残業すべき人と、残業すべきでない人

働き方改革で「残業するな」と言われる。
残業をせずに効率よく仕事をする方法を考えていく必要があると。
それが無理なら事業をスクラップし、業務量自体を減らす必要がある、と。

そもそも、だ。
私はそのようなロジックで残業が減るとは思えない。
それはなぜか。
今までそういったやり方しかしらないのに、いきなり残業するな、事業は削減しろ。
問題意識があるのであれば、言われる前にやっているだろう。

残業が減らない理由

じゃあなぜ、残業が減らないのか。
それは、残業代がほしいからに他ならない。
残業代ありきで家庭の予算を計上しているところは多いだろう。

かたや組合は、残業代をしっかりつけろという。
かたや当局は、残業を減らせという。

どう考えても、不毛な議論を続けているということに、本人たちは気づいていないのだろうか。

高卒給料で手取り15万そこそこだが残業時間が職場で一番少ない私から言わせれば、残業すべき人と残業しなくてもよい人の区分けをはっきりすることから始めるのが一番良いと思う。

残業すべき人、すべきでない人

残業すべき人

まず、残業すべき人は、必ずしも存在する。一番多いのは、マンパワー不足だ。特に窓口業務がある職場に多いのだが、日中は窓口対応に追われており、デスクワークができない。時間外でしかデスクワークをこなす時間がない、というパターン。こればかりは仕方ないので、日中窓口対応する職員と、デスクワークをする職員をはっきりと分けて人員を配置する。それが難しいのであれば、単純に人を増やす。人なんか増やせないよ、と思うかもしれないが増やせる。それは後述する。

残業すべきでない人

残業しなくてもよい人は「自分のエゴで仕事を増やしている」か「仕事が遅い」か「おしゃべりが多い」人たちであろう。
自分のエゴで仕事を増やしている人は、熱い思いを持って仕事に取り組んでいるであろうから、難しいところではあるが、自分から言わせれば、時間内にできないということは、全体像もつかめておらずセルフマネジメントができていない証拠なので、やる必要がない。熱い思いだけあっても仕事はうまくいかない。仕事が遅い人は、何時までやっても仕事は遅いままなので、自分に課しているノルマや目標をもっと低く設定し、定時にしっかり帰ったほうが良い。おしゃべりが多い人に関しては、黙って仕事してさっさと帰れ、だ。

人員を増やせるからくり

人員増が増やせることを記す前に、なぜ仕事が多くなるのかを考えてみよう。
それは、暇だからだ。
何を言っているのかと思うかもしれないが、人は暇だと何かして暇をつぶそうとする。この資料が見にくかったから見やすいようにしよう、この事業の目的を達成するためにはもっと他にできることがあるのではないか…。そんなことを考える。するとどうなるか。今まで抱えていた仕事プラス、暇なときに思いついてしまったしょうもないアイデアの業務もこなさなければいけなくなる。私の属している組織は、スクラップがやけに苦手だ。前年度やっていたことを検討もせず継続させようとする。それもそうすることが当たり前と思っているからだ。私からしたら、作業量が多い苦しみより、頭を使う苦しみのほうが耐えられるのだが、この組織は、頭を使うことより、作業量が多い苦しみを選ぶ。楽だし、残業すればお金がもらえるからだ。
話が少しそれたが、仕事が多くなる理由は暇だから、というのが私の意見。なので、暇である時間を減らせばいい。そのためには、残業すべき人・職場以外から、人を少しずつ削減すればいいのだ。
この人員がいなければ仕事的にはきつい、というかもしれない。だが、経験上、人がいなければいないなりにこなせるものだ。もしそれでもこなせないのであれば、そこに人を増やせばいい。クビにできない組織だからこそ、余剰人員は生まれる。そういった余剰人員を可視化できないのであれば、まず減らして様子を見る。そうすると本当のところが見えてくるはずだ。

