旅の振り返りと、これから

 
 

旅の最終日の夜、いろんなことが頭を廻った。
2011年はじめに決意したこと、今回の旅に至るまでの経緯、実際に旅に出て肌で感じたこと、そしてこれから。

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2011年2月、休学を決意した。
頑張れば卒業できて、なおかつ就職先も決まった中でそれを投げ捨てて休学した。

「まだ大人になりたくなかったから」
甘い考えとは分かっていたけど、自分の決断を変えることはなかった。

頭の中にはやりたいことがあった。
1つ。
世界一周。
理由は単純、自慢できるから。

自慢できるという意味不明な理由だったけど
いろいろ調べていくうちに自分の知らないことが世界にはあると感じた。
自分の常識が他人の常識ではない。
自分の見たことのない世界を見ることは、当時の自分にとってはとても魅力的だった。

実際、それまで閉鎖的な環境に居座っていたこともあり、社会のことなんて考えたこともなかった。
知らないことがあるという事実にさえ、気付けていなかった。
なのに、社会人になろうとしている自分がいた。

社会人になってからの自分が思い描けないまま、あやふやなまま社会に出ていいのか。

就職活動もそこまで真剣にやらず、だいたいこんなことしたいなという思いだけでテレビ制作会社を選んだ。
「表現者になること」
これは昔からの自分のテーマで、それにあっているだろうという理由でテレビ作れたら面白そうじゃん?と。
それもそれで楽しいとは思った。

でも社会的に未熟すぎる自分が作るテレビに、誰が興味を示してくれるかなと。

良い表現者になるためには、自分自身が魅力的な人物にならなきゃならないと感じた。
そこで自分を振り返ったところ、そんな自分になれてるか?と自問自答した。
答えは、NOであった。

魅力的な自分になるために、世界一周をしようと思った。

バイトをして、お金を貯めて、順調に世界一周の準備は進んでいた。
そんなとき、イスラエル行きを決めた。

世界一周ではイスラエルはいけないと思っていた。
物価も高いし、なんせ少し怖いし。
自爆テロとか普通だからね。

でもイスラエルには死ぬまでに一度は行きたいと思っていた。
大学の授業でパレスチナ問題について触れた時、こんなことがあるんだと知った。
もともとパレスチナ人が住んでいた場所を、WW2後、ユダヤ人のための国が作られた。
そしてユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺。
ナチスによって虐殺されたユダヤ人が、だ。

閉鎖的な生活の中で、少しだけ外の世界を見た瞬間だった。

世界一周いきたいけど、それ以上にイスラエル行きてえ…と。
最悪、お金なくなって世界一周できなくてもいいや、とさえ思って旅立った。

イスラエル。
自分がイメージした場所とは全く違った。
自爆テロ?3週間いたけど1度だけだったよ(それでも異常だけど)。
パレスチナ人とユダヤ人仲悪そうだな…?いや、普通に共存してたよ(全て見たわけじゃないけども)。

まあ、言いたいこととしては、冒頭にも言ったように
知らないことへの恐怖、ですよね。
イメージだけで作り上げられたイスラエルと
自分の目で見てきたイスラエルでは、全然違った。

そして、3週間いたけども、時間足りないよと。
たった2ヶ国だったけど全て見れた?って聞かれたらまだまだ。
イスラエルについてもっと知りたいと思った。
現地の人にも話聞きたいし(そのためにはアラビア語とヘブライ語話せたら超便利だな)、もっと長くいたいと思った。

当初の予定では3ヵ月ほどで世界一周行こうと思っていた。
3ヵ月って自分の中では結構長期的で、そんだけいけば大丈夫っしょ?って。
でも、きっとこれ、俺の目的からしたら合ってないじゃん?って感じた。
自慢するってだけならできるけど、これはほんと意味ないし。
「世界のことをもっとよく知る」
これが目的なら5年くらいかけて世界一周したほうがいいなと感じた。
世界一周に固執するならばね。
3ヵ月は短すぎた。

世界を知る前に、日本についてもっと知ろうと思った。
きっと自分の知らない日本がたくさんあるんじゃないかな、と思って。

結果、世界一周今年は諦めようと思った。
その夜決めた。

日本についてもっと勉強してから、社会に出て、時間見つけていろんなところ旅しようと思った。
世界一周に固執しなくてもいいじゃん。
あー、ここでも逃げるんだ俺、って思ったけど、なんていうかそう思っちゃった以上行く気も失せた。

個別にいろんな国行って、いろんなこと知って、それから総復習的な意味合いの世界一周できたら素敵だなと思った。

ヨルダン最終日にある老夫婦に出会った。
仕事辞めてゆっくり世界一周してるらしい。
そういう形もありなんじゃないかなってね。

何話したいかわかんなくなってきて、まとまってないけど、とりあえず、俺は勉強不足で、何をやるにもまだ未熟すぎたので、いろんなことを学ぼうとこのときに感じました。

いろんな本を読んで
いろんな講演会に行って
いろんな人と出会って
いろんな可能性を広げていこうと感じました。

自分の将来について、いろいろ考えることがあるんだけど、これについてはまたブログで書こうかなと思ってます。

とりあえず、この旅で感じたこと。
日本には世界について知らない人がたくさんいる、自分も然り。
そういった人たちに事実を伝えたい。
歪曲化された報道を信じているすべての人に伝えたい。

