「LOCKET」書評。

写真 2015-03-31 15 39 58

旅する編集者こと、内田洋介が旅雑誌を発行しました。
写真の一部、イラスト以外は全て1人で行ったとのこと。
デザインも、かっこいいです。

さて、創刊号である今回は、
「しあわせのありか」をテーマに据えて、
ブータン、デンマーク、小値賀島を取材。
角幡唯介氏や、坂本大三郎氏への単独インタビューも掲載。


それらの取材を通して、彼なりに、
「しあわせのありか」を探っています。

読み進めるうちに感じたのですが、
異なる価値観を持った人々、
場所と触れ合うことで、
自分と対峙し「言葉を紡ぐという行為」が
彼にとっての「しあわせのありか」なのかもしれないな……
なんて思ってみたり。
(見当違いだったらすいません。)

「旅雑誌」と銘打ってはいますが、
『しあわせってなんだろう?』と
考えるきっかけを与えてくれる一冊となっております。

さて、本書で一番印象的だった言葉を引用して
締めさせていただきます。

何もなくて不便なはずの島の人が棲む場を自慢して、
何でもあって便利なはずの都会の人が棲む場を不満がる
土地とのつながり方は、しあわせのものさしだと思う。

主にネットストアにて販売中。

東京・代官山蔦屋書店でも販売しております。

リアル書店にも販売エリアを拡大中。
今後の彼の活躍に期待ですね。

「social tower book」と「Tomag」から考える、地方文化誌の可能性。

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ご無沙汰しております。
ブログを書きます。

さて、タイトルの件。
最近読んだ「social tower book」と「Tomag」から感じたことをつらつらと書き綴ってみようかと。

情報誌というと、「○○ウォーカー」のように、情報盛りだくさんで、キュレーションせず(ある程度はしているとは思いますが)に紙面いっぱいに情報を散りばめたものが今までの形でした。
読者にはいどうぞ、と情報提供だけをして、あとはお任せという感じでしょうか。

ところが、この2冊は、情報誌ではなく、文化誌なんだなあと。
前者の「social tower book」は、業種も、年齢も、性別も様々な人に「あなたの好きな名古屋は?」とインタビューをし、それを元に記事ができあがっています。「social tower book」は誰もが知ってる、というよりも、ちょっとニッチなお店だったりが紹介されています。
それに対して後者の「Tomag」は、誰もが知っている中野ブロードウェイの話がメインになっています。ただ、共通して言えるのは、どちらも「人」が切り口になっています。

今までの情報誌は、情報提供のみで終わっていたのに対して、この2冊は、情報提供ではなく、語弊を恐れずにいうならば、「強者的なオピニオン」を感じました。(この表現で伝わるかな…)
もっと柔らかく言うと、
本をつくる人が、「ここだ!」という自信を持っている。

これに付随して最近感じるのは、
「行列ができる○○!」とか、そういったものに興味を示していた時期はある層では終わりつつあって、「あの人が選ぶ○○」といったような、特定のキュレーション能力を身につけることに興味を示しているのではないかなと。もっと言ってしまうと、キュレーションしているヒトにも興味を示しているのではないかという仮定。FacebookやTwitterなどの出現により、自分から情報発信がし易い環境になったため、より色濃くなってきているように感じます。

話がずれたので戻しますが、何が言いたいかと言うと、
今までのような情報誌の形ではなく、この2冊に代表されるようないわゆる「地方文化誌」の出現により、また地方の魅力が再確認されるのかなと。

d&department projectの「d design travel」のようなモノがどんどん出てきていて、地方やっぱ面白いなあっていう流れになってきてるんじゃないでしょうか。

って最後すごい投げやりですが(笑)。

何にしても、d design travelは2009年が最初だったかな?
今から5年前にやり始めていたんだなあと。
d design travelの情報って、スマートで、直感的に「良い」と思わされてしまうんですよね。ああいうのうまいなあ。どうやって選んできてるんだろう…。

と、キュレーションする力を一番欲しているのは自分なのかも。

今日はこんなところで。

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8/04/d47 MUSEUM/D&DEPARTMENT PROJECT/文化誌が街の意識を変える展

