笑顔と混沌 ー 自分で歩いて、自分で見たもの ー(SNUFKIN イスラエル編)

 イスラエル。真っ先に思い浮かぶのはどんなことだろうか。3つの宗教の聖地が点在するエルサレムは、聖地巡礼のために多くの人が訪れる。厳しい入国審査は、そこに辿り着くまでの最初の試練のようにも感じる。日本では、パレスチナ問題、自爆テロなど、物騒な話題ばかりが紙面やテレビ画面を賑わしている。

「よく知らないけど、なんか危なそう。」

 これが正直なイメージだろう。私もそうだった。実際に訪れるまではーー。

 ダマスカス門からエルサレム旧市街に入ると、きらびやかな外観のお店がいくつも並んでいる。この市場に来ればなんでも揃うと言っていいほど、品揃えも豊富である。裏路地は、入り組んでいてかなり複雑だ。当てもなく、ただ歩くだけでも面白い。そこで出会った子供たちのかわいい笑顔も印象的だった。隙を見せれば石をぶつけられるが、それもご愛嬌。私は背を見せた瞬間に当て逃げされてしまった。かわいいからといって、エルサレムの子供を侮ってはいけない。

 そこから歩いて数分のところにある新市街は、小綺麗な建築物が立ち並び、本当に同じ国なのか疑ってしまうほど都会的な空間だ。滞在中に何度も行ったパスタ屋があるのだが、そこの店員は日本人だと気づくと笑顔で近寄ってきて、「私、日本に留学したいの」と言ってくれた。店を出るときには、「アリガトウゴザイマシタ」と覚えたての日本語を披露してくれた。

 たくさんの都市を訪れたが、最も印象に残っているのはパレスチナ自治区だ。その都市であるベツレヘムには、エルサレム旧市街のバスターミナルから行く事ができる。バスに乗車し、少し走ると検問所のようなところにたどり着く。すると乗客たちはおもむろに紙を取り出す。少しして、銃を肩に背負ったイスラエル兵が乗り込んできた。前の席から順番に、長い時間をかけて乗客たちの手元のそれを眺める。通行許可証ーー。
イスラエル政府が許可を出したパレスチナ人以外は、自由にイスラエル には行き来できないのだ。

 分離の壁の存在が、彼らの生活に大きく関わっている。現地に住んでいる日本人の方は「この壁ができてからテロが少なくなったからよかったよ、不便だけどもね。」と言っていた。アパルトヘイト・ウォールと呼ばれるこの壁にはさまざまな絵が描かれている。その中には、英語、ヘブライ語、アラビア語の3つの言語で「平和」を意味する言葉が描かれたものもあった。その時、この国が抱えている問題の大きさを少し感じた。

 旅を通じて、この国の本当の姿を垣間見ることができた。分離の壁を目の前にして、また、常に銃を持ち歩いているイスラエル兵の姿を見て、ここは争いの真っ只中だと認識させられた。その一方で、笑顔で話しかけてくれる人や、理不尽な金額をふっかけてくる商人は、私を和ませた。この国の一部しか見ていないから、偉そうなことはまだ言えない。だが、旅中に書き綴っていたノートを読み返し、何ものにも代えがたい経験ができたと感じた。そう思えるのも、自分の足で歩いて、自分の目で見ることができたからだと確信している。

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旅の振り返りと、これから

 
 

旅の最終日の夜、いろんなことが頭を廻った。
2011年はじめに決意したこと、今回の旅に至るまでの経緯、実際に旅に出て肌で感じたこと、そしてこれから。

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2011年2月、休学を決意した。
頑張れば卒業できて、なおかつ就職先も決まった中でそれを投げ捨てて休学した。

「まだ大人になりたくなかったから」
甘い考えとは分かっていたけど、自分の決断を変えることはなかった。

頭の中にはやりたいことがあった。
1つ。
世界一周。
理由は単純、自慢できるから。

自慢できるという意味不明な理由だったけど
いろいろ調べていくうちに自分の知らないことが世界にはあると感じた。
自分の常識が他人の常識ではない。
自分の見たことのない世界を見ることは、当時の自分にとってはとても魅力的だった。

実際、それまで閉鎖的な環境に居座っていたこともあり、社会のことなんて考えたこともなかった。
知らないことがあるという事実にさえ、気付けていなかった。
なのに、社会人になろうとしている自分がいた。

社会人になってからの自分が思い描けないまま、あやふやなまま社会に出ていいのか。

就職活動もそこまで真剣にやらず、だいたいこんなことしたいなという思いだけでテレビ制作会社を選んだ。
「表現者になること」
これは昔からの自分のテーマで、それにあっているだろうという理由でテレビ作れたら面白そうじゃん?と。
それもそれで楽しいとは思った。

でも社会的に未熟すぎる自分が作るテレビに、誰が興味を示してくれるかなと。

良い表現者になるためには、自分自身が魅力的な人物にならなきゃならないと感じた。
そこで自分を振り返ったところ、そんな自分になれてるか?と自問自答した。
答えは、NOであった。

魅力的な自分になるために、世界一周をしようと思った。

バイトをして、お金を貯めて、順調に世界一周の準備は進んでいた。
そんなとき、イスラエル行きを決めた。

世界一周ではイスラエルはいけないと思っていた。
物価も高いし、なんせ少し怖いし。
自爆テロとか普通だからね。

でもイスラエルには死ぬまでに一度は行きたいと思っていた。
大学の授業でパレスチナ問題について触れた時、こんなことがあるんだと知った。
もともとパレスチナ人が住んでいた場所を、WW2後、ユダヤ人のための国が作られた。
そしてユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺。
ナチスによって虐殺されたユダヤ人が、だ。

閉鎖的な生活の中で、少しだけ外の世界を見た瞬間だった。

世界一周いきたいけど、それ以上にイスラエル行きてえ…と。
最悪、お金なくなって世界一周できなくてもいいや、とさえ思って旅立った。

イスラエル。
自分がイメージした場所とは全く違った。
自爆テロ?3週間いたけど1度だけだったよ(それでも異常だけど)。
パレスチナ人とユダヤ人仲悪そうだな…?いや、普通に共存してたよ(全て見たわけじゃないけども)。

まあ、言いたいこととしては、冒頭にも言ったように
知らないことへの恐怖、ですよね。
イメージだけで作り上げられたイスラエルと
自分の目で見てきたイスラエルでは、全然違った。

そして、3週間いたけども、時間足りないよと。
たった2ヶ国だったけど全て見れた?って聞かれたらまだまだ。
イスラエルについてもっと知りたいと思った。
現地の人にも話聞きたいし(そのためにはアラビア語とヘブライ語話せたら超便利だな)、もっと長くいたいと思った。

