Jリーグ2ステージ制のお話

J-2STAGE

最近の日本サッカーまわりでは、Jリーグ2ステージ制の話で持ちきりですね。詳しい内容などは、あらゆるところに出ているので、今回のことに対しての自分の所感のみ書かせていただこうかなと。

まず自分の立ち位置として、賛成でも反対でもない派、という目線でこの騒動を見ていた。反対派の意見を聞けば、それはそれで納得するし、その逆も然りだったためである。

ただ、気になったのは「ヨーロッパでは○○だ」という話を持ち出す人が稀に見受けられたところ。あれだけ成功している(もちろん成功していない事例もある)と、そのノウハウを日本にも持ち込めば、同じ道をたどることができるのではないか、と思うのは分からなくもない。ただ、言ってしまえばここは日本なのだ。リーグが始まった経緯も、環境も、言葉も、何もかもが異なる。「あのリーグが成功しているから、同じやり方をすれば成功する」とは簡単には言えないのは、ここが日本だからである。その土地それぞれに見合ったやり方があるのは自明である。

むしろ、取り巻く環境や状況は常に変わり続けているのであって、それに即座に対応できる柔軟さが求められるのではないだろうか。20年という節目の年にあって、今まで”成功しているように思える”リーグ運営を1から見直すというJリーグの判断は称賛に値するはずだ。

日本なりのリーグ運営って何?と考えて考えぬき、より現実路線に突っ切った結果が今回の「2ステージ制」という選択であったように思える。
しかしながら、今回まずかった点として「ああ、また上の人達だけで決めちゃったよ」という印象を与えてしまったことであろう。どうしてこういった流れになったのか、という経緯を(手間ではあるかも知れないが)、意見交換会などを開いて話す必要があったのではないだろうか。

戦略会議のメンバーからもそういったことが言える。全てのJクラブから選ばれたわけではなく、JリーグとJFA、関東に近いクラブの代表+αのメンバーで構成されていた。この会議に選ばれていないクラブの監督で、はっきりと反対意見を述べる人もいた。その意見が「若手が伸びない」というものであった。Jリーグとしては、若手育成の費用(もちろん他の費用もある)に充てたいがために今回の2ステージ制に踏み切ったのだが、説明する場所がなかったためにこういったすれ違いが起きたのではないだろうか。「Jリーグが決めたことなんだ。仕方ない」という流れにならなかったのは、そういった部分を怠ったJリーグ側に非がある。

そもそも、金がない金がないと言ってるが、130億円の収入があるのにも関わらず、その使い方の詳細は公表しているのであろうか。調べ不足でそこに関しては分からないが、もしその説明もしなければ、誰も納得してくれないんじゃないだろうか。これでもし、J幹部だけがおいしい思いをしていたら…なんて考えたら、本末転倒の結果になりそうだが。

Jリーグも、クラブも、JFAも、日本のサッカー界をよりよい環境にしていきたいという思いは同じであるはずだ。ただ、その過程が異なるため、この話し合いは時間をかけてすり合わせていく必要があったようにも思える。

とにもかくにも、すでに決まったことである。まずは、どういった経緯でこの決定がなされたのか、説明会を行うことが重要であるかと思う。説明会に参加する側も、真向から反対、という姿勢をとらずに、まずは話を聞いてみて、疑問に思う部分を率直にぶつけてみる。すべての事柄でみんながみんな理解し合えることはないとは思うが、よりそれに近い形になるようになっていってほしいと思う。
まとまりが悪いですが、今日はこんなところで。

※川崎フロンターレではすでに9月21日に行われています。
こちらから
「J1リーグ大会方式の変更について」の説明会(報告)

※その他参照URL
謎に包まれていた2ステージ制復活の意図 成長シナリオを描くために必要な決断

【お知らせ】サッカー記事公開のお知らせ

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お知らせです。
「徹マガインディーズ」という企画で、記事を書かせていただきました。

タイトルは、
サッカーは“代理戦争”の場としてふさわしいか」。

パレスチナ問題や、東アジアカップでの日韓戦での出来事を絡めながら、
サッカーが代理戦争としてふさわしいのか否かを考察した記事になっております。

自分がどういったことを伝えていきたいのか、という部分が
少しでも理解していただけるかと。

なお、こちらの記事は無料で公開されておりますので、ぜひ読んでいただければと思います。
http://tetsumaga.com/archives/3944
こちらのリンクから『■HTML』というところの下のリンクをクリックすると読むことができます。