こんなのあったけど、結局行けず終いでした。

[レビュー]つくること、つくらないこと

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コミュニティデザイナーの山崎亮さんと、ランドスケープアーキテクトの長谷川浩己さんが、1人のゲストを招いて鼎談したものをまとめた本です。

コミュニティデザイナーは「つくらない人」、ランドスケープアーキテクトは「つくる人」。それぞれは対立関係にあるのではなく、アプローチが異なるだけで目指しているところは、共通する部分がある。この2人と、いろいろな分野からのゲストの掛け合いがとても面白かった。

その中で特に気になったところを引用する。

長谷川 その人がその場所に対して興味を持つきっかけを与えるのが風景の一部となる建築やランドスケープの役割とも言えますか?

太田 最も有名な例はシドニーの「オペラハウス」です。…(P.23)それはまさに、シビックプライドでしょう。誇り、愛着、自負。自分がそこに関わっているという意識。それから、僕がシドニーをとても好きなように、そこには住んでいないけど、離れたところで何かその都市に対して参加意識を持っている、”準市民”みたいな人々をどうつくっていけるかが大事なんでしょうね。(P.24)

建築家である太田浩史さんとの鼎談。
オーストラリアのシドニーにあるオペラハウスを例に出して、住んでいる人が誇りに思えるものがあるという話。それ以外にも、住んでいる人たち以外をどう囲い込めるか、という点が大事ということ。
まちづくりを行う上で、市民はそのまちのことを「好き」で「誇り」に思えないといけないが、その先にあるのは、市民以外の人々がどのように関わっていけるのか、という議論がなされていた。

ナガオカ (略)…みな「金沢21世紀美術館」を目指そうと言う。けれど、あの場所が成功したのは広報の力だと思うんです。違う県から人が行きたいと動機づけるのは、全国の言葉で通訳する広報がいるから、代弁してくれるアーティストを巻き込んでいるから。全国区であるためには、どんな人にも分かりやすく広報をしていくということ。デザインはこうあってほしいという自分のメッセージを伝えたいと思ったら、自分がメディアに載る価値のある発言を持たないといけないんだと考えています。(P.49)

先ほどの太田さんとの鼎談の中で、場所に興味をもつきっかけになるのが、景観だったり、建築物だったりする、という話があったが、ナガオカケンメイさんは「金沢21世紀美術館」を例にあげて、ハコモノがそこにしっかり根付くようにするためには、広報の力は絶対的に必要だと語る。

西村 …たとえば、僕の肩を今、誰かが揉んでくれたとします。お礼にお金を渡したらそれまでだけど、何もしないでいたら「この人に何かお返ししたいなあ」と思いながら生きていくことになる。お互いに関係が清算していない状態は、煩わしさはあるにしても「豊か」ですよね。お金を使わない方が関係を結びやすかったり、維持できたりする。(P.106)

これは、働き方研究家の西村佳哲さんとの鼎談。
お金を使わない関係のほうが、人と人は繋がっていやすくなるという考え方。これはたしかにしっくり。お金の貸し借りの間は、「会うのも気まずいな」なんて思ったりもするけど、そこにお金が絡んでいない「貸し借り」だったら、繋がり方が違うなと。

などなど。
それ以外にも気になった点があったので、引用のみさせていただく。

山崎 これまでクライアントは、民間だったら発注者、行政だったらユーザー、と切り離して考えていましたが、マルヤガーデンズに関わったことで、民間も行政も関係なく、クライアント=ユーザーだと思うようになりました。(P.121)

長谷川 …結局クライアントというのは主体的にその「何か」に関わり、何らかのリスクを負いつつも、僕たちの関与を通じて何事かを実現しようとしている人たちではないかと。つまり、山崎さんはクライアントをつくり出していることになるんですね。

山崎 確かに僕は理想的なクライアントをつくりたいと思っているのかもしれません。(P.123)

芹沢 「探られる島プロジェクト」を続けたことで、島の人の面白いと、自分たちの面白いが伝わりあった、分かり合えた。(P.134)

広井 農村型コミュニティと都市型コミュニティ(P.141)

鷲田 「聴く」というのは究極の能動ですね。(P.155)

