残業すべき人と、残業すべきでない人

働き方改革で「残業するな」と言われる。
残業をせずに効率よく仕事をする方法を考えていく必要があると。
それが無理なら事業をスクラップし、業務量自体を減らす必要がある、と。

そもそも、だ。
私はそのようなロジックで残業が減るとは思えない。
それはなぜか。
今までそういったやり方しかしらないのに、いきなり残業するな、事業は削減しろ。
問題意識があるのであれば、言われる前にやっているだろう。

残業が減らない理由

じゃあなぜ、残業が減らないのか。
それは、残業代がほしいからに他ならない。
残業代ありきで家庭の予算を計上しているところは多いだろう。

かたや組合は、残業代をしっかりつけろという。
かたや当局は、残業を減らせという。

どう考えても、不毛な議論を続けているということに、本人たちは気づいていないのだろうか。

高卒給料で手取り15万そこそこだが残業時間が職場で一番少ない私から言わせれば、残業すべき人と残業しなくてもよい人の区分けをはっきりすることから始めるのが一番良いと思う。

残業すべき人、すべきでない人

残業すべき人

まず、残業すべき人は、必ずしも存在する。一番多いのは、マンパワー不足だ。特に窓口業務がある職場に多いのだが、日中は窓口対応に追われており、デスクワークができない。時間外でしかデスクワークをこなす時間がない、というパターン。こればかりは仕方ないので、日中窓口対応する職員と、デスクワークをする職員をはっきりと分けて人員を配置する。それが難しいのであれば、単純に人を増やす。人なんか増やせないよ、と思うかもしれないが増やせる。それは後述する。

残業すべきでない人

残業しなくてもよい人は「自分のエゴで仕事を増やしている」か「仕事が遅い」か「おしゃべりが多い」人たちであろう。
自分のエゴで仕事を増やしている人は、熱い思いを持って仕事に取り組んでいるであろうから、難しいところではあるが、自分から言わせれば、時間内にできないということは、全体像もつかめておらずセルフマネジメントができていない証拠なので、やる必要がない。熱い思いだけあっても仕事はうまくいかない。仕事が遅い人は、何時までやっても仕事は遅いままなので、自分に課しているノルマや目標をもっと低く設定し、定時にしっかり帰ったほうが良い。おしゃべりが多い人に関しては、黙って仕事してさっさと帰れ、だ。

人員を増やせるからくり

人員増が増やせることを記す前に、なぜ仕事が多くなるのかを考えてみよう。
それは、暇だからだ。
何を言っているのかと思うかもしれないが、人は暇だと何かして暇をつぶそうとする。この資料が見にくかったから見やすいようにしよう、この事業の目的を達成するためにはもっと他にできることがあるのではないか…。そんなことを考える。するとどうなるか。今まで抱えていた仕事プラス、暇なときに思いついてしまったしょうもないアイデアの業務もこなさなければいけなくなる。私の属している組織は、スクラップがやけに苦手だ。前年度やっていたことを検討もせず継続させようとする。それもそうすることが当たり前と思っているからだ。私からしたら、作業量が多い苦しみより、頭を使う苦しみのほうが耐えられるのだが、この組織は、頭を使うことより、作業量が多い苦しみを選ぶ。楽だし、残業すればお金がもらえるからだ。
話が少しそれたが、仕事が多くなる理由は暇だから、というのが私の意見。なので、暇である時間を減らせばいい。そのためには、残業すべき人・職場以外から、人を少しずつ削減すればいいのだ。
この人員がいなければ仕事的にはきつい、というかもしれない。だが、経験上、人がいなければいないなりにこなせるものだ。もしそれでもこなせないのであれば、そこに人を増やせばいい。クビにできない組織だからこそ、余剰人員は生まれる。そういった余剰人員を可視化できないのであれば、まず減らして様子を見る。そうすると本当のところが見えてくるはずだ。

残業代の代わりになるもの

これで残業すべき人と、残業しなくてもよい人の区分けができた。
次に問題になってくるのは、心の声である「残業代が頼り」という部分。
これに関しては簡単だ。残業代に頼るのではなく、自分で稼げばいい
ただ、そんな簡単にはお金は稼げない。おしゃべり中心で、仕事が遅くて、お金ももらえるなんて、どんな甘い根性なんだと思う。はっきり言って、私は、残業代なんかつけずに、逆に定時で帰れた人に報酬がほしいくらいだ。なあなあに残業して仕事している人と、効率を考え時間中に終わらせようと考えて仕事をしている人、どちらが優秀か。そんなの言わなくても明白だろう。

