笑顔と混沌 ー 自分で歩いて、自分で見たもの ー(SNUFKIN イスラエル編)

 イスラエル。真っ先に思い浮かぶのはどんなことだろうか。3つの宗教の聖地が点在するエルサレムは、聖地巡礼のために多くの人が訪れる。厳しい入国審査は、そこに辿り着くまでの最初の試練のようにも感じる。日本では、パレスチナ問題、自爆テロなど、物騒な話題ばかりが紙面やテレビ画面を賑わしている。

「よく知らないけど、なんか危なそう。」

 これが正直なイメージだろう。私もそうだった。実際に訪れるまではーー。

 ダマスカス門からエルサレム旧市街に入ると、きらびやかな外観のお店がいくつも並んでいる。この市場に来ればなんでも揃うと言っていいほど、品揃えも豊富である。裏路地は、入り組んでいてかなり複雑だ。当てもなく、ただ歩くだけでも面白い。そこで出会った子供たちのかわいい笑顔も印象的だった。隙を見せれば石をぶつけられるが、それもご愛嬌。私は背を見せた瞬間に当て逃げされてしまった。かわいいからといって、エルサレムの子供を侮ってはいけない。

 そこから歩いて数分のところにある新市街は、小綺麗な建築物が立ち並び、本当に同じ国なのか疑ってしまうほど都会的な空間だ。滞在中に何度も行ったパスタ屋があるのだが、そこの店員は日本人だと気づくと笑顔で近寄ってきて、「私、日本に留学したいの」と言ってくれた。店を出るときには、「アリガトウゴザイマシタ」と覚えたての日本語を披露してくれた。

 たくさんの都市を訪れたが、最も印象に残っているのはパレスチナ自治区だ。その都市であるベツレヘムには、エルサレム旧市街のバスターミナルから行く事ができる。バスに乗車し、少し走ると検問所のようなところにたどり着く。すると乗客たちはおもむろに紙を取り出す。少しして、銃を肩に背負ったイスラエル兵が乗り込んできた。前の席から順番に、長い時間をかけて乗客たちの手元のそれを眺める。通行許可証ーー。
イスラエル政府が許可を出したパレスチナ人以外は、自由にイスラエル には行き来できないのだ。

 分離の壁の存在が、彼らの生活に大きく関わっている。現地に住んでいる日本人の方は「この壁ができてからテロが少なくなったからよかったよ、不便だけどもね。」と言っていた。アパルトヘイト・ウォールと呼ばれるこの壁にはさまざまな絵が描かれている。その中には、英語、ヘブライ語、アラビア語の3つの言語で「平和」を意味する言葉が描かれたものもあった。その時、この国が抱えている問題の大きさを少し感じた。

 旅を通じて、この国の本当の姿を垣間見ることができた。分離の壁を目の前にして、また、常に銃を持ち歩いているイスラエル兵の姿を見て、ここは争いの真っ只中だと認識させられた。その一方で、笑顔で話しかけてくれる人や、理不尽な金額をふっかけてくる商人は、私を和ませた。この国の一部しか見ていないから、偉そうなことはまだ言えない。だが、旅中に書き綴っていたノートを読み返し、何ものにも代えがたい経験ができたと感じた。そう思えるのも、自分の足で歩いて、自分の目で見ることができたからだと確信している。

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旅の振り返りと、これから

 
 

旅の最終日の夜、いろんなことが頭を廻った。
2011年はじめに決意したこと、今回の旅に至るまでの経緯、実際に旅に出て肌で感じたこと、そしてこれから。

—–

2011年2月、休学を決意した。
頑張れば卒業できて、なおかつ就職先も決まった中でそれを投げ捨てて休学した。

「まだ大人になりたくなかったから」
甘い考えとは分かっていたけど、自分の決断を変えることはなかった。

頭の中にはやりたいことがあった。
1つ。
世界一周。
理由は単純、自慢できるから。

自慢できるという意味不明な理由だったけど
いろいろ調べていくうちに自分の知らないことが世界にはあると感じた。
自分の常識が他人の常識ではない。
自分の見たことのない世界を見ることは、当時の自分にとってはとても魅力的だった。

実際、それまで閉鎖的な環境に居座っていたこともあり、社会のことなんて考えたこともなかった。
知らないことがあるという事実にさえ、気付けていなかった。
なのに、社会人になろうとしている自分がいた。

