解していないんだね。
親切に教えてくれた彼にも6番バスでは美術館にいけないよ、と教えてあげたいです(笑)。
ただ、このバス停からは17番バスにも乗れるらしいので少し待って無事バスが到着。乗車できた。

少し走ると到着!
事前にmusiamには行く?と聞いていたので到着した時は教えてくれた。
ほんと優しいですなー。

この日は日曜日ということもあり、車がとても多かった。
休みを利用して家族で美術館、だなんてなんかオシャレ。

イスラエル美術館には、
死海で見つかったヘブライ聖典、
イスラエル人画家の絵、
ユダヤ人の生活様式、
世界の有名な画家の絵、
どでかい模型、
子供が遊べるような場所、
などなど盛りだくさんな内容だった。

むっちゃ可愛い子供がいたのでぱしゃり。

でかい林檎とユダヤ教の方。
ユダヤ教の人は、もみあげがめちゃくちゃ長い。
あと、正装?っぽい服装なので、すぐに分かります。

3時間ほどかけてゆっくり見て回った。
ほんと人がたくさんでヤバかった。

その後、バスではなく歩いて新市街を目指すことに。
だいたい5kmくらいだったかな。
朝から何も食べてないのと、暑さで瀕死状態だったのでかなりきつかった。
途中、マーケットを発見。
スプライト1.5リットルと、プリングルスを購入。
なんとか飢えをしのいだ(笑)。

新市街についたら、まず”いつもの”パスタを食べに行った。
最初行ったときにいたお姉さんに会いたかったが…会えず!
また明日も来よう!(笑)

そして、新市街にあるらしいショッピングセンターに行った。

ん?
何もない。
ショッピングセンターというくらいだからもっとでかいかと思ってたら
ほとんど何もやっていなかった。
テルアビブで買えなかったユニフォーム買えるかと期待してたんだけど…
残念。

その後、少し散歩してホテルに帰る。

この日からLRTが開通だったらしく、かなりの人がごった返していた。
テレビ局もいた。

ヘブライ語で書かれたカレンダーをもらったが、まったく読めず。
勉強したくなった。

さて、次の日はついにヤドヴァシム。
現実を見てきます。

次もお楽しみに。

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テルアビブからのエルサレム

2011.08.20 イスラエル5日目

朝8時50分頃起床。

テルアビブの夜はずーっとクラブミュージック的なのが流れていた。
ドミトリーは9人部屋だったんだけど、内6人は夜の街に消えていきました。
残った自分含め3人は観光客というより旅人、バックパッカーだったのだろう、夜11時には消灯した。
6人が帰ってきたのは夜の3時頃。
テルアビブはクラブ等が盛んらしい。
8月はシーズン真っ只中だし、若い男女が多くいたので、さぞかし盛り上がったのだろう。(自分もまだ若いけど笑)

彼らが帰ってきたころには音楽もなくなり静かになった。
そういえば、この日はシャバットだったのに関係なさそうだったな。
旅行者が多いからなのかな?

同じ部屋になぜか1人だけ女の子がいたんだけど
普通に自分の下着を干してるもんだから、目のやりどころに困ったことはここだけの内緒。

さて、朝9時頃には下のカフェに行って朝食をとる。
メニューはパンとコーヒー。
久々に優雅な朝でした。

午後にはエルサレムに戻る予定だったので、午前中はテルアビブを散歩することにした。

まず行ったところは、ビーチ!

朝早かったのにかなりの数の旅行者が日光浴してた。
ここイスラエル?っていう感じの印象だった。
若いカップルや、家族連れなどたくさんいた。
海はめちゃくちゃきれいだった。日本じゃめったに見られないレベルだった。

足だけ少し入った。冷たくて気持ちよかった~
少しビーチを堪能した後、「白い街」を見に行くことに。

シャバットのため、店はほとんど空いてなかった。
というか、外国人がいそうなカフェ以外はどこも閉まっていたが、街並みは楽しめた。
可愛い建物が多くあった。

などなど。
白を基調とした家がほとんどで、統一感があって素敵だった。
個展がひらけそうな場所が多くあったので、デザイナーなどが多くいるんだろうなと思った。

そんなこんなで散策を終了し、シェルートに乗ってエルサレムに帰った。
帰るという表現から、テルアビブがどれほどアウェイだったかがお分かりいただけるだろう(笑)。
戻ってきたー!いえーい!って感じでテンションあがった。

Palm Hostelに行き、今日からまた3泊泊めてくれ!と伝える。
歓迎された。

少し休んだ後に、旧市街に繰り出し、自分へのお土産と家族へのお土産を買った。
太鼓等を買った。
ここでも値切り成功し、なんとか考えていた予算内で購入することができた。
値切るのがうまくなってきたな…。

入り組んで分かりにくかった旧市街だが、ここを曲がればどこにつく…など理解し始めていた。自分の対応力に驚く(笑)。
さすが我が故郷エルサレム。
夜はいつものチキンを食べてお腹いっぱい。

そうそう、テルアビブのホテルへの帰り道になにやら面白そうな壁紙発見。

その前でぱしゃり。

次の日はエルサレム美術館に行ってきます。
次の更新を乞うご期待だ!