話がそれてしまった。
残業代の代わりに、自分で稼げ。
残業代は一切支給しない代わりに、自分で副業して稼ぐ分には文句は言わない、とすればよいと思う。副業するようなスキルもない、というのであれば、スキルを付ければいい。いつまでも甘えていてはだめだ。残業代の代わりに自分で稼げ、この部分は別の記事でもう少し掘り下げて書きたいと思う。副業から得られるのはお金だけではなく、スキルを学ぶことができる。そんなような話を次では書いていきたいと思う。

手が疲れてきたので、とりあえずこの記事はこんなところで。

…まあ、こんなことを書いたところで期待できないが。
決定権のある人間が、スキルもない、自分で稼ぐことのできない、人間ばかりだから。

自分が公務員を志した理由と、その次。

自分がなぜ公務員になろうと思ったのか、忘れてしまう前に文章にして残しておこうと思う。その前に、振り返りもかねて、自分がどういう経緯で今に至るのかを簡単に記しておきます。

公務員になる前

社会のレールから外れる

日本では、大学を卒業してそのまま就職というのが本来の流れだと思いますが、私はそうではありませんでした。
大学4年時に留年、休学をしました。大手テレビ制作会社に内定をもらっていましたが辞退し、1年間ふらふらしていた時代がありました。そこでの経験や出会いで、サッカージャーナリストや大手IT系会社で契約社員として働き始めます。大学は復学したものの、結局行かずに退学、学歴上は「高卒」になります。(これが結構でかい、普通に就職すると。)

平日はメディアの運営に関わる仕事をしながら、休日は大学サッカーやJリーグの取材などを行う生活が1年ほど続きました。が、自分の書いた記事が、ヤフーのトップページ(通称・ヤフトピ)に掲載され、なぜだか達成感を得てしまい、無気力のまま愛知に戻ることになります。実際、東京に6年ほどお世話になりましたが、人の多さと、意識の高さと、孤独感と…、いろんなことが重なり好きにはなれませんでした。ちなみに、たまに行く分には好きです。気分が高揚します。

大ナゴヤ大学での出会い

愛知に戻ってからは、ガソリンスタンドや、某喫茶店でのアルバイトを経て、大ナゴヤ大学に緊急雇用という形でジョインすることになります。名古屋のまちづくりを推進するNPOで、自分が関わったのは、名古屋の文化継承に取り組むプロジェクトでした。「やっとかめ文化祭」という催しを名古屋市は行っておりますが、その前身となる「NAMO.」というプロジェクトです。そこでは、あらゆる方々と協働して進めていったのですが、自分の中で一番心に残っている出会いが、名古屋市役所の担当職員の方でした。
市役所の職員というと、自分の中では単純な事務作業を黙々とこなす人たち、というイメージでした。ですがこの方は、積極的にまちに飛び出して、名古屋の文化や歴史について自分から情報をとりにいったり、大ナゴヤ大学がよいと考える方法を進めていけるように必死に頑張っておられました。
この出会いで、自分の中で「公務員になる」という考え方がより現実的になったのを覚えています。

豊橋市役所受験から内定まで

豊橋市役所は推薦と一般とあり、推薦だと民間企業のように筆記試験はありません。就職活動を民間企業に絞っている優秀な人材にも裾野を広げているということだと思います。ただ、自分が市役所を受験しようと思った頃にはすでに一般しか受け付けていなかったため、一般で受けることになりました。
豊橋市役所の一般の採用試験は【面接⇒筆記試験⇒面接・グループワーク⇒最終面接】という流れです。筆記試験の勉強をする時間はなかったため、ひとまず面接に行きました。で、そこで運よくほぼほぼ内定をいただき、ただ、「筆記試験の勉強はするように」ということだったので、試験前日に仕事を休ませてもらい1日かけて対策問題集を解いた覚えがあります。その後、問題なく面接へと進み、内定をいただくことになります。

いろいろと下調べをしていると、「まちなか活性課」という課だけは良い意味で市役所っぽくない部署だと知りました。イベント企画や新しくできる図書館の計画、再開発など、まちなかの活性化に寄与することなら何でもするという、すごい部署。今までの経験を唯一生かせるのはここしかないということで、面接でもここだけを希望し、話す内容もまちなかの活性化に関することばかり話していました。
「まちなか活性課以外だったらどうするんだ?」と、当時の人事課長に言われたりもしました。(当時は何も考えていませんでしたが、今になって苦労するとは…。)
後から知った話で、新卒(でもないけど、市役所ではそういう扱いでした)でいきなりまちなか活性課に配属されるのは異例のことだったそうです。ただ、自分にとってはそんなことはどうでもよく、新しい環境での生活にワクワクしていたのを思い出します。

