「aqua+ignis(三重県菰野市)」に行ってきました。

久々の「行ってきました」シリーズです。
と、言っても、実際に行ったのは昨年末になるのですが…。

さて、今回行ってきたのは、三重県菰野市の御在所岳の麓にある、「aqua+ignis」です。
御在所岳の麓には、湯の山温泉という温泉街があります。

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最近登山にハマっているのですが、行った帰りに温泉に入って帰るのが一つの流れになってきました。
今回も下山後に温泉に入るため、湯の山温泉の案内所にてオススメの日帰り温泉を聞いたところ、
「片岡温泉は人が多いかもしれないけど、オススメだよ」と。
温泉の人が多いのなんて知れていると思い、オススメされた片岡温泉に向かいました。

写真 2014-11-30 16 32 19

そしてたどりついたのが、「aqua+ignis」。
温泉複合施設になっており、
片岡温泉の敷地内には、ケーキ、パン、いちご園等、ちょっとした観光スポットのようになっていました。
人が多いかもしれない、という言葉から想像していた人のにぎわい以上の人の多さ。
温泉目当ての人ももちろんいるのですが、この複合施設すべてを目的にやってくる人のほうが多い印象でした。

写真 2014-11-30 16 32 54

建築物自体も温泉とは思えないモノ。
建物のすぐそばには噴水もあり、少し異空間。
この時期は、暗くなるとイルミネーションを行っているらしく
手作業で準備をしている従業員の姿を見ることが出来ました。

写真 2014-11-30 16 38 36

今回は時間もあまりなく、温泉以外はあまり見ることができませんでしたが、
敷地内でつくられた果物を使ったスイーツを販売している店などもあるみたいで、
ミニ地産地消でした。
辻口博啓シェフのお店もあります。



写真 2014-11-30 17 39 13

三重県に行く機会のある方はぜひ、訪れてみては。

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アクアイグニス 湯の山温泉にある癒しと食の総合リゾート

それでは。

みなさんの幸せってなんですか

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ちょっとだけ気持ちが沈んでいます。
こういうときはSNS離れしたほうが良いと言われたことがありますが、あえてブログにて書き綴ってみます。

自分は「どうやって死ぬのがベストなのか」を常に考えています。
もっと小さく言えば、「死ぬ」というより「終わり方」。

何をやるにしても、いつかは終わりが来るわけで。
どうやって終われば次に繋がるかとか、気持ちよく終われるか、とか。

東京にいた頃は、あまりこういうことを考えていなかったため、
あらゆる方面にご迷惑をお掛けしていたんですが、
そのせいもあってか、最近は終わり方を意識するようになっています。

何かを始めることはすごいことだし、
大変なことだし、
素晴らしいことなのですが、
何かを始めることは、「責任感」が無くても成立するんですよね。

ですが、何かを終わるとき、
終えるときというのは必ず「責任感」は生まれる。
というか、持たなければいけないと思っています。

プロジェクト単位で言えば、終わり方。
人生単位で言えば、死に方。

そんなことを踏まえて、
どうやって死ぬのがベストかなあと考えるわけですが。
「ああ、良い人生だった」と幸せな気持ちで逝きたいわけです。

最初シリアで亡くなった山本美香さんの報道を聞いて、
「きっと後悔はないだろうな」と思っていました。
自分の信じる道を突き進んで、その結果、戦場で命を落とす。
本望だろうななんて思ったりもしました。
が、彼女の考える「幸せ」はきっともっと先にあったんだろうなと。

話は脱線しましたが、自分の幸せを考えてみました。
幸せってなんだろう。
みなさんの幸せってなんですか。

最近あらゆるモノを切りすぎて、自分を見失っている気がする。
それでもまだ振り切れない、制御している自分がいます。
楽しいけれど、それが幸せなのかと考えるとまた無限ループに。

いろんなことを考えすぎて、いつもパンク気味な私ですが、
捌け口を探し求めた結果、ブログに書き綴るということで落ち着きました。
これからはもうちょっと更新していこうかなと思ってはいますが。
どうなることやら。