当初の予定では3ヵ月ほどで世界一周行こうと思っていた。
3ヵ月って自分の中では結構長期的で、そんだけいけば大丈夫っしょ?って。
でも、きっとこれ、俺の目的からしたら合ってないじゃん?って感じた。
自慢するってだけならできるけど、これはほんと意味ないし。
「世界のことをもっとよく知る」
これが目的なら5年くらいかけて世界一周したほうがいいなと感じた。
世界一周に固執するならばね。
3ヵ月は短すぎた。

世界を知る前に、日本についてもっと知ろうと思った。
きっと自分の知らない日本がたくさんあるんじゃないかな、と思って。

結果、世界一周今年は諦めようと思った。
その夜決めた。

日本についてもっと勉強してから、社会に出て、時間見つけていろんなところ旅しようと思った。
世界一周に固執しなくてもいいじゃん。
あー、ここでも逃げるんだ俺、って思ったけど、なんていうかそう思っちゃった以上行く気も失せた。

個別にいろんな国行って、いろんなこと知って、それから総復習的な意味合いの世界一周できたら素敵だなと思った。

ヨルダン最終日にある老夫婦に出会った。
仕事辞めてゆっくり世界一周してるらしい。
そういう形もありなんじゃないかなってね。

何話したいかわかんなくなってきて、まとまってないけど、とりあえず、俺は勉強不足で、何をやるにもまだ未熟すぎたので、いろんなことを学ぼうとこのときに感じました。

いろんな本を読んで
いろんな講演会に行って
いろんな人と出会って
いろんな可能性を広げていこうと感じました。

自分の将来について、いろいろ考えることがあるんだけど、これについてはまたブログで書こうかなと思ってます。

とりあえず、この旅で感じたこと。
日本には世界について知らない人がたくさんいる、自分も然り。
そういった人たちに事実を伝えたい。
歪曲化された報道を信じているすべての人に伝えたい。

表現者としての自分の最終目標はそこなんだろうなと。

そのためには自分で見て、感じる必要がある。

世界一周の夢は諦めません。
ただ、少し目標が変わっただけ。

世界を知りたい。
この欲が尽きることはないでしょう。

まず日本から。

そんなことを考えながら、この旅最後の夜は更けていきました。
少し長く感じた夜でした。

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イスラエル最終日。ヨルダン再入国。

2011.08.23 イスラエル8日目 ヨルダン再6日目

朝8時30分起床。
今日は昼にヨルダンに戻る日だったので、palm hostelで過ごす最後の朝。

このhostelは前にも書いたとおり、日本人特別待遇(笑)だったので、他の人とは別の部屋だったんだが、8時頃誰か入ってきた。
50代くらいのおじさんが入ってきて寝始めた。
きっと最後だったから入れたんだろうなと。
もはや、ドミトリーなのでそれが普通なんだけど。

さて、朝は少し時間があったので、もうひとつのゴルゴダの丘に行ってきた。
少し歩くとすぐに発見。
受付で日本人だと告げると、日本語のガイドブックを手渡された。
この旅で初だな。
この場所はイギリスが管理している場所なので、そこらへんはしっかりしてるのかな?と推測。






さて、こんな感じで面白い見どころはなかったですが、観光客は多かった。
朝早かったのに。

そしてホテルに戻り、メールチェック等をしてホテルをチェックアウト。
長い間ありがとうございました。

イスラエルで使うぎりぎりのお金(タクシー代、tax代等)を換金して、タクシー乗り場へ。
乗合なので4人ほど集まるまで待つ。
ひたすら待つ。
全然来ない。
待つ。
暇だから、そこらへんの写真を撮る。





シシカバブ屋さんお世話になったなあ、とか
ダマスカス門撮ったことなかったなあ、とか
車の通り激しいなあ、とか
いろいろ思いながら感傷に浸る。

2時間ほど待って、外国人観光客がきてくれて出発。
1人40NIS。まあまあですね。でも仕方ない。
そしてアレンビーまで小1時間ほど。

門で、武器を持ってないかなどなど聞かれて、持ってねえぜぇと答えて。
乗合の女の子と会話盗み聞きしようと思ったけど、何にも聞き取れない。
終わってるわ、俺の英語力。
なんて思いつつ、いつの間にか国境に到着。

荷物を預けて、taxを支払う。
172NIS。
162NISと聞いていたので、若干焦るけど仕方ない。
だがバス代が足りない…と思ってたら、JDで支払えるらしくぎりぎり足りそう。
よかった。

イスラエル側の国境でバスが来るまで待つ。
1時間以上。
今日は何かと待ち時間が多い。

バスが来てから、また少し待つ。
乗客が埋まるのを待っているんだろう。
今日はそこまで人が多くなかったので、結構時間がかかった。
さて、だいたい埋まったところで出発。
やっとヨルダンに………!
って思ったら、乗客が途中イスラエル兵ともめてる。
んで、バス降ろされてる。
何があったんかな?
たぶんVISAの関係でしょう。
イライラしたわー(笑)。

そんなこんなで、やっとヨルダンに到着した。
パスポートを受け取って、タクシーを捕まえる。
というか、勝手に運転手が値段交渉してきて、マンスールホテルまでお願いした。
1人10JD。
このままマンスールホテルの前まで連れてってくれるかと思ったのに
「渋滞してるからここでいいか?」
「walk!50m!50m!!!」
としつこい。
明らかに遠いことは分かっていたけど、うるさかったので降りた。
おいおい、後味悪いぞ…。

歩いてだいたい10分くらい。
重い荷物を持って歩くのはきつい…。
さて、マンスールに到着。
ルアイも覚えててくれて、感動の再会(笑)。
ルアイと日本人のゲイについて話した。
彼の英語は俺にとってはめちゃくちゃ聴きやすくてありがたい。
すげー笑いました。
「yuukiはゲイじゃないよな?」
とかいきなり言ってきて、おいおい、疑うなよと。
むしろ君のほうが(ry

さてドミトリーに泊まることになった。
いい感じの部屋。


その後、荷物を置いてアンマン散策。
シーシャ安いから買おうか迷ったけど、荷物多くなるしやめた。
お土産買えず。明日出直すことに。

夜は前きたとき気になってたフライドチキン屋さんへ。
そこで待ってた男の子がむーちゃ可愛くてお土産買ってあげよう!って思ったんだけど
その子、フライドチキンに必死でダメだった(笑)。
にしても、仕草が全部可愛かったな。
明日会えるかな…。