表現者としての自分の最終目標はそこなんだろうなと。

そのためには自分で見て、感じる必要がある。

世界一周の夢は諦めません。
ただ、少し目標が変わっただけ。

世界を知りたい。
この欲が尽きることはないでしょう。

まず日本から。

そんなことを考えながら、この旅最後の夜は更けていきました。
少し長く感じた夜でした。

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イスラエル最終日。ヨルダン再入国。

2011.08.23 イスラエル8日目 ヨルダン再6日目

朝8時30分起床。
今日は昼にヨルダンに戻る日だったので、palm hostelで過ごす最後の朝。

このhostelは前にも書いたとおり、日本人特別待遇(笑)だったので、他の人とは別の部屋だったんだが、8時頃誰か入ってきた。
50代くらいのおじさんが入ってきて寝始めた。
きっと最後だったから入れたんだろうなと。
もはや、ドミトリーなのでそれが普通なんだけど。

さて、朝は少し時間があったので、もうひとつのゴルゴダの丘に行ってきた。
少し歩くとすぐに発見。
受付で日本人だと告げると、日本語のガイドブックを手渡された。
この旅で初だな。
この場所はイギリスが管理している場所なので、そこらへんはしっかりしてるのかな?と推測。






さて、こんな感じで面白い見どころはなかったですが、観光客は多かった。
朝早かったのに。

そしてホテルに戻り、メールチェック等をしてホテルをチェックアウト。
長い間ありがとうございました。

イスラエルで使うぎりぎりのお金(タクシー代、tax代等)を換金して、タクシー乗り場へ。
乗合なので4人ほど集まるまで待つ。
ひたすら待つ。
全然来ない。
待つ。
暇だから、そこらへんの写真を撮る。





シシカバブ屋さんお世話になったなあ、とか
ダマスカス門撮ったことなかったなあ、とか
車の通り激しいなあ、とか
いろいろ思いながら感傷に浸る。

2時間ほど待って、外国人観光客がきてくれて出発。
1人40NIS。まあまあですね。でも仕方ない。
そしてアレンビーまで小1時間ほど。

門で、武器を持ってないかなどなど聞かれて、持ってねえぜぇと答えて。
乗合の女の子と会話盗み聞きしようと思ったけど、何にも聞き取れない。
終わってるわ、俺の英語力。
なんて思いつつ、いつの間にか国境に到着。

荷物を預けて、taxを支払う。
172NIS。
162NISと聞いていたので、若干焦るけど仕方ない。
だがバス代が足りない…と思ってたら、JDで支払えるらしくぎりぎり足りそう。
よかった。

イスラエル側の国境でバスが来るまで待つ。
1時間以上。
今日は何かと待ち時間が多い。

バスが来てから、また少し待つ。
乗客が埋まるのを待っているんだろう。
今日はそこまで人が多くなかったので、結構時間がかかった。
さて、だいたい埋まったところで出発。
やっとヨルダンに………!
って思ったら、乗客が途中イスラエル兵ともめてる。
んで、バス降ろされてる。
何があったんかな?
たぶんVISAの関係でしょう。
イライラしたわー(笑)。

そんなこんなで、やっとヨルダンに到着した。
パスポートを受け取って、タクシーを捕まえる。
というか、勝手に運転手が値段交渉してきて、マンスールホテルまでお願いした。
1人10JD。
このままマンスールホテルの前まで連れてってくれるかと思ったのに
「渋滞してるからここでいいか?」
「walk!50m!50m!!!」
としつこい。
明らかに遠いことは分かっていたけど、うるさかったので降りた。
おいおい、後味悪いぞ…。

歩いてだいたい10分くらい。
重い荷物を持って歩くのはきつい…。
さて、マンスールに到着。
ルアイも覚えててくれて、感動の再会(笑)。
ルアイと日本人のゲイについて話した。
彼の英語は俺にとってはめちゃくちゃ聴きやすくてありがたい。
すげー笑いました。
「yuukiはゲイじゃないよな?」
とかいきなり言ってきて、おいおい、疑うなよと。
むしろ君のほうが(ry

さてドミトリーに泊まることになった。
いい感じの部屋。


その後、荷物を置いてアンマン散策。
シーシャ安いから買おうか迷ったけど、荷物多くなるしやめた。
お土産買えず。明日出直すことに。

夜は前きたとき気になってたフライドチキン屋さんへ。
そこで待ってた男の子がむーちゃ可愛くてお土産買ってあげよう!って思ったんだけど
その子、フライドチキンに必死でダメだった(笑)。
にしても、仕草が全部可愛かったな。
明日会えるかな…。

さてさて、明日ついに帰国。
16時の飛行機で日本に帰国します。

PS ホテルで一緒だった@takuro3313くん、いい子だったな。
馬場くんに会えたのかな。
むっちゃ会いたがってたが。
僕も会ってみたいけどな。

さて、旅ブログはこれで終了。
最終日のこと、まとめ的な意味で書くかも。書かないかも。

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イスラエルに入国…?

