インド最終日。

2013.03.10 インド7日目(最終日)

iPhoneを見ると、3時15分だった。
電車が止まったのも気付かないほど熟睡していたが、寝ぼけながらバックパックを背負って電車を降りた。

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駅構内は電車に乗る人、乗ってきた人で溢れかえっていたが、明かりは最小限に抑えられていた。駅に着いてからは、やることもないし、相方が風邪を引いてしまっていたらしく、体調もあまり良さそうではなかったため、明るくなる6時頃まで横になることにした。行きの飛行機でもらった新聞紙などを敷いた。

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だが、電車内で熟睡できてしまったのがかえって仇となり、眠気がほとんどない。WiFiもないし、むしろ充電すら危うい。彼が寝ている間、時間を持て余していたので、近くのカフェでホットチョコレートを購入し、外に出て一服しにいった。外に出ても人がたくさんいた。

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電車に乗るのを待っている人や、早朝から働く準備をしている人も見受けられた。ぼーっとしていると、「インドは好きか?」と30歳くらいの男性に聞かれた。「大好きだよ」と答えると満面の笑みで去っていった。日本にいるときに外国人に「日本は好きか?」なんて聞けるかな、なんて思ったりしてみた。たぶん、聞けない。

5時過ぎ。
どうしようもなくトイレに行きたくなり、行きの列車待ちで時間を潰した2ndクラスのトイレに向かうと既に空いていたため、そこを利用した。コルカタに着いたらまずシャワーを浴びようという話をしていたので、寝ている彼を起こして、朝水シャワーを浴びる。順番にシャワーを浴びると、外は明るくなっていたので、駅の向かいで朝ごはんを食べることにした。タンクトップを着た男性が、圧巻の鉄板さばきをしているお店に決めて、炒めものを頂いた。インドの料理はほんとうに旨い。

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しばらくしてから、船に乗ることにした。
特に目的地もなかったので、ふらーっと何も考えずに川を渡った。ここでも多くの人が朝の沐浴をしていた。インドでは沐浴は欠かせないことなんだな。

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船を降りて、Park Streetを目指すことにした。
船を降りると近くに列車の線路が通っていて、そこに住んでいる人たちもいた。日本ではまず考えられないことだが、小さなことだが文化の違い、常識の違いを感じさせられた。

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タクシーを拾い、50ルピー。

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せっかくインドに来たのだから、映画を見たくなり、2時間ほど街を探索しつつ、映画館を探した。途中、TOYOTAのオフィスがあったり、マクドナルドがあったり、Apple Storeがあったり。日本でも見慣れたものが、インドにもあることに不思議な感覚を持ったが、そのどれもが日本だけのものじゃないんだという思考に辿り着くまでにはそんなに時間はいらなかった。

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映画館を見つけてから、少しだけ自由時間とした。
ひどく疲れていたため、近くにあったケンタッキーに入る。中には、家族連れの方が多くいたりと、日本で見る風景とさほど変化はない。インドでは日課となっている読書をしようとするが、世界に入り込めない。バラナシでは違ったのになあ、なんて思いつつ、自分が現実に戻りつつあるのを感じる。

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相方は市場に行ったそうだ。どこか海外に行っても、市場だったり、歴史的建造物だったり、風景だったり…。もちろん感動するときはあるんだけど、熱くなるものはないんだよな。この旅でのハイライトは、家族に「YUUKI!」と呼ばれて手を振ってもらったこと。言葉はあまりできないけど、人と人とのつながりを感じることができた。何かを見たい、っていうよりも、日本から脱却したいから海外に出る、と考えたほうが自分的には良いのかもしれない。

にしても、都心に行けば行くほど人が冷たくなるというのは日本でもインドでも同じことが言えるのだろうか。バラナシにいた時よりも、ドライな反応に感じてしまう。だからそれが別にどうってわけでもないんだけど。