祖母の初盆が近づいているので、
「死」と絡めて考えてみました。

どんな死に方がベストなんだろうか。

「social tower book」と「Tomag」から考える、地方文化誌の可能性。

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ご無沙汰しております。
ブログを書きます。

さて、タイトルの件。
最近読んだ「social tower book」と「Tomag」から感じたことをつらつらと書き綴ってみようかと。

情報誌というと、「○○ウォーカー」のように、情報盛りだくさんで、キュレーションせず(ある程度はしているとは思いますが)に紙面いっぱいに情報を散りばめたものが今までの形でした。
読者にはいどうぞ、と情報提供だけをして、あとはお任せという感じでしょうか。

ところが、この2冊は、情報誌ではなく、文化誌なんだなあと。
前者の「social tower book」は、業種も、年齢も、性別も様々な人に「あなたの好きな名古屋は?」とインタビューをし、それを元に記事ができあがっています。「social tower book」は誰もが知ってる、というよりも、ちょっとニッチなお店だったりが紹介されています。
それに対して後者の「Tomag」は、誰もが知っている中野ブロードウェイの話がメインになっています。ただ、共通して言えるのは、どちらも「人」が切り口になっています。

今までの情報誌は、情報提供のみで終わっていたのに対して、この2冊は、情報提供ではなく、語弊を恐れずにいうならば、「強者的なオピニオン」を感じました。(この表現で伝わるかな…)
もっと柔らかく言うと、
本をつくる人が、「ここだ!」という自信を持っている。

これに付随して最近感じるのは、
「行列ができる○○!」とか、そういったものに興味を示していた時期はある層では終わりつつあって、「あの人が選ぶ○○」といったような、特定のキュレーション能力を身につけることに興味を示しているのではないかなと。もっと言ってしまうと、キュレーションしているヒトにも興味を示しているのではないかという仮定。FacebookやTwitterなどの出現により、自分から情報発信がし易い環境になったため、より色濃くなってきているように感じます。

話がずれたので戻しますが、何が言いたいかと言うと、
今までのような情報誌の形ではなく、この2冊に代表されるようないわゆる「地方文化誌」の出現により、また地方の魅力が再確認されるのかなと。

d&department projectの「d design travel」のようなモノがどんどん出てきていて、地方やっぱ面白いなあっていう流れになってきてるんじゃないでしょうか。

って最後すごい投げやりですが(笑)。

何にしても、d design travelは2009年が最初だったかな?
今から5年前にやり始めていたんだなあと。
d design travelの情報って、スマートで、直感的に「良い」と思わされてしまうんですよね。ああいうのうまいなあ。どうやって選んできてるんだろう…。

と、キュレーションする力を一番欲しているのは自分なのかも。

今日はこんなところで。

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8/04/d47 MUSEUM/D&DEPARTMENT PROJECT/文化誌が街の意識を変える展

こんなのあったけど、結局行けず終いでした。

神戸のKIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)に行ってきました

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「行ってきました」シリーズ第2弾。
3月22日、神戸にあるKIITOに行ってきました。

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KIITO | デザイン・クリエイティブセンター神戸

というのも、大ナゴヤ大学のプロジェクトNAMO.で制作したフリーペーパー「Journal NAMO.」が、
「フリーペーパー +ZINE ミニフェス」にて展示されることになり、それを見に行ってきました。

KIITOってなに?って方のために。
KIITOのホームページからの引用です。

KIITOについて – コンセプト –
みんながクリエイティブになる。
そんな時代の中心になる。


神戸で暮らす人や働く人。子どもや、若者や、大人たち。
そんなすべての人が集まり、話し、つぎつぎに何かを生みだしていく場所。
それがデザイン・クリエイティブセンター神戸です。

一部のアーティストやデザイナーだけでなく、
さまざまな人や世代が交流し、そこから生まれるアイデアや工夫で
新しい神戸をつくっていく。

その「実践」が積み重なれば、じぶんの街への愛着が増し、
街そのものにも個性が生まれ、やがては神戸の経済もより元気になっていく。

人がクリエイティブになること。街がクリエイティブになること。
この場所が、そのための中心地となること。

近い将来、日本や世界のまちづくりのお手本になるために、
神戸三宮の地で、かつてない試みが動き出します。
http://kiito.jp/about/

KIITOのセンター長は、別府で開催されている「混浴温泉世界」の総合ディレクターである芹沢高志氏。
KIITOの存在は聞いたことがあったのですが、芹沢氏が関わっているというのは今回初めて知りました。