 
2011-08-16 ヨルダン5日目 イスラエル1日目

6時30分起床。
今日はイスラエル入国の日。

知ってる人も多いと思うが、イスラエルの入国はかなり厄介らしい…
入国審査の際に根掘り葉掘り質問されて…
うまいこと答えたとしても…
別室に移動させられ、冷房の効きすぎた部屋で数時間放置され…
と、気が進まない話をよく聞いていた。

俺、英語ほぼできないし、ましてや初めての陸路での入国だし
なにこれ絶対無理…
って感じに思ってて、夜も眠れなかったのは言うまでもなく…

でも行かなきゃ始まんない、この旅の目的地行きたいし。
ってことで
前日に予約しておいたバレンタインイン前から出ているアンマン行のバスに乗るために早起きしたってわけです。

7時発と聞いていたので、すでにバスがいたので、乗って待機。
………
全然発車しねえーって思ってたらぞくぞくと乗客が。

あ、みんな朝食食べてたのね。
んでまあ、30分くらい遅れ?で出発。

バスが狭かったけど、5JDだし安いしOK!!!

車内には7人日本人いたけど、4人がマンスールホテル行くらしい。
さすが、日本人に大人気!!!

さてさて、約3時間でアンマンに到着。
降りるとtaxiの運ちゃんがぞくぞくと集まってくる。
その中の1人にキングフセイン橋に行きたいと伝える。
20JDと言ってきたので、ok,1人5JDね。と無理矢理交渉して成功。
途中なぜか降ろされて、こっちに乗り換えてくれ。
と言われる。
そこでなぜか6JDに値上がり…。
同乗者の製薬会社勤務の男性は、若干キレ気味で車内にあったIDを撮ってた。
まあ、100円くらいだし、いっかー。って感じでしたけどね、僕は…

乗り換えた理由だけど、たぶん国境にいくにはIDが必要らしく(?)
そのために乗り換えしたんだと思う。

約1時間でヨルダン側の国境に到着した。
tax等を支払い、バスに乗り、イスラエル側まで移動…

いや、ほんとこのときはドキが胸胸でしたよ…

途中、イスラエル警官(?)の人が乗り込んできて
無表情で色々調べてて、がーち怖かった…
表情どこ置いてきたんだよこの人。

荷物を預け、入口のところで軽く質問されて
なんとかそこはスルー、よしよし。
手荷物のチェックも終え、ついに…
イミグレ…!
なるべく製薬会社の彼の近くにいるようにしてた。
美人なイスラエルのお姉さんにどんな質問されるんだー
どきどき…

あ、質問してきた、でも聞き取れねー
そこで、俺英語苦手なんス(てへ
って顔したら、製薬会社の彼が、
「friend.」
と…!
機転きくじゃん!いいね!
俺の他力本願ぶり発揮。
すんなり、あまりにもすんなり、入国成功!
ほんと彼に感謝。ありがたやー。

ただ、ここまですんなり入れたのは
no stampにしなかったからである!!!

ヨルダン出国のスタンプはないのに、
イスラエル入国のスタンプはあるという…
まあ完全に謎な状況になったけどこのパスポートもうすぐ変えるし無問題。

ただ製薬会社君もスタンプ押されちゃってて、申し訳ないことをした…

さてさて荷物を受け取り!
エルサレムへ!
と思ったが、バスが10人集まらないと発車しないということだったので
近くにいたシカゴで高校の先生をやってるアメリカ人のおじさんとともに客集め!
なんとか客を集めて、エルサレムへ!!!

ホステルはもう決めていて、
ダマスカスゲート近くのnew palm hostelでお泊り。
ナオト・インティライミさんがエルサレムにいた時に使っていたホテルの隣!

◆ドミトリー6人部屋◆

日本人価格で1泊40NISにしてくれた。
だいたい1000円くらいかな。
ドミトリーとはいうものの、他に誰もいないところにしてくれた
格安!ありがたやー

長袖長ズボンというスタイルに着替えて、エルサレム旧市街を練り歩いた。
ここには色々なお店があった。
パン、駄菓子、ピザ、洋服、布…などなど。

途中、スポーツ店があり、イスラエルのサッカーユニフォームを購入した。
マッカビ・ハイファというチーム。
エルサレムでハイファのユニフォーム?と思うかもしれないが
このチームはイスラエルプレミアリーグ優勝常連チームで
チャンピオンズリーグにも出場している強豪なのだ!
少し古いモデルだったけど構わず購入。
値段交渉とかそういうの忘れてて、100NISで購入。
2500円くらいかな。2.5泊分、さようなら…

この日は
ヴィア・ドロローサから聖墳墓教会に行って
嘆きの壁に行った。
以下、写真でどうぞ。

◆街並み1◆

◆街並み2◆

◆街並み3◆

◆岩のドームが見える◆

◆ヴィア・ドロローサのあるポイント◆

聖墳墓教会なのだが、世界の中心と言われているらしい。
なので、叫んでみた。

◆世界の中心で愛を叫ぶ◆

◆聖墳墓教会入口◆

◆イエスが復活した場所◆

◆嘆きの壁◆

◆イスラエルの国旗◆

◆嘆きの壁で嘆かず◆

こんな感じで、疲れているはずの体を突き動かし、がっつり観光してしまった。
嘆きの壁は頭さえ隠していれば(帽子でも可)入れそうだったが、
無宗教だし、興味本位でこういうとこ入らないほうがいいかなと思って
手前で写真を撮って、ホステルに帰ることにした。