さて、映画の時間になり、待望のインド映画を見ることにした。英語の字幕は(もちろん)なかった。なのでよく分からなかったが、なんとなく映像で理解した。ラブコメディーといったところだろうか。

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日本の映画館と異なる部分として、上映中にも関わらず拍手が起こったり、「いいぞ!やれやれ!」みたいな掛け声が飛び交うところだ。また違った雰囲気で楽しむことができた。男性は笑っている人が多かったが、女性の中には泣いている人もいて、感受性豊かだなと関心してしまった。

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映画を見終わるとだんだん暗くなってきていたので、晩ご飯を食べることにした。気になってきた市場近くのカレーを食す。まだ時間があったので、市場で少し時間を潰そうということに。

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すると、最後の最後にすごい客引きに出会った。
なんとなくお茶を買いたいなと思っていたところに2人組の男の子たちが近づいてきて「良いお茶あるからこっちにきなよ」と誘ってきた。試飲させてもらうとたしかに美味しい。なので、そのお店についていくことにした。そのお店は少しお高そうな場所だった。最後ということでお金も余り持っていなかったため、これはやばいなあと思っていたところ、案の定自分たちが持っているお金よりも高い値段設定だった。あとから気づいたことだが、量が多かったことや、本当に良質な茶葉だったらしく、かなり良心的な値段だったようだ。帰りの空港で茶葉を見ていたら、それよりも高い値段で少ない量の茶葉を見かけて、変に疑ったことを申し訳なく思った。しかしその時はそんなこととはつゆ知らず、「無理だからもっと安くして」の一点張り。結局購入を諦めて店を出たのだが…。

その客引きの2人はまだまだ諦めない。「ありがとう」と立ち去ろうとしてもずっと後をついてきて、英語で話しかけてくる。そればかりか、「何かギフトをくれ」と言い出す始末。これには苦笑したが、日本から持ってきたポカリスエットの粉末を手渡すと、なぜか満足そうな笑みを浮かべて、写真撮影をすることに。結局何も購入しなかったが、最後の最後で”インドっぽい”部分に触れることができたことはとても満足だった。

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彼らと別れてから、momoを30ルピーで食べた。これがインドで食べた最後の食事となった。

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その後、タクシーで300ルピーを支払い、空港に向かった。
24時30分発の飛行機だったため、早めに21時頃に到着。最初、国際便のほうではなく、なぜか国内便のほうに連れて行かれて少し焦ったが、無事に辿り着くことができた。

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空港には日本人の姿がちらほら見受けられた。
そのうちの1人と話すと、ボランティアでインドまできていたらしい。プリーという場所で1週間ほどボランティアをしたそう。大学でそういう勉強をしているとのことだった。
同じ飛行機だったが、乗り換えの上海らへんで姿が見れなくなった。彼女は無事に日本に辿りつけたのだろうか…。

それにしても、インド。
魅力的な国だった。また機会があったら訪れたい。
その時もまた、本を片手にゆっくりと現実逃避をするために。

バラナシで見た日の出

2013.03.09 インド6日目

前日に「最後の日くらい日の出を見よう」ということになった。
朝6時前に起きて、川沿いに足を運ぶ。その時既に、多くの人がいて沐浴をしていた。前日は夜遅くまで祭に参加していただろうに、本当に元気だ。観光客が入っているのも見受けられたが、ほとんどがインドの方だった。真剣な表情で、作法がありそうな沐浴を続けていた。

肝心の日の出。
日本のように高い建物があるわけではないので、ガンジス川の向こう側から太陽が登っていく様子はとても素晴らしく、綺麗だった。

日本にいるときには意識したこともないが、太陽の光によって世界が照らされていくのを感じるのは、心が洗われるような感覚だった。

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太陽が上っていくのを見届けると、前日と同じように久美子ハウスの近くでチャイを飲んだ。久美子ハウスから近いこともあり、ここには多くの日本人が訪れるのだろうと思うが、きっとお気に入りの場所として頭の中に残っていることだろう。

