[レビュー]つくること、つくらないこと

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コミュニティデザイナーの山崎亮さんと、ランドスケープアーキテクトの長谷川浩己さんが、1人のゲストを招いて鼎談したものをまとめた本です。

コミュニティデザイナーは「つくらない人」、ランドスケープアーキテクトは「つくる人」。それぞれは対立関係にあるのではなく、アプローチが異なるだけで目指しているところは、共通する部分がある。この2人と、いろいろな分野からのゲストの掛け合いがとても面白かった。

その中で特に気になったところを引用する。

長谷川 その人がその場所に対して興味を持つきっかけを与えるのが風景の一部となる建築やランドスケープの役割とも言えますか?

太田 最も有名な例はシドニーの「オペラハウス」です。…(P.23)それはまさに、シビックプライドでしょう。誇り、愛着、自負。自分がそこに関わっているという意識。それから、僕がシドニーをとても好きなように、そこには住んでいないけど、離れたところで何かその都市に対して参加意識を持っている、”準市民”みたいな人々をどうつくっていけるかが大事なんでしょうね。(P.24)

建築家である太田浩史さんとの鼎談。
オーストラリアのシドニーにあるオペラハウスを例に出して、住んでいる人が誇りに思えるものがあるという話。それ以外にも、住んでいる人たち以外をどう囲い込めるか、という点が大事ということ。
まちづくりを行う上で、市民はそのまちのことを「好き」で「誇り」に思えないといけないが、その先にあるのは、市民以外の人々がどのように関わっていけるのか、という議論がなされていた。

ナガオカ (略)…みな「金沢21世紀美術館」を目指そうと言う。けれど、あの場所が成功したのは広報の力だと思うんです。違う県から人が行きたいと動機づけるのは、全国の言葉で通訳する広報がいるから、代弁してくれるアーティストを巻き込んでいるから。全国区であるためには、どんな人にも分かりやすく広報をしていくということ。デザインはこうあってほしいという自分のメッセージを伝えたいと思ったら、自分がメディアに載る価値のある発言を持たないといけないんだと考えています。(P.49)

先ほどの太田さんとの鼎談の中で、場所に興味をもつきっかけになるのが、景観だったり、建築物だったりする、という話があったが、ナガオカケンメイさんは「金沢21世紀美術館」を例にあげて、ハコモノがそこにしっかり根付くようにするためには、広報の力は絶対的に必要だと語る。

西村 …たとえば、僕の肩を今、誰かが揉んでくれたとします。お礼にお金を渡したらそれまでだけど、何もしないでいたら「この人に何かお返ししたいなあ」と思いながら生きていくことになる。お互いに関係が清算していない状態は、煩わしさはあるにしても「豊か」ですよね。お金を使わない方が関係を結びやすかったり、維持できたりする。(P.106)

これは、働き方研究家の西村佳哲さんとの鼎談。
お金を使わない関係のほうが、人と人は繋がっていやすくなるという考え方。これはたしかにしっくり。お金の貸し借りの間は、「会うのも気まずいな」なんて思ったりもするけど、そこにお金が絡んでいない「貸し借り」だったら、繋がり方が違うなと。

などなど。
それ以外にも気になった点があったので、引用のみさせていただく。

山崎 これまでクライアントは、民間だったら発注者、行政だったらユーザー、と切り離して考えていましたが、マルヤガーデンズに関わったことで、民間も行政も関係なく、クライアント=ユーザーだと思うようになりました。(P.121)

長谷川 …結局クライアントというのは主体的にその「何か」に関わり、何らかのリスクを負いつつも、僕たちの関与を通じて何事かを実現しようとしている人たちではないかと。つまり、山崎さんはクライアントをつくり出していることになるんですね。

山崎 確かに僕は理想的なクライアントをつくりたいと思っているのかもしれません。(P.123)

芹沢 「探られる島プロジェクト」を続けたことで、島の人の面白いと、自分たちの面白いが伝わりあった、分かり合えた。(P.134)

広井 農村型コミュニティと都市型コミュニティ(P.141)

鷲田 「聴く」というのは究極の能動ですね。(P.155)

公共政策学者の広井良典さんの、「農村型コミュニティーと都市型コミュニティ」の説明は、自分の中で言語化できない部分がされているようで、とてもすーっと心の中に入った。これまでの日本は、ハード面の整備を重視していた傾向があるように思える。だが、クライアントは「ユーザー」であるということ。これが一番大事なことであるように感じた。

この本は、読んでいてすごく納得できる点があった。
まちづくりに関わっていきたいという人にはおすすめの本。
気になった方は、下のリンクからぜひ。





蓄積されるものと、選別されるもの

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デジタル化、みたいなブログを昨日書いたので、そこから考えたことを。

先日Twitterでこんなやりとりをして。

衣食住のモノに関しては、蓄積された情報源が選択するキッカケと成り得る。ウェブサイトで言えば、食べログのような形で、ユーザーが評価をつけて口コミを書き、その蓄積によって、ユーザーが選択する。また、そのユーザーが、情報を蓄積させる。

