インドの国技は何?コルカタで寝台列車に乗る

2013.03.05 インド2日目

前日のこともあり体は疲れていたが、朝9時に目が覚めた。
窓を開け、タバコに火をつけると、インド特有のむしっとした空気が部屋の中を伝う。昨晩は気付かなかったインドの風景が目の前に飛び込んでいた。裸で水を浴びる人、喧嘩をする犬たち…。
「インドに来てしまった」。
今までの常識が常識でなくなる1週間の旅の始まりである。

10時前には宿をチェックアウトし、park streetに向かって歩き出した。土地勘が全くないのと、地図を持っていなかったので、途中ネットカフェに立ち寄った。そこで地図を検索し、iPhoneで写真を撮り、とりあえずはこの地図を頼りにすることにした。

少し歩くと、言い方は悪いかもしれないが、”まさにインド”といった状況に遭遇した。まだ10歳に満たないくらいの男の子が、自分とさほど変わらない大きさの赤ちゃんを抱きかかえ、手を差し伸べてくる。物乞いである。ヨルダンのペトラ遺跡でも同じような状況に遭遇したことがあったが、この時も、インドでも、何もしなかった。
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ちょうどお腹がすいていたので、近くにあったカレー屋に入って腹を満たすことにした。ナンが20ルピーで、バターチキンが70ルピー。ペプシコーラは14ルピーであった。200円ほど。カレーはいつも中辛な私としては本場のカレーは辛かったが、味は絶品だった。
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少し街を散策した後、今日の列車のチケットを確認するため、ハウラー駅に向かって歩き出した。少し距離はあったが、時間もあったため、歩いて向かうことにした。途中通り過ぎた公園では平日だったがカードゲーム?をする人や、昼寝をする人が多くいた。
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ここで少し話はそれるが、インドのスポーツというと頭に浮かぶものはなんだろうか。インドの国技は法令で定められたものではないらしいが、カバディ、クリケット、フィールドホッケーがある。その中でもクリケットはこの旅でも出会う機会が多かった。
駅に向かって歩いていると、大きなスタジアムに出くわした。
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最初は「サッカースタジアムか?」と思ったが、近づいてみるとthe 「cricket association of bengal」の文字が。また、その近くにはクリケットアカデミーも点在した。東インドのクリケットの中心部であろう。多くの人がクリケットをし、その親だと思われる人たちが一挙手一投足に注目し、声援を送っていた。スタジアムの近くには、なぜかサッカーの銅像もあった。

スタジアムを後にし、その後も歩き続けたが、歩けど歩けど駅には着く気配がないので、さすがにタクシーに乗って向かった。後から知ったことだが、川を渡ればすぐに駅があったらしく、対岸に渡ることができる船もあった。駅についた後に時間があったので船に乗ってみたが、5ルピーでインドの風を堪能できた。
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駅に着いてからしたことはチケットのアップデート。ここらへんの交渉は後輩任せだ。本当にありがたかった。それが完了すると、17時に取りに戻ってこいとのことだった。前述の通り、船に乗ったり、駅にあったレストランでハンバーガーを食べて時間を潰した。


約束の時間になったのでオフィスに向かうと「18時まで待て」とのこと。20時発の電車なのに大丈夫なのだろうか。仕方なく、2nd class新台の休憩所に行った。ここは、男女で場所が分かれているので、もちろん男性のほうに。歩いて汗をかいていたので、休憩所のシャワーを借りた。5ルピーであった。今日は列車移動で諦めていたので、かなり救われた。
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チケットも無事に受け取ることができたので、外に出て水2Lを購入した。30ルピー。にしても、安い。20時前に8番ターミナルへ向かい、自分の名前を探す。インドの列車は、入り口に名前入りで場所が記してある。少し探すとあった。自分の名前が現地の文字で書いてあるのが物珍しく、記念に写真も撮った。
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我々が乗車した2nd classの車両は、2段ベッドになっていて、クーラーもあり、寝心地も悪くない。運良く上下でチケットを取ることができた。これも後輩くんのおかげ。ありがたい。3rd classは3段ベッドになっていて、それよりも下になると椅子のみ。10時間以上も硬い椅子に座り続けるのはかなりの負担だと思い、贅沢をしてしまった。
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前野健太を聴きながら、伊藤計劃の小説を読む。ゆっくりと時間は過ぎていく。翌朝の10時40分には、聖地バラナシだ。