また電子書籍にも対応しておりますので
その場合はその下の『■ePub』のリンクをクリックした後、保存していただければ。

今後に活かしていきたいと思いますので、感想をいただけるとありがたいです。
こちらのコメント欄でも良いですし、Twitterでも良いのでぜひよろしくお願いします。

Twitter
@yuukimiura

いつまでも子どもではいられないけど。

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いつまでも子どもではいられないけど、子どものような気持ちは持ち続けていたいという話。

25歳になり、大人の階段を登りつつあります。
周りのみんなは企業に勤め、私のようにぷーたらとフリーターもどきをしている人なんてほとんどいなくなりました。

25歳にもなると、結婚というものが身近に感じる年頃です(自分自身はそんな気配すらありませんが)。
友人の話を聞くと、高校時代は他愛のない話でちゃらんぽらんな話で夢なんかも話したりして盛り上がっていたのに、今話すことといえば、結婚のこと、家族のこと、子供のこと…だったり。
いやいやまだ早いだろうって思っていたことが着実に自分のすぐそばにきているんだなと実感する瞬間でもありますし、でもそれってどうなのって思う自分もいるわけです。

もちろん無意識ではあるとは思うのですが、自分に限界を作って安定を求めちゃってる感があるのかなあと。もちろんそうではない場合もありますけども。現実を見始める時期なんでしょう。

湘南乃風の純恋歌ではありませんが、
「慣れ合いを求める俺、新鮮さ求めるお前」
みたいな感じで、新鮮な気持ちをいつまでも持ち続けたいなあというのは感じるわけで。

そんな出来事があって、今の自分を振り返ってみました。
最近の自分は、頭が硬くなりすぎているんじゃないかとふと思いました。

自分は、アイデアマンというキャラでもないので、アイデアを出してもらってそれを吟味するっていう作業をすることが多いんですが、その意見に対して「これって実現可能?」とか「ここにたどり着くための道筋を考えると…」とかって、頭の中ですぐに考えてしまう癖ができている気がします。

それはきっと悪いことではないだろうし、むしろ必要なことだと思いますが、それはきっと考える時が別にあるはずで、頭の中で直感的に考えることでもないですよね。アイデア出しの段階でそんなことを考えていたら、自分の中で限界を作ってしまう。

自分の中では「できないだろう」って思ったことでも、新しい出会いや、人とのつながりで、実現可能なことってあるんだろうなってまた最近いろんな人に出会うことで気付くようになりました。自分たちだけで全てをやるとなると限界値もそんなに高くはならないでしょうが、人との化学反応で限界値はどこまでも高くなるんだろうなと思います。

いつまでも子どものような発想で、「こんなの無理でしょ」なんて思わないで、はちゃめちゃに考えていきたいな、なんて思っています最近。

なんだか話があっちにいっちゃっている感はありますけども、子どものような感性で、いつまでも居続けたいなと思うわけですね。

つながっているかどうかは不明ですが、頭の中にぽわーんと出てきたので、文字に記しておきたい衝動に駆られたまでです。

インド最終日。

2013.03.10 インド7日目(最終日)

iPhoneを見ると、3時15分だった。
電車が止まったのも気付かないほど熟睡していたが、寝ぼけながらバックパックを背負って電車を降りた。

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駅構内は電車に乗る人、乗ってきた人で溢れかえっていたが、明かりは最小限に抑えられていた。駅に着いてからは、やることもないし、相方が風邪を引いてしまっていたらしく、体調もあまり良さそうではなかったため、明るくなる6時頃まで横になることにした。行きの飛行機でもらった新聞紙などを敷いた。

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だが、電車内で熟睡できてしまったのがかえって仇となり、眠気がほとんどない。WiFiもないし、むしろ充電すら危うい。彼が寝ている間、時間を持て余していたので、近くのカフェでホットチョコレートを購入し、外に出て一服しにいった。外に出ても人がたくさんいた。

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電車に乗るのを待っている人や、早朝から働く準備をしている人も見受けられた。ぼーっとしていると、「インドは好きか?」と30歳くらいの男性に聞かれた。「大好きだよ」と答えると満面の笑みで去っていった。日本にいるときに外国人に「日本は好きか?」なんて聞けるかな、なんて思ったりしてみた。たぶん、聞けない。