KIITOについて – KIITOからのメッセージ –
今、私たちは文明史的なスケールで、大きな転換点に差しかかっている気がしてなりません。日本だけに限らず、世界中で次々と難問が発生し、その多くがこれまでの方法ではうまく解決できないような類いのものになってきています。私たちはこれまでの考え方、やり方そのものを見直して、勇気を持って、新たな未来を切り開いていかねばならないと思うのです。

かつて、ホログラフィーの発明者として知られる物理学者、デニス・ガボールは「未来を発明する!」と述べました。今必要なのは、まさにこうした創造的な姿勢ではないでしょうか?一部の専門家に任すのではなく、私たちひとりひとりが自分の生きる現場で創造性を発揮し、生きていく喜びとはなんなのかを自問して、自分や身の回りや社会が抱える問題に立ち向かっていく。そういう必要性を強く感じるのです。

デザイン・クリエイティブセンター神戸は、まさにそういう時代に、ここ神戸市に誕生しました。デザインという営為を創造的な問題解決そのものととらえる。そしてさまざまな人々の交流から生まれるアイデアや工夫を取り入れ、社会的な問題を解決していくことを「+クリエイティブ」と位置づけ、このコンセプトのもと、さまざまな活動を紡ぎだし、発信していく。

そんな、創造性の交差点のような、開かれた拠点になることを目指しています。
http://kiito.jp/about/message/

朝10時に金山駅に集合し、車で神戸に向かうことに。初っ端からアクシデントあり、途中渋滞もありましたが、14時過ぎにはKIITOに到着。

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ちょうどバス停の除幕式が行われていました。
KIITOは、クリエイティブラボという、レンタルオフィス、アトリエとして利用できるスペースがあるのですが、そこの入居者がデザイン、制作をしたんだそう。

元々生糸工場であったこの場所。
よく見ると、生糸が使われているなど、昔と今がうまく融合した形であるように感じました。
ワークショップという形で、一般の方も参加できるような仕組みも。
http://kiito.jp/schedule/workshop/article/7578/

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除幕式の群衆の横をすり抜けると、「KIITO」のロゴマークが施された建物の入り口が見えてきました。
4階建のこの建物は、1927年に輸入生糸の品質検査を行う施設として建設されました。その後、役割を終えて、2008年に神戸市がユネスコ創造都市ネットワークのデザイン都市に認定されたのち、デザイン・クリエイティブセンター神戸として、2012年8月に開館しました。

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話は少し逸れますが、神戸には趣きのある建築物が多いように感じました。阪神大震災を乗り越えてここまでの景観を維持できているのは誇らしいことだと感じました。
(上の写真は、神戸税関の建築)

建物の中に入り、まず入って左側にあるMUJI+クリエイティブスタジオへ。
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それから、趣きのある階段をのぼり、4階に向かいました。
ちょうどこの日は、オープンKIITOということで、クリエイティブラボのフロアが開放されていたため、見学をすることに。
デザイン、出版、ウェディングなど、ほんとうに様々な業種のオフィスがありました。
それぞれがワークショップで催し事をやっていて、子どもの姿が多かったのも目につきました。
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その後2階にいき、今回の目的である「フリーペーパー +ZINE ミニフェス」へ。

ここでは、東京にある「only free paper」と、姫路にある「納屋工房」が、KIITOに展示するためにセレクトしたフリーペーパーや、zineがありました。

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見覚えのあるものから、斬新なものまで。ニッチで面白い切り口のものもあり、眺めているだけでも面白いものばかりでした。
この日はKIITOのトートバッグがもらえたので、この中に気になったフリーペーパーを入れてきました。また時間を見つけて読んでみようと思います。

様々なフリーペーパーを前に、芹沢高志氏の言葉を思い出しました。
“一部の専門家に任すのではなく、私たちひとりひとりが自分の生きる現場で創造性を発揮し、生きていく喜びとはなんなのかを自問して、自分や身の回りや社会が抱える問題に立ち向かっていく。そういう必要性を強く感じるのです。”