露店でシシカバブを買って、それを夕食にした。
これがかなりうまい。ハマってしまった。
たぶん毎日食べても飽きない。
むしろ食べたい、食べさせてくれ。書いてたら食べたくなってきた。

明日はベツレヘムに行く。時間があればエルサレムも観光しようと思う。

次の更新をお楽しみに。

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ワディラム砂漠とイヴラヒム。

 
2011-08-15 ヨルダン4日目

朝は9時頃起床。
死海ペトラ遺跡と回ってきて少し疲れていたのでゆっくり。

ワディムーサの街を散策。
パン屋さんや親切な商店(笑)に行き、水などを購入。
レッドブルが売っていたので買った。1.5JD。日本より少し安かった。

店を出るとtaxiに声をかけられる。
どこまでいくんだー?と。
だから、砂漠行きたい!
と伝えると、往復で60JD…
もうちょい安くならないかな…と粘る。
粘る。
粘る…。
結構頑張る…。
40JDにしてくれた!!!
いい人だったしこの人に決めた!

◆今日の運転手のイヴラヒム◆

乗車して早々、
「妻が呼んでるから少し自宅に寄ってもいいか?」
とのこと。
なんとまあ自由なこと。
自宅に着くと、むっちゃ可愛い子供たちが走ってきた。
やーばい。可愛い。
素敵な家族って感じだった…。ほのぼの。

妻を送り届けて、いざ出発…!
かと思いきや、
「おなかすいてない?」
と聞いてきた……
もしやこれは…レストランに連れていかれて
お金を遣わせようとしているのでは…!と思い
「大丈夫、さっきパン食ったから!」
って伝えた。

のだが…、
車はいきなり停車。
でも周りを見ても畑らしきものしかない。
ん?
っと疑問に思ったが、とりあえず降りなよ!ってことだったので降車。
一応貴重品は全部持って。

さて、どこに連れていかれたかと言うと…
なんとイヴラヒムの畑!!!
そこにはイチジクやブドウなど、たくさんのフルーツが!
イブラヒムは僕が考えるような悪人ではなく、
自分で育てているフルーツを、この日本人に食べさせてくれるというのだ。
ヨルダンはフルーツがたくさんあるよ~
と、死海のときのtaxi運転手に聞いていたけど、
こんなところで実感することになるとは。

んー、なんとも優しい。
そして少しでも疑ったことを後悔。
でもこんないい人ばっかじゃないから見極め難しい…
しかしまあ、フルーツおいしかったなー^^

そうそう。
最初、figって何かわからなくて「?」って顔してたんだけど
いきなり乗車してきた商社マンイケメンが
スマートフォンで「これだよ」と教えてくれて
おお、イチジク!と納得。
というか、なんでいきなり乗車してくるんだろ…
彼は誰だったんだ…?イブラヒムの息子かな…?

そんなこともあり、車は一路ワディラムへと向かう。
途中、イヴラヒムは
「写真撮りたかったらいつでも言ってくれよ。」
と言って写真を撮らせてくれた。
完全にカメラ小僧と思われてた。
車内で必死にfig撮ろうとしてたからかな…

◆道中、ベドウィン◆

砂漠では、ラクダに乗って砂漠を楽しむ!
っていう予定だったが、
「それじゃ全く楽しめないよ。ラクダはゆっくりだし、すぐ痛くなる。」
と言われ、でもラクダ乗りたい!って伝えたら
「そうか、いいよ。でももしかしたらとても高いかもしれないよ。」
と。
まだこのころはイヴラヒムのことを信用していなかったので笑
ほんとかよ~と思ったけど。
やっぱり、色々考えた末に車で砂漠を回るツアーにすることにした。
イヴラヒムの友人価格でとても安くしてくれた。
今思えば、とてもいい選択をしたかなと。
時間があればラクダも乗りたかったが。

高速道路を2時間くらい走っただろうか。
鉄道が見えてきた。
ヨルダンには人が乗る鉄道は走っていない。
だが、輸送用の鉄道がある。
その鉄道を横目に、なぜかテンション上がってるイヴラヒム。
鉄道ができればもっと便利になるのになあとか思っていると…
ワディラムに到着した。

◆ワディラムの街◆

ペトラの子供は、くれいじー!!!などなど
耳を疑うようなことをいっていたが
ワディラムの子供は純粋。
いってらっしゃい!というような表情で
笑顔で手を振ってくれた、まーじ可愛い。

さて、車を乗り換えて、ガイドの車に乗る。
2時間の砂漠ツアーである。
では、写真でどーぞ。

◆いきなり絶景!!!◆

◆砂漠の全貌…◆

◆緑もあります◆

◆かっこつけてみた1◆

◆かっこつけてみた2◆

◆かっこつけてみた3◆

◆岩?の間を抜けると絶景◆

◆現地ベドウィンの人にお茶を出してもらいました◆

◆砂きれー◆

◆乗っていた車◆

◆絶景でした、後ろ姿の写真多い◆

◆帰るなう◆

ということで、2時間の砂漠ツアーは終了。
暑かったけど、観光客もいなかったので独り占めできた。
ラクダには乗れなかったけど、また次の機会の楽しみということで。

さて、イヴラヒムと合流して岐路に着く。
車内では、マンスールホテルのルアイの話をしたり、
(最近2週間泊まっていたらしい)
彼が日本に来たときの話をした。
(大阪に来たことがあったらしく、日本語の本も持っていた!)