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被災地で感じたこと

10月31日。
3.11の被害にあった家のがれき除去をしに、福島県いわき市四倉町を訪れた。
当日の朝6時30分に北千住駅に集合し、約2時間30分ほど車に乗って、朝9時過ぎには現地に到着した。

どんなことをしたか
今回お手伝いさせていただいたのは、主に解体が決まっている家の中の書籍類や、畳などを外に出すこと。
この地域で家電を捨てられるのが10月いっぱいだったので、周りの家に残っている家電類をゴミ集積場に運ぶというものだった。

到着後、水に濡れて使えなくなってしまった書籍類などをゴミの種類別にして集めた。その後、軽トラックでゴミ集積場に向かい、ゴミの種類別に置いた。
そこには家電、燃えるごみ、燃えないごみ、木材、ガラス、プラスチック、土などなど。さまざまな種類のものが集積されていた。
あり得ないくらいの量で、この地震の被害の大きさを感じた。しかし、驚くのはまだ早かった。
なんと集積所はこの地域だけで3ヶ所目。
福島県は放射能の関係でゴミの処理の仕方が難しいらしい。

集積所から帰ってきてからしたことは、家電類の収集。取り壊しが決まっている家を訪れて、コンセントのコードがついているものはすべて集めた。冷蔵庫、電子レンジ、炊飯ジャーなど。
冷蔵庫の中には、腐った卵や、ヨーグルトなど、地震当時のものが入ったままだったため、とても強烈な臭いを発していた。
捜索の結果、1つの家から4つの冷蔵庫が発掘された。きっとこの家のモノだけでなく、津波によって流されてきたものもあるのだろう。
集めた家電製品を集積場にもっていき、午前の仕事は終了。

昼ごはんは、近くにあった「やまかく」というお食事処で食べた。
たった500円で新鮮な魚のどんぶりが食べられてとても満足。
ここにボランティアに来る人はいつも「やまかく」で昼ご飯を食べにくるのを楽しみにしているらしい。そういった楽しみを見つけて、参加するのもありだなと感じた。

ご飯を食べて少し休憩したら、午後の作業に取り掛かった。
午後は、午前のゴミ集めの続きと、畳の除去を行った。
1つの家にいくつも畳があり、しかも水を含んでいるのでかなりの重量になっていた。それを軽トラックに詰め込み、また先ほどのように集積場へと運んで行った。
集積場で働いている人たちは、もともとこのような仕事をしている人たちではない。建設業などをやっているのだが、こちらの仕事にも駆り出されているらしい。
重機を扱い、ゴミをきれいにまとめていく作業は本当にすごかった。

だいたい15時まで作業をし、そこからは地元のかんぽの湯で温泉に入った。
たくさん作業をした後の温泉はくせになりそう。

その後は福島で一番津波の被害のひどかった場所に行った。
その場所は、今では普通の人は入ることができず今回は特別に入れされてもらった。
この日、一緒に作業をしていた方の親戚が住んでいた場所。
堤防が決壊し、周りには何もなかった。
ほとんどの家が流され、壊されてしまっていた。
親戚の方が経営していた工場は3階建てで、なんとその3階まで水がきたのだ。
その工場は、骨組みだけを残し、あとはすべて流されてしまった。
それほど津波の力はすごかったのだ。

説明をしてくれた方の言葉には、どこにもぶつけることができない悔しい思いがにじみ出ていた。

感じたこと
震災後7カ月たってようやく東北に訪れることができた。
そこにはテレビでは報道されていない事実も多くあった。
テレビや新聞では南相馬市や陸前高田市などが多く取り上げられ、そのほかの地域はあまり焦点は当たっていなかった。実際、私は現場に着くまではいわき市の被害については全然知らなかった。
でも、行ってみると取り壊しが決まっている家が多くあり、その中で必死に作業している現地の人がいて。
普段の生活を取り戻しつつあるけども、その中で確実に彼らの中に「震災」というものは普段の生活に取り込まれてきているのだと思った。

このような貴重な体験ができて思ったことは、日本人ならば一度は被災地にいくべきだということ。
震災当初は、素人が行っても何もできないからという流れがあった。
でも今は違う。
人手は確実に足りていない。
作業自体も難しいものは一切ない。
誰にでもできるような作業である。
そこに人間1人いるだけで、できる作業はいくらでもあるのである。

目で見ないと分からない事実もたくさんある。
だから、一度は行ってほしい。
そして、見てきてほしい。
今こそ協力し合うべきであると感じた。
いろいろな団体が被災地協力のためにツアーなどを組んでやっている。
自分が行こうと思えば行ける環境がある。

世界を変えたいと思っている人、自分の力で変えられる世界が被災地にはあります。

私は今回運よく被災地に赴くことができて、でも1日だけじゃあまり変わらないと感じた。
だから今回限りだけでなく、これを継続してやっていこうと思う。
もし、この文を読んで、「よし行ってみよう!」と思ってくれた人は声をかけてください。
ぜひ、みんなで行きましょう。

今回、福島へ行くということで事前にある本を読んでいった。「原発のウソ」という本である。
原発について知らない人は読むべき本である。
私が今ここで説明するよりも、読んでいただいたほうが分かると思う。
amazonで購入可能なので、ぜひ読んでいただきたい。

表現者になること

私の夢は、表現者になること。
その中で今もっとも興味があることは、自分の文で世の中の人に何かを伝えるということ。
ライターである。

ブログでアップしている分には、下手クソな文でも問題はないと思う。
だが、将来的にライターとして”飯を食っていく”ためにはあまりにも文章力がないと感じていた今日この頃。
そんなときに、サッカージャーナリスト養成講座を知った。