5時過ぎ。
どうしようもなくトイレに行きたくなり、行きの列車待ちで時間を潰した2ndクラスのトイレに向かうと既に空いていたため、そこを利用した。コルカタに着いたらまずシャワーを浴びようという話をしていたので、寝ている彼を起こして、朝水シャワーを浴びる。順番にシャワーを浴びると、外は明るくなっていたので、駅の向かいで朝ごはんを食べることにした。タンクトップを着た男性が、圧巻の鉄板さばきをしているお店に決めて、炒めものを頂いた。インドの料理はほんとうに旨い。

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しばらくしてから、船に乗ることにした。
特に目的地もなかったので、ふらーっと何も考えずに川を渡った。ここでも多くの人が朝の沐浴をしていた。インドでは沐浴は欠かせないことなんだな。

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船を降りて、Park Streetを目指すことにした。
船を降りると近くに列車の線路が通っていて、そこに住んでいる人たちもいた。日本ではまず考えられないことだが、小さなことだが文化の違い、常識の違いを感じさせられた。

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タクシーを拾い、50ルピー。

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せっかくインドに来たのだから、映画を見たくなり、2時間ほど街を探索しつつ、映画館を探した。途中、TOYOTAのオフィスがあったり、マクドナルドがあったり、Apple Storeがあったり。日本でも見慣れたものが、インドにもあることに不思議な感覚を持ったが、そのどれもが日本だけのものじゃないんだという思考に辿り着くまでにはそんなに時間はいらなかった。

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映画館を見つけてから、少しだけ自由時間とした。
ひどく疲れていたため、近くにあったケンタッキーに入る。中には、家族連れの方が多くいたりと、日本で見る風景とさほど変化はない。インドでは日課となっている読書をしようとするが、世界に入り込めない。バラナシでは違ったのになあ、なんて思いつつ、自分が現実に戻りつつあるのを感じる。

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相方は市場に行ったそうだ。どこか海外に行っても、市場だったり、歴史的建造物だったり、風景だったり…。もちろん感動するときはあるんだけど、熱くなるものはないんだよな。この旅でのハイライトは、家族に「YUUKI!」と呼ばれて手を振ってもらったこと。言葉はあまりできないけど、人と人とのつながりを感じることができた。何かを見たい、っていうよりも、日本から脱却したいから海外に出る、と考えたほうが自分的には良いのかもしれない。

にしても、都心に行けば行くほど人が冷たくなるというのは日本でもインドでも同じことが言えるのだろうか。バラナシにいた時よりも、ドライな反応に感じてしまう。だからそれが別にどうってわけでもないんだけど。

さて、映画の時間になり、待望のインド映画を見ることにした。英語の字幕は(もちろん)なかった。なのでよく分からなかったが、なんとなく映像で理解した。ラブコメディーといったところだろうか。

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日本の映画館と異なる部分として、上映中にも関わらず拍手が起こったり、「いいぞ!やれやれ!」みたいな掛け声が飛び交うところだ。また違った雰囲気で楽しむことができた。男性は笑っている人が多かったが、女性の中には泣いている人もいて、感受性豊かだなと関心してしまった。

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映画を見終わるとだんだん暗くなってきていたので、晩ご飯を食べることにした。気になってきた市場近くのカレーを食す。まだ時間があったので、市場で少し時間を潰そうということに。

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すると、最後の最後にすごい客引きに出会った。
なんとなくお茶を買いたいなと思っていたところに2人組の男の子たちが近づいてきて「良いお茶あるからこっちにきなよ」と誘ってきた。試飲させてもらうとたしかに美味しい。なので、そのお店についていくことにした。そのお店は少しお高そうな場所だった。最後ということでお金も余り持っていなかったため、これはやばいなあと思っていたところ、案の定自分たちが持っているお金よりも高い値段設定だった。あとから気づいたことだが、量が多かったことや、本当に良質な茶葉だったらしく、かなり良心的な値段だったようだ。帰りの空港で茶葉を見ていたら、それよりも高い値段で少ない量の茶葉を見かけて、変に疑ったことを申し訳なく思った。しかしその時はそんなこととはつゆ知らず、「無理だからもっと安くして」の一点張り。結局購入を諦めて店を出たのだが…。