豊橋市の職員として

まちなか活性課・まちなか図書館整備推進室

最初は慣れないことばかりで、役所特有の(三浦が一番苦手とする)書類作成などから教わりました。ただ、自分の良さを生かせるように周りの皆さんがいろいろと考えてくれて、モチベーションを下げないように(たぶん)、新しい取り組みを提案してもよいね!と言ってくださり、本当に自由にやらせてもらいました。
仕事は内容より環境だとよく言いますが、本当にそのとおりだと思います。もちろん、ここでの仕事内容は自分のやりたいことだったし、前向きに取り組めていたと思います。2年目の途中に、まちなか図書館整備推進室に異動になってからも、いろいろ悩むことはありましたが、今振り返ってみると前向きな良い悩みであったように感じます。

タウンデザイナー

パラレルキャリア…とまでは言えないですが、本業と並行して行っていたのが「デザイン」に関することでした。もちろんデザインに関してはど素人でしたが、職員採用ポスターの制作に関わったことで、タウンデザイナーを名乗り始めます。思いとしては、せっかくよい内容のイベントなどでも、市の広報物がダサすぎて、届いてほしいところに届かないのでは、と疑問に思い始めたからです。この活動の中で一番の成果は、豊橋市制110周年のロゴを作成したこと。110周年に関するイベントなどではよく使っていただきました。

長寿介護課

大きく動いたのが、長寿介護課への異動でした。
自分の性格上、長く同じところに居続けられないことと、前述した当時の悩みも相まって、まちなか図書館整備推進室から異動希望を提出します。ほかにも異動希望を出す要因があったのですが、話がずれてしまうのでここでは割愛させていただきます。

4年目にして初めての本庁。異動は「産業部⇒都市計画部」、「まちなか活性課⇒まちなか図書館整備推進室」についで3回目となりますが、環境の変化はなかったため、ほぼ初めての異動となります。

長寿介護課という名前とは裏腹に、自分の業務としては「元気な高齢者を応援する」のが主でした。企画寄りのグループに配属されたので、1年目は楽しみながら取り組むことができました。得意分野であるデザインを生かしたポスターなどを制作するなど、自由にやれる部分はやらせていただきました。

が、徐々に気づき始めます。
まちなか時代とやっていることは同じように見えるけど、同じではないということに。というのも、やはりここでの業務は「応援」というところ。縁の下の力持ち状態なわけです。
基本的には、市の職員は縁の下の力持ちでよいと思います。個人は消して、市のために働く、それでいいと思います。しかしながら、まちなか活性課のころは、そのバランスがとてもよかったように感じました。個が立ちすぎることもなく、ただ、自分の企画やイベントに人が参加してくれて、成果が目に見えてわかった。しかし今は、縁の下の力持ちというより、悪い言い方をしてしまえば、「雑用」のような感覚。何度も「自分じゃなくてもよいのでは」と思い始めます。

自分が目指した公務員像

入庁前

そもそも、自分が市の職員として働こうと思ったのはなぜなのか。
入庁する前の思いは単純。
「まちを変えるために大きな仕事をできる。その最前線が市役所(職員)」と考えていたため。大ナゴヤ大学での経験を通じて、『まちが変わる』感覚にハマりました。自分が作ったコンテンツ(音歩き)や、みんなで協力して作り上げたイベントがきっかけで人が集まったり、会話が生まれたり、まち全体が元気づいたり。こんな楽しいことを仕事にできたらどれだけ幸せか。そして、自分の描いた名古屋が徐々に実現していくことを楽しそうな表情で見つめる名古屋市の職員。こういった大きい変化は、民間や個人だけでやっていても時間がかかる。やはり市という大きい組織だからこそ、大きな渦になっていくんだと感じたことを覚えています。
自分のその渦を巻き起こす人になりたいと感じました。だから、市の職員になりたいと思ったのです。

入庁後

当初持っていた気持ちに少しずつ変化がありました。
今までの環境が恵まれすぎていたこともあってか、いろいろなところに目がつくようになりました。一番最初に思ったのが市の広報、PRの不十分さ。内容は面白くてもPRの部分があまりにも弱い(力を入れていない)ので、効果が出づらいということに気づきました。真っ先に取り掛かったのは「デザイン」。上述したとおり、採用ポスターの制作をきっかけにデザインに力を入れていきました。

気づいたこと、ふたつめ。
思っていたほどの力は市にはなく、まちを変えよう!良くしよう!という志を持った職員は数える程度。自分の思いを実現するのにはまだ時間がかかると感じ、まずは環境づくりをしようと、市の職員の意識変革を考えながら活動しました。1年目職員と一緒に採用ポスターを制作するワークショップや、職員の意識改革研修では、10%ルールの提唱を行ったりしました。ただ、自分の力不足もあってか、目に見えた変化は多くは起こりませんでした。