ハードスケジュールだったので、眠気がきてうとうとしていたところ…
バックミラー越しに
「ユウキ、車の免許は持ってるのか?」
と聞かれた。
もちろん!と答え、でも国際免許証は持っていないんだよ~
と伝えた。
だがしかし
「そうか、じゃあ大丈夫だな、疲れたから運転かわってくれ」
と言って、車を止めた。
…え?
俺に運転しろってこと…?
え…
「無理無理!日本は右ハンドルだし、マニュアルカーなんて5年程乗ってないよ!」
と伝えたが、無駄だった。笑

半ば無理矢理運転席に乗せられて、運転を開始。
国際免許ないのに!

◆最初はまじでビビってました◆

◆サングラスもかけてみた◆

広大な土地で運転できて、とても貴重な体験だった
ってこれ大丈夫なのかな
ま、いっか。

少し運転したら変わってもらって
ワディムーサの街が一望できる公園に到着。

◆ワディムーサの全貌、左側にはペトラ遺跡が◆

◆今日の主役、イヴラヒムと2ショット◆

すごいいい人だったな…
またここに来ることがあったらイヴラヒムに運転手任せよう!と思った

バレンタインインに着いてからは
読書したり
iPhoneでメールチェックなどした。
久々にゆっくり。
バレンタインインの外は風も気持ち良くて
寝ながら読書できたりする場所があるので最高でした
家の庭にもあんなの作りたいわ…

夕飯は街に出て
ラマダーンあけるとともに飯を食べることにした
解禁した瞬間、ビュッフェに飛びつく人たち。
机にはすごい量のご飯が。
この瞬間すごい幸せなんだろうなと思った。
僕は、ラマダーン解禁の瞬間が好きだ。

◆街の様子1◆

ご飯を食べてから、2人の子供と仲良くなった。
言葉は全然分からないんだけど、笑ってるとつながってる気がした。
笑顔ってのは不思議な力があるなと感じた。
写真を撮ろうとしたら、必死に拒否された笑
せっかく撮った写真も削除されてしまった…!

◆この後ろ姿の子供2人です(わかりづらっ)◆

夜のワディムーサの街はとてもきれいだった。

◆街の様子2◆

◆街の様子3◆

こうして、ヨルダンの夜は更けていった。

ホテルに戻るとインディージョーンズの上映が始まっていた。
ここ、見たところじゃん!と周りの日本人と話しながら。

明日はついに、イスラエル入国。
どきどきが止まらなかったことは言うまでもない。

次の更新をお楽しみに。

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興奮のペトラ遺跡

 
2011-08-14 ヨルダン3日目

この日は、朝5時30分ごろ起床。
ヨルダンでの最大の目的、ペトラ遺跡に行くためである。

アンマンからペトラへの行き方。
一番popularなのは、Jettbus。
6時30分にjettbusのオフィスから出発なので早起きをしたのだ。

マンスールホテルを早々にチェックアウトし、
ルアイにはまた1week後に戻ってくるよと伝え、ホテルを出た。
taxiを呼んでくれていたので、そのtaxiでオフィスに向かった。
ホテルから日本人4人で向かったのだが、そのうち1人はイスラエルに向かうらしい。
彼とは、のちにベツレヘムのバスターミナルで会うことになる。

さて、オフィスでパスポートをチェックし、8JDを支払い、バスに乗り込む。
このバスはほぼ外国人観光客しか利用しない。
この日も例外ではなかった。
約10人ほどの観光客。
中には日本人の姿もあった。

バスが発進すると、早起きのため眠くなり、熟睡…。
気づいたらトイレ休憩の場所についていた。
その後もバス内でうとうと。
そして、10時頃にはペトラ遺跡のある、ワディ・ムーサに到着。

バスを降りると、taxiのおじさんが、
「どこのホテルに行く?どこだ?俺のタクシー乗るか?」
と、執拗に聞いてくる。
うん、アラブ人はしつこい。
ただ行くホテルは決まっていたので、バスに乗っていた日本人の人とバレンタイン・インに。
ここは、ペトラ遺跡に来るバックパッカーはほとんどが泊まる。
あの、ナオト・インティライミも世界一周中にここに泊まっていたらしい。

そして、チェック・インしてすぐにペトラ遺跡に向かった。
すぐに観光をしようと思った…が、
ホテルに向かう途中に見慣れた文字が。
パスタ…ピザ…ハンバーガー…
その瞬間、腹が鳴るのが分かった。

ヨルダンに来てからしっかりと食べたご飯は
あの発泡スチロール風のご飯…のみ。
欲求に勝てることはできず、
ハンバーガーを食べた。
値段は高めだったけど、久々の食べ慣れた味に安心した。

◆店から撮った写真◆

腹も満たされたし、さあ、観光!ペトラ!