残業代の代わりになるもの

これで残業すべき人と、残業しなくてもよい人の区分けができた。
次に問題になってくるのは、心の声である「残業代が頼り」という部分。
これに関しては簡単だ。残業代に頼るのではなく、自分で稼げばいい
ただ、そんな簡単にはお金は稼げない。おしゃべり中心で、仕事が遅くて、お金ももらえるなんて、どんな甘い根性なんだと思う。はっきり言って、私は、残業代なんかつけずに、逆に定時で帰れた人に報酬がほしいくらいだ。なあなあに残業して仕事している人と、効率を考え時間中に終わらせようと考えて仕事をしている人、どちらが優秀か。そんなの言わなくても明白だろう。

話がそれてしまった。
残業代の代わりに、自分で稼げ。
残業代は一切支給しない代わりに、自分で副業して稼ぐ分には文句は言わない、とすればよいと思う。副業するようなスキルもない、というのであれば、スキルを付ければいい。いつまでも甘えていてはだめだ。残業代の代わりに自分で稼げ、この部分は別の記事でもう少し掘り下げて書きたいと思う。副業から得られるのはお金だけではなく、スキルを学ぶことができる。そんなような話を次では書いていきたいと思う。

手が疲れてきたので、とりあえずこの記事はこんなところで。

…まあ、こんなことを書いたところで期待できないが。
決定権のある人間が、スキルもない、自分で稼ぐことのできない、人間ばかりだから。

自分が公務員を志した理由と、その次。

自分がなぜ公務員になろうと思ったのか、忘れてしまう前に文章にして残しておこうと思う。その前に、振り返りもかねて、自分がどういう経緯で今に至るのかを簡単に記しておきます。

公務員になる前

社会のレールから外れる

日本では、大学を卒業してそのまま就職というのが本来の流れだと思いますが、私はそうではありませんでした。
大学4年時に留年、休学をしました。大手テレビ制作会社に内定をもらっていましたが辞退し、1年間ふらふらしていた時代がありました。そこでの経験や出会いで、サッカージャーナリストや大手IT系会社で契約社員として働き始めます。大学は復学したものの、結局行かずに退学、学歴上は「高卒」になります。(これが結構でかい、普通に就職すると。)

平日はメディアの運営に関わる仕事をしながら、休日は大学サッカーやJリーグの取材などを行う生活が1年ほど続きました。が、自分の書いた記事が、ヤフーのトップページ(通称・ヤフトピ)に掲載され、なぜだか達成感を得てしまい、無気力のまま愛知に戻ることになります。実際、東京に6年ほどお世話になりましたが、人の多さと、意識の高さと、孤独感と…、いろんなことが重なり好きにはなれませんでした。ちなみに、たまに行く分には好きです。気分が高揚します。

大ナゴヤ大学での出会い

愛知に戻ってからは、ガソリンスタンドや、某喫茶店でのアルバイトを経て、大ナゴヤ大学に緊急雇用という形でジョインすることになります。名古屋のまちづくりを推進するNPOで、自分が関わったのは、名古屋の文化継承に取り組むプロジェクトでした。「やっとかめ文化祭」という催しを名古屋市は行っておりますが、その前身となる「NAMO.」というプロジェクトです。そこでは、あらゆる方々と協働して進めていったのですが、自分の中で一番心に残っている出会いが、名古屋市役所の担当職員の方でした。
市役所の職員というと、自分の中では単純な事務作業を黙々とこなす人たち、というイメージでした。ですがこの方は、積極的にまちに飛び出して、名古屋の文化や歴史について自分から情報をとりにいったり、大ナゴヤ大学がよいと考える方法を進めていけるように必死に頑張っておられました。
この出会いで、自分の中で「公務員になる」という考え方がより現実的になったのを覚えています。