入庁して5年目。
そもそも、まちを変えたい!良くしたいから、市の職員の意識を変えていくと考えていたのに、自分の中のウェイトが、当初持っていた「まちを変えたい」という思いから「市の組織を変えたい」とシフトしていました。
変化のない日々に勝手に絶望して、やる気をなくしていることに気づいたのです。

果たして自分が力を入れるのはこんなことでいいのかと自問自答します。

次へのステップ

もともと、飽きやすく一つの場所に居続けるのが苦手なタイプではありましたが、また変化が必要な時期がやってきたのかもしれません。
変化といっても、環境なのか、意識なのか、考え方なのか、まだ分かりませんが、このままではいけないという思いは持っています。

なぜ今この環境にいるのか。
まちを変えたいという思いで入庁したあのころは、よどみなく真っ直ぐな気持ちで向き合えていましたが、今は良くも悪くもそうは思えない。

自分がやりたいことがまちづくりなのか、まちづくりにつながるその他のことなのか、社会が大きく変わる場面に立ち会いたいのか、はたまた、お金儲けなのか。
まだ自分の中で答えは出ていませんが、今の気持ちを忘れないためにも書き記しました。

次の記事に書こうと思っていることですが、公務員こそパラレルキャリアを推進していくべきだと自分は思っています。簡単に辞めてドロップアウトするのではなく、今の仕事を続けつつも、副業ではなく≪複業≫という形にチャレンジしたい気持ちもあります。内部の人間は気づいていないかもしれませんが、近い将来、そういった流れは確実にやってきますから。

自分がどういった道に進むべきなのか、今一度自分と向き合っていこうと考えています。

イケてる公務員通信vol.10 福野博昭 「オフィスキャンプ東吉野」

どうも。
イケてる公務員通信の時間です。

今までのイケてる公務員通信は以下のとおりです。

今回取り上げるのは、奈良県庁 移住・交流推進室室長の福野博昭さんです。
紹介するプロジェクトは「オフィスキャンプ東吉野」です。

オフィスキャンプ東吉野は、昨年3月より始まりました。
デザイナーや、アルチザン(職人)、作家など、何かをつくる人が、ちいさく試せる拠点。
そのはじまりは、大阪でデザイナーをしていた坂本大祐さんが、東吉野に引っ越してきたのがきっかけでした。
東吉野に引っ越してきたから、自宅のアトリエを訪問者の集まれる場として開放していたのですが、「(これまで以上に)誰でも来ていいよ、といえる場所」がほしいと感じ、解体寸前だった建物に目を付けました。

そんな動きの中で出会ったのが、福野博昭さんでした。
坂本さんらと東吉野の未来について話をしていく中で、この構想を実現させるために奈良県庁から東吉野の村役場へ話を持ちかける等、ものすごいスピードで動いていったそうです。

「今から3年前、まだ村の移住者は坂本さん1人だけでね。ちょうど、もう一人デザイナーの菅野大門くんも移住することが決まったタイミングで、デザイナーが2人も村にいるなんて、これはえらいことになったぞと。もっと増えて10人くらいになったら、東吉野村が『デザイナーズ・ヴィレッジ』になってかっこええな!と話したら、坂本くんがデザイナーだけじゃなく、いろいろなクリエイターが集まったらおもしろいんじゃないかと言うんで、それはいい!と。すぐに企画書を書いてくれとお願いしました。これから東吉野がなりたい姿はそこやなと思ってね」(福野さん)

福野さんは、高すぎるアンテナを駆使し情報を収集、またそれを自分事にし、そのアウトプットがとてつもなく優れているのです。
どこかの真似でもなく、オリジナリティを大切にし、「おもろいやん!」の一言で、実現させてしまう剛腕ぶりは、坂本さん始め、周りの方々が信頼しているひとつの要因かもしれません。
福野さんの下で働いている職員が羨ましくなりました。

オフィスキャンプ東吉野の他にも、「奈良 食べる通信」や、「Local Life journal」、「つながる奈良『奥大和・おくやまと』」、「美しき日本 奈良」等、様々なプロジェクトの仕掛け人として、日々奔走しています。

「おっきいことやろうとすると、失敗すんねん。
小さいことから地道にやれば、それが積もって、おっきいことにつながんねん」。

なんだか、よく聞く言葉かもしれません。
ですが、実際にやっている人が言うと説得力も違います。
この言葉を聞いて、自分も小さな一歩を大切にし、継続して行っていこうと改めて気付かされました。