個々人が抱える問題を、それぞれの方法で解決していく。
個人が立つ世界になってきているからこそ、それなりの責任感も生まれるし、中途半端に生きてはいけない。
逆に、自分をしっかりと律して生きていけば、世界は少しずつだけど変わっていくのかもしれない。
バックミンスター・フラーの「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という言葉がしっくりきました。
まずは自分の周り、ローカルに行動する必要があることを感じさせられました。

そんなことを考えつつ、KIITOを後に。
知らないだけで、きっと日本中にはこんなところがたくさんあるんだろうなあと。
日本についてもっと知りたいと思えた1日でした。

浜松にあるbooks and printsに行ってきました

Books to be returned… / Hash Milhan

1ヶ月以上前の話ですが…
浜松にあるbooks and printsに行ってきました。
浜松に行ったら行くべき、と言われていたのでやっと。

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Youngtree Press

ここは、フォトグラファーである若木信吾氏がオーナーの書店。
詳しいプロフィールはホームページから引用。

若木信吾 わかぎしんご
(フォトグラファー/映画監督)
1971年3月26日静岡県浜松市生まれ。 ニューヨーク州ロチェスター工科大学写真学科卒業後、雑誌・広告・音楽媒体など、幅広い分野で活躍中。また2004年に雑誌「youngtreepress」の編集発行を自ら手がけるほか、2007年に第一回監督映画『星影のワルツ』が、2009年に第二回監督映画『トーテムSong for home』が公開され映画監督としても国内外から高い評価を得る。
2010年4月に故郷の浜松市に小さな書店『BOOKS AND PRINTS』をオープン。

今回、お店の様子などの写真は撮るのを忘れてしまったわけですが、とても雰囲気の良い空間でした。
中に入ると、若木信吾さんの父である若木欣也さんの紙袋の作品が。それ以外には、写真集などはもちろんのこと、他にも面白そうな本が多くありました。

今回買った本は、「one and three books 一つと三つの書物」という本。
なんとなく手にとったんですが、触った瞬間「おおー」となってしまいました。
「よくある本」の肌触りではなく、ザラッとした、言い方はアレですけど、ちょっと安っぽい、海外のペーパーブックみたいな感じ。

最近は触って買う本を決めることが多いです。
藤原新也さんの「印度放浪」も、朝日文庫さんから出されているものは触っていて心地が良かった。芹沢高志さんの「月面からの眺めー21世紀を生きるヒント」は、1999年出版の本で、本屋で奥にしまってあったものを出していただいたわけですが、いい具合に本が焼けていて、とても素敵でした。

Amazonや、電子書籍が流通してきて、それが普通になりつつありますが、やはり、本は触ってみないと分からないですね。

内容はもちろんですが、それ以前に、触るという五感を使っているので、そういった部分も大事にしたいと感じました。

購入する際に、お店の方と話をすると、いろいろと面白い話を伺えました。「勝手に姉妹都市マーケット」の話など。詳細はこちらのページにあります。

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– BOOKS AND PRINTS – :「勝手に」姉妹都市マーケット2014

※すでに終了しております。

その中で気になったのが、浜松の紹介動画を講師をつけて市民の方々と制作したお話。
今までは浜松、という括りでやっていたそうなのですが、次は浜松の中でも、天竜にフォーカスを当てて行うそうなんです。
天竜といえば、建築家・藤森照信が設計した「秋野不矩美術館」など、面白スポットがあるところです。
books and printsが発行しているJournalの最新号で、天竜にフォーカスを当てたものを制作したらしく、その流れで動画を作ることになったんだそう。

すごく面白い取り組みですよね。
なんといっても、こういった市民大学のような形がお店発信で行われているということ。全国的に市民大学は増えていますが、どれもNPOなどが行っているものがほとんど。そういった中で、お店発信の市民大学。なんかいいじゃないですか。

こういった取り組みが増えていくことはとてもいいことだなと思いました。

こんな記事を読んでしまったので、思い出したように書いてしまいました。

にしても、面白い場所には、面白い情報が集まるもんだなあと思いました。なんでだろうなあ。

と、今日はこんなところです。

地元の駅に忘れ物をしました、という話

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どうもお久しぶりです。
これからブログの頻度を高めていこうかなと思いますので、よろしくお願い致します。

