インドに上陸

2013.03.04 インド1日目

インド。ついにこの日がきた。
2年前にヨルダン/イスラエル/パレスチナに行って以来の海外だ。高まる気持ちを抑えつつ、成田空港行きの電車を待つ。早い時間帯の飛行機だったため、寝過ごすわけにはいかないと思い、寝ずにそのまま家を出た。

今回も貧乏旅行ということで、特急電車ではなく鈍行電車に乗ると決めていた。この数百円の違いがインドでは大きな差になってくる。時間は余るほどあるので、ゆったりと向かうことにした。

向かいの特急電車のホームでは、多くの人が行列を成していた。3月ということで旅行者が多い時期だ。キャリーバックを持った旅行者、ビジネスマンの姿が目に付く。私が乗った各駅停車の電車の中にも、旅行者の姿が目についた。各々がこれからの旅に想いを馳せながらーー。

うとうとする電車内で、成田空港の文字が見えると、眠気も一気に覚めた。初めての成田空港だったが、迷うことなく無事に搭乗受付を済ますことができた。コルカタにたどり着くまでに3度の乗り継ぎが必要だったが、心強い後輩と一緒だったので、不安も全くなかった。けたたましい音を立てながら鉄の塊は大空へと羽ばたいた。

最初の乗り換えは、北京だった。初めて中国に足を踏み入れた時、彼らから発せられた言葉は歓迎の言葉ではなく、罵声であった。いきなりなんだよ、と思ったが、非があるのは完全にこちら側であった。トランジットの際には、イエローカードの記入が必須なのだが、機内で受け取り忘れてしまい、記入できずに受付に並んでいたのだ。

中国の言葉は一切分からないので、最初は何を言っているんだと思ったが、イエローカードを差し出された時に今置かれている状況に気が付いた。彼らの表情から読み取るに「おいおい、なんでこんな常識的なこと怠ってんだよ。頼むよ」といった具合であろうか。

その場で急いで記入し、無事に入国することができた。とは言っても入国した数時間後にはPM2.5が飛び交うこの国を後にし、今回の最終目的地であるインドに向けて飛び立ったのだが。

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北京、上海、昆明と、中国の大都市を経由し、インドのコルカタに到着したのは、日本を出発してから約17時間後のことであった。

コルカタの空港は、”古びた病院のような場所”という印象であった。コルカタの空港に着いたのはかなり遅かったため空港泊も考えたが、次の日のことを考えると、街に出て宿を探すことを選んだ。

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偶然にも同じ飛行機に乗り合わせた日本人2人を引き連れて、宿が多いというサダルストリートに向かった。約1時間くらい走っただろうか。「着いたぞ」と言われて降りた瞬間、不安感が一気に押し寄せた。

3時近くだったため、当たり前だが人もまばらだ。野犬も多く、我々を見つけると威嚇するように咆哮していた。本当に宿があるのかと思うほど、真っ暗で、犬の遠吠えだけが耳に残った。

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途方に暮れて、行くあてもなく歩いていると、路上で寝ていたホームをレスしているであろう方に話しかけられた。
「宿を探しているのか?ついてこい」
とでも言っていただろうか。我々は藁にもすがる思いで彼の後をついていくことにした。

すると、厳重な扉の中に連れて行かれ、何やら人を呼んでいる模様。こんな真夜中に「おーい!」と扉に向かって話しかける姿に、「おいおい、本当に大丈夫か?」と心の中では思った。少しすると管理人らしき人が出てきた。彼はそこで話をつけてくれたらしい。おじいさんのファインプレーにより、なんとか宿を見つけることができた。

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1人、400ルピーと想定していた値段よりもかなり高くなってしまったが、寝る場所と水シャワー、電源がついていたので妥協して即決した。

しかしながら、彼は紹介料でももらっているだろうか。もしくは「初めてインドに来ました」感が出まくっていた我々のためだけにやってくれたのだろうか。初日からインドに秘められている謎な部分と直面することとなった。

次の日は、寝台列車に乗りバラナシへと向かうことを決めていたため、その日はすぐに眠ることにした。初日からハプニングだらけの1日となったため、気付いた頃にはもう日の出が射し込んでいた。

続く