その客引きの2人はまだまだ諦めない。「ありがとう」と立ち去ろうとしてもずっと後をついてきて、英語で話しかけてくる。そればかりか、「何かギフトをくれ」と言い出す始末。これには苦笑したが、日本から持ってきたポカリスエットの粉末を手渡すと、なぜか満足そうな笑みを浮かべて、写真撮影をすることに。結局何も購入しなかったが、最後の最後で”インドっぽい”部分に触れることができたことはとても満足だった。

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彼らと別れてから、momoを30ルピーで食べた。これがインドで食べた最後の食事となった。

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その後、タクシーで300ルピーを支払い、空港に向かった。
24時30分発の飛行機だったため、早めに21時頃に到着。最初、国際便のほうではなく、なぜか国内便のほうに連れて行かれて少し焦ったが、無事に辿り着くことができた。

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空港には日本人の姿がちらほら見受けられた。
そのうちの1人と話すと、ボランティアでインドまできていたらしい。プリーという場所で1週間ほどボランティアをしたそう。大学でそういう勉強をしているとのことだった。
同じ飛行機だったが、乗り換えの上海らへんで姿が見れなくなった。彼女は無事に日本に辿りつけたのだろうか…。

それにしても、インド。
魅力的な国だった。また機会があったら訪れたい。
その時もまた、本を片手にゆっくりと現実逃避をするために。

バラナシで見た日の出

2013.03.09 インド6日目

前日に「最後の日くらい日の出を見よう」ということになった。
朝6時前に起きて、川沿いに足を運ぶ。その時既に、多くの人がいて沐浴をしていた。前日は夜遅くまで祭に参加していただろうに、本当に元気だ。観光客が入っているのも見受けられたが、ほとんどがインドの方だった。真剣な表情で、作法がありそうな沐浴を続けていた。

肝心の日の出。
日本のように高い建物があるわけではないので、ガンジス川の向こう側から太陽が登っていく様子はとても素晴らしく、綺麗だった。

日本にいるときには意識したこともないが、太陽の光によって世界が照らされていくのを感じるのは、心が洗われるような感覚だった。

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太陽が上っていくのを見届けると、前日と同じように久美子ハウスの近くでチャイを飲んだ。久美子ハウスから近いこともあり、ここには多くの日本人が訪れるのだろうと思うが、きっとお気に入りの場所として頭の中に残っていることだろう。

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それから一度宿に戻り、荷造りを開始。
バラナシで過ごすのも今日が最後かと思うと感慨深いものがあった。近くの露店でタバコを買い、屋上で一服。これは蛇足だが、ライターが落ちてしまって、焦って拾いに行く様子。インドまできて、上腕二頭筋を使うことがあるなんて想像もしていなかった。

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さて、チェックアウトをして荷物を預かってもらい、また少し街を散策。川沿いで、この滞在中毎日出会っていただろう、通称「ぼったくりくん」にも遭遇。今日で帰ることを伝えると、おみやげ買うか?といつもの調子。楽しい思い出をありがとう。

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その後、宿に戻り荷物を受け取ると、何往復もした川沿いを通り、リキシャに乗って駅へ向かうことにした。

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駅に着くと、電車内で食べるお菓子を数点購入し、乗り場近くまで移動して座る。

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すると、威厳のあるおじいさんが近づいてきて「撮れ」みたいな仕草。貫禄がありすぎて若干焦ったが、明るかったのにフラッシュをたいて撮影。その映像を見せると表情1つ変えずに去っていった。一体何だったんだろうか…。

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電車が到着。
時間通りに駅に着いた電車を見て「行くまでに調べて出てきた悪評はどこへやら…」と感じつつ、自分の席に乗り込む。まだ寝る時間でもなかったので、電気をつけて、やはり読書。小説の世界に入り込む。

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本を読みながら気づいたんだが、途中の駅でそうじをするために入ってくる人がいた。誰かが言っていたが「インドは道にゴミを捨てることは悪いことではない。汚いおかげで”清掃員”という仕事が存在しているんだ」なんてのを思い出した。ゲストハウスでもそうだし、列車でもそうだし、雇用の生み出し方は様々なんだなと思った。

そんなことを考えながら、その駅から乗り込んできた売り子さんから不思議な豆を購入して、腹を満たし、眠りについた。

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コルカタ到着は翌朝の3時15分。ついてからどうしようかなんて一切考えていないけど、どうにかなるのがインドなんだろう。