社会人になってからの自分が思い描けないまま、あやふやなまま社会に出ていいのか。

就職活動もそこまで真剣にやらず、だいたいこんなことしたいなという思いだけでテレビ制作会社を選んだ。
「表現者になること」
これは昔からの自分のテーマで、それにあっているだろうという理由でテレビ作れたら面白そうじゃん?と。
それもそれで楽しいとは思った。

でも社会的に未熟すぎる自分が作るテレビに、誰が興味を示してくれるかなと。

良い表現者になるためには、自分自身が魅力的な人物にならなきゃならないと感じた。
そこで自分を振り返ったところ、そんな自分になれてるか?と自問自答した。
答えは、NOであった。

魅力的な自分になるために、世界一周をしようと思った。

バイトをして、お金を貯めて、順調に世界一周の準備は進んでいた。
そんなとき、イスラエル行きを決めた。

世界一周ではイスラエルはいけないと思っていた。
物価も高いし、なんせ少し怖いし。
自爆テロとか普通だからね。

でもイスラエルには死ぬまでに一度は行きたいと思っていた。
大学の授業でパレスチナ問題について触れた時、こんなことがあるんだと知った。
もともとパレスチナ人が住んでいた場所を、WW2後、ユダヤ人のための国が作られた。
そしてユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺。
ナチスによって虐殺されたユダヤ人が、だ。

閉鎖的な生活の中で、少しだけ外の世界を見た瞬間だった。

世界一周いきたいけど、それ以上にイスラエル行きてえ…と。
最悪、お金なくなって世界一周できなくてもいいや、とさえ思って旅立った。

イスラエル。
自分がイメージした場所とは全く違った。
自爆テロ?3週間いたけど1度だけだったよ(それでも異常だけど)。
パレスチナ人とユダヤ人仲悪そうだな…?いや、普通に共存してたよ(全て見たわけじゃないけども)。

まあ、言いたいこととしては、冒頭にも言ったように
知らないことへの恐怖、ですよね。
イメージだけで作り上げられたイスラエルと
自分の目で見てきたイスラエルでは、全然違った。

そして、3週間いたけども、時間足りないよと。
たった2ヶ国だったけど全て見れた?って聞かれたらまだまだ。
イスラエルについてもっと知りたいと思った。
現地の人にも話聞きたいし(そのためにはアラビア語とヘブライ語話せたら超便利だな)、もっと長くいたいと思った。

当初の予定では3ヵ月ほどで世界一周行こうと思っていた。
3ヵ月って自分の中では結構長期的で、そんだけいけば大丈夫っしょ?って。
でも、きっとこれ、俺の目的からしたら合ってないじゃん?って感じた。
自慢するってだけならできるけど、これはほんと意味ないし。
「世界のことをもっとよく知る」
これが目的なら5年くらいかけて世界一周したほうがいいなと感じた。
世界一周に固執するならばね。
3ヵ月は短すぎた。

世界を知る前に、日本についてもっと知ろうと思った。
きっと自分の知らない日本がたくさんあるんじゃないかな、と思って。

結果、世界一周今年は諦めようと思った。
その夜決めた。

日本についてもっと勉強してから、社会に出て、時間見つけていろんなところ旅しようと思った。
世界一周に固執しなくてもいいじゃん。
あー、ここでも逃げるんだ俺、って思ったけど、なんていうかそう思っちゃった以上行く気も失せた。

個別にいろんな国行って、いろんなこと知って、それから総復習的な意味合いの世界一周できたら素敵だなと思った。

ヨルダン最終日にある老夫婦に出会った。
仕事辞めてゆっくり世界一周してるらしい。
そういう形もありなんじゃないかなってね。

何話したいかわかんなくなってきて、まとまってないけど、とりあえず、俺は勉強不足で、何をやるにもまだ未熟すぎたので、いろんなことを学ぼうとこのときに感じました。

いろんな本を読んで
いろんな講演会に行って
いろんな人と出会って
いろんな可能性を広げていこうと感じました。

自分の将来について、いろいろ考えることがあるんだけど、これについてはまたブログで書こうかなと思ってます。

とりあえず、この旅で感じたこと。
日本には世界について知らない人がたくさんいる、自分も然り。
そういった人たちに事実を伝えたい。
歪曲化された報道を信じているすべての人に伝えたい。

