インタビューされました!…4年目の研修にて。

先日、東京の書店巡りをしている際に、とある知り合いの4年目の職員から電話がありました。
(東京の書店巡りのレビューは、またブログにてアップします。)

研修で「組織におけるキーマンとダイアログしてください」という題目があったそう。
そこで、私と対話したいと伝えられました。

人と話すのは大好きなので二つ返事で、いいですよと伝えました。
が、自分まだ2年目なので、4年目の方に何を話そうかなあと思いつつ、…当日になりました。

ダイアログの内容としては、ざっくりとこんな感じ。
長くなるので、ページ内リンクとばしておきます。
気になったところを押して読んでいただいても結構です。

採用の面接のときを思い出してしまうような内容もあり、
いろんなことを振り返りながら楽しくお話しできました。

無意識に行っていたことも、人に話していると
「あー、こんなこと考えていたのか、自分」と
気づきがあったので、とても有意義な時間になりました。

なので、ブログにも書き残しておこうかなと思います。

なぜ豊橋市なの?

By: BuzzFarmers

大ナゴヤ大学で働いている時、
市の担当者の方がとてもいい表情で仕事をしていて、
まちづくりに関わっていくのならば「公務員」になることが
一番の近道かなと思ったのがきっかけです。

豊橋は、高校時代を過ごした場でもあり、
なおかつ、東三河では大きな街なので
感覚的に「何か大きな仕事ができそう」というふんわりとした理由。

公務員になった理由

By: Kevin Dooley

まちづくりを仕事にしたかったから。
まちづくりに関わっていくならば公務員、と先述しましたが、
これにもいくつか考えがありまして。

例えば民間の方が「○○をやりたい!」と言っても、
それを受け入れる側である自治体に理解がなければ、
円滑には進んでいきません。

もちろん、民間だけでまちづくりを行うことは可能なのですが、
かなりの労力をかけない限り、横には広がっていきません。
(色々なつながりを持っている人は別ですが。)

面白い街にするためには、その街の職員が面白くなければいけない。
魅力的な街にするためには、その街の職員が魅力的でなければならない。

なので、まちを盛り上げるために、
面白いこと、魅力的なことに興味のある自治体の職員を増やしたいと考えるようになりました。
そのためにはまず、自分が職員になるのが早かったのです。

課を飛び出して行っている活動

By: ClickFlashPhotos / Nicki Varkevisser

相手方に一番評価していただいた部分としては、
人事課のポスター制作をはじめとした、自分の課だけに捉われない部分での活動でした。

【豊橋市役所の採用ポスター、担当しました。】
つくりました、採用ポスター。
昨日、報道発表を済ませ、
順々に県内大学中心に送付されるそうです。

吉開 仁紀にポスターつくろうぜ、と声をかけてもらい、
人事課の方々にも了承をいただきました。

Posted by 三浦 有喜 on 2015年4月29日

なぜ、自分の仕事の範囲外の部分にも関わっていくのか
と聞かれたのですが、それも先程書いた通り、
「面白い職員を増やすため」に他なりません。

職員が面白くなれば、まちで活動する人が増え、
そうすると自ずとまちが面白くなる。

これは自分の持論です。

ですが、これだけでは足りないと思っています。
なので、自分は休みの日も基本的にはまちなかで活動するようにしています。
自分もプレイヤーとして「まちであそぶ」ことを実践しつつ、
庁内にも「面白い」を伝染させるよう心がけています。

仕事とプライベートの境があまりありません。
趣味が仕事になったような感じですね。

仕事をする上で意識していること

By: Take Back Your Health Conference

自分は元々、まちづくりだけに興味がある人間ではありませんでした。
というよりも、国際情勢をサッカーで紐解くジャーナリストになりたいと
強く思っていました(今でもその気持ちはあります)。

そのために、サッカーライターやウェブメディアの運営などの仕事をしていました。
環境を変えるたびに、自分にスキルがないと生きていけない
(逆に言えば、スキルがあると、生きていける)と感じました。

そういった背景があることも影響してか、公務員になった今も
「いつでもやめられるように」準備しています。
これは後ろ向きな発言ではなく、前向きな発言と捉えてください。

というのも「いつでもやめられるように」意識していると、
自分の今の環境に満足することなく、成長していくことができます。
特に、公務員は異動が頻繁にあります。
今の環境下では仕事をこなせていたとしても、
異動になった時に果たしてそのスキルがそのまま活かせるのか、という話になってきます。
もちろん基本的な事務等は変わりなく活かしていけますが、
そうは言っても、仕事内容がガラリと変わった際、
自分のスキルをどう生かすか、ということまで考えていく必要があります。

自分が持っているスキルを増やすことは、良いことしかありません。

具体的にいえば、
サッカーライターの頃に、ライティング、文章編集のスキルを学びました。
大ナゴヤ大学の頃に、まちづくりに関する基礎的な知識、音楽編集を学びました。
今は、デザイン、動画編集、写真のスキルを学んでいます。

すべてが繋がっていないように思えますが、
サッカーライターの頃に学んだ取材スキルが
まち歩きの音源データの作成に活かされました。
(「音歩き」という音源データです。こちらから聴くことができます。)

このように、スキルをつけておくと、思わぬところで活かすことができます。
なので、「いつでもやめられるように」スキルをつけておくのです。

今、どんなことがしたい?

By: Pedro Ribeiro Simões

さて、最後の項です。
どんなことがしたい?
……したいことは(どちらかといえば)ありません。

何かしたいと思っている人たちに対して、支援をしていきたいです。
いかにも行政っぽい発言ですが、それがやりたくて今の自分がいると思うので。

まあ、なにもないとは言ったものの、
豊橋にない刺激を与えられるような場を作り出せたらいいなとは思います。
刺激を受けたことで何か変わるなんてことは自分が経験しているので、
そういう場があればもっと街は面白くなるんじゃないかなって。

いい風景を、眺めていたいと自分は思います。
その中心が自分じゃなくてもいい。

「お、すごいなあ。」
って思われることに、少しでも関われていたらいいなぁなんて思いながら働いています。

いつでもやめられる準備をして自分のスキルをあげつつ(やめる予定は全くないですが笑)、
何かそのスキルが生かせるように、日々を過ごしています。

結び

By: jayneandd

なんだかまとまらなくなってきました。
言いたいこととしては、

  • まちが面白くなるためには、市の職員がまず面白くなること
  • 面白い職員を増やすのが自分の宿命
  • いつでもやめられるよう、日々スキルアップする


こんなことを、フワーッと思いながら日々働いてます。
少しでもためになったならいいなぁなんて思いつつ、今日はこんなところで。

蓄積されるものと、選別されるもの

8443342362_4724180678_b

デジタル化、みたいなブログを昨日書いたので、そこから考えたことを。

先日Twitterでこんなやりとりをして。

衣食住のモノに関しては、蓄積された情報源が選択するキッカケと成り得る。ウェブサイトで言えば、食べログのような形で、ユーザーが評価をつけて口コミを書き、その蓄積によって、ユーザーが選択する。また、そのユーザーが、情報を蓄積させる。