豊橋市役所受験から内定まで

豊橋市役所は推薦と一般とあり、推薦だと民間企業のように筆記試験はありません。就職活動を民間企業に絞っている優秀な人材にも裾野を広げているということだと思います。ただ、自分が市役所を受験しようと思った頃にはすでに一般しか受け付けていなかったため、一般で受けることになりました。
豊橋市役所の一般の採用試験は【面接⇒筆記試験⇒面接・グループワーク⇒最終面接】という流れです。筆記試験の勉強をする時間はなかったため、ひとまず面接に行きました。で、そこで運よくほぼほぼ内定をいただき、ただ、「筆記試験の勉強はするように」ということだったので、試験前日に仕事を休ませてもらい1日かけて対策問題集を解いた覚えがあります。その後、問題なく面接へと進み、内定をいただくことになります。

いろいろと下調べをしていると、「まちなか活性課」という課だけは良い意味で市役所っぽくない部署だと知りました。イベント企画や新しくできる図書館の計画、再開発など、まちなかの活性化に寄与することなら何でもするという、すごい部署。今までの経験を唯一生かせるのはここしかないということで、面接でもここだけを希望し、話す内容もまちなかの活性化に関することばかり話していました。
「まちなか活性課以外だったらどうするんだ?」と、当時の人事課長に言われたりもしました。(当時は何も考えていませんでしたが、今になって苦労するとは…。)
後から知った話で、新卒(でもないけど、市役所ではそういう扱いでした)でいきなりまちなか活性課に配属されるのは異例のことだったそうです。ただ、自分にとってはそんなことはどうでもよく、新しい環境での生活にワクワクしていたのを思い出します。

豊橋市の職員として

まちなか活性課・まちなか図書館整備推進室

最初は慣れないことばかりで、役所特有の(三浦が一番苦手とする)書類作成などから教わりました。ただ、自分の良さを生かせるように周りの皆さんがいろいろと考えてくれて、モチベーションを下げないように(たぶん)、新しい取り組みを提案してもよいね!と言ってくださり、本当に自由にやらせてもらいました。
仕事は内容より環境だとよく言いますが、本当にそのとおりだと思います。もちろん、ここでの仕事内容は自分のやりたいことだったし、前向きに取り組めていたと思います。2年目の途中に、まちなか図書館整備推進室に異動になってからも、いろいろ悩むことはありましたが、今振り返ってみると前向きな良い悩みであったように感じます。

タウンデザイナー

パラレルキャリア…とまでは言えないですが、本業と並行して行っていたのが「デザイン」に関することでした。もちろんデザインに関してはど素人でしたが、職員採用ポスターの制作に関わったことで、タウンデザイナーを名乗り始めます。思いとしては、せっかくよい内容のイベントなどでも、市の広報物がダサすぎて、届いてほしいところに届かないのでは、と疑問に思い始めたからです。この活動の中で一番の成果は、豊橋市制110周年のロゴを作成したこと。110周年に関するイベントなどではよく使っていただきました。

長寿介護課

大きく動いたのが、長寿介護課への異動でした。
自分の性格上、長く同じところに居続けられないことと、前述した当時の悩みも相まって、まちなか図書館整備推進室から異動希望を提出します。ほかにも異動希望を出す要因があったのですが、話がずれてしまうのでここでは割愛させていただきます。

4年目にして初めての本庁。異動は「産業部⇒都市計画部」、「まちなか活性課⇒まちなか図書館整備推進室」についで3回目となりますが、環境の変化はなかったため、ほぼ初めての異動となります。

長寿介護課という名前とは裏腹に、自分の業務としては「元気な高齢者を応援する」のが主でした。企画寄りのグループに配属されたので、1年目は楽しみながら取り組むことができました。得意分野であるデザインを生かしたポスターなどを制作するなど、自由にやれる部分はやらせていただきました。