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それから一度宿に戻り、荷造りを開始。
バラナシで過ごすのも今日が最後かと思うと感慨深いものがあった。近くの露店でタバコを買い、屋上で一服。これは蛇足だが、ライターが落ちてしまって、焦って拾いに行く様子。インドまできて、上腕二頭筋を使うことがあるなんて想像もしていなかった。

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さて、チェックアウトをして荷物を預かってもらい、また少し街を散策。川沿いで、この滞在中毎日出会っていただろう、通称「ぼったくりくん」にも遭遇。今日で帰ることを伝えると、おみやげ買うか?といつもの調子。楽しい思い出をありがとう。

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その後、宿に戻り荷物を受け取ると、何往復もした川沿いを通り、リキシャに乗って駅へ向かうことにした。

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駅に着くと、電車内で食べるお菓子を数点購入し、乗り場近くまで移動して座る。

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すると、威厳のあるおじいさんが近づいてきて「撮れ」みたいな仕草。貫禄がありすぎて若干焦ったが、明るかったのにフラッシュをたいて撮影。その映像を見せると表情1つ変えずに去っていった。一体何だったんだろうか…。

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電車が到着。
時間通りに駅に着いた電車を見て「行くまでに調べて出てきた悪評はどこへやら…」と感じつつ、自分の席に乗り込む。まだ寝る時間でもなかったので、電気をつけて、やはり読書。小説の世界に入り込む。

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本を読みながら気づいたんだが、途中の駅でそうじをするために入ってくる人がいた。誰かが言っていたが「インドは道にゴミを捨てることは悪いことではない。汚いおかげで”清掃員”という仕事が存在しているんだ」なんてのを思い出した。ゲストハウスでもそうだし、列車でもそうだし、雇用の生み出し方は様々なんだなと思った。

そんなことを考えながら、その駅から乗り込んできた売り子さんから不思議な豆を購入して、腹を満たし、眠りについた。

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コルカタ到着は翌朝の3時15分。ついてからどうしようかなんて一切考えていないけど、どうにかなるのがインドなんだろう。

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つづく

インドの家族と読書と僕

2013.03.08 インド5日目

完全に風邪を引いてしまったようだ。
昨日の夜も眠れなくて、頭痛がひどい。原因はよく分からないが、若干睡眠不足のため、結局9時過ぎまで寝てしまった。

そこから荷造りをし、チェックアウト。
この日初めてホテルの朝食を頼んでみた。体調が優れなかったので、食べ馴染んでいるものをと思い、コーンフレークとパンを注文。期待はしていなかったが、普通に美味しかった。

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そこからバックパックを背負って、バラナシでは有名な日本人宿、「久美子ハウス」に向かう。ガンジス川沿いを歩いた。今日もガンジス川はでかい。

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いろんな風景が見れるから、ここを通るのは飽きない。

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久美子ハウスに到着。
だが、泊まれるかどうか聞いたらこの日は満員ということだったので、近くにあったオムレストハウスに1泊することに。韓国人の男の子と同じ部屋になったんだけど、経歴がすごかった。誰もが知っているような超有名企業に勤めた後、仕事をやめてインドを放浪しているらしい。

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少しまったりしたのち、ガンジス川近くのお店がある道を北上。またもやATMを探しつつ、久美子ハウス近くでチャイを飲む。店番の男の子に作り方を教えてもらった。牛乳、水、茶葉、砂糖、ブラックペッパー、マサラを入れ、5分ほどぐつぐつと煮立てれば完成。安くてこんなに美味いなんて。

3杯ほど飲んで、まったりする。
この日は、体調が悪かったのもあり、まったりする。
とりあえず、何かとまったりする。
ぶどうを1房15ルピーで買ってひたすら食べる。

ガンジス川沿いの階段に腰掛け、読書をしていると、子どもが寄ってきた。やはり子どもには人気な俺。カメラを見つけると、それに夢中になる。警戒心ゼロのため、貸してあげると嬉しそうにいじり倒していた。