続く

インドに上陸

2013.03.04 インド1日目

インド。ついにこの日がきた。
2年前にヨルダン/イスラエル/パレスチナに行って以来の海外だ。高まる気持ちを抑えつつ、成田空港行きの電車を待つ。早い時間帯の飛行機だったため、寝過ごすわけにはいかないと思い、寝ずにそのまま家を出た。

今回も貧乏旅行ということで、特急電車ではなく鈍行電車に乗ると決めていた。この数百円の違いがインドでは大きな差になってくる。時間は余るほどあるので、ゆったりと向かうことにした。

向かいの特急電車のホームでは、多くの人が行列を成していた。3月ということで旅行者が多い時期だ。キャリーバックを持った旅行者、ビジネスマンの姿が目に付く。私が乗った各駅停車の電車の中にも、旅行者の姿が目についた。各々がこれからの旅に想いを馳せながらーー。

うとうとする電車内で、成田空港の文字が見えると、眠気も一気に覚めた。初めての成田空港だったが、迷うことなく無事に搭乗受付を済ますことができた。コルカタにたどり着くまでに3度の乗り継ぎが必要だったが、心強い後輩と一緒だったので、不安も全くなかった。けたたましい音を立てながら鉄の塊は大空へと羽ばたいた。

最初の乗り換えは、北京だった。初めて中国に足を踏み入れた時、彼らから発せられた言葉は歓迎の言葉ではなく、罵声であった。いきなりなんだよ、と思ったが、非があるのは完全にこちら側であった。トランジットの際には、イエローカードの記入が必須なのだが、機内で受け取り忘れてしまい、記入できずに受付に並んでいたのだ。

中国の言葉は一切分からないので、最初は何を言っているんだと思ったが、イエローカードを差し出された時に今置かれている状況に気が付いた。彼らの表情から読み取るに「おいおい、なんでこんな常識的なこと怠ってんだよ。頼むよ」といった具合であろうか。

その場で急いで記入し、無事に入国することができた。とは言っても入国した数時間後にはPM2.5が飛び交うこの国を後にし、今回の最終目的地であるインドに向けて飛び立ったのだが。

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北京、上海、昆明と、中国の大都市を経由し、インドのコルカタに到着したのは、日本を出発してから約17時間後のことであった。

コルカタの空港は、”古びた病院のような場所”という印象であった。コルカタの空港に着いたのはかなり遅かったため空港泊も考えたが、次の日のことを考えると、街に出て宿を探すことを選んだ。

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偶然にも同じ飛行機に乗り合わせた日本人2人を引き連れて、宿が多いというサダルストリートに向かった。約1時間くらい走っただろうか。「着いたぞ」と言われて降りた瞬間、不安感が一気に押し寄せた。

3時近くだったため、当たり前だが人もまばらだ。野犬も多く、我々を見つけると威嚇するように咆哮していた。本当に宿があるのかと思うほど、真っ暗で、犬の遠吠えだけが耳に残った。

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途方に暮れて、行くあてもなく歩いていると、路上で寝ていたホームをレスしているであろう方に話しかけられた。
「宿を探しているのか?ついてこい」
とでも言っていただろうか。我々は藁にもすがる思いで彼の後をついていくことにした。

すると、厳重な扉の中に連れて行かれ、何やら人を呼んでいる模様。こんな真夜中に「おーい!」と扉に向かって話しかける姿に、「おいおい、本当に大丈夫か?」と心の中では思った。少しすると管理人らしき人が出てきた。彼はそこで話をつけてくれたらしい。おじいさんのファインプレーにより、なんとか宿を見つけることができた。

