旅ノ、その後

 

だいぶ今年の見通しが立ってきたので、書こうと思う。

前回の記事(旅の振り返りと、これから)で、イスラエルでの旅に至るまでの経緯、旅で感じたこと、そしてこれから、について書いた。
今回の記事では、その後について書いていこうと思う、飽きるまで。

イスラエルで感じたこと、まずは日本についてもっと知るということ

まずしたことは読書
読書はインプットするにはとても有効な手段だと思う。
自分の興味の持ったものを選んで読めばいいし、自分のペースでできる。
ただ、偏らないように幅広く読むようにした。
小説、旅、自己啓発、ビジネス書、話し方について、IT関連の本、留学についての本、原発、パレスチナ問題についての本、など。
そこで、今まで生活していたときには得られなかった情報などを得ることができて、知識がついたと思う。
読書は本当に大事。

次にしたこと、講演会への参加
自分が気になっていたサッカーライターさんの講座に参加したり。
その中で一番心に残っているのが、10月に東京で行われたWorldShift Actionsという講演会。
持続可能な平和な世界に向けて、今、自分たちが何をできるか。
様々な分野の著名人が講演を行った。
ここで感じたことは、今動き出さないといけないと感じたこと。
やはり、グローバル化の流れがきているなと。
ひたすらインプットを繰り返していた自分だけど、やはりアウトプットしていく必要性があるなと感じた。
そう思い立って、WorldShift Actions代表の室橋くんに今後行なっていくプロジェクトの協力をさせてほしいと連絡を取った。
この時はまだ愛知にいたので、今後このプロジェクトに関しては動いていくことになる。

自分の中のテーマで、“表現者になること”
それが漠然とあって、具体的にはどうしようというのは決めてなかった。
でもこの期間で、定まった気がする。
知らないということで損をしている人が多くいる。
だから、もっと敷居を低くして、いろいろな人に色々な情報を発信していけたらいいなと感じた。
具体的に言えば、ジャーナリスト。
自分の目で見てきたものを、自分の言葉で、自分の写真で伝える。
なおかつ、今までのようなある一面だけをクローズアップした報道ではなく、その地域のスポーツや、地域問題、おいしいお店、もちろん社会問題についてなど、幅広く取り扱えるジャーナリストになりたいなと感じた。
だからこそ、新聞記者の特派員にはすごい憧れるし、とても魅力的だな。

自分がしたくないことは、会社の歯車になるということ。
最初入社したときは、この会社を変えてやる!とか世界を変えてやる!と思って入社すると思う。
でも、日々の業務に追われて、そういった目標や夢というのを失ってしまう印象がある。
知らず知らずのうちに、会社の歯車になってしまっているという現実。
自分はそれは嫌で、そうならないためにも自分にプレッシャーをかけようと思ってる。
方法としては、自分の名前で生きていくということ
会社の名前で仕事をするのではなく、自分の名前で仕事をする。
やはりそういった面では、ジャーナリストというのは最適かなと思ってる。

自分は、やっぱりスポーツが好きなので、スポーツを絡めていけたらいいなと思ってる。
新しい観点で、新しい考え方で、他の誰もがやっていないような方法で活動していけたらいいなと。

だから、そのためには日々勉強が必要だし、前にも書いたけど、以前なら自分が興味を持たないような分野に対しても首を突っ込んでいく、そして、視野を広げていけたらいいなと思ってる。

広く浅く、狭く深く、というよりも、広く深く。
やりたいと感じたことはすべて納得するまでやり通す。
これを心の奥底に思ってやっていけたらいいなと。

その信念を持って、就職活動を行なっていこうと考えています。

とりあえず、今日はここまで。
今年の目標かけてないから、近いうちにアップします。
もう2月だけども。笑

それではまた。

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被災地で感じたこと

10月31日。
3.11の被害にあった家のがれき除去をしに、福島県いわき市四倉町を訪れた。
当日の朝6時30分に北千住駅に集合し、約2時間30分ほど車に乗って、朝9時過ぎには現地に到着した。