ただ、それ以外のものを考えてみると、どうだろう。
これは、蓄積した情報では補えない部分であると思う。食に関して言えば、「おいしい」という共通の評価があるのに対して、それ以外、例えば図書館などを例にあげるのならば、評価基準はそれぞれ異なる。蔵書数が多い、静か、雰囲気がいい、おしゃれ、など。異なる評価基準がある場合は、蓄積型の情報は意味を成さない。

キュレーターという言葉を使っているので、元々の語源である美術館を例に出してもそうだ。
食べログ的な方法で、美術作品を決めて、それを展示させる。これは現実的には難しいことだが、超有名な作品ばかり集めても、その美術館の根本となるコンセプトだったり、が損なわれてしまうんじゃないかなと。

「みんなが良いと言っているから」
「あの人が良いと言っているから」

この違いでしょうか。

考えがまとまらないところで、これにて。

いつまでも子どもではいられないけど。

Children1

いつまでも子どもではいられないけど、子どものような気持ちは持ち続けていたいという話。

25歳になり、大人の階段を登りつつあります。
周りのみんなは企業に勤め、私のようにぷーたらとフリーターもどきをしている人なんてほとんどいなくなりました。

25歳にもなると、結婚というものが身近に感じる年頃です(自分自身はそんな気配すらありませんが)。
友人の話を聞くと、高校時代は他愛のない話でちゃらんぽらんな話で夢なんかも話したりして盛り上がっていたのに、今話すことといえば、結婚のこと、家族のこと、子供のこと…だったり。
いやいやまだ早いだろうって思っていたことが着実に自分のすぐそばにきているんだなと実感する瞬間でもありますし、でもそれってどうなのって思う自分もいるわけです。

もちろん無意識ではあるとは思うのですが、自分に限界を作って安定を求めちゃってる感があるのかなあと。もちろんそうではない場合もありますけども。現実を見始める時期なんでしょう。

湘南乃風の純恋歌ではありませんが、
「慣れ合いを求める俺、新鮮さ求めるお前」
みたいな感じで、新鮮な気持ちをいつまでも持ち続けたいなあというのは感じるわけで。

そんな出来事があって、今の自分を振り返ってみました。
最近の自分は、頭が硬くなりすぎているんじゃないかとふと思いました。

自分は、アイデアマンというキャラでもないので、アイデアを出してもらってそれを吟味するっていう作業をすることが多いんですが、その意見に対して「これって実現可能?」とか「ここにたどり着くための道筋を考えると…」とかって、頭の中ですぐに考えてしまう癖ができている気がします。

それはきっと悪いことではないだろうし、むしろ必要なことだと思いますが、それはきっと考える時が別にあるはずで、頭の中で直感的に考えることでもないですよね。アイデア出しの段階でそんなことを考えていたら、自分の中で限界を作ってしまう。

自分の中では「できないだろう」って思ったことでも、新しい出会いや、人とのつながりで、実現可能なことってあるんだろうなってまた最近いろんな人に出会うことで気付くようになりました。自分たちだけで全てをやるとなると限界値もそんなに高くはならないでしょうが、人との化学反応で限界値はどこまでも高くなるんだろうなと思います。

いつまでも子どものような発想で、「こんなの無理でしょ」なんて思わないで、はちゃめちゃに考えていきたいな、なんて思っています最近。

なんだか話があっちにいっちゃっている感はありますけども、子どものような感性で、いつまでも居続けたいなと思うわけですね。

つながっているかどうかは不明ですが、頭の中にぽわーんと出てきたので、文字に記しておきたい衝動に駆られたまでです。

私が教育に携わりたいと思う理由と、そのプラン

 

「教育に携わりたい」

 最近、私が強く感じていることだ。なぜそう思うのかを、自分の夢を含めて、またどのような形で関わっていくかを書かせていただいた。着実に現実的になっているプロジェクト。成功するかどうかは分からないが、今は動き出さなければいけないという思いが強い。協力してくれる人が多ければ多いほど、実現する可能性は高くなるはずだ。

 この文を読んで、何か関わりたいと思った人がいたら教えていただきたい。今はまだ少人数で活動しているが、方向性が定まってきた段階で協力を募るかもしれない。もちろん、反対意見、要望、アドバイスなどがあれば聞かせていただきたい。
 では、長くなるが、お付き合いいただければ。

「ジャーナリスト」という自分自身の目標

 私の人生の目標は「サッカーを切り口とした国際ジャーナリスト」となって、「世界の声」を日本に伝えていくことだ。その夢について簡略に書かせてもらう。

 ご存知の人も多いだろうが、私はイスラエルを旅したことがある。日本の書籍や、テレビや新聞での報道を見ていて、イスラエルが危険な国であると感じていた。なので不安は少なからずあった。不安というのは、テロの危険性や、ユダヤ人、パレスチナ人の仲が険悪なのではないか、などだ。

 しかし、現地に行ってみて、旅する前に抱えていた不安は一切感じなかった。その時、日本での報道と、現地での生活の間にあまりにもギャップがありすぎると愕然とした。偏った報道だけでなく、現地の「リアル」な声を届けたいという想い、また、世界情勢をもっと多くのことに知ってもらい当事者意識を持ってほしいということから、私はジャーナリストを志すようになった。

 サッカーを切り口に、というのにも理由がある。サッカーは、世界一のスポーツだ。競技者人口を考えてもそうだし、ボール1つあればそこでサッカーができることから、「人が生活しているところにはサッカーがある」とまで言われるほどである。この「世界一のスポーツ」に可能性を見出した。サッカーを切り口にして伝えていくことが出来れば、サッカーが好きな層にアプローチでき、なおかつ、情報を得ようとする人が増えるのではないか、という考えがあったからである。

 ここでは、「サッカーを切り口とした国際ジャーナリスト」を志す理由を書かせていただいた。次は、なぜ教育に携わりたいと思ったのか、そのきっかけを書かせていただく。

教育系組織を作ろうと思ったきっかけ

 前述の通り、私は教育に携わりたいと思っている。結論から言えば、教育系の組織を設立したいと考えている。では、どういう経緯でそう思ったのか。それは、自分がジャーナリストとなった時に、伝えていける場を作りたいと思ったことからだ。