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それから少しして、ぞろぞろと人が降りてくれる。
みんな一言二言声をかけてから階段を降りていく。

そんな中でとある家族が足を止め、またしてもカメラに夢中になる。
自分の子供を撮ったり、風景を撮ったり、「これ、いくらなんだ?」と聞いてきたり…。気づけばその大家族(10人以上)に囲まれていた。言葉は一切わからないんだけど、なんとなくニュアンスで伝わるのが不思議だよなあ。それでもって彼が撮った写真が味があって良い。

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30分くらい経っただろうか。
写真を撮ったり、撮られたりを繰り返し、彼らは去っていった。
すごく感じのよい家族で、インドいいなあ…とおもった瞬間でもあった。

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やはり、体調がすぐれないため、宿に戻って寝ながらまた読書。
海外にいると日本語を見る機会が無いためか、読書がススムススム。
日本のように他の誘惑もないため、本の中の世界にすーっと入り込める。
まとめて読書するためだけにバラナシに来るのは、ちょっと豪華だけどいいなあと思ってみたり。

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夜になり、さすがに腹が減ったため、ご飯を食べに行くことに。相方が気になっていたというタマゴロールとやらを食べに出かけた。50ルピーでボリューミー。これは当たり。味もすごくうまかった。インドの料理ではないだろうけど、これはこれでありでした。焼きそばみたいなメニューもあったためこちらも食べてみた。うまい。

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一旦宿に戻ると、また祭を観に行くことに。
バラナシ最後の夜なので、祭も見納め。人はどんどん増えて、歩くのも困難なほど。ほんと、どこからこんなに人が出てくるんだ。湧いて出てくるように人が溢れかえっている。
人混みにつかれたので、宿に戻ろうとしているところ、後ろのほうから
「YUUKI!!!!!!!!!」
という声が。自分ではないかも、と思いつつ振り返ってみると、昼に戯れていた大家族のお父さんが満面の笑みでこちらに手を降っていた。

とても感動しました。
こんな人混みで見つけ出してくれたことと、1回会って少し話しただけ、しかも言葉なんて通じていないのに、名前をしっかりと覚えててくれて、なおかつ、あんなでかい声で呼んでくれたなんて(かなり離れた位置にいました笑)。
インド人はうざいとかよく聞くけど、人懐っこいがゆえにそう感じてしまう人が多いんだろうなと思いました。たしかにしつこい人はしつこいかもしれないけど笑、それは彼らも生活がかかっているからであって、一概に「うざい」なんて言えないよなあ。
(そんなこと言ったら、毎日かかってくるセールスの電話なんてうざいなんてもんじゃないよ、とか思ってみたり)
この旅のハイライトでした。

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そのあと宿に戻り、いつもどおりの水シャワーを浴びる。
疲れた体には沁みるが、いいことがあったので冷たい水も我慢できちゃう。
バラナシ最後の夜はこうして更けていくのでありました。

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つづく

まったりリキシャでまったりと。

2013.03.07 インド4日目

この日は10時頃に目覚める。
インドに来てからこんなに寝たのは初めてだ。なんとなく原因は分かっている。

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宿を出てすぐに、2人の若者(と言っても12,13歳の子ども)に出会う。パスポートのコピーがしたかったので、彼らに聞いてみると案内してくれることに。電気屋さんに連れて行ってくれたが、朝の時間帯は電力不足のため、通電していないとのこと。「何かくれ」とのことだったので、持っていたものをあげた。彼らは日本語が少し分かるようで、少し会話。インドの子どもの学習能力(?)には常に驚かされる。

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彼らに別れを告げるとすぐに、数人の子どもがたむろっているのを発見。近づいてカメラを彼らに向けると、満面の笑みと、少しの照れ笑いを浮かべていた。インドの子どもはみんな可愛い。笑顔が素敵。