さてさて、明日ついに帰国。
16時の飛行機で日本に帰国します。

PS ホテルで一緒だった@takuro3313くん、いい子だったな。
馬場くんに会えたのかな。
むっちゃ会いたがってたが。
僕も会ってみたいけどな。

さて、旅ブログはこれで終了。
最終日のこと、まとめ的な意味で書くかも。書かないかも。

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ヤド・ヴァシェムと青マック。

2011.08.22 イスラエル7日目

朝9時ごろ起床。
最近夜に読書をしているため朝は少し遅めに起床。

というか、やはり2週間で2カ国をがっつり廻るというのはやはりつらい。
今度来るときはもっとゆっくりと見たいと感じた。

メールをチェックし、朝の準備を行う。
10時頃にホテルを出て今日の目的地に向かう。
今日はバスではなく、LRTで行くことにした。

日曜日からオープンかと思ったら金曜日からであった。
初めて乗ることを駅にいたその場にいたバイトの女の子に伝えたら
乗り方などを丁寧に教えてくれた。
ヘブライ語で読めなかった路線図に英語を書き入れてくれて説明してくれた。
しかも、最初だから無料らしい!これは嬉しい!
LRTで終着駅、「ヘルツルの丘」まで。

さて、ここにあるのは、ヤド・ヴァシェム
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の記念館です。

第二次世界大戦の時にユダヤ人がナチスによってどんな目にあってきたのか
それを忘れないように建てられた。

ここには被害に合った人々の写真や名前が記されている。
写真を見て、すごい考えさせられた。
1940年代はこうやってたくさんのユダヤ人が殺された。
戦争が終わり、ユダヤ人の国ができた。イスラエル。
その国は、もともとその土地に住んでいたパレスチナ人を排除するために同じように虐殺した、それも大量に。その現状は今でも続いてる。
ひどい目に合ったはずの人々が、同じ苦しみを数年後に自分たちが行う。
なんか信じられないし、どんな神経してるんだろうって思ってしまう。
日本に置き換えたら、原爆落とされたからやり返してやる、なんて思わない。
何のために人々は殺しあうんだろう。
もっと平和的解決はできないのかな。
世界平和って簡単に口にできない言葉かなって思いました。

さて、ヤド・ヴァシェムを後にし、昼ご飯を食べにここに行ってきた。

そう、マクドナルド!
日本のモノとはなんか違う。
そうなんです、なぜか青い。
青マック。
これはユダヤ教が関係していて、
食事既定(コーシェル)をクリアしているものだという証明らしい。

ビックマックのセットを食べたんですが、1000円くらいした。
すげえ物価高いですここ。
次イスラエルくるときはもう少しお金持ってこようと思いました。笑

その後は近くに合ったショッピングセンターでSABONを発見したのでまた購入。

買い物を終えて、またLRTに乗車し新市街に向かう。
ナオトインティライミの楽曲を聴きながら読書。
ナオトがエルサレムに泊まっているとき、僕が泊まっているホテルの横のホテルに泊まっていたんだってさ。
ちなみにペトラ遺跡の時はヴァレンタイン・インに泊まっていたのだと。
少し嬉しくなったです。はい。

あ、ヤッフォ通りにあるRebarというドリンク屋があるんだけど
これが超絶にうまい。
フローズンの果物と、ヨーグルトをシェイクした飲み物なんだけどむっちゃうまいっす。
日本にもぜひ上陸してほしいな。

そしてそして
いつものパスタ屋さんに行く。
明日にはヨルダンに行くので、最後かな、と。
今日もトマトクリームパスタ。29NIS。

今日はビールもつけちゃいました。少し豪華。

あのバイトの子はいませんでしたね。
残念。
旅の出会いは一期一会だからキレイなんだよね。
と感傷的になってみる。

この日記を書くのも後1回?2回?
明日はついにアンマンに戻ります。
あさってはついについに日本へ。

終わりが見えてきたよ。

ってことで、あと1回で旅ブログも終了。
ぜひ次の更新もお楽しみに。

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イスラエル美術館で優雅な休日

2011.08.21 イスラエル6日目

朝8時30分に目が覚める。
前日に読書などをして夜更かしをしたため眠さが…。
よって二度寝。この旅初かもしれない二度寝。

起きると10時過ぎ。さすがに寝過ぎた、起床。

今日はイスラエル美術館に行くことに。
ホテルを13時前に出て、ダマスカス門の近くのアラブバス停から行くことにした。
が…、お目当ての17番バスがない。
仕方なく、シェルート乗り場へ。
だが、ここからも出ていないらしく、途方に暮れていたら…
現地の男性が
「musiamは6番バスだよ。大通りから出てるよ!」
と親切に教えてくれてた。
ありがてえ。
親切な人が多くて嬉しくなっちゃいます。

大通りに出て、バス停を発見、少し待つとバスが来た…!
一応美術館に行くか聞いてみると…
「6番バスではいかないよ。17番バスだぜ。」
らしい。

地元の人も理解していないんだね。
親切に教えてくれた彼にも6番バスでは美術館にいけないよ、と教えてあげたいです(笑)。
ただ、このバス停からは17番バスにも乗れるらしいので少し待って無事バスが到着。乗車できた。

少し走ると到着!
事前にmusiamには行く?と聞いていたので到着した時は教えてくれた。
ほんと優しいですなー。

この日は日曜日ということもあり、車がとても多かった。
休みを利用して家族で美術館、だなんてなんかオシャレ。

イスラエル美術館には、
死海で見つかったヘブライ聖典、
イスラエル人画家の絵、
ユダヤ人の生活様式、
世界の有名な画家の絵、
どでかい模型、
子供が遊べるような場所、
などなど盛りだくさんな内容だった。

むっちゃ可愛い子供がいたのでぱしゃり。

でかい林檎とユダヤ教の方。
ユダヤ教の人は、もみあげがめちゃくちゃ長い。
あと、正装?っぽい服装なので、すぐに分かります。

3時間ほどかけてゆっくり見て回った。
ほんと人がたくさんでヤバかった。

その後、バスではなく歩いて新市街を目指すことに。
だいたい5kmくらいだったかな。
朝から何も食べてないのと、暑さで瀕死状態だったのでかなりきつかった。
途中、マーケットを発見。
スプライト1.5リットルと、プリングルスを購入。
なんとか飢えをしのいだ(笑)。

新市街についたら、まず”いつもの”パスタを食べに行った。
最初行ったときにいたお姉さんに会いたかったが…会えず!
また明日も来よう!(笑)

そして、新市街にあるらしいショッピングセンターに行った。

ん?
何もない。
ショッピングセンターというくらいだからもっとでかいかと思ってたら
ほとんど何もやっていなかった。
テルアビブで買えなかったユニフォーム買えるかと期待してたんだけど…
残念。