 今いるジャーナリストの「伝える」場は、大学の教壇、書籍、テレビ、など。たしかにいろいろな場所がある。だが、それらの人たちはいわば「スター」的存在の人が多いように思える。このような人たち以外にも活躍している日本人は世界中にいるが、伝える場が飽和状態にあると感じた。普通の人が経験していないようなことを体験し、あらゆることを感じている人たちが発言していく場所を提供したいと思った。これは、自分自身が将来ジャーナリストとして活動していく上でも重要な「場」になると思っている。そのような「場」の土台を作っておくことは意味があることだと感じた。

情報の「取捨選択」ができない環境

 Twitterなどを介して人に会うと、様々な考え方を持った人に出会う機会が多い。海外に目を向けて実際に海外で働いている人、今までにない新しい分野でアイデアを出し、それを達成するために起業した人、自分の長所を仕事に活かす人、自分の足りない部分を冷静に分析し、起業しつつ、大学院進学を考えている人…。本当にいろいろな人がいて、尊敬できる人ばかりだ。

 彼らに共通して言えるのは、自分が生涯を通じてしたいことがはっきりしているということ。彼らはなぜはっきりしているのか。それは、彼らが自ら情報を得ようとし、実際に得て、自分なりの考えを持ち、それに対して人と議論し、何が自分のやりたいことか、またはそうではないことか…。要は、情報の取捨選択ができているのだ。

 もちろんそういう人たちばかりではない。将来、自分が何がしたいのかが分からない人や、そんなことすら考えていない人もいる。しかしながら、これは普通のことである。帰納法的に言えば、「やりたいことがはっきりしていない人は、情報の取捨選択ができていない」のである。いや、これは少し強引すぎたかもしれない。情報の取捨選択の前に、情報を得ていない人が多すぎるのであろう。知らなければ考えることも出来ないし、議論もできない。議論ができなければ、自分の考えを持つのは難しくなるので、自分自身のことも分からない。

「自分を見つめる機会がないから、やりたいことも見つからないのではないか」と、考えるようになった。

 情報の取捨選択ができる人は、能動的に動いて情報を得ようとする。例えば、自分の興味のある人の講演会に足を運んだり(自分がどんな人に興味があるかも、自分で動き、どこかしらで情報を得てくる)、交流会に参加したりする。自分から動けば、可能性はいくらだって転がっている。

 ここで少し私自身の話をすると、イスラエルから帰国後、もっと学ぶことが必要だと感じた私は、WorldShift Actionsという講演会に参加した。その時の講演会の詳細や、そこから自分が感じたことは、こちらのエントリを参照していただきたい。乱雑な文ではあるが、そこはお許しいただければ、と思う。
(こちらから→WorldShift Actions

 話を戻す。一方、情報の取捨選択ができない人はどうか。言えることとしては、能動的に動いている人が比較的少ない。講演会に行くにしても、自分がどんな講演会に行ったらいいか分からない、まず、そういう講演会がどこでいつやっているのかも情報として入ってこない。無理矢理なこじつけかもしれないが、受動的な人には、やりたいことが見つかっていない人が多い。そうは言っても、「明日からは能動的になれ!」と言ってすぐになれるような簡単なことではない。私はここがポイントだと感じた。「受動的なまま、能動的な情報を得られる仕組み」を作ればいいのではないだろうか。そして、一番適しているのが、義務教育の場であると考えた。

どこに「伝える場」を作るべきか

 小学生や、中学生の時を思い出していただきたい。年に数回、学校の全生徒が集まり講演会などがあっただろう。何が始まるのかよく分からないまま体育館に集合して、誰かよく分からない人の話を聞いて、その後教室に戻ってから感想文を書かされて…。こんな経験は誰しもがしていると思う。年に数回しかなかったが、その時の話は今でも頭の片隅に残っている。あのような形の、もっと小規模なものを年間通じて運営出来れば、「自分から動かないと得られない情報を提供できる仕組み」になり得るのではないかと考えた。

 大学でそのような時間を作ればいい、と思う人もいるかもしれない。だが、それでは遅い。現状を見てみると、選択肢が提示されていない状況で高校を選び、大学で自分の将来と向い合って考える時間を作ればいいという風潮がある。しかし、それではうまく回っていかないことは今の就職活動1つ見ても明らかである。自己分析の時間が足りず、将来自分が何をしたいのかあやふやなままで就職活動をし、新卒3年以内で退職をする若者が3分の1とまで言われている。これは自己分析の時間が足りないことも影響していると思う(もちろんそれだけではないと思うが)。

 また、義務教育が最適なのはもう1つ理由がある。それは「義務教育」であることだ。そのままだと思われるかもしれないが、これが重要なことなのである。高校や大学でこのような組織を作っても、その時点で選別された人間しか残っていないのだ。義務教育ならば、否応なく全ての人に関わることができる。全ての人に、「伝える場」を通じてあらゆる情報を提供したいと考えている。

 私の理想では、義務教育の段階であらゆる選択肢を提示し、自分が将来何をしたいのか、ということと向き合う時間をなるべく多く作りたいと思っている。例を出せば、例えば中学生の時に医者になりたいと感じるのと、大学生の時に医者になりたいと感じるのでは、どちらがその目標に向かって行動しやすいか、というのは自明である。

 また、根本的なところを突き詰めていくと、義務教育での教育がその人の人格構成の軸になっていると感じる。小さい頃にあらゆる経験をしておくと、大人になった時に多様性のある人間に育つはずだ。

具体的にどういった形式でやっていくか

 次に、具体的にどのような形式でやっていくかということを書かせていただく。話の流れから分かるかと思うが、様々な経験をされている方の授業を受けることをメインで考えている。ジャーナリストの「伝える場」を作る目的でこのようなことを考えたのだが、これはジャーナリストだけでなく、汎用性があるのではと感じた。ジャーナリストをはじめ、会社の社長、NPOの代表、政治家、被災地支援ボランティアの方、ミュージシャン、農家、旅人…どんな人だっていい。きっかけがなければ知ることがないであろう人たちの授業を受けることによって、様々な情報を知ることができる。興味も湧いてくるだろう。これによって、情報を得るということはできる。

 だが、これだけだと頭の中に残る授業には成り得ない。年に数回の講演会で一番大事だったのは「感想文を書く」ということだ。これは極めて重要なことで、その講演会を振り返り、頭の中で思い返してから自分なりの言葉で書くということができる。そうすることによって、自然と印象的だった話題が自分の頭の中に残るため、印象深い出来事としてインプットされる。だが、この仕組みだと「情報の取捨選択」はできない。次のステップが必要なのだ。