が、徐々に気づき始めます。
まちなか時代とやっていることは同じように見えるけど、同じではないということに。というのも、やはりここでの業務は「応援」というところ。縁の下の力持ち状態なわけです。
基本的には、市の職員は縁の下の力持ちでよいと思います。個人は消して、市のために働く、それでいいと思います。しかしながら、まちなか活性課のころは、そのバランスがとてもよかったように感じました。個が立ちすぎることもなく、ただ、自分の企画やイベントに人が参加してくれて、成果が目に見えてわかった。しかし今は、縁の下の力持ちというより、悪い言い方をしてしまえば、「雑用」のような感覚。何度も「自分じゃなくてもよいのでは」と思い始めます。

自分が目指した公務員像

入庁前

そもそも、自分が市の職員として働こうと思ったのはなぜなのか。
入庁する前の思いは単純。
「まちを変えるために大きな仕事をできる。その最前線が市役所(職員)」と考えていたため。大ナゴヤ大学での経験を通じて、『まちが変わる』感覚にハマりました。自分が作ったコンテンツ(音歩き)や、みんなで協力して作り上げたイベントがきっかけで人が集まったり、会話が生まれたり、まち全体が元気づいたり。こんな楽しいことを仕事にできたらどれだけ幸せか。そして、自分の描いた名古屋が徐々に実現していくことを楽しそうな表情で見つめる名古屋市の職員。こういった大きい変化は、民間や個人だけでやっていても時間がかかる。やはり市という大きい組織だからこそ、大きな渦になっていくんだと感じたことを覚えています。
自分のその渦を巻き起こす人になりたいと感じました。だから、市の職員になりたいと思ったのです。

入庁後

当初持っていた気持ちに少しずつ変化がありました。
今までの環境が恵まれすぎていたこともあってか、いろいろなところに目がつくようになりました。一番最初に思ったのが市の広報、PRの不十分さ。内容は面白くてもPRの部分があまりにも弱い(力を入れていない)ので、効果が出づらいということに気づきました。真っ先に取り掛かったのは「デザイン」。上述したとおり、採用ポスターの制作をきっかけにデザインに力を入れていきました。

気づいたこと、ふたつめ。
思っていたほどの力は市にはなく、まちを変えよう!良くしよう!という志を持った職員は数える程度。自分の思いを実現するのにはまだ時間がかかると感じ、まずは環境づくりをしようと、市の職員の意識変革を考えながら活動しました。1年目職員と一緒に採用ポスターを制作するワークショップや、職員の意識改革研修では、10%ルールの提唱を行ったりしました。ただ、自分の力不足もあってか、目に見えた変化は多くは起こりませんでした。

入庁して5年目。
そもそも、まちを変えたい!良くしたいから、市の職員の意識を変えていくと考えていたのに、自分の中のウェイトが、当初持っていた「まちを変えたい」という思いから「市の組織を変えたい」とシフトしていました。
変化のない日々に勝手に絶望して、やる気をなくしていることに気づいたのです。

果たして自分が力を入れるのはこんなことでいいのかと自問自答します。

次へのステップ

もともと、飽きやすく一つの場所に居続けるのが苦手なタイプではありましたが、また変化が必要な時期がやってきたのかもしれません。
変化といっても、環境なのか、意識なのか、考え方なのか、まだ分かりませんが、このままではいけないという思いは持っています。

なぜ今この環境にいるのか。
まちを変えたいという思いで入庁したあのころは、よどみなく真っ直ぐな気持ちで向き合えていましたが、今は良くも悪くもそうは思えない。

自分がやりたいことがまちづくりなのか、まちづくりにつながるその他のことなのか、社会が大きく変わる場面に立ち会いたいのか、はたまた、お金儲けなのか。
まだ自分の中で答えは出ていませんが、今の気持ちを忘れないためにも書き記しました。

次の記事に書こうと思っていることですが、公務員こそパラレルキャリアを推進していくべきだと自分は思っています。簡単に辞めてドロップアウトするのではなく、今の仕事を続けつつも、副業ではなく≪複業≫という形にチャレンジしたい気持ちもあります。内部の人間は気づいていないかもしれませんが、近い将来、そういった流れは確実にやってきますから。

自分がどういった道に進むべきなのか、今一度自分と向き合っていこうと考えています。