その後、少し散歩してホテルに帰る。

この日からLRTが開通だったらしく、かなりの人がごった返していた。
テレビ局もいた。

ヘブライ語で書かれたカレンダーをもらったが、まったく読めず。
勉強したくなった。

さて、次の日はついにヤドヴァシム。
現実を見てきます。

次もお楽しみに。

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テルアビブからのエルサレム

2011.08.20 イスラエル5日目

朝8時50分頃起床。

テルアビブの夜はずーっとクラブミュージック的なのが流れていた。
ドミトリーは9人部屋だったんだけど、内6人は夜の街に消えていきました。
残った自分含め3人は観光客というより旅人、バックパッカーだったのだろう、夜11時には消灯した。
6人が帰ってきたのは夜の3時頃。
テルアビブはクラブ等が盛んらしい。
8月はシーズン真っ只中だし、若い男女が多くいたので、さぞかし盛り上がったのだろう。(自分もまだ若いけど笑)

彼らが帰ってきたころには音楽もなくなり静かになった。
そういえば、この日はシャバットだったのに関係なさそうだったな。
旅行者が多いからなのかな?

同じ部屋になぜか1人だけ女の子がいたんだけど
普通に自分の下着を干してるもんだから、目のやりどころに困ったことはここだけの内緒。

さて、朝9時頃には下のカフェに行って朝食をとる。
メニューはパンとコーヒー。
久々に優雅な朝でした。

午後にはエルサレムに戻る予定だったので、午前中はテルアビブを散歩することにした。

まず行ったところは、ビーチ!

朝早かったのにかなりの数の旅行者が日光浴してた。
ここイスラエル?っていう感じの印象だった。
若いカップルや、家族連れなどたくさんいた。
海はめちゃくちゃきれいだった。日本じゃめったに見られないレベルだった。

足だけ少し入った。冷たくて気持ちよかった~
少しビーチを堪能した後、「白い街」を見に行くことに。

シャバットのため、店はほとんど空いてなかった。
というか、外国人がいそうなカフェ以外はどこも閉まっていたが、街並みは楽しめた。
可愛い建物が多くあった。

などなど。
白を基調とした家がほとんどで、統一感があって素敵だった。
個展がひらけそうな場所が多くあったので、デザイナーなどが多くいるんだろうなと思った。

そんなこんなで散策を終了し、シェルートに乗ってエルサレムに帰った。
帰るという表現から、テルアビブがどれほどアウェイだったかがお分かりいただけるだろう(笑)。
戻ってきたー!いえーい!って感じでテンションあがった。

Palm Hostelに行き、今日からまた3泊泊めてくれ!と伝える。
歓迎された。

少し休んだ後に、旧市街に繰り出し、自分へのお土産と家族へのお土産を買った。
太鼓等を買った。
ここでも値切り成功し、なんとか考えていた予算内で購入することができた。
値切るのがうまくなってきたな…。

入り組んで分かりにくかった旧市街だが、ここを曲がればどこにつく…など理解し始めていた。自分の対応力に驚く(笑)。
さすが我が故郷エルサレム。
夜はいつものチキンを食べてお腹いっぱい。

そうそう、テルアビブのホテルへの帰り道になにやら面白そうな壁紙発見。

その前でぱしゃり。

次の日はエルサレム美術館に行ってきます。
次の更新を乞うご期待だ!

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テルアビブで迷子、日本食。

2011.08.19 イスラエル4日目

朝9時頃に起床。
生活リズムができてきている日々。
朝ご飯は、ベツレヘムで購入していたクッキーを食べる。
しっとりしたカントリーマアムみたいなやつがむっちゃうまかった。
しかもめっちゃ安いんです。

さて、今日はテルアビブに行くのです。
なのでPalm hotelをチェックアウトし、
井上さんに教えてもらったバス停からテルアビブに出発。
10人乗りの乗り合いバス。
エルサレム新市街のヤッフォ通り沿いの場所。
20NISと聞いていたけど、23NISでした。
数分待つと満席になったので出発。

1時間ほどバスに揺られ、テルアビブに到着。

テルアビブのセントラルバスステーション。
ほとんどのバスはここから出ているらしい。拠点。

地球の歩き方に示してあった16番のバスに乗れば
目的の広場近くに着くと書いてあったので乗車。

…だが。
一向に着かない。
テルアビブはビーチが有名と聞いていたのに
周りはどんどん住宅街へ。
住宅街を過ぎればきっと海がある、と信じて乗り続けた…
が…
ついたのは住宅街のど真ん中のバスターミナル。

運転手が、
「ついたぞ、降りてくれ」
みたいなジェスチャーをしてる。

いやいやいや
ここどこ?!

本気で焦りました。
初めてきた場所で、しかも海外で、

迷子…?

これは焦る。まじで。

とりあえず、運転手に
「広場いきたいんだけど、ここはどこですか?」
と聞くと
あー、真逆だね。先に言ってくれよ…。」
と言われちゃいました。

ほんとその通り。

「次のバスが出るとき教えるから、適当に待っててくれ」
と言われたので、バス停で座って待つことに。

数十分後、さきほどの運転手が
「いくぞー」
と声をかけてくれたので、乗車。
ナンバーは16番。きた道を戻るということだね、うんうん。
アホすぎる…

先払いだったので払おうとしたら
「運賃はいらないよ、あと降りるとき声掛けるから近くに座っててくれ」
とのこと…。
いい人すぎる。
顔めっちゃ怖いのに…。
感謝しつつ、バスは発車。

先ほどいたセントラルバスステーションも通り過ぎ、バスは走る。

途中から乗ってきた子連れのお母さんもとても親切だった。
「どこからきたの?」
「若者が行って楽しめるところはこことここかな」
「ホテルはここに泊まるといいよ」
と地図を見ながらテルアビブを解説してくれた。

というかかなり若く見られていたらしい。
海外に行くと若く見られる傾向がある…。
日本だと年相応より老けてみられるのに。

ま、余談はおいといて
運転手とこのお母さんのおかげでなんとか目的地まで到着。
本当に助かりました、ありがとうございました。

先ほどの親切なお母さんに教えてもらったホテルを数件聞いたけど
どこも満室。
あとから気付いたけど、8月のこの時期はテルアビブは一番忙しい時期。
ビーチもあるので、欧州からの観光客が多いのだとか。

結局、地球の歩き方にのっていたmomos hostelに泊まることに。
sky hostelにも聞いてみたのだが、空いてないと言われたため。
ドミトリーで1泊90NISと高め。
ハイシーズンだから仕方ないと諦めた。