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さて、そこからは、お金をそこまで持ってきていなかったため、とりあえずATMを探すために歩きまわった。ガンジス川から遠ざかるように歩き続けると、ショッピングモールのようなものが見えてきた。古く少し寂れた建物が多いバラナシの中では目を見張る存在である。よく見ると、某有名ピザ屋さんもあるようだ。バラナシについた時に気になっていた場所でもあったので、そこに向かうことに。これだけの建物ならばATMもあるだろうと高をくくっていたが、結果そこでは見つからず。中を覗いてみると、まだ建設途中か?!と疑うような光景が。

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それにしても、人が本当に多い。インド中からバラナシに集まってきているんじゃないかと錯覚を起こすほど。バイクもリキシャも歩く人も、みんな譲らない。インド、すごいな。

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しばらくしてからガンジス川のほうに戻り、昼食を取る。スパイスが効いてちょっと辛かったが、とてもおいしかった。

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食べ終わって少しすると、日本語をほぼ完璧に操る男の子に出会い、彼に誘導されるがままにコピーのあるネットカフェに辿り着いた。そこでコピーを済ませてから、リキシャに乗って駅に向かう。帰りの列車を予約するためだ。駅までは200ルピーかかった。

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3150ルピーの2ndクラスの列車の予約を完了。無事にコルカタまで帰ることができそうだ。駅にはATMがあったので、そこで500ルピーだけおろし、またもやリキシャでガンジス川に帰ることにした。帰りは節約のために電動のリキシャではなく、”普通”のリキシャで。

いじめられているのかなんなのか知らないが、「お前のリキシャはポンコツだぜ!」みたいなことを言われたのかどうなのかわからないが、おじいちゃん運転手はキレ気味。でも、まったりとゆっくりと進むこちらのリキシャもいいものだと感じた。

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ガンジス川沿いに到着してからはまったりと散歩。座っていると子どもたちがよってきて、話しかけてきてくれる。カメラを持っているのが大きかったのか、写真を撮って〜とずっとせがまれていた。川沿いでは、クリケットをやる少年たちがいるのがインドっぽいなと思った。

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※子どもと戯れているシーンを隠し撮りされていたので、こちらもどうぞ。

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日が暮れてまつりを少し見学。前日も人がすごかったが、この日のほうが多いんじゃないかというくらいの、人、ヒト、ひと。
まつりの様子を少し撮影したので、ご覧くださいませ。

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それから少しインドの子ども商人たちと戯れたのち、帰宿。
チャイ屋さんで仲よさ気な家族をぱしゃり。「この写真、送ってくれ」と言われたが、さすがに実現できそうにない。

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それにしても、インドの子ども商人たちはすごいなあ。母国語以外をマスターしていて、観光客に話しかけている。日本語だけじゃなくて、韓国語ができる子どももいたりして、インドのポテンシャルの高さを感じるとともに、こうしないと生きていけないんだ、という強い意思すら感じられた1日だった。

つづく

盛りだくさんなバラナシ初日

2013.03.06 インド3日目

目覚めると、外はすっかり明るくなっていた。時間を見ると8時。10時過ぎにバラナシに着く予定なので時間がある。時間があるので、本を読んで過ごすことにした。
コンタクトレンズが片方無くなっていたり、iPhoneが下に落ちていたが、それ以外は特に変わったことはなかった。内心ドキドキしていたが、そんなことは必要のないことであった。

朝食は、チキンライスのようなもの(何かは定かではない)を食べて腹を満たした。

10時半頃になると、前の席の人が祈り始めた。何事かと思い外を見てみると、目の前にはガンジス川が広がっていた。インド人にとって、聖地であることを身をもって体験した。

それから5分ほど経っただろうか。列車は大幅に遅れることもなく、時間通りバラナシの駅にたどり着いた。
悪名高いインドの列車だが、不快な思いはほとんどしなかった。

駅についてから外に出ると、すぐにリキシャに呼び止められた。だが、帰りの列車の確保をするため、外国人用のオフィスに向かった。ここでも後輩くんが大活躍。結局、次の日にもう一度来ることになった。