 得た情報を「取捨選択できる」ようになるために、講演会の仕組みよりもよい形を導入したいと考えている。それは、「議論の場を作ること」だ。感想文の場合、自分の言葉で書き記すだけでよかったが、議論になるとその言葉で相手を説得する必要性が出てくる。そのためには、より深くそのことに対して理解しなければならないし、そのための準備も必要になってくる。

 そこで私が考えているのは、週に1回ずつこの授業を行う。そして、2週間を1タームとし、最初の週は授業形式で、次の週は議論の場を設置する、というものだ。1週間時間を与えているのは、先ほど言ったように、議論で相手を説得するにはそれなりの準備が必要であるからだ。

 議論のやり方や、どのような内容で議論をするのか、というのはまだ詰まっていない部分である。だが、外枠としてはこのような仕組みを導入したいと思っている。

「あなたのやりたいことは何ですか?」

 この問いかけにすぐに答えられるような人を増やしたい。たくさんの情報を得て、感じ、そこから自分の意見を持ち、自分のやりたいことへと繋げていけるような手助けがしたいと思っている。もちろん、選択肢が増えることによって悩む人も出てくるだろうが、そこに対するフォローも考えている。これについては、まずこのプロジェクトが実現してからでも遅くないだろう。

 教育系組織設立については、自分の地元で可能性を探っている段階だ。まだまだ先の話にはなりそうだが、そこで成功事例をつくって、日本中に広げていけたらいい。その時にいろんな人の協力が必要になってくる。どういう展開になるかはまだ分からない。だが、現状はそんなことを考えている。最初にも書いたが、色んな意見を聞きたいので下記のコメント欄などでリアクションしていただけたら嬉しい。

「やり直しができる社会」より、やり直さなくてもいいように「きちんと選択ができる社会」をつくっていきたい。

—————

[連絡先]

yuukimiura
yuuki.yuk014[at]gmail.com([at]を@に変えて)

—————

「議論」ができない人は寂しい

7415707598_2ebaa04c56_k
(Flickr/starmanseries)

議論。
それぞれの考えを述べて、論じあうこと。また、その内容。

ディベート。
特定のテーマについて、肯定・否定の二組に分かれて行こなう討論。

討論。
ある問題について、互いに意見を述べ合うこと。ディスカッション。

引用:広辞苑

まあ、こんなところでしょうか。

で、いきなりですが、最近感じたことがあったので、メモ程度に書かせていただきます。

見渡してみると、議論できない人には2種類あるのかなと思います。

  • 自分の考えを持っていない人。
  • 人の話に耳を傾けない人。

議論ってすごく大事だと思うんですよ。
議論ができる人って、自分の考えを持っている人なんですよね。
「私はこの問題についてはこんなこと考えてる」とか胸を張って言える人。

でもね、それだけで終わっちゃ駄目だと思う。
「人の意見に耳を傾けること」。
これが、議論の中で結構重要なんですよ。

自分の考えを話すこと。そして、人の意見に耳を傾けること。

人の話を聞くことは、すごく好きです。
今まで自分の中になかった考え方や、知識を得ることができるから。
同じ意見だったとしても、新しい視点を提供してくれるかもしれないから。

結局、こういうことに耳を傾けない人っていうのは、自分勝手になっていくと思うんです。
自己主張と、自分勝手が違う点はそこかなあ。

日本ではよく「自己主張」できる人が少ないと言います。
意見をたたかわせる場所が少ないから、自分の意見を持つ必要もない。
だから、そういう場に直面しても、その場限りの対応しかしない。
でもそれは結局、自分の意見ではない。

逆に自分勝手な人ってどういう人かなって考えたら、
良く言えば自分を持ってる。
悪く言えば無駄に頑固。

自分の意見を持って、人の話を聞くようにすること。
大事だよなあ、とつくづく。

自分の意見を持っていない人も寂しいですが、持っていたとしても自分の意見に「改良」を加えることをしない人も寂しいですね。

人の話を聞く。理解する。自分の中に落とし込む。自分なりにアレンジする。発言する。それがだんだん自分の言葉になる。

そうやって、自分を持つことができる人が増えたらいいのになあ。

ネット党首討論から感じたこと

11月29日、六本木にあるニコファーレにて、党首討論が行われた。
党首討論といえばテレビでやるのが基本的だが、今回はドワンゴが各党に呼びかけをし、実現した。

参加したのは計10政党(衆院解散時の議席数順)。

  • 民主党代表の野田佳彦首相
  • 自民党の安倍晋三総裁
  • 日本未来の党の嘉田由紀子代表
  • 公明党の山口那津男代表
  • 日本共産党の志位和夫委員長
  • みんなの党の渡辺善美代表
  • 社民党の福島みずほ党首
  • 国民新党の自見庄三郎代表
  • 新党大地の鈴木宗男代表
  • 新党日本の田中康夫代表

アクセス数は100万人を越え、一時アクセス困難になるほど注目を浴びることとなった。

ネットで党首討論をやる意味

今回の取り組みを知ったときはとても面白い取り組みだと感じた。
ネットで中継するということは、編集のきかない”一発本番”であるので、党首のリアルな言葉を聞くことができる。
また、ニコニコ動画での放送ということで、視聴者自身が感じたことを直接コメントでき、参加型のスタイルになる。
従来であれば、党首同士が討論をするのをただ見ていることしかできなかったが、自分の意見を直接ぶつけることができる。
匿名性ということもあり、”荒れる”心配もあるが、それは許容範囲であろう。

期待はずれだった

だが、私が期待したような”面白い”取り組みではなかった。
コメントが表示されない時間帯もあったようだし、コメントが拾われて会場に反映されることは一切なかった。
党首討論なので、必要ないと言えばそうなのかもしれないが、国民と直接関われるいい機会であったので、うまく利用して欲しかったというのが本音だ。
第一、政党が多すぎて、討論には至らなかった。

さて、内容について言及する。
議論のテーマは「TPP」、「消費増税」、「原発」の3つに絞られた。
各党が賛成、反対、その他で分けられ、それぞれの意見を主張した。
率直に感じたこととしては、「どこも似通っているな」。
選挙がすぐあるということで、国民に分かりやすいようにキャッチーな政策を打ち出している政党が多く見受けられたせいもあってか、言い方を変えているだけで結局は結論は同じではないのかというのが正直な印象。