サッカーライターとして、サッカー雑誌の編集者として、写真家として活躍できる人材を養成するスクールである。
そのスクールで、オープン講座として宇都宮徹壱さんの授業が開講されると知った。

宇都宮徹壱さんはライターとしてとても有名な方である。
主な著書は、フットボールの犬 (幻冬舎文庫)股旅フットボール日本代表の冒険 南アフリカからブラジルへ (光文社新書)
などがある。

宇都宮さんは、初めからライターとして活躍されていたわけではなく、美大からテレビ番組ADになり、そこから写真家になろうと決意したそうだ。
そこからライターとしても活躍するようになった。

そんな宇都宮さんの話を聞いてみたいと思い、講座を受講することに決めた。

講座のテーマは、「コラム・エッセイの書き方」。
目から鱗なことばかり教えていただいた。
自分なりの蹴球百景を書いてくださいという課題が出されていたので、それらを用いながらの講座だった。
今回印象に残っていることを簡単にまとめようと思う。

どこに視点をおくか
文を書くのは、デッサンに似ている。
同じものでも、視点を変えればまったく違った見方ができる。
誰にもない視点を確保すること。

4分割して考える
(例)FC刈谷vs東京23
1.社会人リーグ4部vs6部
2.東京23の監督は前にFC刈谷に所属していたアマラオ。いうなれば、アマラオダービー。
3.6部の東京23が2-0で勝利。
4.アマラオはFC刈谷サポーターに一礼。負けたFC刈谷サポーターは熱烈なアマラオコール。
起承転結をしっかりと考える。

言いたいこと(ゴール)はただひとつ
スタートからゴールまでがストレートすぎると単調になってしまう。
展開を考えて構成すること。
(サッカーと同じ、スペースをうまく利用すること。)

誰に向かって書いているのかを意識する
読み手はどういうものを求めているのか。
例えば、スポーツナビは一番ライトな記事である。(yahooのトップページなどにも表示されるため。)
なので、サッカーをあまり見ない人にも対応できるような書き方をする。
また、嫌なイメージにならないような終わり方を意識する。

完成度をあげるためのプロセス
これもデッサンと同じ。
自分の書いたものをいろんな角度から客観的に見てツッコミを入れる。

リズムを意識しながら書いてみよう
記事が書けたら、音読してみる。
良い文章は声に出して読んでもリズム感のある心地よい文章である。

書き手として生き残っていくためには
自分のストロングポイントを見つける。
客層をつけるために、書籍を発表する。
優秀な編集者と出会う。
プライドを持つこと。
やりたいこと、書きたいことを意識的、積極的に発信していく。
常に貪欲に、ポジティブに。

今回一番印象に残ったのは、
「ライターになるのはある意味簡単。だが、本当に難しいのはライターであり続けることだ。」
という言葉。
宇都宮さんもそのことを常に念頭に入れながら活動しているとのこと。
ファンを飽きさせないためにも、常に斬新な視点で書くことが大事であると感じた。

この講座の受講するにあたって自分なりに蹴球百景を書いてみた。
それが印刷されて、実際に雑誌に載るような形で手渡されたとき、とても感動した。(冒頭の写真参照)
このような感情になれるのは、「表現者」の醍醐味であるように感じた。

最後に、今回自分で書いた蹴球百景を載せてるので読んでもらえたらと思う。

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「今こそJリーグの強化を」
最近のサッカー界は、今までにないような盛り上がりを見せている。代表戦がテレビで放送されれば視聴率は20%を越え、不況が続くテレビ業界では異例なことであろう。男子代表のアジアカップでの活躍や、なでしこジャパンのW杯優勝があり、それらがこの盛り上がりを支えていることは言うまでもない。その中でも注目したいのは、海外組の活躍である。ドルトムントの香川を始め、本田や長友などの活躍によりサッカー後進国であった日本にも欧州からの目が届くようになった。そうした影響で、日本で活躍すれば欧州からのオファーも届くことが目に見えて分かるようになり、選手個人のモチベーションアップにも繋がっているように思え、とてもよい循環であると思う。しかし、海外移籍によって問題になるのは、Jリーグのレベルが下がってしまうことにあると思う。サッカー強豪国に共通して言えることは、自国のサッカーリーグのレベルの高さである。そういったところで毎日プレーすることにより、個々のレベルがあがっていることは言うまでもない。Jリーグに置き換えていえば、代表主要選手のほとんどが海外組ということもあり、トップレベルの選手が集まっているとは言い難い。もちろん、若手の注目選手や、遠藤、中村憲などのようにまだまだ第一線で活躍している選手もいるが、海外に比べると力が劣ってしまう。また、注目選手が移籍しまうと、Jリーグ自体の観客数が減り、選手としても注目されてる感が減ってしまうため、モチベーションの低下にもつながるのではないだろうか。そう言った中で何かしらの改革が必要であると思う。Jリーグ発足時、各クラブは、当時の世界トップレベルの選手を獲得し、それによりサッカーファンは増えたのではないかと思う。原点回帰ではないが、このようなことが今、必要となっているのではないだろうか。清水のユングベリのように、欧州の第一線で活躍してきた選手を獲得し、その選手見たさにスタジアムに足を運ぶ、というのがいい例である。(2011年ホーム開幕戦は約1万人だったのに対し、最近のホーム戦では約2万人の入場者数)ユングベリ加入が直接的な理由となっているかはわからないが、入場者数が増えていることには間違いはない。試合を直接見てくれれば、選手のモチベーションはもちろんアップするし、良いプレーを見せようと必死になる。結果的には選手個々のレベルアップにもつながる、また、世界トッププレイヤーと対戦することによって何らかの意識変化が生まれることも間違いない。
イタリアでは、デルピエロが今季限りでユベントスを退団することになった。デルピエロは親日家としても知られているので、Jリーグからのオファーがあれば真剣に考えるのではないだろうか。まだまだプレーは衰えを見せていないので、Jリーグにもたらす影響は大きいと思うのだが。
海外移籍により、日本人選手のレベルがアップすることは大いに賛成であるが、そのかわりとして、Jリーグにもしっかりと目を向けてほしいと思う。そのためにも、クラブ側はいろんな策を考える必要があるのではないだろうか、それが、W杯優勝という将来的な目標にもつながるはずである。