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つづく

インドの家族と読書と僕

2013.03.08 インド5日目

完全に風邪を引いてしまったようだ。
昨日の夜も眠れなくて、頭痛がひどい。原因はよく分からないが、若干睡眠不足のため、結局9時過ぎまで寝てしまった。

そこから荷造りをし、チェックアウト。
この日初めてホテルの朝食を頼んでみた。体調が優れなかったので、食べ馴染んでいるものをと思い、コーンフレークとパンを注文。期待はしていなかったが、普通に美味しかった。

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そこからバックパックを背負って、バラナシでは有名な日本人宿、「久美子ハウス」に向かう。ガンジス川沿いを歩いた。今日もガンジス川はでかい。

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いろんな風景が見れるから、ここを通るのは飽きない。

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久美子ハウスに到着。
だが、泊まれるかどうか聞いたらこの日は満員ということだったので、近くにあったオムレストハウスに1泊することに。韓国人の男の子と同じ部屋になったんだけど、経歴がすごかった。誰もが知っているような超有名企業に勤めた後、仕事をやめてインドを放浪しているらしい。

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少しまったりしたのち、ガンジス川近くのお店がある道を北上。またもやATMを探しつつ、久美子ハウス近くでチャイを飲む。店番の男の子に作り方を教えてもらった。牛乳、水、茶葉、砂糖、ブラックペッパー、マサラを入れ、5分ほどぐつぐつと煮立てれば完成。安くてこんなに美味いなんて。

3杯ほど飲んで、まったりする。
この日は、体調が悪かったのもあり、まったりする。
とりあえず、何かとまったりする。
ぶどうを1房15ルピーで買ってひたすら食べる。

ガンジス川沿いの階段に腰掛け、読書をしていると、子どもが寄ってきた。やはり子どもには人気な俺。カメラを見つけると、それに夢中になる。警戒心ゼロのため、貸してあげると嬉しそうにいじり倒していた。

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それから少しして、ぞろぞろと人が降りてくれる。
みんな一言二言声をかけてから階段を降りていく。

そんな中でとある家族が足を止め、またしてもカメラに夢中になる。
自分の子供を撮ったり、風景を撮ったり、「これ、いくらなんだ?」と聞いてきたり…。気づけばその大家族(10人以上)に囲まれていた。言葉は一切わからないんだけど、なんとなくニュアンスで伝わるのが不思議だよなあ。それでもって彼が撮った写真が味があって良い。

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30分くらい経っただろうか。
写真を撮ったり、撮られたりを繰り返し、彼らは去っていった。
すごく感じのよい家族で、インドいいなあ…とおもった瞬間でもあった。

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やはり、体調がすぐれないため、宿に戻って寝ながらまた読書。
海外にいると日本語を見る機会が無いためか、読書がススムススム。
日本のように他の誘惑もないため、本の中の世界にすーっと入り込める。
まとめて読書するためだけにバラナシに来るのは、ちょっと豪華だけどいいなあと思ってみたり。

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夜になり、さすがに腹が減ったため、ご飯を食べに行くことに。相方が気になっていたというタマゴロールとやらを食べに出かけた。50ルピーでボリューミー。これは当たり。味もすごくうまかった。インドの料理ではないだろうけど、これはこれでありでした。焼きそばみたいなメニューもあったためこちらも食べてみた。うまい。

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一旦宿に戻ると、また祭を観に行くことに。
バラナシ最後の夜なので、祭も見納め。人はどんどん増えて、歩くのも困難なほど。ほんと、どこからこんなに人が出てくるんだ。湧いて出てくるように人が溢れかえっている。
人混みにつかれたので、宿に戻ろうとしているところ、後ろのほうから
「YUUKI!!!!!!!!!」
という声が。自分ではないかも、と思いつつ振り返ってみると、昼に戯れていた大家族のお父さんが満面の笑みでこちらに手を降っていた。

とても感動しました。
こんな人混みで見つけ出してくれたことと、1回会って少し話しただけ、しかも言葉なんて通じていないのに、名前をしっかりと覚えててくれて、なおかつ、あんなでかい声で呼んでくれたなんて(かなり離れた位置にいました笑)。
インド人はうざいとかよく聞くけど、人懐っこいがゆえにそう感じてしまう人が多いんだろうなと思いました。たしかにしつこい人はしつこいかもしれないけど笑、それは彼らも生活がかかっているからであって、一概に「うざい」なんて言えないよなあ。
(そんなこと言ったら、毎日かかってくるセールスの電話なんてうざいなんてもんじゃないよ、とか思ってみたり)
この旅のハイライトでした。