迷子になるし、
宿高いし、
バカンスにきちゃってます!っていう観光客が多めだったので
早くエルサレム帰りてえと思ってました、正直。

というのもテルアビブに来た理由が、
イスラエルプレミアリーグの開幕戦を見る!
とのことだったのだけど、
スタジアムどこか分かんないし、チケット持ってないし、
なにより、疲れてるし…
しかも、予定日より1日遅れで開幕らしく…
ってことで、行くのをやめてたんです。
だからここにいても特にすることねえな…って感じでした。

でもせっかく来たんだし、街を散策しようと思い、散策開始。

ひたすら歩く。

街の印象としては、エルサレム旧市街とは違い、都会。
観光客も多め。
あと、女性の肌の露出が多い(笑)。

街の様子は写真でどうぞ。

◆カルメル市場◆

◆カルメル市場の向かいの景色◆

◆なんとも都会な雰囲気◆

◆自転車と歩行者の道◆

◆若者が多いカフェ◆

◆可愛い建物1◆

◆可愛い建物2◆

◆可愛い建物3◆

そうそう、テルアビブは現代建築群が有名らしく、
街の至る所におしゃれな建物が多く顕在していました。
次の日にがっつり見てきてるので、そこでも見てもらえたらと思います。

◆テルアビブ美術館◆

さて、いろいろと歩いていたら
日本でも有名になっているというSABONという店を発見。
ちょうど死海グッズがほしかったので立ち寄ってみることに。
すぐに店員の可愛すぎるお姉さんが寄ってきて、
僕の手に何やら塩らしきものを練り込む。
そして洗え、とのこと。
すると…肌がもちもち!やばい
思わず衝動買い。

◆lavender appleのボディスクラブ◆

日本で買うと500mlで5000円らしいが
テルアビブにある本店で買うと105NIS!!!
だから約半額で購入できた。
とてもお買い得~
女の子は喜ぶ商品でしょうね。
ま、僕は自分用に買いましたけどね。

いい買い物ができたところで
腹減ったな、おい
ってことになってきた。

調べてみるとテルアビブには日本料理屋さんがあるらしい!
ので、そこに行ってみた。
店の名前は「大波」。
全然期待してなかったですよほんとに。
店入った時も、明らかに日本人ではない人(中国のお方)が厨房に立ち、
ホールはイスラエルのお方。

あーこれやっちまったなまじで。
と思いつつ、でも日本食なんてこっちきてから食べてないし
ろくなもん食べてなかったので、日本料理と聞くだけでテンションがあがってた。間違いない。

コースになっていて
前菜にみそスープ
次にサラダ
メインは親子丼を頼みました。

◆テルアビブの親子don!!!◆

んで、味なんですけど。
……普通にうめえ
味噌汁とか、若干味違うけど、なんかいろいろちがうけど
でもうまい
というか、うまいと感じてしまった。

ひさびさの味噌汁のあの感じ。
鼻を抜けるみその香り。

いろいろ嬉しかった。

そして、日本が好きなんだなと認識した瞬間でもありました(笑)。

前菜で味噌汁頼んだのに、
メインでも味噌汁ついてきたときはびびったけどね(笑)。

◆帰り道…◆

そんな感じで、1日が終了。

次の日は
テルアビブ1泊2日の旅終了からのエルサレム戻ってきたぜ編

をお送りいたします。
次の更新をお楽しみに。

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井上文勝さんというすごい人。

2011-08-18 イスラエル3日目

8時30分起床。
目覚め良すぎ。

今日はイスラエルに40年在住の井上文勝さんに会いに行く。
かなりすごいですよ、この人は。
詳しいプロフィールはamazonから引用させていただきました。

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井上 文勝
1944年、秋田県生まれ。建築家。66年、明治大学を卒業。イスラエル国立工科大学にて修士研究をする。69年、イスラエル占領下のパレスチナに移住。今日に至る。大学、美術館、教会、シナゴーグ設計等に関与。ホロコースト研究にも取り組む。著書に戯曲『コルチャック先生・ある旅立ち』がある。現在、国際ヤヌシュ・コルチャック協会日本代表。イスラエル・パレスチナ関係の寄稿も多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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ヤヌシュ・コルチャックの日本の代表をされている方です。
日本ヤヌシュ・コルチャック協会に関してはこちら

著書には
子どものためのコルチャック先生

「千の風になって」紙袋に書かれた詩
があります。

そもそも、ヤヌシュ・コルチャックって誰…?って人もいるはず。
簡単に説明すると、小児科の医者であり、児童文学作家であり、ユダヤ人孤児院の院長。
第二次世界大戦の時、ユダヤ人大虐殺があったのは周知の事実。
自分自身もユダヤ人であったためにその対象になったのですが、
コルチャック本人であると気付いたドイツ兵は、処刑される列から外れてください、私はあなたの本を読んで育ちましたから、と伝えましたが
コルチャックは自分だけ助かることを拒否し、孤児院の子供たちとともに殺害されてしまいました。
子どもの権利を提唱した偉大な人です。
詳しくはこちら
僕も詳しくはまだ知らないので、これから勉強していこうと思います。

さて、話を戻して…
すごい人というのは知ってたので、結構緊張してたわけです。
朝、ホステルの受付に来てくれるということだったので待ってました。
10時過ぎにいらっしゃいました、すごい人。
ふらーっときました。
そして、会って一言目。

「ベツレヘム行ったんだって?あそこつまんないでしょー」
一気に緊張ほぐれました。
かなり面白い雰囲気。

少し話してから、バス(36番)に乗り、
井上さんの家があるパレスチナ自治区のアザリヤに向けて走り出す。
バスの中では、
「去年アンマンに2週間ほどいましたよ、NHKのテレビの関係で……」
とか
「朝日新聞社の人はよく家に来ますよー。」
…すごさを改めて実感。

さて、チェックポイントの近くになると
「チェックポイント面白いから歩いて行きましょう、うん!」
ということで、歩いて通過。

ベツレヘムの時もそうだったけど、
パレスチナ自治区とイスラエルの間には分離の壁がある。
これにより、交通の便がかなり悪くなったんだとか。
でも、自爆テロの数も激減。
どちらがいいのかな、とか考えてみたり。
人の命は尊いものだし、壁があったほうがいいのかな。
ベルリンの壁のように、和平によりいつかなくなることが理想的ですね。