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WorldShift Actions (3)


3.グローバル化

田村耕太郎氏
・世界を見てほしい
・安定こそ日本の強み
・空気を読まずに自分の意見をしっかり述べる人
・世界の流れを感じること

今の日本人は閉鎖的すぎる。
外に出てもっといろんなものを見てほしい、世界を見てほしい。
世界には「パートナー」になりうる人が多くいる。
世界に出るには準備が必要である。
そのためには、英語をより強化しなくてはならない。
自動翻訳機がそのうち出てきて、英語が必要ないといわれる世界が来るかもしれない。
ただ、それに頼ってはいけない。
また、英語だけではなく、日本語の強化もすべき。
短い時間で自分の考えを述べられるように、自分の中で仮説を立てて、論理的に物事を話せるように日頃から心がける。

日本について。
世界の都市にはいろいろな人種がいるのにもかかわらず、日本にはほとんどいない。
田村氏も帰国してから出会った外国人は築地で会ったヨーロッパ人だけだった。
安定こそ日本の強みではある。
だがそれだけでは限度がある。
危機が来たら改革ができなくなり、つぶれてしまうのではないだろうか。
良い会社、良い人材がつぶされてしまう社会。
ただ、3.11後の日本の結束力は世界からもかなり評価された。
この力を持って、世界に目線を向けることができたらかなり脅威になるだろう。

日本に最も必要なのは、
「空気を読まずに自分の意見をしっかり述べる人」
そういう人の目線は世界に向いている。

大学生の教育について。
今の日本の大学生は3年生以上は勉強できない環境がある。就職活動をしなければならないからだ。
勉強をしなくても就職活動ができるという日本の流れも関係している。
外資系の会社は、大学の成績を一切見ていない。
イギリスやアメリカでは考えられないことである。
勉強をすること、それが当たり前の環境がアメリカにはある。
アフリカからの留学生は、図書館が終わる24時まで毎日勉強していたらしい。
何を勉強するか、読書をすればいい。
Googleで検索すれば何でもできる世の中であるが、知識がなくても良いという考えはよくない。

ハーバード大学の学長の一言。
「ハーバードでできないことはない。だからなんでも言ってくれ。皆さんの想いをかなえるために我々はいるのだ。」
これは日本人にも感じてほしい環境である。

働くのは自分である。
これから一生働き続けなければならない。
社会がどうなろうが、自分の中の理念はしっかり持っていほしい。

グローバル化なくしてこれからはやっていけない。
人との付き合い方、話し方等、いろんなことを経験していくこと。
世界の流れを感じること、今の時代はアメリカの教育である。

その他講演者

黒田千代吉氏
・平和の種を蒔きましょう
黒田氏にとって平和とは、戦争のない世界。
戦争を体験した人からすれば、戦争がないこと自体が平和である。
そのためにも戦争の体験を語り継ぐ責任がある。

鈴木エドワード氏
・神の建築について(GOoD DESIGN)
・ネガティブな「競争」ではなく、ポジティブな「協力」体制を

DNAが大切だと考えていたが、それ以上に環境が大切であることが立証された。
もし他人の中に自分を見つけられたら、その他人を見る見方が変わるだろう。
自分を保つことができれば、小さな波が集まりシナジーが起きる。

加藤嘉一氏
・世界的危機において、アジアから発信すること
・課題解決型国家を

日中間がパートナーシップを結ぶことがとても重要である。
中国では反日感情が根強く残っているが、日本語を勉強し就職しようとする人が多くいる。
中国でリスペクトされるには、相手の土俵で勝つしかない。

3.11により、国際的に注目されていることを意識しなければならない。
円高だからこそ、内向きになるのではなくてもっと外に出るべき。
そして注目されているのだから、もっと発信していくべき。
相手の土俵へいくこと。
What next?を常に念頭に入れ、考えて行動する。
必要な3つのこと、共感力結束力発信力
グローバリゼーションは日本の課題である。

山崎亮氏
・まち普請→まちへ出よう!
・まちを変えるには、その街の人々の協力が必要
・人と人との触れ合いを増やして、チームを作っていく

やることすべてが室内化されている。
街を楽しくするコミュニティを作り出す。
デザインは、おしゃれにすることではない、よくすることである。
建物を変えるのではなくて、周りのコミュニティを変える。それにより、活性化する。
弱い関係でもいいので、職場でも友人でもない、新しいコミュニティを作り出すことが大切である。