さて、今日のネタなんですが、タイトル通り「地元の駅に忘れ物をしました」というお話です。

最近電車を使って通勤しているんですが、電車の中の過ごし方として読書をしています。で、いつも荷物が多いので、時間があるときは電車に乗る前に読む本をリュックから出しておくようにしているんですね。

今日は、いつもよりも待ち時間が長かったので、ベンチに座って本を出して、電車を待っていました。で、来たので電車に乗ったわけですが、少ししてから気付きました。ベンチに本を忘れてしまっているのを。ただ、電車はすでに動き出しているし、戻ることもできない。

「まあ仕方ないか」と思い、iPhoneを使って「◯◯駅 電話番号」と検索したわけです。ずらーっと検索結果が出てくる中で、もう1つの鉄道会社の電話番号はすぐに出てきたのですが、自分が利用している方の鉄道会社の電話番号は出てこない。結局、その駅の電話番号は見つかなかったため、全体のお問い合せ番号にかけることにしました。

「忘れ物などのお問い合せは、2を…」みたいな、現代では聞き慣れた機械音が聞こえる中、指示されるがままに2を押して、繋がるのを待ちます。

少しすると「もしもし…」と女性の声が聞こえてきたので、忘れ物をしてしまった旨を伝えると電話越しに「お調べしますので、少々お待ちください」と言われ、軽快な音楽が流れ始めます。

ぷちっとその音楽が切れたかと思うと、開口一番「まだ忘れ物システムのほうに登録がなされていないようです。登録のほうが少し時間がかかってしまいます。明日の午後には確実にされていますので、お手数ですがその頃またかけ直して頂いてもよろしいでしょうか」と女性。

ここで感じた違和感。
「いや、駅の電話番号さえ分かれば、解決する問題じゃね?」
ってこと。

たしかに、こういった小さな問題がいくつか重なると、負担がかかってしまうというのももちろん分かるわけですが、とは言っても、そのためのしわ寄せがここにきちゃうの?っていうところに違和感を感じました。

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調べてみると、駅や列車の中の忘れ物は、届けられた駅が情報入力をし、警察署の最寄り駅へ送付、その後、集約駅が警察署への手続きをしたのち、警察署へ届けられるそうです。

もちろん、忘れ物の価値(単純に貴重なものだったり、大切なもの)によっては、こちらのシステムというのは非常に有意義なもので、忘れ物をしても、安心感はあるのかもしれません。ただ、それによって、問い合わせることも難しくなっているんじゃないかなと。

「登録している時間」は、忘れ物をした張本人からしたら気が気じゃないでしょうし、ないならないで直接「見当たりませんでした」と言われたほうがむしろ落ち着くし、その後の対策も考えやすいんじゃないのかなと思ってみたり。

昨今、アナログなものがデジタルに移行している真っ只中です。
作業工程が多少なりとも楽になる、ユーザーの安心感、みたいな部分からそのようなシステムを取り入れているのだと思いますが、何から何までデジタル化する必要って果たしてあるんでしょうか。

以前も、電子マネー(いわゆるSUICAなど)を利用して改札に入ろうとした時、システムの問題で入場できません、と言われたことがあります。入金はしてあるので、駅員さんも何がおかしいのかさっぱりわからない様子でした、私は急いでいたため「じゃあきっぷを購入するので、この入金分から差し引いてもらえますか」と伝えたのですが、「でも、システム上、この電子マネーからは購入できないんですよ」と。

きっぷを購入する手間が省けるので、ピッとするだけで入場できるというのはとても便利だと思います。が、便利なものに移り変わってはいるんでしょうが、そのしわ寄せがどこかしらで出てきてしまうんだなと。どれが正解かなんて分からないですけどね。

そんなことを考えながら、私の読書時間は過ぎていきました、とさ。

ああだこうだ言ってきましたが、
まあ、確実に言えることは、忘れ物をするやつが悪い。
…すいません(笑)。

今日の帰りに駅員さんに確認します。
もちろん、アナログな方法で。

ちなみに、忘れた本は世界一周団体TABIPPOのこちらの2冊。
面白い本なので、ぜひご一読を。

にしても、主人を置いて本だけ世界一周しそうな勢いですね、これ。

 

いつまでも子どもではいられないけど。

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いつまでも子どもではいられないけど、子どものような気持ちは持ち続けていたいという話。