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そのあと宿に戻り、いつもどおりの水シャワーを浴びる。
疲れた体には沁みるが、いいことがあったので冷たい水も我慢できちゃう。
バラナシ最後の夜はこうして更けていくのでありました。

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つづく

まったりリキシャでまったりと。

2013.03.07 インド4日目

この日は10時頃に目覚める。
インドに来てからこんなに寝たのは初めてだ。なんとなく原因は分かっている。

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宿を出てすぐに、2人の若者(と言っても12,13歳の子ども)に出会う。パスポートのコピーがしたかったので、彼らに聞いてみると案内してくれることに。電気屋さんに連れて行ってくれたが、朝の時間帯は電力不足のため、通電していないとのこと。「何かくれ」とのことだったので、持っていたものをあげた。彼らは日本語が少し分かるようで、少し会話。インドの子どもの学習能力(?)には常に驚かされる。

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彼らに別れを告げるとすぐに、数人の子どもがたむろっているのを発見。近づいてカメラを彼らに向けると、満面の笑みと、少しの照れ笑いを浮かべていた。インドの子どもはみんな可愛い。笑顔が素敵。

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さて、そこからは、お金をそこまで持ってきていなかったため、とりあえずATMを探すために歩きまわった。ガンジス川から遠ざかるように歩き続けると、ショッピングモールのようなものが見えてきた。古く少し寂れた建物が多いバラナシの中では目を見張る存在である。よく見ると、某有名ピザ屋さんもあるようだ。バラナシについた時に気になっていた場所でもあったので、そこに向かうことに。これだけの建物ならばATMもあるだろうと高をくくっていたが、結果そこでは見つからず。中を覗いてみると、まだ建設途中か?!と疑うような光景が。

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それにしても、人が本当に多い。インド中からバラナシに集まってきているんじゃないかと錯覚を起こすほど。バイクもリキシャも歩く人も、みんな譲らない。インド、すごいな。

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しばらくしてからガンジス川のほうに戻り、昼食を取る。スパイスが効いてちょっと辛かったが、とてもおいしかった。

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食べ終わって少しすると、日本語をほぼ完璧に操る男の子に出会い、彼に誘導されるがままにコピーのあるネットカフェに辿り着いた。そこでコピーを済ませてから、リキシャに乗って駅に向かう。帰りの列車を予約するためだ。駅までは200ルピーかかった。

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3150ルピーの2ndクラスの列車の予約を完了。無事にコルカタまで帰ることができそうだ。駅にはATMがあったので、そこで500ルピーだけおろし、またもやリキシャでガンジス川に帰ることにした。帰りは節約のために電動のリキシャではなく、”普通”のリキシャで。

いじめられているのかなんなのか知らないが、「お前のリキシャはポンコツだぜ!」みたいなことを言われたのかどうなのかわからないが、おじいちゃん運転手はキレ気味。でも、まったりとゆっくりと進むこちらのリキシャもいいものだと感じた。

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ガンジス川沿いに到着してからはまったりと散歩。座っていると子どもたちがよってきて、話しかけてきてくれる。カメラを持っているのが大きかったのか、写真を撮って〜とずっとせがまれていた。川沿いでは、クリケットをやる少年たちがいるのがインドっぽいなと思った。

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※子どもと戯れているシーンを隠し撮りされていたので、こちらもどうぞ。

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日が暮れてまつりを少し見学。前日も人がすごかったが、この日のほうが多いんじゃないかというくらいの、人、ヒト、ひと。
まつりの様子を少し撮影したので、ご覧くださいませ。

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それから少しインドの子ども商人たちと戯れたのち、帰宿。
チャイ屋さんで仲よさ気な家族をぱしゃり。「この写真、送ってくれ」と言われたが、さすがに実現できそうにない。

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それにしても、インドの子ども商人たちはすごいなあ。母国語以外をマスターしていて、観光客に話しかけている。日本語だけじゃなくて、韓国語ができる子どももいたりして、インドのポテンシャルの高さを感じるとともに、こうしないと生きていけないんだ、という強い意思すら感じられた1日だった。

つづく