田原総一朗氏
・失敗とは、チャレンジを諦めた時だ
・世論迎合の流れは危険

ライブドアの堀江氏が出てきて、ベンチャー熱が出てきた。これによって経済がよくなる。
当時、東大で講義をした際に、堀江氏のようになりたい人が大半を占めていた。
こういったベンチャーが出てくることで日本経済はよくなっていく。
ただ、まだ日本には出る杭は打たれる傾向があるので、堀江氏は逮捕されてしまった。
経済とは分かち合うものである。
今の人が不幸なのは、日本が不況であることである。
高度成長期の時はよかった。

原発の事故があって、世間では脱原発と言われてい。あんなものは良くない。
なのでエネルギー問題をどうにかしなければならない。
ただ、脱原発とだけ言って、じゃあそれに代わる対策はできているのかというとそこまで考えていない人が多い。
世論迎合の流れがあるのだ。
これでは議論も活性化しないので、いつも他とは違う意見を述べて、議論を活発化させている。
世論迎合の流れは危険である。

武田双雲氏
・「感謝」という言葉の大切さ
・6月9日を「感謝の日」にしよう

感謝という言葉には対義語が存在しない。
いろいろな文字を書道家として書く機会があるが、それに勝る言葉はないと感じた。
なので、世界中に感謝という言葉を入れ込みたい。
そこで考えたのは「感謝69」。
6月9日を感謝の日と決める。
その日だけはネガティブな気持ちにならないようにしたい。
感謝を分かち合える世の中を。

高木善之氏
・日本のマスコミは隠蔽したがる気質がある
・原発について、国民投票をとるべき
・事実を知ろう

原発の事実を日本のマスコミは報道しない気質がある。
事故後の対応能力の低さ。
脱原発が言われているが、なぜ起きないかというと上層部がそのような団体で固められているから。
原発は麻薬のようなもの。
原発を作ればお金が入ってくる仕組み。
ただ、一度踏み入れると逃げ出せないのだ。
原発については国民投票をとるべきである。

世界には知られていない事実が多くある。
それを知る努力をしなければならない。

古賀茂明氏
・増税→意味がない
・稼げる環境作りをすべき
・どうブランディングするかが大切である

日本もこのまま「改革なき増税路線」をとれば、第二のギリシャになりかねない。
何かを変えなければならない。
はっきり言って今増税をしても意味がない。
それよりも、稼げる環境作りをすべきだ。
チャンスがあるのは、農業や医療。
日本の医療は、世界一だ。
だが、それを持続できていない。

TPPが反対されているのは、日本のものが売れなくなってしまうと危惧されているからだ。
肉の輸入を自由化したときもそうだった。
だが、現状を見れば、「国産肉」は安心だから、という理由で生き残っている。むしろ価値が上がった。
競争しても勝てるということを自負すること。
これからの時代は、どうブランディングしていくかが勝負。信頼をどう得ていくか。
企業でも若い人が自由に参入できる、「戦う成長戦略」が重要である。
稼げない国ではだめ、稼げる環境を。

岩瀬大輔氏
・アントレプレナーシップが日本を変える
・個性とエッジをきかせた人生を

「自分にしかできない生き方」をしようと考える。
アメリカではベンチャーが生活の基盤を支えていた。自分もそんなことをしたいと思うようになる。
世界と議論して負けない国づくりを。
リスクをして挑戦している人が少なすぎる。
ぬるま湯から飛び出て、チャレンジする姿勢を。
だから自分が動き出すことが重要。

米良はるか氏READY FOR
・クラウドファンディングで世界を変える
組織で何かするという時代は終わった。
今は個人の時代。
その手助けをするためにクラウドファンディングサービスをしようと思った。
自分たちからactionを起こして世界を変えていく。

川崎裕一氏kamado
Livlisについて
いらないものをTwitterなどで投げかける。
モノを捨てる、売る、返す、というものにはすでに市場が確立されていた。
なので、「あげる」という事業を構築。

野崎錬太郎氏面白法人カヤック
うんこ演算について
ゲームの説明書や武器や技の名前は覚えられるのに、なんで勉強になるとだめになるか。
勉強はつまらないからだ。
「うんこ」といえば子供はみんな面白がって興味を示す。
これを利用して、学習効率をあげようと考えた。
今では3カ国語に対応している。

松田悠介氏Learning for all
・新しいリーダーのカタチ
・日本にも教育格差がある

中卒と大卒では、生涯賃金が1億円近く違う。
努力しなかった人が悪いのか。そうではない。このような現状が知られていないことが問題なのだ。
そのために、教育から変えていく。
教師になる人の人材もしっかり見る。そして充実した研修を行う。
教師にとっても学びの場であること。
違う世界を見せてあげられるようにする。

山本尚毅氏Granma
・低所得者をビジネスによって解決
貧困はどうしたらなくなるのか。
それを課題にし、解決策を考えている
貧困の現状を見るため、代表はアジアを廻っている。