入口にはたくさんの日本人の団体がいた。
2団体ほど。
1団体は、ピースボートの皆さま。
もう1団体は、おじいちゃんおばあちゃん軍団。
あまりにも日本人が多いので
ここはヨルダンなのか?という雰囲気であった。

入場料は50JDと高め。
5000円以上もとられるとは…。
現地人は1JDで入れるらしい。なんとまあ。
ちなみに、イスラエルの国境を越えてくる人は90JDとられるらしい。
理由はだいたい予想はつくが、あまりにも高いような気もする。

さて、入口の門?を通ると砂利道が続く。
ここでも日本人とすれ違う。
昨日死海で写真を撮ってくれた日本人の方だった。
きっと暑いから早めに行ったのだろう。

だいたい30分くらい歩くとペトラ遺跡の入口にたどり着く。
ラクダなどがたくさんいる。
距離が結構あるからだろう、
「乗ってくか?」と聞かれるが、なんせ貧乏旅行なので断らせていただいた。
この旅の裏目標、ダイエットだしね。

◆ペトラ遺跡入口◆

入口で写真を撮ったら、ひたすら歩いた。
ここはすべてが非日常的な景色だったので
写真を見てもらうのがいいと思う。

◆暗い◆

◆こんな景色がずっと続きます◆

ちなみに、ペトラとはギリシャ語で崖を意味するらしく
その意味がここらへんを歩いているとよくわかりました。

◆天からの力を…的な◆

◆どこにいるでしょう?◆

さて、ふざけながら写真も撮りつつ
歩き続けること数十分。
少し疲れたなーっと思っていると………

◆なぜかここに来た時胸騒ぎ……まさか……◆

◆あ…こ、これは…◆

◆目と鼻の先に…◆

◆エル・ハズネ…きたー!!!◆

◆でけえ!!!かっこいい…◆

いやほんとね。
エル・ハズネはすごかったです。
写真たくさん撮ったけど、やっぱ直接見ないと分からない。

死ぬ前までには一度は行きたいな…
と思っていた場所にこんなにも早く行くことになるとは思わなかったけど、
絶対行くべき。

感動します、ほんと。
ふと姿を見せたときの感動は忘れられません。
ぜひ、行ってください!!!
やばいから。

さて、写真を撮りまくったので先を進むことに。

◆エル・ハズネから少し歩いたところの風景◆

◆景色キレイでした◆

◆疲れも吹っ飛ぶ風景◆

◆一番気に入ってる写真かも◆

◆ロバ(前)◆

◆ロバ(後)◆

◆ローマなんちゃら遺跡◆

◆このころには足は棒に…◆

途中、少し破廉恥な写真もありましたが(笑)
ペトラの風景はどれも絵になるものでした。
ひたすら階段をのぼって、ワディムーサの町が見えることまで行って
そこから見た景色がすごかったな。

景色を見た後、
ペトラ遺跡の一番奥にある、エド・ディルに向かって歩いた。
途中、いろんな遺跡があったが、どれもすごかった。
売店などもあって、観光地化してるなーとも思ったけど
景色は嘘をつきませんね。

そうそう。
エド・ディルに向かっていると
ロバがたくさんいるところに着いた。
そこには、子供がたくさんいた。
ある子供が、
「一番奥までいくのには、2時間弱歩くことになるから、このロバで行けば30分で行けるぜ?」
と言ってきた。
地球の歩き方には、1時間弱で歩いて行けると書いてあったので、あれ?と思ったが
外国人観光客も、
「あの子たちはうそついてるから、歩いて行けるから大丈夫だよ。」
と言っていた。
お金のためとはいえ、子供のころから商売に染まっているのか…と残念になった。
結局歩いていくことにしたのだが、途中、物売りの少女が
「買って!買って!買って!」
と、必死に言い寄ってきたが断ったら
「クレイジー!!!」
と。
ませてるとかそういう問題じゃなくて
おいおい教育どうなってんだよ、と少しいらっとしてしまった。
仕方のないことなのかもしれないが…。

さて、そんなこともあり、1時間ほど山道を歩いていると、
開けたところに出た。
そこには、エド・ディルが。

◆エド・ディル◆

◆こんな風になってる◆

目の前には、カフェがあり、おしゃれな雰囲気だった。
こんな奥まで来る人はそんなにいないのか、人は少なめだった。
ここまで来た人も、みな疲労困憊の表情。

少し休憩して、きた道を戻った。
きたときよりも、人は少なくなっていて、帰りは日本人にも会わなかった。

◆エドウィンの子供たち◆

◆最後にぱしゃり…◆

◆また、いつかきます◆

帰りは本当に本当に疲れていたので
早歩き。
ここまで歩いたのいつぶり?!ってくらい歩いたと思う。
2,3日に分けて観光するのがペトラでは普通らしいので
濃厚な1日になったなと感じた。
なんせ7時間くらい歩きっぱなし…。