チェックポイントを通過すると、taxiでお家に向かう。
5分もしないうちに到着。

◆家のまわり◆

お家に着くと、アメリカ人の奥さんが出迎えてくれた。
お茶をもらい、ソファーに座り、ゆっくり。
英語で奥さんから質問されるも…
聞き取れるんだけど言葉が出てこない!
ここでも英語の必要性を感じてしまった。
この旅で何度感じたことだろう、この敗北感。。
井上さんには、
「僕もこっちきたときは君みたいに何にも話せなかったよ!」
と笑い者にされてしまった(笑)。
今では、ヘブライ語、英語などを話します。すごい…

「ご飯準備してあげるから、外を散歩してきなよ。」
との事だったので、周辺を散歩。

写真をどうぞ。

◆ハイビスカス◆

◆教会への階段◆

◆教会◆

◆日本代表っぽく◆

◆教会からの風景◆

◆教会と隣接するモスク◆

◆アザリヤの街の様子◆

外を30分ほど散策し、家に戻る。
すると、井上さん特製のモロヘイヤの香りが。
めちゃくちゃおいしくて、3杯もいただいてしまった。
ヨルダンにいるときにモロヘイヤ食べれなかったですが、こんなうまいものを食べられるなんて…!
ご飯の面で少し苦労していたので、ここでのモロヘイヤは激アツでした。
ご飯も日本のもののようで、本当においしかったです。
その後、アラブコーヒーをいただきながら、お話を聞いた。

井上さんは建築を学んでいたため、最初はそのために留学していた。
その後は、イスラエル美術館や、ヘブライ大学の建設にも関わっていたと。

いろいろ質問しようと思っていたけど
「実はね、そこらへんのことは自叙伝に書こうと思ってて。」
とのこと。
ほぼ完成しているらしいので、出たら買おう!って思ってたら…

なんと、その校正を任せていただくことになるかもしれない!
なんといい機会。
ゆくゆくはライターになりたいなという夢もあるので喜んでお受けすることに。
「また詳しくはメールしますんで、その時はよろしくねー!」
とのこと。
待ち遠しい!ぜひやりたい!

予定があったのか、13時頃にお別れすることに。
奥さんにダマスカスゲート近くまで送ってもらいました。

途中、トイレ行きたい!と奥さんが。
なので、ショッピングモールにいきました。
駐車場に入るだけでも兵隊さんの厳しいチェックがあった。
かなり厳重だな…。少し緊張感。

奥さんはイスラエルはそこまで好きじゃないらしい(笑)。
なんでラマダーンするのよ…とかいろいろぼやいてた(笑)。

井上さんは井上さんで、
「パレスチナもイスラエルも、馬鹿だよ~」
と笑顔で言ってた。
ずっと住んできて、パレスチナ問題を身近で感じてたからこその言葉かなと感じた。
感想としては
この夫婦、面白すぎる…。
僕の文だと伝わらない部分が多いと思うけど
きっと会ってみると分かる!
興味ある人は、自分でアポとって会ってみてほしいです。
すごい魅力的な人です。
また、イスラエルに行く機会があったらお会いしたいです。

エルサレムに帰ってからは、少しゆっくりしてからシオンの丘らへんにいった。
ここにはマリア永眠教会や、最後の晩餐の部屋、などがある。
写真でどうぞ。

◆チェ・ゲバラのお店◆

◆教会…1◆

◆最後の晩餐の部屋だぜ…!って英語で書いてあるはず(笑)◆

◆最後の晩餐の部屋◆

◆教会…2◆

◆ダビデ像の横で商売◆

◆勉強してる…◆

◆マリア永眠教会◆

と、こんな感じでがっつり観光。
マリア永眠教会で、写真撮ってたら優しそうなおじさんに怒られた。
人はみかけによらないな…って違うか。

その後は、旧市街に戻り、ふらふら歩いた。

◆旧市街の子供…◆

子供いたから撮ったら、ちゃっかり顔隠してる。
照れ屋なのね、ふふふ。

◆これも世界遺産…名前忘れた◆

◆素敵な感じ◆

ユダヤ教徒地区を歩いていたら道に迷ってしまった。
旧市街は迷路みたいになってて本当に困った。
今どこ歩いているのかもわからなかった。
そんなときふと横を見たら…
たまたまこの風景。

◆岩のドームと、嘆きの壁◆

結構穴場スポットだったな。
岩のドームは、現在(2011.08)はムスリム以外は立ち入り禁止なので
ここが一番きれいに見れたポイントだったかも。

実際、旧市街は飽きるくらい満喫しました(笑)。

さて、なんとか迷子回避して、いつものシシカバブを買って夕飯に。
やはり、うまい。
野菜もモリモリだし、肉も多いし。
って、写真探したけど、撮ってなかった…後悔。

そうそう、買う時に店長らしき(?)人が
「できたら教えてやるから待っててくれ!」
みたいなことをいってきたので待ってたら…
そいつ、真っ先にシシカバブ食ってやがった!
でも僕のができた時はアイコンタクト送ってくれて…
結局何だったんだろうあの人は。
ただの客?
よくわからんけど、親切な人多いです(笑)。

そんな感じでこの日も終了。
濃い一日でした。
井上文勝さん、素晴らしかった。

明日は、テルアビブに向かいます。

次の更新もお楽しみに。

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3カ国目、突入。

 
2011-08-17 イスラエル2日目

8時30分起床。
日本にいた時と考えると、驚くほど規則正しい生活。
だいたい23時には寝るので、目覚めもばっちりである。

起きてからは、
ロビーに行ってネットしたり、
Twitterのメンションを読んだり、
メール確認したり…
気がつくと9時過ぎになっていた。

準備をして、いざ出発。
今日の目的地は、パレスチナ自治区のベツレヘム。

エルサレムからは、ダマスカスゲート近くのバスステーションからバスが出ている。
露店でパンを購入し、21番バスに乗り込む。

ベツレヘムに行くにはいくつかバスが出ているようだが、
21番バスに乗ればチェックポイントを通過しなくて済むということだったので
これで向かうことにした。
ちなみにベツレヘムからエルサレムにいくには使うことはできない。

チェックポイント?
と思うかもしれないが、パレスチナ自治区に行くにはチェックポイントを通る必要がある。
そこでIDチェック、荷物チェック…などと結構厄介であると聞いていた。

7NISを支払い、乗車。
バス内はきれいな印象。

ベツレヘムとの境につくと、イスラエル兵が乗車。
ヨルダンから国境越えしてきたときに似た緊張が走る。
何やら紙を見てチェックをしているらしい。
アラブ人の通過のチェックだろうか。
だが日本人はチェックされないらしい。
僕の前はするーっとスルーしていった。