家入一真氏partycompany Inc.
・自己表現
・ちょっとだけ背伸びをして遠くを見ること

ホームページは自己表現をする場として最適だと考え、それがもっと身近なものになるようにとレンタルサーバー会社を設立。
家入氏は会社を作ることで自己表現をしている。
飲食業や投資をしている。
campfireによって世界を変えることができる。
画家になりたかった過去があるので、違う形でクリエイターを支えていけたらと思い設立。
ちょっとだけ背伸びをして、遠くを見ること。それがクリエイターへの第一歩である。

安田祐輔氏NPOキズキ
・ドロップアウトしてもやり直せる社会を
ドロップアウトやひきこもりを支援している。
これは国民全体が考えなければならない問題である。
キズキはそのような人たちに学習支援を行っている。
1.学習不足による中退者の支援
2.進学を機に希望ある未来を
3.自信・社会スキルを体得させる

考察

今回の講演会では「グローバル化」というのが共通して言われていたことだと感じた。その中でも田村氏の講演を抜粋させていただいた。
そこから考えられることは、日本はもっとグローバルになるべきだ、ということである。
世界を変えるためにまず日本がすべきことは、内向きになることではなく、もっと外向きに、世界に視線を向けることであろう。
だから、海外旅行をしよう!というわけではなく、外を見るという姿勢が大事なのだと思う。
自分の考えを他の人に話すことから始めてもいい。コミットすることが重要だ。
そうすると、自分の考え方をうまく話せなかったり、考えが甘い部分が浮き彫りになるはずだ。
そこで、知識が浅いと思えば、勉強をすればいい。読書をするなり、テレビを見るなり、自分の中にインプットしていく。そして、それを自分の中で考えてアウトプットしていく。そうしていけば、自分の考え方は確立されていくだろうし、論理的に話せるようになるだろう。
まずは外に発信する姿勢が重要であるように感じた。
いろいろな知識をつけていけば、日本にとどまっていては駄目であると気付く時が来るかもしれない。
そういったときは、海外に目を向ければいい。
田村氏が述べていたが、アメリカの教育はかなり優れているように思う。
勉強が苦痛だと考えている今の日本とは違い、アメリカでは自主的に勉強に励む人が多いらしい。
読書の量は日本の学生と比べて何倍も多いし、それによって知識も豊富だ。
自主的に勉強をしたいという環境を作り出すことも重要なのかもしれない。

日本には、「空気を読める人」が良しとされる流れがある。
しかし、逆にいえば「自分の意見を強く述べることができない」ということではないだろうか。
自分がどう考えているのかということを強く述べることができない今の日本は、流されやすく小さなものに収束されてしまいがちなのではないだろうか。
私は、空気の読めない人になろうと思った。
やはり、自分の意見を述べること、そしてそれをコミットしていくことは自分にとっても他人にとってもプラスに向かうだろう。

その他、私が聞いた講演者のお話も簡単にまとめさせていただいた。
それぞれとても貴重なお話が聞けてよかった。
個人的に大好きな家入一真氏のお話を聞けたことはとてもよかった。

まとめ

今回のWorldShift Actionsは各界の著名人が集まり、とても有意義な2日間だった。
「Earth JAPAN〜地球に生きる僕たちが、”今”日本のためにできること〜」
というコンセプトを元に、政治、平和、環境、社会問題など、多岐に渡るテーマについて聞けるとても貴重な時間だった。
ここまで幅広いテーマでの講演会は他にはないだろうし、何よりもこのイベントをたった4人の学生が計画、主催したという事実にも驚きを隠せない。
それと同時にこのようなイベントに参加できたことを感謝しなければならない。
このイベントに参加して、自分もこういった活動に関っていきたいと強く感じた。
このイベントから学べたことは、今後に生かせていけるはずだ。

WorldShift Actions (1),(2)

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WorldShift Actions (2)


2.社会貢献

竹井善昭氏
・企業の社会貢献は生き残り戦略である
・単純にかっこいいじゃん
・社会貢献は革命思想である

今は社会貢献ブームである。
映画「僕らは世界を変えることができない」等のように、ギャルを中心とした学生団体も増えてきている。
企業がなぜ社会貢献を行うか、それは単純に生き残り戦略である。
アメリカの大学生の就職人気No.1は、GoogleでもAppleでもなく、NPO団体「Teach For America」である。
企業側は優秀な学生の流出を防ぐために、TFAで2年間働いた後に企業で働けるように提携を結んでいたりする。
だが、そもそもなぜ、社会貢献するのか。
それは、世界を変えるヤツって単純にかっこいいから。
チェ・ゲバラもキューバ革命を成功させて、当時の若者のあこがれになった。
ジョブズがAppleを作る際に、当時のペプシコーラの社長を口説き落とした言葉がある。
「このまま一生砂糖水を売り続けるのか?それとも世界を変えたいか?」
社会貢献は革命思想なのだ。

イケダハヤト氏
・起業家は、課題「発見」にすぐれている
・ソーシャルメディアの力

「義憤」を抱くぐらいの課題を発見し、それを解決していく。
起業家は課題「発見」にすぐれている。
解決策は簡単なのである。
(例)U2 plus「うつ病を治すサービス」
   PIRKA「ゴミを拾うというサービス」
今は課題発見が不十分なまま起業している。
じゃあどのようにして見つけるのか。
・非営利活動への参加
・異業種と会う
・時間を作る
今の日本でいえば、被災地に赴く。
これが課題発見への近道となりうる。
日本は課題の多い国である。なので世の中を変えやすいのだ。
ひとりひとりが解決したい課題を見つけ、コミットする。
ソーシャルメディアは問題を共有し、集客できる力がある。
イケダ氏本人も、ブログの題名を変えただけである企業の人からコンタクトがあった。
「何ができるか」よりも「問題意識の有無」である。

※イケダ氏が話していた野村総合研究所の村田さんのpdf。下参照。
価値創造を担うシステム・アーキテクト(1),(2)

横尾俊成氏
・踏み出す第一歩
・「伝える力」と「まきこむ力」の重要性
・悩んだら全部やる!