では今日はこんなところで。

イケてる公務員通信vol.9 吉田祐治 「やっとかめ文化祭」

どうも。
イケてる公務員通信の時間です。

今までのイケてる公務員通信は以下のとおりです。

さて、今回取り上げるのは、名古屋市役所の吉田祐治さんです。
愛知県内では初のイケてる公務員です。
紹介するのは「やっとかめ文化祭」。

やっとかめ文化祭は、まちじゅうを舞台にした都市文化の祭典で、
名古屋のまちで辻狂言のストリートライブを開催したり、参加型で学べる寺子屋や、歴史まち歩きなど、150以上のプロジェクトがあります。
日本の文化や、名古屋の魅力を様々な方法で発信していくイベントです。

さて、担当されている吉田さん。
実は私、前職で吉田さんと一緒にお仕事をしていました。

若い人たちには敬遠されがちな「歴史文化」というジャンルを、どうしたら受け入れてもらえるのか、楽しんでもらえるのかを本気で考えて行動していたのが印象的でした。
「名古屋にあるものを活かし、人々をひきつけるような街にしたい」という熱い思いを持っている方です。
そんな吉田さんが、やっとかめ文化祭について話しているインタビュー記事がありましたので、下記リンクからどうぞ。

今回取り上げたやっとかめ文化祭を参考に、まちの埋もれている魅力を再発見し、今までとは異なる方法で発信していくことも念頭に入れておくと、今までにない新しい層に届いて化学反応起きちゃうんじゃないかなと思っています。

では今日はこんなところで。

イケてる公務員通信vol.8 林拓磨 「リノベーションスクール」

どうも。
イケてる公務員通信の時間です。

今までのイケてる公務員通信は以下のとおりです。

今回取り上げるのは、鳥取県庁の林拓磨さんです。
市町村を抜け出して、今回は県庁の職員を取り上げてみます。
彼の活動は「リノベーションスクール」です。

リノベーションスクールとは、
「不動産の再生を通じてまちでの新しいビジネスを生み出し、エリアを再生する実践の場」。
実際にある遊休不動産を利用し、事業提案までを4日間で行うというもの。
最終日には、不動産オーナーにプレゼンを行い、
事業化に向けて動き出していくというプログラムです。

詳しくは、下記リンクをご覧ください。

遊休不動産をどのように利活用していくべきか、
あらゆる地方自治体が創意工夫しています。

リノベーションスクールもそのひとつの方法で、
使いたい空間を提案し、事業化していくというもので、
その手法が注目され、北九州から始まった動きは、今や全国に広がっています。
豊橋市に近いところだと、浜松市が7月に行っていますね。

で、今回のイケ公である、林さん。
彼は、地元の建設会社に勤めていたんだそう。
家族の勧めにより、県庁で技師として勤めるようになったのですが、
とある出会いから「リノベーションスクール」を鳥取で開催したい、
と思うようになりました。

しかしながら、彼は県庁の職員。
実際にまちづくりを行っていくのは住民に近い市町村だ、
という考え方があり、なかなかうまくいきません。

彼はどのようにしてリノベーションスクールを鳥取で開催したのでしょうか。
…続きは下記リンクにて。

林さんのこのインタビュー記事を読んで、
リノベーションスクール云々ではなく、
誘致するまでの行動力だったり、決断力だったり、忍耐力だったり…。
その過程が素晴らしいなと感じました。

林さん本人はインタビューで
「その時々に与えられた仕事や自分に与えられた役目だなと思ったことを
全うしていきたい」と話しています。

今の仕事にこだわり過ぎず、
とはいっても「こんなもんでいいか」じゃなく、
与えられた仕事に対して徹底的に追及する姿勢に
とても感銘を受けました。

それでは今日はこんなところで。

笑顔と混沌 ー 自分で歩いて、自分で見たもの ー(SNUFKIN イスラエル編)

 イスラエル。真っ先に思い浮かぶのはどんなことだろうか。3つの宗教の聖地が点在するエルサレムは、聖地巡礼のために多くの人が訪れる。厳しい入国審査は、そこに辿り着くまでの最初の試練のようにも感じる。日本では、パレスチナ問題、自爆テロなど、物騒な話題ばかりが紙面やテレビ画面を賑わしている。

「よく知らないけど、なんか危なそう。」

 これが正直なイメージだろう。私もそうだった。実際に訪れるまではーー。

 ダマスカス門からエルサレム旧市街に入ると、きらびやかな外観のお店がいくつも並んでいる。この市場に来ればなんでも揃うと言っていいほど、品揃えも豊富である。裏路地は、入り組んでいてかなり複雑だ。当てもなく、ただ歩くだけでも面白い。そこで出会った子供たちのかわいい笑顔も印象的だった。隙を見せれば石をぶつけられるが、それもご愛嬌。私は背を見せた瞬間に当て逃げされてしまった。かわいいからといって、エルサレムの子供を侮ってはいけない。