どんなことをしたか
今回お手伝いさせていただいたのは、主に解体が決まっている家の中の書籍類や、畳などを外に出すこと。
この地域で家電を捨てられるのが10月いっぱいだったので、周りの家に残っている家電類をゴミ集積場に運ぶというものだった。

到着後、水に濡れて使えなくなってしまった書籍類などをゴミの種類別にして集めた。その後、軽トラックでゴミ集積場に向かい、ゴミの種類別に置いた。
そこには家電、燃えるごみ、燃えないごみ、木材、ガラス、プラスチック、土などなど。さまざまな種類のものが集積されていた。
あり得ないくらいの量で、この地震の被害の大きさを感じた。しかし、驚くのはまだ早かった。
なんと集積所はこの地域だけで3ヶ所目。
福島県は放射能の関係でゴミの処理の仕方が難しいらしい。

集積所から帰ってきてからしたことは、家電類の収集。取り壊しが決まっている家を訪れて、コンセントのコードがついているものはすべて集めた。冷蔵庫、電子レンジ、炊飯ジャーなど。
冷蔵庫の中には、腐った卵や、ヨーグルトなど、地震当時のものが入ったままだったため、とても強烈な臭いを発していた。
捜索の結果、1つの家から4つの冷蔵庫が発掘された。きっとこの家のモノだけでなく、津波によって流されてきたものもあるのだろう。
集めた家電製品を集積場にもっていき、午前の仕事は終了。

昼ごはんは、近くにあった「やまかく」というお食事処で食べた。
たった500円で新鮮な魚のどんぶりが食べられてとても満足。
ここにボランティアに来る人はいつも「やまかく」で昼ご飯を食べにくるのを楽しみにしているらしい。そういった楽しみを見つけて、参加するのもありだなと感じた。

ご飯を食べて少し休憩したら、午後の作業に取り掛かった。
午後は、午前のゴミ集めの続きと、畳の除去を行った。
1つの家にいくつも畳があり、しかも水を含んでいるのでかなりの重量になっていた。それを軽トラックに詰め込み、また先ほどのように集積場へと運んで行った。
集積場で働いている人たちは、もともとこのような仕事をしている人たちではない。建設業などをやっているのだが、こちらの仕事にも駆り出されているらしい。
重機を扱い、ゴミをきれいにまとめていく作業は本当にすごかった。

だいたい15時まで作業をし、そこからは地元のかんぽの湯で温泉に入った。
たくさん作業をした後の温泉はくせになりそう。

その後は福島で一番津波の被害のひどかった場所に行った。
その場所は、今では普通の人は入ることができず今回は特別に入れされてもらった。
この日、一緒に作業をしていた方の親戚が住んでいた場所。
堤防が決壊し、周りには何もなかった。
ほとんどの家が流され、壊されてしまっていた。
親戚の方が経営していた工場は3階建てで、なんとその3階まで水がきたのだ。
その工場は、骨組みだけを残し、あとはすべて流されてしまった。
それほど津波の力はすごかったのだ。

説明をしてくれた方の言葉には、どこにもぶつけることができない悔しい思いがにじみ出ていた。

感じたこと
震災後7カ月たってようやく東北に訪れることができた。
そこにはテレビでは報道されていない事実も多くあった。
テレビや新聞では南相馬市や陸前高田市などが多く取り上げられ、そのほかの地域はあまり焦点は当たっていなかった。実際、私は現場に着くまではいわき市の被害については全然知らなかった。
でも、行ってみると取り壊しが決まっている家が多くあり、その中で必死に作業している現地の人がいて。
普段の生活を取り戻しつつあるけども、その中で確実に彼らの中に「震災」というものは普段の生活に取り込まれてきているのだと思った。