横尾氏は、9.11が起きた時に何かしなければならないと思い立ち、世界の若者と対話する機会を作った。
良い活動をしているのに、小さな活動になっていることがある。
これは、「伝える力」と「まきこむ力」がないために起こっている。
横尾氏は広告会社の博報堂に入社後、greenbirdという団体を作り、街を掃除するという活動など色々な活動をしていた。その後会社を退社し、今は港区の議員をつとめている。
自分がやりたいと思ったことは全部やるようにしている。(実際博報堂とgreenbirdの活動の二足のわらじであった。)
何故議員になろうかと思ったか。
民主党に政権がかわり、人々は世界が変わるのを願った。しかし、何も変わっていない現状がある。
そこで横尾氏は、世界を変えるには国からではなく、地域、街から変わらなければならないと感じた。
そこで区政に関っていこうと決めた。
港区をよくする20のアイディア」を考え、皆と一緒になって取り組んでいく政治を心がけている。
選択肢はたくさんあるし、悩むこともある。
ただ、悩んだら全部やる!言い訳をしないために。
いろんな人に出会い、いろんなことにトライすること。それによって必ず、「何か」ができる自分に出会える。
未来なんてわからない。
今を大切にしてやりたいことを全部やろう。
身近なことからやっていくこと。
そのためには仲間は必要だ。

考察

印象に残った3名の講演を抜粋させていただいた。
この中でも一番心に残っているのは、横尾氏が述べていた、やりたいことは全部やる!ということだ。
自分自身、やりたいことはたくさんあって、どうやって取捨選択しようかということばかり考えていたけど、そんなことは必要ないのだと思った。
今23歳。まだまだ人生は長い。
やりたいことを一つ一つやっていけば充実した人生を歩めるだろうと感じた。
言い訳をしないためにも、自分のやりたいことは公にして、有言実行できる人間になろうと思った。
to do listを公開しようか悩んでいたけど、してみよう。

竹田氏
企業にとっての社会貢献の位置づけが重要なものになっているのだと気付かされた。
Teach For Americaというアメリカの現状もあるし、Teach For Japanも設立予定らしいので、これからは日本でももっと重要視されてくるだろうと感じた。
社会貢献は単純にかっこいいからやろうぜ、という姿勢も好感を受けた。
そんな不純(?)な理由でやっていいものなのだろうか、という疑問があったが、結果としては社会のためになっている。
横尾氏のお言葉を借りるならば、やはり、やりたいと感じたことはやるべきであろうと思った。

イケダ氏
起業のきっかけになるのは、課題を発見することからというのは気付けていなかったところだったので目から鱗だった。
普通に生きていて、「なんでだろう?」と感じることは多い。それを解消できていない世の中にこそチャンスがあるのだろう。誰にでもチャンスは平等にあるものだなと感じた。
今自分が直面している課題は、他の人からしたら課題ではないのかもしれない。
だが、自分と同じような状況にいる人は必ずいるはずで、それを見て見ぬふりをするとチャンスを逃してしまうのであろうと思った。
起きているすべてのことに興味を持ち、よりよい社会を作っていく姿勢が、この世界を変えるのだろう。
今ならば、東北大地震が起きた被災地に赴くこと。
これは日本人ならば必ず1回は行くべきで、そこで感じ取れることは多いはず。
なので、積極的にそのような場に足を運び、現状を自分の目で見て、自分なりの「課題」を感じ、コミットしていくことが大事であろう。
課題を見つけさえすれば、その解決策は自ずと生まれてくるはずだ。

横尾氏
この世の中をよくしようとする活動は星の数ほどあるといっても過言ではないだろう。
ただ、その中でクローズアップされているのはほんの一握り。
横尾氏が述べていた、「伝える力」と「まきこむ力」をつけることにより、もっと注目されるだろうし、シナジーを生んでいけるはずだ。
あとはやはり、やりたいことを全部やるということ。先ほども述べたとおり、今回の講演の中で最も心に残った。
自分のやりたいことを明確にし、それを解決、解消できるように心がけていきたい。

次に続く

WorldShift Actions (1),(3)

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WorldShift Actions (1)


10月29,30日に開催されたWorldShift Actionsに参加してきた。
場所は、国立オリンピック記念青少年総合センター。
私は1日目、2日目ともに午後からの参加となった。
講演者はとても豪華な面々で、各界の著名人が集まった素晴らしいイベントであった。