その中でも最大の争点となっている「原発」と例に出して言うと、原発推進派、脱原発、卒原発などいろいろな言葉が飛び交っているが、結局はどこも「脱原発」を”目標”にやっているのではないだろうか。
福島での事故を目の当たりにして、「事故が起きてもいいから、原発やろう!」なんて言ったら国民からの支持は得られないのは目に見えている。
国民の票を集めるため、自分たちが政権を担うためには「脱原発」を掲げるしかないと思う。
そういった議論の中でも、”すぐに”脱原発をするか、”長期的に見て”脱原発をするのか、という違いではないだろうか。
そこが各党の政策の違いになっているが、はっきり言って大きな差ではない。
結局は最終目標は「脱原発」なわけだし、その方法をどうするか、なんて議論してもはっきり言って時間の無駄だ。
議論をして、自然再生可能エネルギーが生まれるわけでもない。

原発についての個人的な意見

原発について個人的な意見を述べさせていただく。
311以降稼働している原子力発電所は数える程度だ。
だから、このまま脱原発できる、と安直に考える人がいるが、そうは簡単にいかないと思う。
原発が稼働していたころには稼働していなかった火力発電を”無理矢理”稼働させている現状がある。
ガタがきたら修理をして…ということを繰り返してなんとか保っている。
が、シムシティ的に言えば、いつ爆発してもおかしくない状態だろう。
そんな状態ではどうしようもないし、電力会社も赤字が増える一方である。
結局ツケが回ってくるのは国民で、電気代があがることに繋がる。
そういう背景があることを知ってか知らずか、電気代はあげるな、でも脱原発はしろ、とはあまりにも都合がよすぎるのではないか。

結局は人気投票になってしまう

話を戻す。
テレビなどでは、各項目(TPP、消費増税、原発など)について、「この党は反対だ、賛成だ」と図で示しているところをよく見かける。
果たして、意味があるのか?と疑問に思ってしまう。
というか、既存の政党を離党して、新党を結成して、結局は言っていることが同じということはよくあることだ。
まあそれはいいとして、どの党もあまり変わりのないことを言っている中で、国民はどうやって選ぶのだろうか。
結局は、人気投票だ。
話が上手い人には引き込まれる。
しかし、どれだけ立派な政策を掲げていても話下手な人には不信感を持ってしまう。
でもそれでいいと思う。
人が話すことは変わるし、正解はない。

国民に求められていること

じゃあ、国民にはどんなことが求められているのか。
それは、監査役、チェックマンとしての役割だ。
「あの時はこんなことを言っていたのに、なぜ覆すのか」
こう言った意見が言えないのが現状だ。
正しくは、言っていたとしても伝わらない。
私が今回期待したことはそういうことだ。
ネットを通じれば、リアルタイムで意見を述べることができる。
そういった”声”を伝えていくことはとても大事だ。
誰しも監査役がいなければ妥協をしてしまうもの。
身近にそういったツールができたことはとても良いことだし、これを使わない理由はない。
国民と政治家がもっと密にコミュニケーションを取ることが大事だろう。

そういった意味でも今回の討論会は残念だ。
ネットの良さが1つも引き出せていなかった。
これならテレビでやっているのと同じ。
一方通行のコミュニケーションは成立しないのだから。

会場には多くの取材陣が来ていた。
ネットでの取り組みが活発になってきている昨今なので、メディアの方々も注目されていたのだろう。
“新しい”メディアであるネットでの出来事を、”古い”メディアであるテレビ、新聞が取り上げている光景を見て、時代の移り変わりを見ているようだった。

やりたいことを見つける方法

 

僕はまだ社会に出たことがありません。
だから社会の厳しさとかそういうのはわかりません。
学生なのか何なのかわからないような24歳の青年が言っている戯言程度で読んでもらえたら幸いです。

———-

私には生涯かけて追いたい夢があります。

”ジャーナリストとして、世界のあらゆる側面を日本に伝えていくこと”。

あえてジャーナリストと表記しているのは、イメージしやすいようにするためであって、
手段が変わってもいいと考えています。
人に伝える手段は、映像であったり、写真であったり、またはもっと間接的な方法もあるでしょう。
今の自分にとって、文字で人々に伝えていく方法が一番最良であると考えているため、
私はその得意分野を活かせる手段を選択しました。

さて。
いきなりですが、
あなたのやりたいことってなんですか。

明確に言える人はどれくらいいるでしょうか。
学生期間が終了したら、殆どの人は社会人となり、仕事をすることになる。
生きるために仕事をするのか、仕事をするために生きるのか。
どちらにせよ、人生における仕事の割合は3分の1以上と言われています。

そんな中で、自分が生涯をかけてやりたいことを言える人がとても少ないように感じます。

就職難と言われる今、多くの学生が就職活動に精を出しています。
自分の志望する企業に入るために、大学3年のうちからなんだかすごく頑張っています。
私はそんなことをしたことがないのでよくわかりませんが。

私が感じることはただひとつで、「就職難って何?」ってこと。

自分がやりたいことが見つからずに、
誰もが知っているような大企業に入っておけば大丈夫だろうと考えている人が多すぎる。
そして、その中で少し優秀な学生が内定をもらえて、
それ以外の人は就職難民と化している状況が起こっているだけ。

それで内定を運よくもらえたとしても、
ミスマッチだなんだと言って、3年以内にやめる人が多いと言われています。
会社をやめるという大きな決断ができる人は、
もっと違ったところでその決断力使ったほうがいいんじゃないの、って思っちゃったりする。

自分のやりたいことを見つけられなかったがために、
そのようなことが起こっているのでは、と私は思います。

仕事と私生活は別だから。
これはよく耳にすることだけど、これもどうなの?と思う。
ちゃんと割り切って出来る人はいいけれども、
仕事の愚痴を言い合うために休日を使っている人もいる。
これは人間関係の問題なので、仕方ないといえばそれまでですが。

色々と言いましたが、
ようは、やりたいことを見つけるのが下手な人が多すぎる。

「自分のやりたいことが明確で羨ましいです。自分は見つけられていないから。」
って言われることがあります。
その気持ち、よーく分かります。
私も、大学生の時はぐうたらな人間でした。
自分の将来について考えたことなんてほとんどなかったし、
考えたとしても最終的には「流れに身を任せればなんとかなる」という結論に至っていました。

じゃあ、そんな私がなぜ生涯をかけて追いたい夢ができたのか。

今ある環境を全てなげうって、まったく異なる環境に飛び込んだ、から。
本当ならば大学を卒業して就職する、という流れに逆らってみた。
4年次を留年し、そのまま休学という道を選んだことによって、自分のやりたいことが明確になりました。