このような貴重な体験ができて思ったことは、日本人ならば一度は被災地にいくべきだということ。
震災当初は、素人が行っても何もできないからという流れがあった。
でも今は違う。
人手は確実に足りていない。
作業自体も難しいものは一切ない。
誰にでもできるような作業である。
そこに人間1人いるだけで、できる作業はいくらでもあるのである。

目で見ないと分からない事実もたくさんある。
だから、一度は行ってほしい。
そして、見てきてほしい。
今こそ協力し合うべきであると感じた。
いろいろな団体が被災地協力のためにツアーなどを組んでやっている。
自分が行こうと思えば行ける環境がある。

世界を変えたいと思っている人、自分の力で変えられる世界が被災地にはあります。

私は今回運よく被災地に赴くことができて、でも1日だけじゃあまり変わらないと感じた。
だから今回限りだけでなく、これを継続してやっていこうと思う。
もし、この文を読んで、「よし行ってみよう!」と思ってくれた人は声をかけてください。
ぜひ、みんなで行きましょう。

今回、福島へ行くということで事前にある本を読んでいった。「原発のウソ」という本である。
原発について知らない人は読むべき本である。
私が今ここで説明するよりも、読んでいただいたほうが分かると思う。
amazonで購入可能なので、ぜひ読んでいただきたい。

東京で学んだこと

 

10月25日から11月2日まで東京に行ってました。
今回の東京での目的は大きく分けて3つ。

1.ライターである宇都宮徹壱さんの講義
2.WoridShift Actionsへの参加
3.福島でのボランティア

それぞれ感じることが多くて、これからの自分に生かそうなことばかりを学べたのでとても良い機会だった。
上記3つの項目については、別エントリーにて書き記すので詳細については割愛。

さて、今回東京に行って学べたことといえば
人は環境に流されてしまうということと、
東京はやはりすごいということだ。

人は流されやすい

人間というのは弱い。
やるべきことがあるから時間ができたときにやろう。
と思うことがあるだろう。
だが、いざ時間ができたとき、自分を律してやれるかどうかといえば、できないことが多い。
明日もあるから今日はいいや。
と考えてしまうことが多いのではないだろうか。
少なくとも自分はそうである。

実家に戻ってきて、東京にいた時に比べればぬるい環境にいる中で、自分を律して行動できていない。
かといってそれでいいと思っているわけではなく、内心焦っている自分もいる。
でもそういった迷いや考え方は、このような環境にいるからこそ出てくるものであって、やはり、今の現状はよくないと思う。

東京の魅力

大学に行って、仲のいい子と話す機会があった。
彼女はとても意識が高くて、来年から1年休学して、海外留学ののち、海外ボランティアに参加する予定だという。
彼女とはとても話が合って、考えていることもどことなく似ていて、話していてとても楽しいし、学べることがたくさんある。
しかしながら、彼女と出会えたのも東京に住んでいたからである。
愛知にいたら出会えなかっただろう。

東京というのは、そういう場所なのである。
意識の高い人たちが自然と集まってくる場所であって、自分の高い目標に向かって進んでいる人が多いのだ。

私は、大学が東京で本当によかったと思っている。
いろいろな人に出会えたから。
それによって自分の考え方や、価値観も変わった。
いろんな人と話したいと思っている。

まとめ

何も実家が悪いなんて言っていない。
仲の良い友達にはいつだって会えるし、両親ともお姉ちゃんともおばあちゃんとも一緒に暮らせてとても幸せだ。
ただ、今の自分が求めているのは、東京だということ。
同じ日本でも考え方が変わるのだ。
このまま小さくまとまるのは嫌だし、それは自分次第だと思うが、流されやすく弱い自分としては、無理矢理にでもあの環境にいたい。
そこで感じることは自分にとってプラスな面のことがほとんどである。
より厳しい環境に自分を置くことで自分自身を保てる気がするのだ。

東京の魅力を再確認した数日間であったと思う。

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