 そこから歩いて数分のところにある新市街は、小綺麗な建築物が立ち並び、本当に同じ国なのか疑ってしまうほど都会的な空間だ。滞在中に何度も行ったパスタ屋があるのだが、そこの店員は日本人だと気づくと笑顔で近寄ってきて、「私、日本に留学したいの」と言ってくれた。店を出るときには、「アリガトウゴザイマシタ」と覚えたての日本語を披露してくれた。

 たくさんの都市を訪れたが、最も印象に残っているのはパレスチナ自治区だ。その都市であるベツレヘムには、エルサレム旧市街のバスターミナルから行く事ができる。バスに乗車し、少し走ると検問所のようなところにたどり着く。すると乗客たちはおもむろに紙を取り出す。少しして、銃を肩に背負ったイスラエル兵が乗り込んできた。前の席から順番に、長い時間をかけて乗客たちの手元のそれを眺める。通行許可証ーー。
イスラエル政府が許可を出したパレスチナ人以外は、自由にイスラエル には行き来できないのだ。

 分離の壁の存在が、彼らの生活に大きく関わっている。現地に住んでいる日本人の方は「この壁ができてからテロが少なくなったからよかったよ、不便だけどもね。」と言っていた。アパルトヘイト・ウォールと呼ばれるこの壁にはさまざまな絵が描かれている。その中には、英語、ヘブライ語、アラビア語の3つの言語で「平和」を意味する言葉が描かれたものもあった。その時、この国が抱えている問題の大きさを少し感じた。

 旅を通じて、この国の本当の姿を垣間見ることができた。分離の壁を目の前にして、また、常に銃を持ち歩いているイスラエル兵の姿を見て、ここは争いの真っ只中だと認識させられた。その一方で、笑顔で話しかけてくれる人や、理不尽な金額をふっかけてくる商人は、私を和ませた。この国の一部しか見ていないから、偉そうなことはまだ言えない。だが、旅中に書き綴っていたノートを読み返し、何ものにも代えがたい経験ができたと感じた。そう思えるのも、自分の足で歩いて、自分の目で見ることができたからだと確信している。

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インタビューされました!…4年目の研修にて。

先日、東京の書店巡りをしている際に、とある知り合いの4年目の職員から電話がありました。
(東京の書店巡りのレビューは、またブログにてアップします。)

研修で「組織におけるキーマンとダイアログしてください」という題目があったそう。
そこで、私と対話したいと伝えられました。

人と話すのは大好きなので二つ返事で、いいですよと伝えました。
が、自分まだ2年目なので、4年目の方に何を話そうかなあと思いつつ、…当日になりました。

ダイアログの内容としては、ざっくりとこんな感じ。
長くなるので、ページ内リンクとばしておきます。
気になったところを押して読んでいただいても結構です。

採用の面接のときを思い出してしまうような内容もあり、
いろんなことを振り返りながら楽しくお話しできました。

無意識に行っていたことも、人に話していると
「あー、こんなこと考えていたのか、自分」と
気づきがあったので、とても有意義な時間になりました。

なので、ブログにも書き残しておこうかなと思います。

なぜ豊橋市なの?

By: BuzzFarmers

大ナゴヤ大学で働いている時、
市の担当者の方がとてもいい表情で仕事をしていて、
まちづくりに関わっていくのならば「公務員」になることが
一番の近道かなと思ったのがきっかけです。

豊橋は、高校時代を過ごした場でもあり、
なおかつ、東三河では大きな街なので
感覚的に「何か大きな仕事ができそう」というふんわりとした理由。

公務員になった理由

By: Kevin Dooley

まちづくりを仕事にしたかったから。
まちづくりに関わっていくならば公務員、と先述しましたが、
これにもいくつか考えがありまして。

例えば民間の方が「○○をやりたい!」と言っても、
それを受け入れる側である自治体に理解がなければ、
円滑には進んでいきません。

もちろん、民間だけでまちづくりを行うことは可能なのですが、
かなりの労力をかけない限り、横には広がっていきません。
(色々なつながりを持っている人は別ですが。)

面白い街にするためには、その街の職員が面白くなければいけない。
魅力的な街にするためには、その街の職員が魅力的でなければならない。

なので、まちを盛り上げるために、
面白いこと、魅力的なことに興味のある自治体の職員を増やしたいと考えるようになりました。
そのためにはまず、自分が職員になるのが早かったのです。

