イスラエル。真っ先に思い浮かぶのはどんなことだろうか。3つの宗教の聖地が点在するエルサレムは、聖地巡礼のために多くの人が訪れる。厳しい入国審査は、そこに辿り着くまでの最初の試練のようにも感じる。日本では、パレスチナ問題、自爆テロなど、物騒な話題ばかりが紙面やテレビ画面を賑わしている。
「よく知らないけど、なんか危なそう。」
これが正直なイメージだろう。私もそうだった。実際に訪れるまではーー。
ダマスカス門からエルサレム旧市街に入ると、きらびやかな外観のお店がいくつも並んでいる。この市場に来ればなんでも揃うと言っていいほど、品揃えも豊富である。裏路地は、入り組んでいてかなり複雑だ。当てもなく、ただ歩くだけでも面白い。そこで出会った子供たちのかわいい笑顔も印象的だった。隙を見せれば石をぶつけられるが、それもご愛嬌。私は背を見せた瞬間に当て逃げされてしまった。かわいいからといって、エルサレムの子供を侮ってはいけない。
そこから歩いて数分のところにある新市街は、小綺麗な建築物が立ち並び、本当に同じ国なのか疑ってしまうほど都会的な空間だ。滞在中に何度も行ったパスタ屋があるのだが、そこの店員は日本人だと気づくと笑顔で近寄ってきて、「私、日本に留学したいの」と言ってくれた。店を出るときには、「アリガトウゴザイマシタ」と覚えたての日本語を披露してくれた。
たくさんの都市を訪れたが、最も印象に残っているのはパレスチナ自治区だ。その都市であるベツレヘムには、エルサレム旧市街のバスターミナルから行く事ができる。バスに乗車し、少し走ると検問所のようなところにたどり着く。すると乗客たちはおもむろに紙を取り出す。少しして、銃を肩に背負ったイスラエル兵が乗り込んできた。前の席から順番に、長い時間をかけて乗客たちの手元のそれを眺める。通行許可証ーー。
イスラエル政府が許可を出したパレスチナ人以外は、自由にイスラエル には行き来できないのだ。
分離の壁の存在が、彼らの生活に大きく関わっている。現地に住んでいる日本人の方は「この壁ができてからテロが少なくなったからよかったよ、不便だけどもね。」と言っていた。アパルトヘイト・ウォールと呼ばれるこの壁にはさまざまな絵が描かれている。その中には、英語、ヘブライ語、アラビア語の3つの言語で「平和」を意味する言葉が描かれたものもあった。その時、この国が抱えている問題の大きさを少し感じた。
旅を通じて、この国の本当の姿を垣間見ることができた。分離の壁を目の前にして、また、常に銃を持ち歩いているイスラエル兵の姿を見て、ここは争いの真っ只中だと認識させられた。その一方で、笑顔で話しかけてくれる人や、理不尽な金額をふっかけてくる商人は、私を和ませた。この国の一部しか見ていないから、偉そうなことはまだ言えない。だが、旅中に書き綴っていたノートを読み返し、何ものにも代えがたい経験ができたと感じた。そう思えるのも、自分の足で歩いて、自分の目で見ることができたからだと確信している。