25歳になり、大人の階段を登りつつあります。
周りのみんなは企業に勤め、私のようにぷーたらとフリーターもどきをしている人なんてほとんどいなくなりました。

25歳にもなると、結婚というものが身近に感じる年頃です(自分自身はそんな気配すらありませんが)。
友人の話を聞くと、高校時代は他愛のない話でちゃらんぽらんな話で夢なんかも話したりして盛り上がっていたのに、今話すことといえば、結婚のこと、家族のこと、子供のこと…だったり。
いやいやまだ早いだろうって思っていたことが着実に自分のすぐそばにきているんだなと実感する瞬間でもありますし、でもそれってどうなのって思う自分もいるわけです。

もちろん無意識ではあるとは思うのですが、自分に限界を作って安定を求めちゃってる感があるのかなあと。もちろんそうではない場合もありますけども。現実を見始める時期なんでしょう。

湘南乃風の純恋歌ではありませんが、
「慣れ合いを求める俺、新鮮さ求めるお前」
みたいな感じで、新鮮な気持ちをいつまでも持ち続けたいなあというのは感じるわけで。

そんな出来事があって、今の自分を振り返ってみました。
最近の自分は、頭が硬くなりすぎているんじゃないかとふと思いました。

自分は、アイデアマンというキャラでもないので、アイデアを出してもらってそれを吟味するっていう作業をすることが多いんですが、その意見に対して「これって実現可能?」とか「ここにたどり着くための道筋を考えると…」とかって、頭の中ですぐに考えてしまう癖ができている気がします。

それはきっと悪いことではないだろうし、むしろ必要なことだと思いますが、それはきっと考える時が別にあるはずで、頭の中で直感的に考えることでもないですよね。アイデア出しの段階でそんなことを考えていたら、自分の中で限界を作ってしまう。

自分の中では「できないだろう」って思ったことでも、新しい出会いや、人とのつながりで、実現可能なことってあるんだろうなってまた最近いろんな人に出会うことで気付くようになりました。自分たちだけで全てをやるとなると限界値もそんなに高くはならないでしょうが、人との化学反応で限界値はどこまでも高くなるんだろうなと思います。

いつまでも子どものような発想で、「こんなの無理でしょ」なんて思わないで、はちゃめちゃに考えていきたいな、なんて思っています最近。

なんだか話があっちにいっちゃっている感はありますけども、子どものような感性で、いつまでも居続けたいなと思うわけですね。

つながっているかどうかは不明ですが、頭の中にぽわーんと出てきたので、文字に記しておきたい衝動に駆られたまでです。

「議論」ができない人は寂しい

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(Flickr/starmanseries)

議論。
それぞれの考えを述べて、論じあうこと。また、その内容。

ディベート。
特定のテーマについて、肯定・否定の二組に分かれて行こなう討論。

討論。
ある問題について、互いに意見を述べ合うこと。ディスカッション。

引用:広辞苑

まあ、こんなところでしょうか。

で、いきなりですが、最近感じたことがあったので、メモ程度に書かせていただきます。

見渡してみると、議論できない人には2種類あるのかなと思います。

  • 自分の考えを持っていない人。
  • 人の話に耳を傾けない人。

議論ってすごく大事だと思うんですよ。
議論ができる人って、自分の考えを持っている人なんですよね。
「私はこの問題についてはこんなこと考えてる」とか胸を張って言える人。

でもね、それだけで終わっちゃ駄目だと思う。
「人の意見に耳を傾けること」。
これが、議論の中で結構重要なんですよ。

自分の考えを話すこと。そして、人の意見に耳を傾けること。

人の話を聞くことは、すごく好きです。
今まで自分の中になかった考え方や、知識を得ることができるから。
同じ意見だったとしても、新しい視点を提供してくれるかもしれないから。

結局、こういうことに耳を傾けない人っていうのは、自分勝手になっていくと思うんです。
自己主張と、自分勝手が違う点はそこかなあ。

日本ではよく「自己主張」できる人が少ないと言います。
意見をたたかわせる場所が少ないから、自分の意見を持つ必要もない。
だから、そういう場に直面しても、その場限りの対応しかしない。
でもそれは結局、自分の意見ではない。