課を飛び出して行っている活動

By: ClickFlashPhotos / Nicki Varkevisser

相手方に一番評価していただいた部分としては、
人事課のポスター制作をはじめとした、自分の課だけに捉われない部分での活動でした。

【豊橋市役所の採用ポスター、担当しました。】
つくりました、採用ポスター。
昨日、報道発表を済ませ、
順々に県内大学中心に送付されるそうです。

吉開 仁紀にポスターつくろうぜ、と声をかけてもらい、
人事課の方々にも了承をいただきました。

Posted by 三浦 有喜 on 2015年4月29日

なぜ、自分の仕事の範囲外の部分にも関わっていくのか
と聞かれたのですが、それも先程書いた通り、
「面白い職員を増やすため」に他なりません。

職員が面白くなれば、まちで活動する人が増え、
そうすると自ずとまちが面白くなる。

これは自分の持論です。

ですが、これだけでは足りないと思っています。
なので、自分は休みの日も基本的にはまちなかで活動するようにしています。
自分もプレイヤーとして「まちであそぶ」ことを実践しつつ、
庁内にも「面白い」を伝染させるよう心がけています。

仕事とプライベートの境があまりありません。
趣味が仕事になったような感じですね。

仕事をする上で意識していること

By: Take Back Your Health Conference

自分は元々、まちづくりだけに興味がある人間ではありませんでした。
というよりも、国際情勢をサッカーで紐解くジャーナリストになりたいと
強く思っていました(今でもその気持ちはあります)。

そのために、サッカーライターやウェブメディアの運営などの仕事をしていました。
環境を変えるたびに、自分にスキルがないと生きていけない
(逆に言えば、スキルがあると、生きていける)と感じました。

そういった背景があることも影響してか、公務員になった今も
「いつでもやめられるように」準備しています。
これは後ろ向きな発言ではなく、前向きな発言と捉えてください。

というのも「いつでもやめられるように」意識していると、
自分の今の環境に満足することなく、成長していくことができます。
特に、公務員は異動が頻繁にあります。
今の環境下では仕事をこなせていたとしても、
異動になった時に果たしてそのスキルがそのまま活かせるのか、という話になってきます。
もちろん基本的な事務等は変わりなく活かしていけますが、
そうは言っても、仕事内容がガラリと変わった際、
自分のスキルをどう生かすか、ということまで考えていく必要があります。

自分が持っているスキルを増やすことは、良いことしかありません。

具体的にいえば、
サッカーライターの頃に、ライティング、文章編集のスキルを学びました。
大ナゴヤ大学の頃に、まちづくりに関する基礎的な知識、音楽編集を学びました。
今は、デザイン、動画編集、写真のスキルを学んでいます。

すべてが繋がっていないように思えますが、
サッカーライターの頃に学んだ取材スキルが
まち歩きの音源データの作成に活かされました。
(「音歩き」という音源データです。こちらから聴くことができます。)

このように、スキルをつけておくと、思わぬところで活かすことができます。
なので、「いつでもやめられるように」スキルをつけておくのです。

今、どんなことがしたい?

By: Pedro Ribeiro Simões

さて、最後の項です。
どんなことがしたい?
……したいことは(どちらかといえば)ありません。

何かしたいと思っている人たちに対して、支援をしていきたいです。
いかにも行政っぽい発言ですが、それがやりたくて今の自分がいると思うので。

まあ、なにもないとは言ったものの、
豊橋にない刺激を与えられるような場を作り出せたらいいなとは思います。
刺激を受けたことで何か変わるなんてことは自分が経験しているので、
そういう場があればもっと街は面白くなるんじゃないかなって。

いい風景を、眺めていたいと自分は思います。
その中心が自分じゃなくてもいい。

「お、すごいなあ。」
って思われることに、少しでも関われていたらいいなぁなんて思いながら働いています。

いつでもやめられる準備をして自分のスキルをあげつつ(やめる予定は全くないですが笑)、
何かそのスキルが生かせるように、日々を過ごしています。

結び

By: jayneandd

なんだかまとまらなくなってきました。
言いたいこととしては、

  • まちが面白くなるためには、市の職員がまず面白くなること
  • 面白い職員を増やすのが自分の宿命
  • いつでもやめられるよう、日々スキルアップする


こんなことを、フワーッと思いながら日々働いてます。
少しでもためになったならいいなぁなんて思いつつ、今日はこんなところで。

イケてる公務員通信vol.7 新山直広 「TSUGI」

どうも。
イケてる公務員通信の時間です。
vol.7まで来ました。

今までのイケてる公務員通信は以下のとおりです。

さて、今回は、鯖江市役所の新山直広さんです。
新山さんは「TSUGI」という合同会社の代表社員さん。
TSUGIのディレクターです。

TSUGIについては、下記リンクをご覧ください。

TSUGI(ツギ)はこの地に魅せられ移住したデザイナー・職人など6名で構成されるクリエイティブカンパニーです。

TSUGIのネーミングは「‘次’の世代が地場のものづくりや文化を‘継ぎ’、
新たなアイデアを‘注ぐ’ことでモノ・コト・ヒトを‘接ぐ’」という意味が込められており、
未来の産地を醸成する様々なプロジェクトの運営をはじめ、
地域やメーカーと寄り添いながらデザイン提案から販路開拓までを一貫して行っています。