表現者としての自分の最終目標はそこなんだろうなと。

そのためには自分で見て、感じる必要がある。

世界一周の夢は諦めません。
ただ、少し目標が変わっただけ。

世界を知りたい。
この欲が尽きることはないでしょう。

まず日本から。

そんなことを考えながら、この旅最後の夜は更けていきました。
少し長く感じた夜でした。

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井上文勝さんというすごい人。

2011-08-18 イスラエル3日目

8時30分起床。
目覚め良すぎ。

今日はイスラエルに40年在住の井上文勝さんに会いに行く。
かなりすごいですよ、この人は。
詳しいプロフィールはamazonから引用させていただきました。

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井上 文勝
1944年、秋田県生まれ。建築家。66年、明治大学を卒業。イスラエル国立工科大学にて修士研究をする。69年、イスラエル占領下のパレスチナに移住。今日に至る。大学、美術館、教会、シナゴーグ設計等に関与。ホロコースト研究にも取り組む。著書に戯曲『コルチャック先生・ある旅立ち』がある。現在、国際ヤヌシュ・コルチャック協会日本代表。イスラエル・パレスチナ関係の寄稿も多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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ヤヌシュ・コルチャックの日本の代表をされている方です。
日本ヤヌシュ・コルチャック協会に関してはこちら

著書には
子どものためのコルチャック先生

「千の風になって」紙袋に書かれた詩
があります。

そもそも、ヤヌシュ・コルチャックって誰…?って人もいるはず。
簡単に説明すると、小児科の医者であり、児童文学作家であり、ユダヤ人孤児院の院長。
第二次世界大戦の時、ユダヤ人大虐殺があったのは周知の事実。
自分自身もユダヤ人であったためにその対象になったのですが、
コルチャック本人であると気付いたドイツ兵は、処刑される列から外れてください、私はあなたの本を読んで育ちましたから、と伝えましたが
コルチャックは自分だけ助かることを拒否し、孤児院の子供たちとともに殺害されてしまいました。
子どもの権利を提唱した偉大な人です。
詳しくはこちら
僕も詳しくはまだ知らないので、これから勉強していこうと思います。

さて、話を戻して…
すごい人というのは知ってたので、結構緊張してたわけです。
朝、ホステルの受付に来てくれるということだったので待ってました。
10時過ぎにいらっしゃいました、すごい人。
ふらーっときました。
そして、会って一言目。

「ベツレヘム行ったんだって?あそこつまんないでしょー」
一気に緊張ほぐれました。
かなり面白い雰囲気。

少し話してから、バス(36番)に乗り、
井上さんの家があるパレスチナ自治区のアザリヤに向けて走り出す。
バスの中では、
「去年アンマンに2週間ほどいましたよ、NHKのテレビの関係で……」
とか
「朝日新聞社の人はよく家に来ますよー。」
…すごさを改めて実感。

さて、チェックポイントの近くになると
「チェックポイント面白いから歩いて行きましょう、うん!」
ということで、歩いて通過。

ベツレヘムの時もそうだったけど、
パレスチナ自治区とイスラエルの間には分離の壁がある。
これにより、交通の便がかなり悪くなったんだとか。
でも、自爆テロの数も激減。
どちらがいいのかな、とか考えてみたり。
人の命は尊いものだし、壁があったほうがいいのかな。
ベルリンの壁のように、和平によりいつかなくなることが理想的ですね。

チェックポイントを通過すると、taxiでお家に向かう。
5分もしないうちに到着。

◆家のまわり◆

お家に着くと、アメリカ人の奥さんが出迎えてくれた。
お茶をもらい、ソファーに座り、ゆっくり。
英語で奥さんから質問されるも…
聞き取れるんだけど言葉が出てこない!
ここでも英語の必要性を感じてしまった。
この旅で何度感じたことだろう、この敗北感。。
井上さんには、
「僕もこっちきたときは君みたいに何にも話せなかったよ!」
と笑い者にされてしまった(笑)。
今では、ヘブライ語、英語などを話します。すごい…

「ご飯準備してあげるから、外を散歩してきなよ。」
との事だったので、周辺を散歩。

写真をどうぞ。

◆ハイビスカス◆

◆教会への階段◆

◆教会◆

◆日本代表っぽく◆

◆教会からの風景◆

◆教会と隣接するモスク◆

◆アザリヤの街の様子◆

外を30分ほど散策し、家に戻る。
すると、井上さん特製のモロヘイヤの香りが。
めちゃくちゃおいしくて、3杯もいただいてしまった。
ヨルダンにいるときにモロヘイヤ食べれなかったですが、こんなうまいものを食べられるなんて…!
ご飯の面で少し苦労していたので、ここでのモロヘイヤは激アツでした。
ご飯も日本のもののようで、本当においしかったです。
その後、アラブコーヒーをいただきながら、お話を聞いた。