逆に自分勝手な人ってどういう人かなって考えたら、
良く言えば自分を持ってる。
悪く言えば無駄に頑固。

自分の意見を持って、人の話を聞くようにすること。
大事だよなあ、とつくづく。

自分の意見を持っていない人も寂しいですが、持っていたとしても自分の意見に「改良」を加えることをしない人も寂しいですね。

人の話を聞く。理解する。自分の中に落とし込む。自分なりにアレンジする。発言する。それがだんだん自分の言葉になる。

そうやって、自分を持つことができる人が増えたらいいのになあ。

今年の目標

今年のテーマは、0から1を生み出す年にする
今までやってきていないことにどんどん挑戦していきたいと考えている。
具体的にどのような取り組みをしていくか。
いろいろと書き記してみました、自分が年末に振り返られるように。

1.卒業
まず第一にこれは最低限達成しなければならないこと。
1年前に留年→休学を決意して、1年間の猶予期間をいただいたことに感謝しなければならない。
今年は、しっかりと卒業しないといけないなと感じてます。
ただ、不安もある。
生活費等をどう工面していくか。
また、WSAでの活動や、インターンとの兼ね合いもあるし、そこは教授陣と相談してうまくやっていくしかない。
ある程度自由に動ける時間を作りたいとは思うが、それは自分次第だろう。
研究室にいるときはしっかりと研究し、そつなくこなす。やるべきことはやる。
先輩もいない、かと言って先生たちに迷惑はもうかけられないし、しっかりと未来を見据えて動いていこうと思う。

2.就職活動
次に就職活動について。
これは一昨年、去年の経験が生きてくると思うので、なるべく無駄な時間を過ごさないように効率よく行なっていけたらいいなと考えている。
業種はマスコミに絞っているので、そこを中心に自分がやりたいことを仕事にできるように努力するまで。
やりたいところをやれる場所へ。

3.WorldShift Actions
現在、食糧問題についてのプロジェクトで動き出している。
特に食糧廃棄問題
可視化できる面では一番わかりやすいかなと思う。
自分的には、農業に注目していきたい。
より効率よく野菜を育てるにはどうしたら良いか、新しい自給自足の形、取り組みなどを考えていきたい。
元麻布農園六本木農園など最近注目されてきているので、今年は農業が熱いはずだ。
にしても、元麻布農園まじで熱い。
どうにかして関わっていきたいなあって思ってみたり。

30年後、野菜が手に入る保証はない。
自分で作ってそれを食べる、自給自足の流れが加速するはず。
時代の流れの先をいける先見性を常に持っていたい。

4.partygroundでのインターン
まだ決まってないが、とりあえず。
先日に家入一真さんの会社、partycompanyが運営しているワーキングスペース、partycompanyのインターンの募集があった。
いろいろな人に出会えるチャンスだし、これはいい!と思い応募したら、1次審査を通過。
来週に面接があるのでそれ次第ではあると思うが、採用されれば自分にとって絶対プラスなのでぜひものにしたい。
むしろここ中心で動いていきたい。

5.読書
目標は1年で100冊。
インプットすることはとても重要である。
自分の知らないことを知識として蓄えていくことは必ずどこかで役に立つはずなので、読書は時間がなくてもやっていきたい。
インプットだけでなく、アウトプットする時間もしっかりと割いて、いろんな人とディベート出来る機会を設けたい。

6.面白いこと探し
常にアンテナを張る。
今世界ではどんなことが流行っているのか、どんなことが面白いのか、それの延長線上にはどんな世界が待っているのか。
今ある既存のものから、新しい何かを生むために常に頭を働かせていたい。
そのためには、講演会や、面白そうなことには顔を出していきたいと思っている。
インターンでもいろいろな人に出会えるチャンスが多く有ると思うので、そういったチャンスをしっかりものにして新しいものを生み出していきたい。

7.仲間づくり
Twitter経由で安藤隆人さんや清水英斗さんといったサッカーライターさんとも知りあうことができ、いい出会いが多いなと感じている。
いろいろとやりたいことが出てきてるので、WSAとは別に何か動き出せたらいいなってので仲間づくりも重点的に考えていきたい。
楽しいことできたらいいなと考えています。
楽しいこと考えてる人がいたらそれに乗っかるのもアリだなとか(笑)。