オフィスから出ると、先ほどのリキシャのおじさんが待ち構えていて、また話しかけてきたので、そのまま乗ることに。泊まる場所を決めていなかったこともあって、そのまま彼の言われるがままの宿に案内してもらうことに。リキシャ代は駅から川沿いの宿まで、120ルピーだった。

宿に向かうまでの間、インドっぽさをかなり感じた。自転車も、リキシャも、オートリキシャも、自動車も、バイクも…。クラクションは常に鳴らしっぱなしなので、かなりうるさい。日本では、歩く人間が優先されていると思うが、ここではその常識が通用しない。車は空いているスペースがあれば突っ込むし、それに負けじとリキシャも突っ込む。改めて、日本がルールを守る国だと感じた。

さて、少しすると宿に到着した。WiFiもあるらしく、そんなに汚くないなー、という印象。ここから別の宿を探すのも少し面倒だし、ここに泊まることにした。1人200ルピー。他の場所に比べたら少し割高か。泊まることが決まると「川渡りはどうするか?」などと言ってきたが、あまりに積極的に誘ってくるので丁重にお断りした。

重い荷物を部屋に置いて、早速ガンジス川に向かう。歩いていると、子どもの姿が目についた。笑顔が可愛い子どもたちがたくさんいる。彼らも日本人に興味津々といった様子で近寄ってきたり、顔をずっと見ていたりした。

雑踏の街中をくぐり抜けると、目の前にガンジス川。でかい川だなーというのが第一印象。インドはどこにいっても人が多い。ガンジス川も例外ではなかった。

川沿いを少し歩いてから、中に入り込み、おみやげ屋さんを散策。スカーフやTシャツがたくさん売っていた。100円以下で買えるものが多く、日本の物価の高さを嘆いた。

そして、また散歩。道沿いでチャイを売っている幼い兄弟(?)がいたので、椅子に腰掛け、インドでの初チャイをいただくことに。

カメラを持っていたからか、人がどんどん集まってくる。チャイを買いにきた人も「俺を撮ってくれ」と執拗に言ってくる。撮ってあげて見せると満足そうに去っていった。

再び、ガンジス川沿いを歩いていると一際騒いでいる子どもたちがいた。近づいてみると、空きペットボトルを使って傾斜を滑り降りていた。大きなカメラを持った外国人も集まり始め、子どもたちは一躍注目の的となった。

その後、ガンジス川を北上。ガンジス川へ行ったら誰もが行くであろう火葬場に行ってみたが、評判通り詐欺されそうになったり、断ったら襲われそうになったり。あとで聞いたが、インド人の中でもあそこは行かないほうがいいということになっているみたいだ。

帰り際、人がめちゃくちゃ集まっていたので何かと思ったら、ちょうど祭りをやっていたらしかった。インドはどこに行っても人が多いと前述したが、この時は歩くのも困難なほどの人がガンジス川に集まっていた。

宿に帰ると、マリファナを嗜む外国人の姿が。その笑い声はその夜途切れることはなかった。

つづく

インドの国技は何?コルカタで寝台列車に乗る

2013.03.05 インド2日目

前日のこともあり体は疲れていたが、朝9時に目が覚めた。
窓を開け、タバコに火をつけると、インド特有のむしっとした空気が部屋の中を伝う。昨晩は気付かなかったインドの風景が目の前に飛び込んでいた。裸で水を浴びる人、喧嘩をする犬たち…。
「インドに来てしまった」。
今までの常識が常識でなくなる1週間の旅の始まりである。

10時前には宿をチェックアウトし、park streetに向かって歩き出した。土地勘が全くないのと、地図を持っていなかったので、途中ネットカフェに立ち寄った。そこで地図を検索し、iPhoneで写真を撮り、とりあえずはこの地図を頼りにすることにした。