井上さんは建築を学んでいたため、最初はそのために留学していた。
その後は、イスラエル美術館や、ヘブライ大学の建設にも関わっていたと。

いろいろ質問しようと思っていたけど
「実はね、そこらへんのことは自叙伝に書こうと思ってて。」
とのこと。
ほぼ完成しているらしいので、出たら買おう!って思ってたら…

なんと、その校正を任せていただくことになるかもしれない!
なんといい機会。
ゆくゆくはライターになりたいなという夢もあるので喜んでお受けすることに。
「また詳しくはメールしますんで、その時はよろしくねー!」
とのこと。
待ち遠しい!ぜひやりたい!

予定があったのか、13時頃にお別れすることに。
奥さんにダマスカスゲート近くまで送ってもらいました。

途中、トイレ行きたい!と奥さんが。
なので、ショッピングモールにいきました。
駐車場に入るだけでも兵隊さんの厳しいチェックがあった。
かなり厳重だな…。少し緊張感。

奥さんはイスラエルはそこまで好きじゃないらしい(笑)。
なんでラマダーンするのよ…とかいろいろぼやいてた(笑)。

井上さんは井上さんで、
「パレスチナもイスラエルも、馬鹿だよ~」
と笑顔で言ってた。
ずっと住んできて、パレスチナ問題を身近で感じてたからこその言葉かなと感じた。
感想としては
この夫婦、面白すぎる…。
僕の文だと伝わらない部分が多いと思うけど
きっと会ってみると分かる!
興味ある人は、自分でアポとって会ってみてほしいです。
すごい魅力的な人です。
また、イスラエルに行く機会があったらお会いしたいです。

エルサレムに帰ってからは、少しゆっくりしてからシオンの丘らへんにいった。
ここにはマリア永眠教会や、最後の晩餐の部屋、などがある。
写真でどうぞ。

◆チェ・ゲバラのお店◆

◆教会…1◆

◆最後の晩餐の部屋だぜ…!って英語で書いてあるはず(笑)◆

◆最後の晩餐の部屋◆

◆教会…2◆

◆ダビデ像の横で商売◆

◆勉強してる…◆

◆マリア永眠教会◆

と、こんな感じでがっつり観光。
マリア永眠教会で、写真撮ってたら優しそうなおじさんに怒られた。
人はみかけによらないな…って違うか。

その後は、旧市街に戻り、ふらふら歩いた。

◆旧市街の子供…◆

子供いたから撮ったら、ちゃっかり顔隠してる。
照れ屋なのね、ふふふ。

◆これも世界遺産…名前忘れた◆

◆素敵な感じ◆

ユダヤ教徒地区を歩いていたら道に迷ってしまった。
旧市街は迷路みたいになってて本当に困った。
今どこ歩いているのかもわからなかった。
そんなときふと横を見たら…
たまたまこの風景。

◆岩のドームと、嘆きの壁◆

結構穴場スポットだったな。
岩のドームは、現在(2011.08)はムスリム以外は立ち入り禁止なので
ここが一番きれいに見れたポイントだったかも。

実際、旧市街は飽きるくらい満喫しました(笑)。

さて、なんとか迷子回避して、いつものシシカバブを買って夕飯に。
やはり、うまい。
野菜もモリモリだし、肉も多いし。
って、写真探したけど、撮ってなかった…後悔。

そうそう、買う時に店長らしき(?)人が
「できたら教えてやるから待っててくれ!」
みたいなことをいってきたので待ってたら…
そいつ、真っ先にシシカバブ食ってやがった!
でも僕のができた時はアイコンタクト送ってくれて…
結局何だったんだろうあの人は。
ただの客?
よくわからんけど、親切な人多いです(笑)。