さて、たくさん歩いたのでおなかの減り具合がヤバかったため
昼のお店に行き、パスタとピザを注文、ぺろりと完食。

そのあとは、タクシーに乗り、18時ごろにバレンタインインに戻った。

◆部屋からの景色◆

部屋に戻って、靴を脱ぐと砂で悲惨なことに…。
砂が赤っぽいので、黒い靴が赤くなってた。
すぐに寝ちゃいましたよ、と。

ペトラ遺跡。
生きている間に1度は行ったほうがいい場所だと感じた。
あんな感動できることはあまりないはず。
ぜひ行ってもらいたい。

ヨルダン4日目は、ワディラム。
砂漠に行ってきます。

次の更新をお楽しみに。

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dead sea

 
2011-08-13 ヨルダン2日目

朝、7時に起床。
パンケーキを朝食で食べる。

今日は、
ハママート・マインというスパと
dead sea、死海に行くことにした。
前日にルアイに言って、タクシーをチャーターしてもらった。

8時に出発。
前日あまり両替してなかったので、まずは両替できるところを探すことに。
途中マダバに寄って両替できるところを探したけど、どこも閉まっている。
あ…
今日は土曜日。ほとんどの店が閉まってる。
しかし、運転手は「大丈夫、大丈夫。」
といって、少し離れた外国人向けのお土産屋さんに。
そこでなんとか両替できました。
感謝。

ここから死海へ…!
と思いきや、運転手さん、
「道の関係で、先にスパ行こう、死海は後で。」
と言われて、車はハママート・マインへ…。
死海で塩まみれになった体を、スパできれいにするという流れが…。
まあ、気にせず、ハママート・マインに向かった。

さて、行く途中にちょっとした出来事が。

◆ん?何かの群れ?◆

◆羊の群れでした◆

◆何事もなかったかのように去っていった…◆

と、まあ、普通の道を普通に羊の群れが走っていくという。
てか、羊だよね?わかんないけど、自然ってすごいなと思いました。

◆なんもない◆

◆かわいいお家◆

いや、でもなんか自由だよね。
街中も信号みたいなのあんまないから歩行者勝手に渡るし、
ビジネスカーだぞ!と言って運転手どなりながらクラクション鳴らすし、
駐車も適当。
なんかすげーな。日本じゃありえない。

まあ、そうこうしているうちにハママート・マイン到着。

◆ハママート・マイン入口◆

ラマダーン中だし、朝早いこともあって観光客もいない。
完全貸し切り。
温泉って最高だな、と心から思いましたね。
ただ、温度が結構熱めでちょいとビビりましたが。

ここ、海抜-100mくらいらしい。
火山の噴火が原因でできたんだって。
ってことは、ヨルダンにも地震はあるってこと?
わかんないけど、すごいリフレッシュできた。

◆滝!ここから熱湯が降り注ぐ◆

◆まじ気持ちよかった◆

◆サウナ…らしい◆

長い運転もあってか、運転手さん熟睡。
少ししたら起きたから、dead seaに向かうことに。
行く途中、運転手が
「この道は日本人が作ってくれたんだよ。」
と教えてくれた。
たしかに日本人が作りました!っていう感じだった。
几帳面な感じ出てた。

◆たぶんこれがそのことを証明する看板◆

そんなこんなで、アンマンビーチに到着。
ここは有料だったけど、ロッカーもシャワーもあった。
他にはお土産屋さん、レストランなどがあった。
客層的には、欧米の観光客の人がちらほら。
日本人の方もいて。
なんか見たことあるなーって思ってたら
アブダビからアンマンまでの飛行機が同じ人だったみたい。
写真も撮ってくれました、ありがたやー。

さて、死海ですが。
知っての通り、浮きます。
すっげー浮きます。
何もしてなくても体が勝手に。

なんで浮くのか。
それは塩分濃度が濃いからです。
真水の体積と、死海の水の体積を同じにして質量を測ると、
死海の水のほうが重くなるんですね、塩が含まれているから。
人間の体積と同じ体積の死海の水の体積を比べると
人間のほうが軽くなるから体が浮いちゃうってわけなんです。
強い日光によって水が蒸発し、塩分濃度が高まった結果こうなったわけ。

なんかもうわけわかんないけど。

とりあえず
浮きます!感動。
ほんと感動。

◆遠くて分かりづらいが、僕です◆

水は、ぬるぬる。
油みたいな感じ。
これが口に入ると、しょっぱいを通り越して
苦いんです。これ、かなりきつかった。
んで、目にも入っちゃったんだけど
目開けられねえ。くそいってー
いや、でもかなり楽しんだ。

◆周りはこんな感じ◆

◆きれいに整備されてた◆

◆上にあがると真水のプールもあった◆

プールに入って体を洗い流す。
みんなそうしてるっぽいから、真水なのに塩水だった。
プールで騒ぐ子供がなんとも可愛い。

入場料は結構とられたけど
大満足な一日だった。
タクシーの運ちゃんもいい人で、よかった。
帰りつかれすぎて寝てしまった。
ホテルについてからも疲れ果ててすぐに就寝。

次の日は、楽しみにしていたペトラ遺跡!