人はなぜ、やりたいことを見つけられないのか。

それは単純です。

自分と向き合って考える時間がないから。

高校時代を思い出すと、やりたいことってなんとなーく、ぼやーっと考えてはいたけど、
まあ大学に行ってから考えればいっか、って人が多かったんじゃないかな。
私もそうでした。

でも、いざ大学に入ると、
部活やらサークルやらバイトやらで日々の生活に追われ、
とは言ってもなんか楽しいし充実してる。
気付けば就職活動の時期に差し掛かり、必死に企業研究して…。

能動的にやっていたことってあまりないんじゃないかな。
自分がどうこうってよりも、周りの環境に合わせて動いてしまう。
というより、動かされてしまっている。

なら、どうしたらいいか。

「自分で考えて行動すること。」

これが自分のやりたいことを見つける第一歩だと思います。
今大学生ならば、休学をしてみるのが一番いいでしょう。
休学期間中は、学生でもない、社会人でもない、いわばどこにも属していないフリーな状況です。
自分がやると決めたことはできるし、やらないと決めたことはやる必要はないのです。
どんな目標を立てようと、全てが自分次第なわけです。
こういう状況になれば、自分から何かしなければ、となるでしょう。

では、具体的にはどんな行動をすればいいのか。

その答えとして一番簡単な方法が、日本から離れること
しかも、日本色があまりない場所へ行ってみること。
日本はとてもいい国です。
レールに沿っていれば、なんかうまいこと生きていけるし、うまく回っていきます。
でも、それって本当に正しいの?
誰かが作ったレールの上に沿って生きていくだけで、本当の自分って見つけられるの?
私はそんなことを思います。

他の方法としては、生活環境を変えること
いつも歩いている道とは違う道で家まで帰ってみる、というような些細な事でもいいと思います。
普通だと思っていたことに対して、疑問を持つようにすることがとても大事だと感じました。
日本にいるとそれを感じづらいのですが、海外に行くとより強く感じるようになります。

私は、イスラエルという日本的なものがあまりない土地だからこそ、
日本を客観的に捉えることができました。
当時はやりたいことなんて何もなかったけど、
日本人があまりにもパレスチナ問題に興味がなかったことや、
この国に対して何も知らなかったので、
そんな現状を打破したいと考えるようになりました。

サッカーと絡めて伝えていくことができれば、
より多くの人に伝えていけるのではないかと思い、
今、宇都宮徹壱さんのアシスタントをやらせていただいて、
色々なことを学ばせていただいています。

私の場合、
その時した行動が直接的に自分の未来に繋がったけれども、
そうでない場合もあるかと思います。
でも、それはそれでいいんです。
行動をしている時に、自分はこんなことをしたいんじゃないと気付けることも重要なこと。
また、そのときに新しく疑問に感じることが増えてきたりするでしょう。
そうしたら、その疑問を解消するために、また新しく行動すればいい。
たくさんの経験をすることで、
自分が本当にしたいことをより明確にしていくことができると思います。

当初書こうとしていた内容とはかなり異なったものになってしまいましたが
私が今回伝えたいこと。

・やりたいことを見つけるためには、自分で考えて行動するようにすること。
・「これって、どうなんだろう。」と疑問を持つようにすること。
・無理に効率良くやろうとしないで、遠回りしてもいいからいろんな経験をすること。

すべての行動に意味を見出せとは言いません。
気張る必要もありません。

新しい環境に踏み出すことで自分がやりたいことを見つけられたら、人生がもっと楽しくなるかもしれませんよ。

—————————————-

ギャップイヤー・フェアに参加してきた。

 

2012.02.27に、池袋で行われたGAPYEAR.JPのイベントに参加してきた。関西からわざわざやってきた大親友のホリーと。
会場のみらい館大明、閉校になった小学校を活用していろんなイベントやってるみたい。最近こういうの増えてきてるけど、すごいいいと思う。地域間の新しいコミュニティーが生まれそうな感じ。わくわくしちゃいますね。
ちなみにこの日の校庭では、どっかのモデルさんが写真撮影とかやってました。

さて、イベントのタイムスケジュール。
第1部:休学体験者とのトークセッション
第2部:ゲストスピーカー・後援団体等のブースに分かれて質疑応答
第3部:イベント参加者同士でのワールドカフェスタイル
という感じでした。

第1部
旅ブースに行って話を聞いた。
水野さんの話にすごい共感した。
ウズベキスタンという国に行って、日本では報道されていない部分があるということに気付き、その気づかれていない部分を日本に伝えていくことが自分なりの表現方法だ、みたいなことを言ってて。
俺もそれ思ってたー!みたいな感じで。
心の中で(うん、うん、それそれ!)みたいな感じ。
しかも、その表現方法を実現するために出版社でこれから働くって言ってて、有言実行かっこいいなーと。
自分もちゃんと自分なりの表現方法を発揮できるところに就職して、追求していきたいと感じた。
あと、篠原くんが結構ギリギリな旅をしていたということを知って、個人的にはすごい面白かった(笑)。

第2部
留学ブースにおじゃまさせてもらった。
フィリピン留学について聞いた。
1ヶ月学校に通う→1ヶ月他の東南アジアの国に行ってみて自分の英語が通じるか試す→より伝わるようにまた学校で1ヶ月勉強
みたいなやり方を推奨してました。
確かに3ヶ月間学校にずっといるとモチベーションも下がってくるし、本当に通じるの?みたいなところが解消されていいのかも、なんて思ってみたり。
フィリピン留学も最近になってとても注目されていて、俺も今年中に1回はフィリピンに行きたいと考えているので、その時はNomadshareにお世話になろうと思います。
話それるけど、ノマドワーカーのための世界規模のコワーキングスペース×シェアハウスってこれから需要増えると思うんだよなー。例えば、一ヶ月一定の料金を支払うと、どこの国のハウス(世界規模に広がっていると想定)に行っても泊まれて作業できる!みたいな感じ。まだふわふわだけど。そこらへんも何かしら仕掛けていきたいな。
3月上旬にのむのむが日本に一時帰国するらしいので、その時に話ができたらいいな。

第3部
参加者同士の意見を言い合う場(ワールドカフェ)でした。これ、一番面白かった。
1つの机に対し4人が席について話し合う形。
20分×3だったんだけど、それぞれの机で面白い意見が聞くことができた。