公共政策学者の広井良典さんの、「農村型コミュニティーと都市型コミュニティ」の説明は、自分の中で言語化できない部分がされているようで、とてもすーっと心の中に入った。これまでの日本は、ハード面の整備を重視していた傾向があるように思える。だが、クライアントは「ユーザー」であるということ。これが一番大事なことであるように感じた。

この本は、読んでいてすごく納得できる点があった。
まちづくりに関わっていきたいという人にはおすすめの本。
気になった方は、下のリンクからぜひ。





「ぼくたちは見た」を読み終えて

ぼくたちは見た

数日に分けて、古居みずえ氏の「ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち」を読み終えた。

この本からは、明らかに非がない人々が痛み、苦しんでいる姿を読み取れる。イスラエル軍が行った行為がどれほど非人道的なものだったのか。読み終わった頃には、強い憤りを感じた。

書評を書く前に、さらっとパレスチナ問題についておさらいしておく。
WWⅡ終戦後、自分たちの国を持っていなかったユダヤ人は、イスラエルという国を建国することになる。しかし、建国した場所には、元々パレスチナという国があった。国があるということは、当たり前だがそこで生活している人たちがいるわけだ。そこに、世界中に散らばっていたユダヤ人が「戻って」くる。元々そこにいたパレスチナ人たちからしたら、こんな迷惑なことはない。そして、戦争が起きた。中東戦争である。

そこでユダヤ人が行ったことは何か。それは数年前に自分たちがナチスから受けた「ジェノサイド」だ。大量虐殺をパレスチナ人に対して行った。第一次中東戦争が1948年に起こってから、この問題は現在まで続いている。現在、パレスチナは、ヨルダン川西岸地区とガザ地区がある。イスラエルは、その場所にも入植を進めた。50年以上もこの問題は続いているのだ。圧倒的な軍事力を誇るイスラエルに対して、パレスチナ人は石を投げて抵抗(インティファーダと言う)するくらいしかできない。

この本は、2008年12月から2009年1月に行われた、イスラエル軍の大規模なガザ爆破・侵攻によって被害を受けたパレスチナのガザ地区の子どもたちにフォーカスを当てた取材記。構成としては、サムニ家というある一家の子どもたちに、著者が取材をしたものをそのまま記してある。そのため、子どもたちが語ることは、被る部分がある。だが、サムニ家だけでなく、ガザ地区に住んでいた人々は同じような想いを抱えているだろうと容易に想像できる。この侵攻により、1400人以上の尊い命が奪われたのだから。

サムニ家が住んでいた地区は、農業地区だった。イスラエル軍はこれまで農業地区には攻撃しなかった。だが、この時は違った。農業地区だろうとなんだろうと関係なく攻撃をした。何の罪もない女、子どもに対しても虐殺を繰り返した。そしてその事実を隠蔽しようともした。「パレスチナ側の攻撃に対しての報復行為だ」という言い訳を付け加えて。前述したようなインティファーダが行われた事実も存在しない。普通の生活をしていたところにイスラエル軍が踏み入って、人々を容赦なく攻撃し、殺し、その遺体を、家を破壊することで隠蔽しようとした。

この侵攻により、多くの人が殺された。父親、母親、子ども、いとこ、甥っ子、姪っ子、祖父、祖母…。攻撃を受ける前はともに生活していた人が奪われた。ミサイルを受け、体に大きな穴を開けた人間、顔が剥がれ落ちた人間。自分の親族の肉片が飛び散り、体がバラバラになった遺体を目にした幼い子どもたち。

彼らはよく夢を見るらしい。まだ平和だった頃の夢を。
「お母さんはいつもあなたのそばにいるわ」。
夢のなかでそう語りかけると。惨劇を目の前にして、彼らの心の傷は癒えないほど深いものになってしまっただろう。

文中で特に印象に残ったのは、「平和を望むか?」という著者の質問に対して「望まない。お母さんを殺したイスラエル軍を許さない」と答えたことである。10代前半の子どもの言葉は重く深く心に突き刺さった。

このようなことが世界では起こっているのだ。でも、どうしたらいいのだろうか。もどかしい気持ちはあるが、自分にできることは限られているし、それが解決に繋がるとは到底思えない。