さて、最初に記した、0から1を生み出す年にするということ。
今までの自分から脱却し、新しい可能性を見つけていこうと思っている。
今年は去年ほど自由には動けないが、去年経験したことを軸に自分が納得するようなことを行なっていけたらいいなと思っている。

2012年が始まってもう既に1ヶ月。
就職活動も本格的に始まり、自分の未来についてしっかりとした絵を描けるようになってきてる。
すでに社会人になっている同級のみんなに追いつけるようにしっかりと1年間過ごしていきたい。

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旅ノ、その後

 

だいぶ今年の見通しが立ってきたので、書こうと思う。

前回の記事(旅の振り返りと、これから)で、イスラエルでの旅に至るまでの経緯、旅で感じたこと、そしてこれから、について書いた。
今回の記事では、その後について書いていこうと思う、飽きるまで。

イスラエルで感じたこと、まずは日本についてもっと知るということ

まずしたことは読書
読書はインプットするにはとても有効な手段だと思う。
自分の興味の持ったものを選んで読めばいいし、自分のペースでできる。
ただ、偏らないように幅広く読むようにした。
小説、旅、自己啓発、ビジネス書、話し方について、IT関連の本、留学についての本、原発、パレスチナ問題についての本、など。
そこで、今まで生活していたときには得られなかった情報などを得ることができて、知識がついたと思う。
読書は本当に大事。

次にしたこと、講演会への参加
自分が気になっていたサッカーライターさんの講座に参加したり。
その中で一番心に残っているのが、10月に東京で行われたWorldShift Actionsという講演会。
持続可能な平和な世界に向けて、今、自分たちが何をできるか。
様々な分野の著名人が講演を行った。
ここで感じたことは、今動き出さないといけないと感じたこと。
やはり、グローバル化の流れがきているなと。
ひたすらインプットを繰り返していた自分だけど、やはりアウトプットしていく必要性があるなと感じた。
そう思い立って、WorldShift Actions代表の室橋くんに今後行なっていくプロジェクトの協力をさせてほしいと連絡を取った。
この時はまだ愛知にいたので、今後このプロジェクトに関しては動いていくことになる。

自分の中のテーマで、“表現者になること”
それが漠然とあって、具体的にはどうしようというのは決めてなかった。
でもこの期間で、定まった気がする。
知らないということで損をしている人が多くいる。
だから、もっと敷居を低くして、いろいろな人に色々な情報を発信していけたらいいなと感じた。
具体的に言えば、ジャーナリスト。
自分の目で見てきたものを、自分の言葉で、自分の写真で伝える。
なおかつ、今までのようなある一面だけをクローズアップした報道ではなく、その地域のスポーツや、地域問題、おいしいお店、もちろん社会問題についてなど、幅広く取り扱えるジャーナリストになりたいなと感じた。
だからこそ、新聞記者の特派員にはすごい憧れるし、とても魅力的だな。

自分がしたくないことは、会社の歯車になるということ。
最初入社したときは、この会社を変えてやる!とか世界を変えてやる!と思って入社すると思う。
でも、日々の業務に追われて、そういった目標や夢というのを失ってしまう印象がある。
知らず知らずのうちに、会社の歯車になってしまっているという現実。
自分はそれは嫌で、そうならないためにも自分にプレッシャーをかけようと思ってる。
方法としては、自分の名前で生きていくということ
会社の名前で仕事をするのではなく、自分の名前で仕事をする。
やはりそういった面では、ジャーナリストというのは最適かなと思ってる。

自分は、やっぱりスポーツが好きなので、スポーツを絡めていけたらいいなと思ってる。
新しい観点で、新しい考え方で、他の誰もがやっていないような方法で活動していけたらいいなと。

だから、そのためには日々勉強が必要だし、前にも書いたけど、以前なら自分が興味を持たないような分野に対しても首を突っ込んでいく、そして、視野を広げていけたらいいなと思ってる。

広く浅く、狭く深く、というよりも、広く深く。
やりたいと感じたことはすべて納得するまでやり通す。
これを心の奥底に思ってやっていけたらいいなと。

その信念を持って、就職活動を行なっていこうと考えています。

とりあえず、今日はここまで。
今年の目標かけてないから、近いうちにアップします。
もう2月だけども。笑

それではまた。

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