少し歩くと、言い方は悪いかもしれないが、”まさにインド”といった状況に遭遇した。まだ10歳に満たないくらいの男の子が、自分とさほど変わらない大きさの赤ちゃんを抱きかかえ、手を差し伸べてくる。物乞いである。ヨルダンのペトラ遺跡でも同じような状況に遭遇したことがあったが、この時も、インドでも、何もしなかった。
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ちょうどお腹がすいていたので、近くにあったカレー屋に入って腹を満たすことにした。ナンが20ルピーで、バターチキンが70ルピー。ペプシコーラは14ルピーであった。200円ほど。カレーはいつも中辛な私としては本場のカレーは辛かったが、味は絶品だった。
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少し街を散策した後、今日の列車のチケットを確認するため、ハウラー駅に向かって歩き出した。少し距離はあったが、時間もあったため、歩いて向かうことにした。途中通り過ぎた公園では平日だったがカードゲーム?をする人や、昼寝をする人が多くいた。
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ここで少し話はそれるが、インドのスポーツというと頭に浮かぶものはなんだろうか。インドの国技は法令で定められたものではないらしいが、カバディ、クリケット、フィールドホッケーがある。その中でもクリケットはこの旅でも出会う機会が多かった。
駅に向かって歩いていると、大きなスタジアムに出くわした。
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最初は「サッカースタジアムか?」と思ったが、近づいてみるとthe 「cricket association of bengal」の文字が。また、その近くにはクリケットアカデミーも点在した。東インドのクリケットの中心部であろう。多くの人がクリケットをし、その親だと思われる人たちが一挙手一投足に注目し、声援を送っていた。スタジアムの近くには、なぜかサッカーの銅像もあった。

スタジアムを後にし、その後も歩き続けたが、歩けど歩けど駅には着く気配がないので、さすがにタクシーに乗って向かった。後から知ったことだが、川を渡ればすぐに駅があったらしく、対岸に渡ることができる船もあった。駅についた後に時間があったので船に乗ってみたが、5ルピーでインドの風を堪能できた。
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駅に着いてからしたことはチケットのアップデート。ここらへんの交渉は後輩任せだ。本当にありがたかった。それが完了すると、17時に取りに戻ってこいとのことだった。前述の通り、船に乗ったり、駅にあったレストランでハンバーガーを食べて時間を潰した。


約束の時間になったのでオフィスに向かうと「18時まで待て」とのこと。20時発の電車なのに大丈夫なのだろうか。仕方なく、2nd class新台の休憩所に行った。ここは、男女で場所が分かれているので、もちろん男性のほうに。歩いて汗をかいていたので、休憩所のシャワーを借りた。5ルピーであった。今日は列車移動で諦めていたので、かなり救われた。
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チケットも無事に受け取ることができたので、外に出て水2Lを購入した。30ルピー。にしても、安い。20時前に8番ターミナルへ向かい、自分の名前を探す。インドの列車は、入り口に名前入りで場所が記してある。少し探すとあった。自分の名前が現地の文字で書いてあるのが物珍しく、記念に写真も撮った。
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我々が乗車した2nd classの車両は、2段ベッドになっていて、クーラーもあり、寝心地も悪くない。運良く上下でチケットを取ることができた。これも後輩くんのおかげ。ありがたい。3rd classは3段ベッドになっていて、それよりも下になると椅子のみ。10時間以上も硬い椅子に座り続けるのはかなりの負担だと思い、贅沢をしてしまった。
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前野健太を聴きながら、伊藤計劃の小説を読む。ゆっくりと時間は過ぎていく。翌朝の10時40分には、聖地バラナシだ。

続く

インドに上陸

2013.03.04 インド1日目

インド。ついにこの日がきた。
2年前にヨルダン/イスラエル/パレスチナに行って以来の海外だ。高まる気持ちを抑えつつ、成田空港行きの電車を待つ。早い時間帯の飛行機だったため、寝過ごすわけにはいかないと思い、寝ずにそのまま家を出た。