更新をお楽しみに。

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いざヨルダンへ。

2011-08-12 ヨルダン1日目

8月11日21時40分、中部国際空港。

この歳にして
初飛行機。
初海外。

そんな状況で気持ちが高ぶらないわけもなく
わくわくドキドキしながら、席に座っていた。
若干の恐怖とともに。

少し経つと、轟音を響かせながら飛行機が動く。
シートベルトを締め、気持ちを落ち着かせて。

徐々にスピードを増していく。
体にGがかかる。
手に汗握りながら、外を見ていた。

ふわあー…という感覚もなく、気付いた時には鉄の塊は大空に飛び出していた。

これから始まる非日常的な日々に夢馳せながら
眠れないフライトを過ごした。

約15時間のフライトののちに降り立った地。
僕にとって初めての異国、ヨルダン。

飛行機を降りて、初めての難関へ。
英語をほとんど話せない僕は、一抹の不安を抱えながら
入国審査の列に並んだ。

パスポートを出す。
怖いおじさんが僕の顔を覗き込む。

なにやら、隣のお兄さんと話しこんでいる。
何かあったのか?
待ってるこっちは気が気じゃない。

パスポートと僕の顔を、繰り返し見る。
あ、そういうことか。
きっと写真と実物の顔が違うから時間かかってるんだな。
これ、この旅で結構引きずることになります。
その話は後々。

少しして、英語で何か質問される。
ただ、速すぎて聞き取れない。

やべえー。
って顔してたと思います、きっと。
それを察したのか察してないのかは定かではないけど
だめだこりゃ、って表情されてパスポート返却。
ちゃんとスタンプ押してもらえて
なんとか入国完了。
いやー、たしかに僕って胡散臭い顔ですけども
こんなに疑われるものなんだね。
と、同時に英語力つけないとなと感じた。
これから毎日感じることになるんですけどね。

荷物を受け取り、外に。
当たり前だけど、日本人いない。
アラブ系のお顔の人がたくさん。
そしてもちろん、日本語も聞こえてこない。
海外に来ちゃったんだな、とやっと実感。

さて、ここからまずはマンスールホテルに行かなければならない。
マンスールホテルは地球の歩き方にも乗ってる安宿で
ダウンタウンというところにある。
従業員のルアイがめちゃくちゃ親日家で日本人に優しく
旅の相談にも乗ってくれるということで
アンマンではここに泊まろうと決めていた。

空港を出るとtaxiのおじさんたちが
「へい!タクシーかい?!」
とノリノリで聞いてきた。
だが、すぐにバスを発見したのでバスで行くことに。
バスターミナルからはタクシーに乗り換えた。
このタクシーの運ちゃん、
「今から死海いかねえか?!安くするからさ!」
的なことをずーっと言ってきたけど、とりあえずフライトの疲れがあったので
ナンバーだけもらってホテルに向かってもらった。

◆マンスールホテルの部屋◆

ホテルに着くとがたいのいい気さくな男の人が迎えてくれた。
おお、この人がルアイか。
いい人そうで安心した。
お茶を入れてくれて、さっそく部屋に案内してもらった。

少しして、ちょうど昼時だったので
お腹も空いたし、ルアイに聞いて昼ご飯を食べに行った。
歩いてすぐのところだった。

◆日本語で書かれたメニュー◆

◆結構なボリューム◆

機内食もそこまで食べてなかったので、すぐ完食……とはいかず。
ご飯が発泡スチロールみたいな味するんだもん。
結構苦戦して食べた。チキンはうまかったよ。
噂によると鳩っていう噂ですけども。

食べ終わった後、街を少し散策。
少し歩くと大きなモスクが。

◆キングフセインモスク◆

モスクの近くからバスに乗って今日の目的地へ。

ワヒダットキャンプ。
難民キャンプです。
イスラエルが建国されて、パレスチナ人が追い出される形となった訳だけど
この地に逃げ込んできて形成されたキャンプ。

バスを降りてすぐにスーク(市場)がある。
ここもすごい人が多かった。
週末になると買い物客でごった返すらしい。

◆ワヒダットキャンプのスーク◆

◆ゲームセンターもあった。子供がたくさん。◆

◆カメラを持ってると子供が集まってくる◆

3枚目の写真は、バルサのユニフォームを着た男の子が僕たちを見つけると
妹?を連れてきて、
「写真を撮ってくれ!」
って言ってきたので、撮った写真。
画面を見せると満足して帰って行った。
ここにいる人は写真に写るのがすごい好きみたい。
写真撮ってくれ!ってみんな言ってくる。
そして人だかり。
じゃぱにーず!じゃぱにーず!の大合唱。
なにか、スターにでもなった気分だった。

一通り回ったので、バスに乗り帰ることに。

◆バスの中。バス停もないから勝手に乗ってくる。◆

ホテルに戻るとルアイが
「のど乾いてないか?」
といって、水をくれた。
なんて優しいんだ。

夜になるとルアイは
「おなかすいてないか?」
といって、昼に苦戦して食べたご飯を持ってきてくれた。
申し訳ないが、残した。
さすがに、残した。
でも本当にルアイは優しいです。

寝るときに長谷部のユニフォーム着てたら
「俺は香川が好きなんだ。ドイツに行く前からすごい選手だと思ってた。
そしたらあんなに活躍しちまって。。」
って言ってた。本当に日本が好きなんだなって思った。

この日はかなり疲れがたまってたので、すぐに就寝。
シャワー浴びてたら途中で水が出なくなったことは内緒で。

次の日は死海(dead sea)に行きます。

更新をお楽しみに。

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