読み終えると同時に、ジャーナリストとして事実を伝えることは大事だが、一個人に訴えかけてもどうしようもないのではないか、という想いに駆られた。

例えば、何も知らない人がこの本をたまたま手にしたとして、この本を読んで、何を思うのか。きっと、世界の不平等さに嘆くことだろう。自分に何ができることはないのだろうか、と考える人もいるだろう。そう考えた人が次のアクションに繋げていくためにフォローができるのかということ。この事実を伝えたことによって、何もできない自分を責める人もいるかもしれない。

今までは、人々に伝えることがまず最初のアクションに繋がると考えていたが、国と国との問題は大きすぎる。

何が正解なのか。
「平和は望まない」という子どもの言葉だけが頭の中に残る。自分の家族を殺した相手に対して、平和なんて望まないよな。この気持ちを解消するにはどうしたらいいんだろうか。

まだ答えは出せないが、いろいろと考えさせられる本でした。
子どもたちの偽りのない証言は、ストレートに心に突き刺さります。

読んだことない方はぜひ。

[レビュー]走り続ける才能たち

 
久々のブログ更新。
安藤隆人著「走り続ける才能たち」の書評、というか感想。

まず、最初に。
むちゃくちゃよかった。

まず、リズムがいい。
複数の選手を取り上げる場合でも、時間軸は同じにして書かれているため、読んでいる側からしても読みやすいし、早く次を読みたいと思わせてくれる。

内容について少し述べると、
テレビでのニュースなどでは、一見順風満帆にいっているような選手にも、安藤さんなりの取材で実はそうじゃなくて苦労していた時代があるんだと気づかされた。
また、長い時間取材しているため、その選手がどう成長していくのかというのが感じられた、特に第三章の香川真司の部分。
細貝選手との会話の中で、
「高校時代から顔を出してくれる記者の人はいない」
という部分があって、これが安藤さんの強みなんだろうなと。

宇都宮徹壱さんのライター講座(その時の記事はこちらから)にて、
「ライターとして生き残っていくためには、誰にもない視点を確保すること、自分のストロングポイントを見つけること。」
とおっしゃっていた。

安藤さんの強みは、地道な取材で将来有望な選手を見つけ出し、若いうちに信頼関係を築いていくことなんだろうな。
やはり、選手を見つけ出す能力に長けているなと感じた。
これは生まれ持った才能ではなくて、学生時代からいろんな試合を見て、いろんな選手を見て培ってきたもので、努力の賜物だと思う。

また、長く付き合っているからこそできる選手に対するアドバイスも的確で、なおかつそれらが選手たちにも直に伝わっている。
これはジャーナリストとして重要な役割である。
選手たちも客観的な目線で自分を見てもらって、それをアドバイスしてもらうということを欲しているはずだ。
長いこと見てくれている安藤さんなら、なおさら自分のプラスにもなる、いい影響を与えている。
誰でも人に見られていると感じると「頑張ろう」という気になる。
大袈裟だと思われるかもしれないけど、きっと安藤さんがいなければ今海外で活躍してる選手はもっと少なかったように感じた。
純粋にすごいです、安藤さん。

僕は安藤さんの過去にすごい興味があった。
なんで銀行員をしてたんだ?と。
でも、この本を読んで読んでよく分かった。
自分の時間が確保される仕事に就いて、その時間を使って取材する。
サッカーライターは完全実力主義である。
きっと安藤さんはそれを十二分に理解していて、銀行員時代に経験を積むことにより、自分のスキルアップをはかったのだと思う。
そして、本田岡崎細貝らに出会ったときに仕事を辞める決意をした。
今ではユース教授と呼ばれるまでになった。
ほんとにすごいです。

本の題名である、走り続ける才能たち。
これに合った内容だった。
その才能たちを安藤さんは常に追い続けていて、知ることの出来なかった、安藤さんにしか見せない選手の表情を感じることができた。
安藤さんはこれからも変わらないだろう。
新しい才能を追い続けて、僕達に新しい発見をする手助けをしてくれるんだと思う。
「ユース教授。」
唯一無二の存在である。

きっとこれからもサッカー界に多大な影響を与えていってくれるんだろう。
素敵な本をありがとうございました。

みなさんも読んでいただきたいです。
安藤さんが過去に出した書籍もアマゾンから購入できるので、ぜひ。



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