1.ギャップイヤーのどこに惹かれる?
2.ギャップイヤーの壁は?
3.今日学んだこと
というテーマの元、話し合った。

1.ギャップイヤーの魅力
すごい面白い人がいた。
俺が休学した理由の中の一つとして、狭いコミュニティの中からの脱却→世界という大きなものを見てみたいという、少し自分勝手な理由だったんだけど。
ここで話し合った人の中で、
「隣に住んでいる人のことすら知らない、そんなことが普通にあるのに、世界なんて言ってられる?」
って意見が上がった。
これはたしかにそうだなって思った。
けど、自分が狭い世界にいるということすら気づかないまま過ごしている人はたくさんいて、そういう人達にとって、海外に行くっていう行為は初めて自分というものを見つめ直すことができる機会なのかなって思った。
やっぱり俺の場合は、イスラエルに行ったからこそ日本について知らないことが多すぎるって気づけたし、もっと日本を知りたいと感じたし、知るにつれてもっと良くしていきたいって思った。
たぶん、彼と僕の意見は対立しているように聞こえただろうけど、きっと同じ事言ってたんだと思う。
彼は、日本の中から日本を良くしたい、originalで勝負できるものがあるんじゃない?アメリカっぽくなるのはゴメンだよ!ってことで。
俺が言いたいのは、海外を見ることで、外に発信していくことで、日本は世界の中でどういったことで勝負できるのかを確認するっていうか。ようは、海外見なきゃ日本が世界の中でどういう存在かってこともしれないだろうなって感じ。
言葉にするのは難しいんだけど、なんかそんな感じ。
伝わるかな?(笑)
彼みたいな人と話すのはすごい楽しいな。
ああいう人とこれから出会いたいなあって感じました。

2.ギャップイヤーの壁
4人中3人がギャップイヤー経験してるってことで、カウンセリングみたいな感じでした(笑)。
壁なんてないよ、みたいな結論だったんだけど、やっぱお金の面とか就職活動の面とかで不安はあるみたい。
でも、はっきり言ってそれってのも壁って言うより、自分次第だなって思う。
やりたいことがあるからギャップイヤーするのであって、ないのにする必要はない。
自分次第。

3.今日学んだこと
これからギャップイヤーをする予定の子たちと話した。
そもそも、ギャップイヤーって何のためにするの?
ってこと。
2回目のトークの時に話していたことと共通するんだけど、自分が何かしなきゃって思った時に休学なりギャップイヤーなりして、そのしたいことに対して進んでいくというのが普通の流れ。
学んだこと、と言っても俺は既に経験者なので、自分の経験から話せる範囲で彼らに話した。
すごい目を輝かせて、話を聞いてくれたのでとても嬉しかったし、彼らならしっかりと考えてギャップイヤーするんじゃないかなって思った。
この中に学芸大の子がいて、彼は学芸大の中からActionを起こして変えていきたいという活動をしていて、とても好印象だった。
学芸大特有の、”流れが止まっている感”が動き出すような気がした。
こういう類の人は学芸大の中ではとても貴重なので(笑)、力になれるならなっていきたいなと思いました。

さてさて。
ギャップイヤーについて、自分が考えていること。
ちょっとまとめてみたいと思います。

目的意識を持つこと。
これが一番大事なのかなと考えています。
ギャップイヤーを通して、自分が何を学びたいのか、なぜするのか。
こう言ったことを常に念頭に置きながら行動すべきであると思う。
自分の場合、”世界を知る”という目的があって、世界一周にしようと思っていた。
いろいろと考えていくうちに短期の世界一周では世界のことをあまり知れないかもなと考えるようになり、自分が一番興味のあったイスラエルという国に行くことにした。
とても刺激的な毎日で、イスラエルという国についてもっと知りたいと思った。
そして同時に、初めて外から日本という国と向かい合った時、日本について何も知らない、何も考えていないと気づいた。
日本についてもっと知りたいと思うようになり、日本のことをもっと勉強しようと。
講演会等にも顔を出すようになり、inputする時間も増えた。読書なども多く時間を割いて、inputをたくさんしていた時期だった。
そして、今ではWorldShift Actionsの食糧問題プロジェクトにも参加させてもらっている。
なぜ食糧問題か、というのも今までにない新しい分野に飛び込んでみたかったから。こういうの意外と大事なんじゃないかなって思う。今はoutputの時間。

また、イスラエルでは、ある義憤を感じた。
日本の報道と、現地での生活、ここにかなりギャップがあった。
自爆テロがあって危険な国という印象しかないイスラエル。
実際に行ってみると、たしかに日本に比べたら危険かもしれないが、他にももっといいところはたくさんあった。
ニーズを追っただけの報道、それにより印象が悪くなってしまっていると気づいた。
そういったギャップを埋めていきたいと考えて、ジャーナリストを志すようになった。
また、自分から発信することが大事であると感じた。
今の社会は、俺のようなただの大学生でもメディアになりうる時代であるということ。
Twitter、Facebook、Ustream等を通じて世界に影響をあたえることができる。
そう考えたので、学生ヨル会議というものにもこれから参加していく予定だ。
学生主体で、社会の問題について議論するというもの。

これらの行動は、世界を知るという目的があって、そこから派出したもの。
だからこそ1つ大きな目的を作っておくことが大事なのかなと。
ギャップイヤーは、その期間どこにも所属していない状態。
学校にも守られていない、会社にも守られていない、一番弱い状態だと思う。
だからこそ、良くなるのも悪くなるのもすべて自分次第である。
しっかりと目的意識を持って、それに向かって行動すればプラスなことばかりであると思う。
軸がなかった自分が、この1年を通じてこれから大切にしていきたい軸をいくつも発見することができた。

目的をしっかり持つこと。
手段は変わってもいいから。

このイベントに参加してみて、この1年を振り返ることができた。
これからギャップイヤーをしようと思っている子たちの話や表情を見て、自分と照らし合わせることができた。
今年1年はギャップイヤーの1年よりもがんばらなきゃいけないなと思ってる。

自分からActionすることで、世界は変わるよ。

—————————————-

副業から複業へ。

 

最近自分の将来を考える機会が多くなってきています。
人生2回目の就職活動。

2年前の就活はまじでクズでした。
周りが説明会やら、ESやらって言ってる時に僕は家でウイイレしてました。
周りが選考進んだとか、教採の勉強してる時に、家でニコ生見てました。
周りが内定もらい始めた時に、やっと焦り始めました。
エントリーしてる数、一桁。
なんとか某テレビ制作会社に拾ってもらい、内定いただけたわけですが、しっかりと自分と向き合えた上での就活だったかというと疑問視。
結局、留年&休学することになったので、内定は辞退させていただきました。