ベツレヘムのバスターミナルに到着するとやはりtaxi殺到。
ただ、今回は歩いて行ける距離なのでシカトさせていただいた。
ここで、ペトラに行くときにイスラエルに向かっていた日本人に会う。
彼は現地の人と話し込んでいたので、軽く会釈してその場を去った。

◆ベツレヘムバスターミナルから◆

◆黄色の車はすべてtaxi◆

バスターミナルから少し歩くと
露店やら、お土産屋さんがたくさんあった。
キリストの生誕の地ということで観光客も多いのだろう。

◆パレスチナの国旗が…◆

エルサレムの旧市街ほどではないが、人も多いしごった返している。
こういう雰囲気好き。

◆街並み1◆

◆街並み2◆

◆街並み3◆

◆街並み4◆

◆街並み5◆

◆街並み6◆

◆街並み7◆

街並みはおしゃれな印象。
白いレンガ造りの建物や、道など。
こういう場所は初心者カメラマンにとってはありがたい場所。
どこを撮っても素晴らしい写真になる。
理想的な被写体ですね。

さて、お土産屋さんを見ながら歩くこと約30分。
前方に見えてきた、生誕教会
この日も観光客がたくさんいた。
インドや、ヨーロッパ、韓国などなど。
いろんな国から来ているようだった。

歩いていて気付いたんだけど、
korean!!!と呼ばれることがほとんどだった。
韓国ではキリスト教が最大勢力の宗教であるためよく訪れるのだろう。
日本人だよ!!!と教えると
笑顔で、コンニチワーと言ってくれるのが印象的だった。

◆生誕教会◆

教会の入り口で少し休憩してから中に入った。
中ではなにやら教会っぽいことが行われていた…
なんていうの、ミサっていうの?
わかんないけど、思ったことは
「場違い感はんぱねー」
これはエルサレムでも思ったことだけど
無宗教な僕からすると、こういう場所苦手…

◆内部の様子1◆

◆内部の様子2◆

◆キリストが生まれたとされる場所◆

◆こっちも◆

◆暗くて何も見えないけど、僕です◆

苦手とかいって、がっつり見てきました。
地下に生誕の場所があるんだけど、並んでるの知らずに思いっきり逆走して
内部に潜入してました。
いや、そんなこともあるよね。

あ、生誕の地はベツレヘムって言われてるけど、
実は定かではないらしいです。
なのに教会まであって…、もう後に引けない感じ?

生誕教会を見た後は
ミルク・グロット教会にも行ってきました。
かわいい教会っていわれてるんだって。
特に何もありませんでした。

◆ミルク・グロット教会入口◆

◆入口にあった絵◆

ベツレヘムは見尽くした感満載だったので帰ることに。
帰りにお土産屋さんでマグカップを買った。

◆こんな写真撮ったっけ?◆

◆中央のやつを買いました◆

ここの店員さんが、たぶん10代の男の子だったんだけど。
僕のカメラに興味津々で、
「触らせてくれ!撮らせてくれ!」
って言ってきて
可愛かったので、渡した。
その時に撮ったであろう写真が上の2枚。
センスを感じるね!とか言える立場じゃない。

ここからは、歩いてチェックポイントを目指すことに。
バスに乗ってもチェックポイントで降ろされてしまうだろうし
どうせなら歩いて街並み見ながら帰ろうってなったので。

◆おしゃれ◆

◆景色良い◆

◆可愛い階段◆

結構な距離を歩いた。
道に迷って困っていると、
「どうした?」と声をかけてくれて、とても感激。
おばあちゃんも道を教えてくれて、なんか後ろ姿がむーっちゃ可愛かった。

イスラエル兵にも道を尋ねた。
満面の笑顔で親切に教えてくれる。
この道をまっすぐだよと。

思ったんだけど、戦争したがるのって
国の頭の連中だけなんじゃないかなと。
アフリカの神の抵抗軍(LRA)だって、きっとそう。
人殺しとかが普通な営みである環境に生まれてきただけ。
僕らが働くように、彼らは人を殺すのであって。
そうじゃなきゃやられちゃうし。
人殺しが普通の営みって考えるとやっぱ少し怖いけど。
なんか脱線したけれども!
イスラエル人はこうだ!とかパレスチナ人はこうだ!
とか、偏った意見が多く見受けられるけど
人それぞれは全然そんな悪い人じゃなくて
純粋な人たちなんじゃないかなと。
なんか考えが頭の中でまとまらないから勉強しなきゃだけど
人と人の繋がりを大事にすれば、いつかきっと平和な世の中が来るんじゃないかなってこと。
勉強たくさんして、またこのことについては考えてみよう。

イスラエルとパレスチナの間にある分離の壁。
そこには、たくさんの絵が描かれていた。

◆分離の壁に描かれた絵◆

◆普通にうまい…◆

◆手を取り合い、人とのつながり◆

◆分離の壁、崩壊への願い◆

◆印象的な絵◆

この中で一番印象深かったのが下の写真。

◆SALAM SHALOM PEACE◆

SALAMはアラビア語(アラブ人の言葉)、
SHALOMはヘブライ語(イスラエル人の言葉)、
PEACEは英語。
意味は、「平和」。
それぞれの言語で平和を祈っているというメッセージのこの絵は
とても印象に残った。

さて、脱線したのを戻しつつ…

イスラエル兵の助けもあり、無事にチェックポイントに到着したわけです。
ドキドキで中に入る。
だが、パスポート提示もなく、荷物検査も簡単なもの。
すんなりイスラエル側に戻ってきた。
外に出ると、24番バスがちょうどあったので、そのバスでエルサレムに戻った。
ホテルに戻り、少しだけまったりして…。
今日は時間もあったので、新市街に出かけてみることに!!!

はい、都会。
女の人が、女の人が!!!
マジで可愛いし、きれいだし、何ここ天国ですか?
ってレベルでした。
しかもなんか…落ち着く。
今まで埃っぽい(表現が失礼か…)街ばかりだったので
ひさびさのこの感じに落ち着いてしまった。

疲れてベンチに座っていると…
大家族が目の前でご飯を食べていた。
じーっと見てると、むっちゃ可愛い女の子が照れながら微笑んでくれて。
女の子4人、男の子3人くらいの大家族だったんだけど
この大都会で、なわとびをしてました。
使い方違う!!!とかお姉ちゃんに怒られながら。
くすくす笑ってたらこっちに気づいたらしく。
みんなこっちを意識しながらちらちら見ながら縄跳びしてた。
自然と微笑んでたよ。
平和だなーと思ってしまった。
最後、ばいばーいって言ったら、手を振ってくれた。
お母さんも何か言ってくれてる。
ありがとう、とか言ってるのかな?
「ニーハオ!」……!
はい、きました。オチはこれでした。

◆都会です◆

◆きれいな街◆

ご飯はパスタを食べたんだけど、美味!
ここの店員さんもめちゃくちゃいい人で(くそ可愛くて)、
日本行きたいんです!と言ってた。
英語できなさすぎてうまくコミュニケーション取れなかったのが悔やまれた。
ここまで自分の英語力を悔やんだ日はなかった。
英語話せたら…英語話せたら…何か発展……してないか。
次あの子いたら写真撮りたい!
って思ってたんだけど、もう会うことはありませんでした。
一期一会…大事にしないといけないなと思ったよ…
いろいろと悔やんだ一日でした………笑

さて、次の日はついに井上文勝さんに会いに行きます。
イスラエルに住んで40年になるというすごい人!!!