そんな感じでこの日も終了。
濃い一日でした。
井上文勝さん、素晴らしかった。

明日は、テルアビブに向かいます。

次の更新もお楽しみに。

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3カ国目、突入。

 
2011-08-17 イスラエル2日目

8時30分起床。
日本にいた時と考えると、驚くほど規則正しい生活。
だいたい23時には寝るので、目覚めもばっちりである。

起きてからは、
ロビーに行ってネットしたり、
Twitterのメンションを読んだり、
メール確認したり…
気がつくと9時過ぎになっていた。

準備をして、いざ出発。
今日の目的地は、パレスチナ自治区のベツレヘム。

エルサレムからは、ダマスカスゲート近くのバスステーションからバスが出ている。
露店でパンを購入し、21番バスに乗り込む。

ベツレヘムに行くにはいくつかバスが出ているようだが、
21番バスに乗ればチェックポイントを通過しなくて済むということだったので
これで向かうことにした。
ちなみにベツレヘムからエルサレムにいくには使うことはできない。

チェックポイント?
と思うかもしれないが、パレスチナ自治区に行くにはチェックポイントを通る必要がある。
そこでIDチェック、荷物チェック…などと結構厄介であると聞いていた。

7NISを支払い、乗車。
バス内はきれいな印象。

ベツレヘムとの境につくと、イスラエル兵が乗車。
ヨルダンから国境越えしてきたときに似た緊張が走る。
何やら紙を見てチェックをしているらしい。
アラブ人の通過のチェックだろうか。
だが日本人はチェックされないらしい。
僕の前はするーっとスルーしていった。

ベツレヘムのバスターミナルに到着するとやはりtaxi殺到。
ただ、今回は歩いて行ける距離なのでシカトさせていただいた。
ここで、ペトラに行くときにイスラエルに向かっていた日本人に会う。
彼は現地の人と話し込んでいたので、軽く会釈してその場を去った。

◆ベツレヘムバスターミナルから◆

◆黄色の車はすべてtaxi◆

バスターミナルから少し歩くと
露店やら、お土産屋さんがたくさんあった。
キリストの生誕の地ということで観光客も多いのだろう。

◆パレスチナの国旗が…◆

エルサレムの旧市街ほどではないが、人も多いしごった返している。
こういう雰囲気好き。

◆街並み1◆

◆街並み2◆

◆街並み3◆

◆街並み4◆

◆街並み5◆

◆街並み6◆

◆街並み7◆

街並みはおしゃれな印象。
白いレンガ造りの建物や、道など。
こういう場所は初心者カメラマンにとってはありがたい場所。
どこを撮っても素晴らしい写真になる。
理想的な被写体ですね。

さて、お土産屋さんを見ながら歩くこと約30分。
前方に見えてきた、生誕教会
この日も観光客がたくさんいた。
インドや、ヨーロッパ、韓国などなど。
いろんな国から来ているようだった。

歩いていて気付いたんだけど、
korean!!!と呼ばれることがほとんどだった。
韓国ではキリスト教が最大勢力の宗教であるためよく訪れるのだろう。
日本人だよ!!!と教えると
笑顔で、コンニチワーと言ってくれるのが印象的だった。

◆生誕教会◆

教会の入り口で少し休憩してから中に入った。
中ではなにやら教会っぽいことが行われていた…
なんていうの、ミサっていうの?
わかんないけど、思ったことは
「場違い感はんぱねー」
これはエルサレムでも思ったことだけど
無宗教な僕からすると、こういう場所苦手…

◆内部の様子1◆

◆内部の様子2◆

◆キリストが生まれたとされる場所◆

◆こっちも◆

◆暗くて何も見えないけど、僕です◆

苦手とかいって、がっつり見てきました。
地下に生誕の場所があるんだけど、並んでるの知らずに思いっきり逆走して
内部に潜入してました。
いや、そんなこともあるよね。

あ、生誕の地はベツレヘムって言われてるけど、
実は定かではないらしいです。
なのに教会まであって…、もう後に引けない感じ?

生誕教会を見た後は
ミルク・グロット教会にも行ってきました。
かわいい教会っていわれてるんだって。
特に何もありませんでした。

◆ミルク・グロット教会入口◆

◆入口にあった絵◆

ベツレヘムは見尽くした感満載だったので帰ることに。
帰りにお土産屋さんでマグカップを買った。

◆こんな写真撮ったっけ?◆

◆中央のやつを買いました◆

ここの店員さんが、たぶん10代の男の子だったんだけど。
僕のカメラに興味津々で、
「触らせてくれ!撮らせてくれ!」
って言ってきて
可愛かったので、渡した。
その時に撮ったであろう写真が上の2枚。
センスを感じるね!とか言える立場じゃない。