今回の就活。
1年間休学して、ゆっくりと自己分析ができました。
社会がどういう仕組みで成り立っていて、時代がWeb中心になっていくのを肌で感じました。
Twitterを通じて、いろいろな活動に触れることが出来ました。
読書をして、知識を蓄える時間も多くとれました。
ウイイレも実家においてきたし、ニコ生もサッカー中継しか見てません(←サッカーは重要!笑)。
イスラエルに行って、日本で報道されているものとは異なった生活がそこに存在していることに義憤を感じるようになりました。

自分がしたいことは何なのか。
ブレブレだった2年前とは異なり、自分の軸が確立したような気がします。

今僕が取り組んでいきたいことは、日本の報道を変えること、新しいWebサービスの構築、日本の自給率問題の改善…等。
これらひとつひとつが軸になっています。

軸と聞くと、木の幹のように大きく太いブレない軸がひとつ、という印象でした。

でも、最近感じることは、自分の軸は1つに絞る必要はないということ。
やりたいことがたくさんあったっていいじゃんって話です。
もちろん、就職してしまえば時間も限られてくるし、はたして全部の軸を同じように扱っていけるかというのはいろいろと不安はありますが、副業という形にはしたくないなーなんて思ってみたり。

あれもこれもってやって失敗するってのはよく聞く話ですが、むしろ軸が1つのほうが失敗した時のリスクはでかい。
なんせ1つしか軸がないんだから。

軸たくさんあれば、最悪1つだめになっても、次いけばよくね?ってなりますしね。

副業にしたくないんです。
複業にしたいんです。

副業にしてしまうと、言い訳したり、やらなくてもいいやと思い、疎かになってしまう。
複業にすれば、どれも平等に、すべてのことを行なっていく必要がある。
重要度も副業とは違ってくるはずです。

“表現者になる”という大地があって、その上に自分の軸となる木の幹が何本も育っていくというイメージ。

読んでる人からしたら、いきなり何!って感じでしょうね。
いや、何が言いたいっていう結論があるわけじゃないけど。

なんとなく感じるのは
働くスタイルも変わってくるんじゃないのかなってこと。
会社にずっと依存していく時代ももう終わる。
会社は自分の成長のために踏み台にしていくべき場所だというのが僕の見解です。

今、ヤバイくらい軸が定まってきてますよ。
あとはこれを可視化していくのみ。

こんな謎なBlogの日があってもいいよね。

—————————————-

今年の目標

今年のテーマは、0から1を生み出す年にする
今までやってきていないことにどんどん挑戦していきたいと考えている。
具体的にどのような取り組みをしていくか。
いろいろと書き記してみました、自分が年末に振り返られるように。

1.卒業
まず第一にこれは最低限達成しなければならないこと。
1年前に留年→休学を決意して、1年間の猶予期間をいただいたことに感謝しなければならない。
今年は、しっかりと卒業しないといけないなと感じてます。
ただ、不安もある。
生活費等をどう工面していくか。
また、WSAでの活動や、インターンとの兼ね合いもあるし、そこは教授陣と相談してうまくやっていくしかない。
ある程度自由に動ける時間を作りたいとは思うが、それは自分次第だろう。
研究室にいるときはしっかりと研究し、そつなくこなす。やるべきことはやる。
先輩もいない、かと言って先生たちに迷惑はもうかけられないし、しっかりと未来を見据えて動いていこうと思う。

2.就職活動
次に就職活動について。
これは一昨年、去年の経験が生きてくると思うので、なるべく無駄な時間を過ごさないように効率よく行なっていけたらいいなと考えている。
業種はマスコミに絞っているので、そこを中心に自分がやりたいことを仕事にできるように努力するまで。
やりたいところをやれる場所へ。

3.WorldShift Actions
現在、食糧問題についてのプロジェクトで動き出している。
特に食糧廃棄問題
可視化できる面では一番わかりやすいかなと思う。
自分的には、農業に注目していきたい。
より効率よく野菜を育てるにはどうしたら良いか、新しい自給自足の形、取り組みなどを考えていきたい。
元麻布農園六本木農園など最近注目されてきているので、今年は農業が熱いはずだ。
にしても、元麻布農園まじで熱い。
どうにかして関わっていきたいなあって思ってみたり。

30年後、野菜が手に入る保証はない。
自分で作ってそれを食べる、自給自足の流れが加速するはず。
時代の流れの先をいける先見性を常に持っていたい。

4.partygroundでのインターン
まだ決まってないが、とりあえず。
先日に家入一真さんの会社、partycompanyが運営しているワーキングスペース、partycompanyのインターンの募集があった。
いろいろな人に出会えるチャンスだし、これはいい!と思い応募したら、1次審査を通過。
来週に面接があるのでそれ次第ではあると思うが、採用されれば自分にとって絶対プラスなのでぜひものにしたい。
むしろここ中心で動いていきたい。

5.読書
目標は1年で100冊。
インプットすることはとても重要である。
自分の知らないことを知識として蓄えていくことは必ずどこかで役に立つはずなので、読書は時間がなくてもやっていきたい。
インプットだけでなく、アウトプットする時間もしっかりと割いて、いろんな人とディベート出来る機会を設けたい。

6.面白いこと探し
常にアンテナを張る。
今世界ではどんなことが流行っているのか、どんなことが面白いのか、それの延長線上にはどんな世界が待っているのか。
今ある既存のものから、新しい何かを生むために常に頭を働かせていたい。
そのためには、講演会や、面白そうなことには顔を出していきたいと思っている。
インターンでもいろいろな人に出会えるチャンスが多く有ると思うので、そういったチャンスをしっかりものにして新しいものを生み出していきたい。

7.仲間づくり
Twitter経由で安藤隆人さんや清水英斗さんといったサッカーライターさんとも知りあうことができ、いい出会いが多いなと感じている。
いろいろとやりたいことが出てきてるので、WSAとは別に何か動き出せたらいいなってので仲間づくりも重点的に考えていきたい。
楽しいことできたらいいなと考えています。
楽しいこと考えてる人がいたらそれに乗っかるのもアリだなとか(笑)。

さて、最初に記した、0から1を生み出す年にするということ。
今までの自分から脱却し、新しい可能性を見つけていこうと思っている。
今年は去年ほど自由には動けないが、去年経験したことを軸に自分が納得するようなことを行なっていけたらいいなと思っている。

2012年が始まってもう既に1ヶ月。
就職活動も本格的に始まり、自分の未来についてしっかりとした絵を描けるようになってきてる。
すでに社会人になっている同級のみんなに追いつけるようにしっかりと1年間過ごしていきたい。

—————————————-