ただ、それ以外のものを考えてみると、どうだろう。
これは、蓄積した情報では補えない部分であると思う。食に関して言えば、「おいしい」という共通の評価があるのに対して、それ以外、例えば図書館などを例にあげるのならば、評価基準はそれぞれ異なる。蔵書数が多い、静か、雰囲気がいい、おしゃれ、など。異なる評価基準がある場合は、蓄積型の情報は意味を成さない。

キュレーターという言葉を使っているので、元々の語源である美術館を例に出してもそうだ。
食べログ的な方法で、美術作品を決めて、それを展示させる。これは現実的には難しいことだが、超有名な作品ばかり集めても、その美術館の根本となるコンセプトだったり、が損なわれてしまうんじゃないかなと。

「みんなが良いと言っているから」
「あの人が良いと言っているから」

この違いでしょうか。

考えがまとまらないところで、これにて。

地元の駅に忘れ物をしました、という話

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どうもお久しぶりです。
これからブログの頻度を高めていこうかなと思いますので、よろしくお願い致します。

さて、今日のネタなんですが、タイトル通り「地元の駅に忘れ物をしました」というお話です。

最近電車を使って通勤しているんですが、電車の中の過ごし方として読書をしています。で、いつも荷物が多いので、時間があるときは電車に乗る前に読む本をリュックから出しておくようにしているんですね。

今日は、いつもよりも待ち時間が長かったので、ベンチに座って本を出して、電車を待っていました。で、来たので電車に乗ったわけですが、少ししてから気付きました。ベンチに本を忘れてしまっているのを。ただ、電車はすでに動き出しているし、戻ることもできない。

「まあ仕方ないか」と思い、iPhoneを使って「◯◯駅 電話番号」と検索したわけです。ずらーっと検索結果が出てくる中で、もう1つの鉄道会社の電話番号はすぐに出てきたのですが、自分が利用している方の鉄道会社の電話番号は出てこない。結局、その駅の電話番号は見つかなかったため、全体のお問い合せ番号にかけることにしました。

「忘れ物などのお問い合せは、2を…」みたいな、現代では聞き慣れた機械音が聞こえる中、指示されるがままに2を押して、繋がるのを待ちます。

少しすると「もしもし…」と女性の声が聞こえてきたので、忘れ物をしてしまった旨を伝えると電話越しに「お調べしますので、少々お待ちください」と言われ、軽快な音楽が流れ始めます。

ぷちっとその音楽が切れたかと思うと、開口一番「まだ忘れ物システムのほうに登録がなされていないようです。登録のほうが少し時間がかかってしまいます。明日の午後には確実にされていますので、お手数ですがその頃またかけ直して頂いてもよろしいでしょうか」と女性。

ここで感じた違和感。
「いや、駅の電話番号さえ分かれば、解決する問題じゃね?」
ってこと。

たしかに、こういった小さな問題がいくつか重なると、負担がかかってしまうというのももちろん分かるわけですが、とは言っても、そのためのしわ寄せがここにきちゃうの?っていうところに違和感を感じました。

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調べてみると、駅や列車の中の忘れ物は、届けられた駅が情報入力をし、警察署の最寄り駅へ送付、その後、集約駅が警察署への手続きをしたのち、警察署へ届けられるそうです。

もちろん、忘れ物の価値(単純に貴重なものだったり、大切なもの)によっては、こちらのシステムというのは非常に有意義なもので、忘れ物をしても、安心感はあるのかもしれません。ただ、それによって、問い合わせることも難しくなっているんじゃないかなと。

「登録している時間」は、忘れ物をした張本人からしたら気が気じゃないでしょうし、ないならないで直接「見当たりませんでした」と言われたほうがむしろ落ち着くし、その後の対策も考えやすいんじゃないのかなと思ってみたり。

昨今、アナログなものがデジタルに移行している真っ只中です。
作業工程が多少なりとも楽になる、ユーザーの安心感、みたいな部分からそのようなシステムを取り入れているのだと思いますが、何から何までデジタル化する必要って果たしてあるんでしょうか。

以前も、電子マネー(いわゆるSUICAなど)を利用して改札に入ろうとした時、システムの問題で入場できません、と言われたことがあります。入金はしてあるので、駅員さんも何がおかしいのかさっぱりわからない様子でした、私は急いでいたため「じゃあきっぷを購入するので、この入金分から差し引いてもらえますか」と伝えたのですが、「でも、システム上、この電子マネーからは購入できないんですよ」と。

きっぷを購入する手間が省けるので、ピッとするだけで入場できるというのはとても便利だと思います。が、便利なものに移り変わってはいるんでしょうが、そのしわ寄せがどこかしらで出てきてしまうんだなと。どれが正解かなんて分からないですけどね。

そんなことを考えながら、私の読書時間は過ぎていきました、とさ。

ああだこうだ言ってきましたが、
まあ、確実に言えることは、忘れ物をするやつが悪い。
…すいません(笑)。

今日の帰りに駅員さんに確認します。
もちろん、アナログな方法で。

ちなみに、忘れた本は世界一周団体TABIPPOのこちらの2冊。
面白い本なので、ぜひご一読を。

にしても、主人を置いて本だけ世界一周しそうな勢いですね、これ。