ここからは、歩いてチェックポイントを目指すことに。
バスに乗ってもチェックポイントで降ろされてしまうだろうし
どうせなら歩いて街並み見ながら帰ろうってなったので。

◆おしゃれ◆

◆景色良い◆

◆可愛い階段◆

結構な距離を歩いた。
道に迷って困っていると、
「どうした?」と声をかけてくれて、とても感激。
おばあちゃんも道を教えてくれて、なんか後ろ姿がむーっちゃ可愛かった。

イスラエル兵にも道を尋ねた。
満面の笑顔で親切に教えてくれる。
この道をまっすぐだよと。

思ったんだけど、戦争したがるのって
国の頭の連中だけなんじゃないかなと。
アフリカの神の抵抗軍(LRA)だって、きっとそう。
人殺しとかが普通な営みである環境に生まれてきただけ。
僕らが働くように、彼らは人を殺すのであって。
そうじゃなきゃやられちゃうし。
人殺しが普通の営みって考えるとやっぱ少し怖いけど。
なんか脱線したけれども!
イスラエル人はこうだ!とかパレスチナ人はこうだ!
とか、偏った意見が多く見受けられるけど
人それぞれは全然そんな悪い人じゃなくて
純粋な人たちなんじゃないかなと。
なんか考えが頭の中でまとまらないから勉強しなきゃだけど
人と人の繋がりを大事にすれば、いつかきっと平和な世の中が来るんじゃないかなってこと。
勉強たくさんして、またこのことについては考えてみよう。

イスラエルとパレスチナの間にある分離の壁。
そこには、たくさんの絵が描かれていた。

◆分離の壁に描かれた絵◆

◆普通にうまい…◆

◆手を取り合い、人とのつながり◆

◆分離の壁、崩壊への願い◆

◆印象的な絵◆

この中で一番印象深かったのが下の写真。

◆SALAM SHALOM PEACE◆

SALAMはアラビア語(アラブ人の言葉)、
SHALOMはヘブライ語(イスラエル人の言葉)、
PEACEは英語。
意味は、「平和」。
それぞれの言語で平和を祈っているというメッセージのこの絵は
とても印象に残った。

さて、脱線したのを戻しつつ…

イスラエル兵の助けもあり、無事にチェックポイントに到着したわけです。
ドキドキで中に入る。
だが、パスポート提示もなく、荷物検査も簡単なもの。
すんなりイスラエル側に戻ってきた。
外に出ると、24番バスがちょうどあったので、そのバスでエルサレムに戻った。
ホテルに戻り、少しだけまったりして…。
今日は時間もあったので、新市街に出かけてみることに!!!

はい、都会。
女の人が、女の人が!!!
マジで可愛いし、きれいだし、何ここ天国ですか?
ってレベルでした。
しかもなんか…落ち着く。
今まで埃っぽい(表現が失礼か…)街ばかりだったので
ひさびさのこの感じに落ち着いてしまった。

疲れてベンチに座っていると…
大家族が目の前でご飯を食べていた。
じーっと見てると、むっちゃ可愛い女の子が照れながら微笑んでくれて。
女の子4人、男の子3人くらいの大家族だったんだけど
この大都会で、なわとびをしてました。
使い方違う!!!とかお姉ちゃんに怒られながら。
くすくす笑ってたらこっちに気づいたらしく。
みんなこっちを意識しながらちらちら見ながら縄跳びしてた。
自然と微笑んでたよ。
平和だなーと思ってしまった。
最後、ばいばーいって言ったら、手を振ってくれた。
お母さんも何か言ってくれてる。
ありがとう、とか言ってるのかな?
「ニーハオ!」……!
はい、きました。オチはこれでした。

◆都会です◆

◆きれいな街◆

ご飯はパスタを食べたんだけど、美味!
ここの店員さんもめちゃくちゃいい人で(くそ可愛くて)、
日本行きたいんです!と言ってた。
英語できなさすぎてうまくコミュニケーション取れなかったのが悔やまれた。
ここまで自分の英語力を悔やんだ日はなかった。
英語話せたら…英語話せたら…何か発展……してないか。
次あの子いたら写真撮りたい!
って思ってたんだけど、もう会うことはありませんでした。
一期一会…大事にしないといけないなと思ったよ…
いろいろと悔やんだ一日でした………笑

さて、次の日はついに井上文勝さんに会いに行きます。
イスラエルに住んで40年になるというすごい人!!!

次の更新をお楽しみに。

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