次の更新をお楽しみに。

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イスラエルに入国…?

 
2011-08-16 ヨルダン5日目 イスラエル1日目

6時30分起床。
今日はイスラエル入国の日。

知ってる人も多いと思うが、イスラエルの入国はかなり厄介らしい…
入国審査の際に根掘り葉掘り質問されて…
うまいこと答えたとしても…
別室に移動させられ、冷房の効きすぎた部屋で数時間放置され…
と、気が進まない話をよく聞いていた。

俺、英語ほぼできないし、ましてや初めての陸路での入国だし
なにこれ絶対無理…
って感じに思ってて、夜も眠れなかったのは言うまでもなく…

でも行かなきゃ始まんない、この旅の目的地行きたいし。
ってことで
前日に予約しておいたバレンタインイン前から出ているアンマン行のバスに乗るために早起きしたってわけです。

7時発と聞いていたので、すでにバスがいたので、乗って待機。
………
全然発車しねえーって思ってたらぞくぞくと乗客が。

あ、みんな朝食食べてたのね。
んでまあ、30分くらい遅れ?で出発。

バスが狭かったけど、5JDだし安いしOK!!!

車内には7人日本人いたけど、4人がマンスールホテル行くらしい。
さすが、日本人に大人気!!!

さてさて、約3時間でアンマンに到着。
降りるとtaxiの運ちゃんがぞくぞくと集まってくる。
その中の1人にキングフセイン橋に行きたいと伝える。
20JDと言ってきたので、ok,1人5JDね。と無理矢理交渉して成功。
途中なぜか降ろされて、こっちに乗り換えてくれ。
と言われる。
そこでなぜか6JDに値上がり…。
同乗者の製薬会社勤務の男性は、若干キレ気味で車内にあったIDを撮ってた。
まあ、100円くらいだし、いっかー。って感じでしたけどね、僕は…

乗り換えた理由だけど、たぶん国境にいくにはIDが必要らしく(?)
そのために乗り換えしたんだと思う。

約1時間でヨルダン側の国境に到着した。
tax等を支払い、バスに乗り、イスラエル側まで移動…

いや、ほんとこのときはドキが胸胸でしたよ…

途中、イスラエル警官(?)の人が乗り込んできて
無表情で色々調べてて、がーち怖かった…
表情どこ置いてきたんだよこの人。

荷物を預け、入口のところで軽く質問されて
なんとかそこはスルー、よしよし。
手荷物のチェックも終え、ついに…
イミグレ…!
なるべく製薬会社の彼の近くにいるようにしてた。
美人なイスラエルのお姉さんにどんな質問されるんだー
どきどき…

あ、質問してきた、でも聞き取れねー
そこで、俺英語苦手なんス(てへ
って顔したら、製薬会社の彼が、
「friend.」
と…!
機転きくじゃん!いいね!
俺の他力本願ぶり発揮。
すんなり、あまりにもすんなり、入国成功!
ほんと彼に感謝。ありがたやー。

ただ、ここまですんなり入れたのは
no stampにしなかったからである!!!

ヨルダン出国のスタンプはないのに、
イスラエル入国のスタンプはあるという…
まあ完全に謎な状況になったけどこのパスポートもうすぐ変えるし無問題。

ただ製薬会社君もスタンプ押されちゃってて、申し訳ないことをした…

さてさて荷物を受け取り!
エルサレムへ!
と思ったが、バスが10人集まらないと発車しないということだったので
近くにいたシカゴで高校の先生をやってるアメリカ人のおじさんとともに客集め!
なんとか客を集めて、エルサレムへ!!!

ホステルはもう決めていて、
ダマスカスゲート近くのnew palm hostelでお泊り。
ナオト・インティライミさんがエルサレムにいた時に使っていたホテルの隣!

◆ドミトリー6人部屋◆

日本人価格で1泊40NISにしてくれた。
だいたい1000円くらいかな。
ドミトリーとはいうものの、他に誰もいないところにしてくれた
格安!ありがたやー

長袖長ズボンというスタイルに着替えて、エルサレム旧市街を練り歩いた。
ここには色々なお店があった。
パン、駄菓子、ピザ、洋服、布…などなど。

途中、スポーツ店があり、イスラエルのサッカーユニフォームを購入した。
マッカビ・ハイファというチーム。
エルサレムでハイファのユニフォーム?と思うかもしれないが
このチームはイスラエルプレミアリーグ優勝常連チームで
チャンピオンズリーグにも出場している強豪なのだ!
少し古いモデルだったけど構わず購入。
値段交渉とかそういうの忘れてて、100NISで購入。
2500円くらいかな。2.5泊分、さようなら…

この日は
ヴィア・ドロローサから聖墳墓教会に行って
嘆きの壁に行った。
以下、写真でどうぞ。

◆街並み1◆

◆街並み2◆

◆街並み3◆

◆岩のドームが見える◆

◆ヴィア・ドロローサのあるポイント◆

聖墳墓教会なのだが、世界の中心と言われているらしい。
なので、叫んでみた。

◆世界の中心で愛を叫ぶ◆

◆聖墳墓教会入口◆

◆イエスが復活した場所◆

◆嘆きの壁◆

◆イスラエルの国旗◆

◆嘆きの壁で嘆かず◆

こんな感じで、疲れているはずの体を突き動かし、がっつり観光してしまった。
嘆きの壁は頭さえ隠していれば(帽子でも可)入れそうだったが、
無宗教だし、興味本位でこういうとこ入らないほうがいいかなと思って
手前で写真を撮って、ホステルに帰ることにした。

露店でシシカバブを買って、それを夕食にした。
これがかなりうまい。ハマってしまった。
たぶん毎日食べても飽きない。
むしろ食べたい、食べさせてくれ。書いてたら食べたくなってきた。

明日はベツレヘムに行く。時間があればエルサレムも観光しようと思う。

次の更新をお楽しみに。

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