今回も貧乏旅行ということで、特急電車ではなく鈍行電車に乗ると決めていた。この数百円の違いがインドでは大きな差になってくる。時間は余るほどあるので、ゆったりと向かうことにした。

向かいの特急電車のホームでは、多くの人が行列を成していた。3月ということで旅行者が多い時期だ。キャリーバックを持った旅行者、ビジネスマンの姿が目に付く。私が乗った各駅停車の電車の中にも、旅行者の姿が目についた。各々がこれからの旅に想いを馳せながらーー。

うとうとする電車内で、成田空港の文字が見えると、眠気も一気に覚めた。初めての成田空港だったが、迷うことなく無事に搭乗受付を済ますことができた。コルカタにたどり着くまでに3度の乗り継ぎが必要だったが、心強い後輩と一緒だったので、不安も全くなかった。けたたましい音を立てながら鉄の塊は大空へと羽ばたいた。

最初の乗り換えは、北京だった。初めて中国に足を踏み入れた時、彼らから発せられた言葉は歓迎の言葉ではなく、罵声であった。いきなりなんだよ、と思ったが、非があるのは完全にこちら側であった。トランジットの際には、イエローカードの記入が必須なのだが、機内で受け取り忘れてしまい、記入できずに受付に並んでいたのだ。

中国の言葉は一切分からないので、最初は何を言っているんだと思ったが、イエローカードを差し出された時に今置かれている状況に気が付いた。彼らの表情から読み取るに「おいおい、なんでこんな常識的なこと怠ってんだよ。頼むよ」といった具合であろうか。

その場で急いで記入し、無事に入国することができた。とは言っても入国した数時間後にはPM2.5が飛び交うこの国を後にし、今回の最終目的地であるインドに向けて飛び立ったのだが。

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北京、上海、昆明と、中国の大都市を経由し、インドのコルカタに到着したのは、日本を出発してから約17時間後のことであった。

コルカタの空港は、”古びた病院のような場所”という印象であった。コルカタの空港に着いたのはかなり遅かったため空港泊も考えたが、次の日のことを考えると、街に出て宿を探すことを選んだ。

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偶然にも同じ飛行機に乗り合わせた日本人2人を引き連れて、宿が多いというサダルストリートに向かった。約1時間くらい走っただろうか。「着いたぞ」と言われて降りた瞬間、不安感が一気に押し寄せた。

3時近くだったため、当たり前だが人もまばらだ。野犬も多く、我々を見つけると威嚇するように咆哮していた。本当に宿があるのかと思うほど、真っ暗で、犬の遠吠えだけが耳に残った。

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途方に暮れて、行くあてもなく歩いていると、路上で寝ていたホームをレスしているであろう方に話しかけられた。
「宿を探しているのか?ついてこい」
とでも言っていただろうか。我々は藁にもすがる思いで彼の後をついていくことにした。

すると、厳重な扉の中に連れて行かれ、何やら人を呼んでいる模様。こんな真夜中に「おーい!」と扉に向かって話しかける姿に、「おいおい、本当に大丈夫か?」と心の中では思った。少しすると管理人らしき人が出てきた。彼はそこで話をつけてくれたらしい。おじいさんのファインプレーにより、なんとか宿を見つけることができた。

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1人、400ルピーと想定していた値段よりもかなり高くなってしまったが、寝る場所と水シャワー、電源がついていたので妥協して即決した。

しかしながら、彼は紹介料でももらっているだろうか。もしくは「初めてインドに来ました」感が出まくっていた我々のためだけにやってくれたのだろうか。初日からインドに秘められている謎な部分と直面することとなった。

次の日は、寝台列車に乗りバラナシへと向かうことを決めていたため、その日はすぐに眠ることにした。初日からハプニングだらけの1日となったため、気付いた頃にはもう日の出が射し込んでいた。

続く