このイベントに参加してみて感じたことがいくつかあるので、以下の3つの項目に分けて述べていこうと思う。

1.これからの仕事の形態
2.社会貢献
3.グローバル化

1.これからの仕事の形態

佐々木俊尚氏
・エゴサーチされる時代
・人脈と名刺で仕事できる時代は終わり
・ネットが履歴書になる

自分の名前をネットで検索すれば、Twitterやfacebookの個人ページにたどり着く。
ネガティブな情報も筒抜けになる。
ネットが履歴書がわりになるのだ。
また、これまでは名刺に大企業の名があれば安心できた。
だが、今では大企業がやってもダメだったことが、個人でできるようになっている。
国と企業がリンクしていない時代がまた戻ってきつつあるのだ。
これからは会社の名ではなく、個人の時代である。

波頭亮氏
・新書を3か月の間に100冊読む
・オリジナリティーを持って自分の仮説を述べる力
・セルフコントロール
・チームをコントロールする力

会社の名前だけ、名声だけで就職先を選んでいる現代は、危険である。
入社して数年で辞めてしまう人がいるのもこれが原因ではないだろうか。
そうならないためにも、一面だけを見るのではなく、もっと広い視野で情報収集をすることが大事である。
日本の学生はアメリカの学生と比較して、読書をする時間が圧倒的に少ない。
これにより情報収集能力が劣ってしまう。
なので日本の学生は、読書をすべきだ。
今の主流になっている就職活動の方法をとるより、本をたくさん読んで知識をつけ、自分なりの意見を述べられるようにしておくことが大事である。
また、眠くても頑張るといったようなセルフコントロールや、周りをとり込む力を持つことも重要である。

考察

特に頭に残った2名の講演内容をまとめた。
ここから感じたことは、今の就職のスタイルとして
「大企業に内定をもらえた、すごいだろう」
という流れは違うなと感じた。
就職してから自分がどんなことをして何を目標にやっていくのかというのが大事なのである。
「大企業だから潰れる心配もないし、安定だ」
というのも今の時代言えなくなってきている。
どういう自分でいたいか
理想の自分になるためにはどうしたらいいのか
そういったことを考えて仕事選び、会社選びをすべきなのだと感じた。

波頭氏
読書で知識をインプットするだけではだめであると教えられた。
読書をすることで自分の意見や考えを持つことで、やっと読書というものが生かされてくるのだと思った。

佐々木氏
これからは仕事が変わると述べていた。
大企業ではなくても個人でやっていける時代がきつつあるので、企業に依存せずに個人で、フリーランスとなって仕事を行う時代がすぐそこまできていると。
なので、これからはノマド化が急激に進むはずだ。
私は、ノマドワーカーとなる利点がそこまで理解していなかったが、こういった背景があるということを知り、個人として動くほうがこれからの時代に合っているのだと気づくことができた。
どちらにしても、まずは個人の力をつけなければならないと感じたので、まずは自分自身のスキルアップを常に考えなければならないと思った。

次に続く

WorldShift Actions (2),(3)

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東京で学んだこと

 

10月25日から11月2日まで東京に行ってました。
今回の東京での目的は大きく分けて3つ。

1.ライターである宇都宮徹壱さんの講義
2.WoridShift Actionsへの参加
3.福島でのボランティア

それぞれ感じることが多くて、これからの自分に生かそうなことばかりを学べたのでとても良い機会だった。
上記3つの項目については、別エントリーにて書き記すので詳細については割愛。

さて、今回東京に行って学べたことといえば
人は環境に流されてしまうということと、
東京はやはりすごいということだ。

人は流されやすい

人間というのは弱い。
やるべきことがあるから時間ができたときにやろう。
と思うことがあるだろう。
だが、いざ時間ができたとき、自分を律してやれるかどうかといえば、できないことが多い。
明日もあるから今日はいいや。
と考えてしまうことが多いのではないだろうか。
少なくとも自分はそうである。

実家に戻ってきて、東京にいた時に比べればぬるい環境にいる中で、自分を律して行動できていない。
かといってそれでいいと思っているわけではなく、内心焦っている自分もいる。
でもそういった迷いや考え方は、このような環境にいるからこそ出てくるものであって、やはり、今の現状はよくないと思う。

東京の魅力

大学に行って、仲のいい子と話す機会があった。
彼女はとても意識が高くて、来年から1年休学して、海外留学ののち、海外ボランティアに参加する予定だという。
彼女とはとても話が合って、考えていることもどことなく似ていて、話していてとても楽しいし、学べることがたくさんある。
しかしながら、彼女と出会えたのも東京に住んでいたからである。
愛知にいたら出会えなかっただろう。

東京というのは、そういう場所なのである。
意識の高い人たちが自然と集まってくる場所であって、自分の高い目標に向かって進んでいる人が多いのだ。

私は、大学が東京で本当によかったと思っている。
いろいろな人に出会えたから。
それによって自分の考え方や、価値観も変わった。
いろんな人と話したいと思っている。

まとめ

何も実家が悪いなんて言っていない。
仲の良い友達にはいつだって会えるし、両親ともお姉ちゃんともおばあちゃんとも一緒に暮らせてとても幸せだ。
ただ、今の自分が求めているのは、東京だということ。
同じ日本でも考え方が変わるのだ。
このまま小さくまとまるのは嫌だし、それは自分次第だと思うが、流されやすく弱い自分としては、無理矢理にでもあの環境にいたい。
そこで感じることは自分にとってプラスな面のことがほとんどである。
より厳しい環境に自分を置くことで自分自身を保てる気がするのだ。

東京の魅力を再確認した数日間であったと思う。

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