厳密に言うと、
前回取り上げた、角勝さんと同じように、今は市の職員ではありません。
ですが、市の職員時代には、
昼間は鯖江市の広報課として、ポスターデザイン・制作やウェブサイトの運営などを行い、
それ以外の時間は福井の「ものづくり」の発信する「TSUGI」での活動と、二足のわらじを履いていました。

2015年4月からは「TSUGI」に専念しています。

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By: TSUGI / ツギ | 福井県鯖江市を拠点に活動するものづくり+デザインユニット

「TSUGI」のメンバーは、元々は「河和田アートキャンプ」の参加者たち。
出身は鯖江ではないのですが、鯖江でものづくりを発信したいと感じ移り住んだそう。

Sur(サー)という新しいブランドを立ち上げるなど、
精力的に活動している様子が見受けられます。

コロカルに、記事があったので
こちらも御覧ください。

「TSUGI」に関しては以上のリンクでよく分かるかと思います。

私は、以前、新山さんにお会いした時に
「行政こそデザインが大切」と話していたのを覚えています。

どのように発信していくのか。
そのひとつのツールとして「デザイン」は重要だと改めて感じました。

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By: TSUGI / ツギ | 福井県鯖江市を拠点に活動するものづくり+デザインユニット

2015年1月号の「TURNS」にて、
TSUGIが紹介されています!

また、ツールを増やすという意味でも、
自分が使えるスキルを増やしていきたいと感じた次第でございます。

では今日はこんなところで。

イケてる公務員通信vol.6 角勝 「大阪イノベーションハブ」

どうも。
イケてる公務員通信の時間です。

今までのイケてる公務員通信は以下のとおりです。

さて、今回は、大阪市役所の角 勝(すみ まさる)さんです。
角さんの関わっていた事業は「大阪イノベーションハブ」。

大阪イノベーションハブって何?という方は下記リンクからどうぞ。

大阪イノベーションハブは、世界市場に挑戦する起業家や技術者が集まるビジネス創出支援拠点です。「大阪から世界へ」をテーマに、ビジネスのスケールアップにつながるプログラム(年間約200回)を展開しています。そして、多様な人や企業、アイデアの交流を通して、コミュニティの形成やビジネスプランの事業化をサポート。「起業家を生み、育て、成功者にし、成功者が次の成功者を生む、関西における循環システム(イノベーションエコシステム)」の構築を推進しています。

さて、今回取り上げる角さん。
大学院に進学しようと思ったもののそれを諦め、
半ば受動的に、平成7年に大阪市役所に入庁。
最初は、もやもやとした日々を送っていたのですが、
自分の子どもが生まれたときに
「自分が生まれた時よりも世の中を良くし、
次世代の子どもに託して死んでいくこと」
が自分の生きる意味だと感じたそうです。

By: Vladimir Pustovit

そんなとき、イノベーション創出支援を担当することになり、
「大阪イノベーションハブ」という施設の立上げ・運営に関わりました。
ハードだけをつくっても、利用する人がいないと意味がないということで、
自らIT系のイベントなどに通ってユーザーとなりそうな方々と直接お会いし、
大阪イノベーションハブの告知と集客に努めたそう。

……続きは、下記リンクから読んでみてください。
キーワードは「世の中を良くすること」、「ハッカソン」です。

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By: あしたのコミュニティーラボ

記事のタイトルでもある通り、
今年の3月31日に大阪市を退職したので、今は公務員ではないのですが、
その後、会社を立ち上げ、
大阪市だけでなく、世の中全体が
「自分が生まれた時よりも少しでも良くなるように」という思いを胸に、
活動しています。

退職エントリがアップされています。

公務員から起業という、
かなりぶっ飛んでいる角さんですが、
角さんのように起業まではしなくても、
「自分がもし公務員じゃなくなったら何が残るのか」ということを
意識しながら活動すると「世の中が少しでも良くなる」かもしれません。

ちなみに僕は、いつか仕事で活かせるように
デザイン、ウェブ制作、動画編集、写真、ライティング等を勉強中です。

“あなたの強みは、なんですか?”

では今日はこの辺で。

ちなみに、角さんは
「パッカソン2015」の審査員を務めていました。

パッカソンとは
IT、デジタルで日本のスポーツ界を盛り上げるために開催された、
国内スポーツ界初のハッカソン。
プロ野球・パ・リーグのプレーシーン映像を検索できる革新的なAPI、
「パ・リーグ 富士通イノベーション API」を使い、
自由な発想で新しい野球の楽しみ方をつくる取り組み。