「議論」ができない人は寂しい

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(Flickr/starmanseries)

議論。
それぞれの考えを述べて、論じあうこと。また、その内容。

ディベート。
特定のテーマについて、肯定・否定の二組に分かれて行こなう討論。

討論。
ある問題について、互いに意見を述べ合うこと。ディスカッション。

引用:広辞苑

まあ、こんなところでしょうか。

で、いきなりですが、最近感じたことがあったので、メモ程度に書かせていただきます。

見渡してみると、議論できない人には2種類あるのかなと思います。

  • 自分の考えを持っていない人。
  • 人の話に耳を傾けない人。

議論ってすごく大事だと思うんですよ。
議論ができる人って、自分の考えを持っている人なんですよね。
「私はこの問題についてはこんなこと考えてる」とか胸を張って言える人。

でもね、それだけで終わっちゃ駄目だと思う。
「人の意見に耳を傾けること」。
これが、議論の中で結構重要なんですよ。

自分の考えを話すこと。そして、人の意見に耳を傾けること。

人の話を聞くことは、すごく好きです。
今まで自分の中になかった考え方や、知識を得ることができるから。
同じ意見だったとしても、新しい視点を提供してくれるかもしれないから。

結局、こういうことに耳を傾けない人っていうのは、自分勝手になっていくと思うんです。
自己主張と、自分勝手が違う点はそこかなあ。

日本ではよく「自己主張」できる人が少ないと言います。
意見をたたかわせる場所が少ないから、自分の意見を持つ必要もない。
だから、そういう場に直面しても、その場限りの対応しかしない。
でもそれは結局、自分の意見ではない。

逆に自分勝手な人ってどういう人かなって考えたら、
良く言えば自分を持ってる。
悪く言えば無駄に頑固。

自分の意見を持って、人の話を聞くようにすること。
大事だよなあ、とつくづく。

自分の意見を持っていない人も寂しいですが、持っていたとしても自分の意見に「改良」を加えることをしない人も寂しいですね。

人の話を聞く。理解する。自分の中に落とし込む。自分なりにアレンジする。発言する。それがだんだん自分の言葉になる。

そうやって、自分を持つことができる人が増えたらいいのになあ。