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1人、400ルピーと想定していた値段よりもかなり高くなってしまったが、寝る場所と水シャワー、電源がついていたので妥協して即決した。

しかしながら、彼は紹介料でももらっているだろうか。もしくは「初めてインドに来ました」感が出まくっていた我々のためだけにやってくれたのだろうか。初日からインドに秘められている謎な部分と直面することとなった。

次の日は、寝台列車に乗りバラナシへと向かうことを決めていたため、その日はすぐに眠ることにした。初日からハプニングだらけの1日となったため、気付いた頃にはもう日の出が射し込んでいた。

続く

「ぼくたちは見た」を読み終えて

ぼくたちは見た

数日に分けて、古居みずえ氏の「ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち」を読み終えた。

この本からは、明らかに非がない人々が痛み、苦しんでいる姿を読み取れる。イスラエル軍が行った行為がどれほど非人道的なものだったのか。読み終わった頃には、強い憤りを感じた。

書評を書く前に、さらっとパレスチナ問題についておさらいしておく。
WWⅡ終戦後、自分たちの国を持っていなかったユダヤ人は、イスラエルという国を建国することになる。しかし、建国した場所には、元々パレスチナという国があった。国があるということは、当たり前だがそこで生活している人たちがいるわけだ。そこに、世界中に散らばっていたユダヤ人が「戻って」くる。元々そこにいたパレスチナ人たちからしたら、こんな迷惑なことはない。そして、戦争が起きた。中東戦争である。

そこでユダヤ人が行ったことは何か。それは数年前に自分たちがナチスから受けた「ジェノサイド」だ。大量虐殺をパレスチナ人に対して行った。第一次中東戦争が1948年に起こってから、この問題は現在まで続いている。現在、パレスチナは、ヨルダン川西岸地区とガザ地区がある。イスラエルは、その場所にも入植を進めた。50年以上もこの問題は続いているのだ。圧倒的な軍事力を誇るイスラエルに対して、パレスチナ人は石を投げて抵抗(インティファーダと言う)するくらいしかできない。

この本は、2008年12月から2009年1月に行われた、イスラエル軍の大規模なガザ爆破・侵攻によって被害を受けたパレスチナのガザ地区の子どもたちにフォーカスを当てた取材記。構成としては、サムニ家というある一家の子どもたちに、著者が取材をしたものをそのまま記してある。そのため、子どもたちが語ることは、被る部分がある。だが、サムニ家だけでなく、ガザ地区に住んでいた人々は同じような想いを抱えているだろうと容易に想像できる。この侵攻により、1400人以上の尊い命が奪われたのだから。

サムニ家が住んでいた地区は、農業地区だった。イスラエル軍はこれまで農業地区には攻撃しなかった。だが、この時は違った。農業地区だろうとなんだろうと関係なく攻撃をした。何の罪もない女、子どもに対しても虐殺を繰り返した。そしてその事実を隠蔽しようともした。「パレスチナ側の攻撃に対しての報復行為だ」という言い訳を付け加えて。前述したようなインティファーダが行われた事実も存在しない。普通の生活をしていたところにイスラエル軍が踏み入って、人々を容赦なく攻撃し、殺し、その遺体を、家を破壊することで隠蔽しようとした。

この侵攻により、多くの人が殺された。父親、母親、子ども、いとこ、甥っ子、姪っ子、祖父、祖母…。攻撃を受ける前はともに生活していた人が奪われた。ミサイルを受け、体に大きな穴を開けた人間、顔が剥がれ落ちた人間。自分の親族の肉片が飛び散り、体がバラバラになった遺体を目にした幼い子どもたち。

彼らはよく夢を見るらしい。まだ平和だった頃の夢を。
「お母さんはいつもあなたのそばにいるわ」。
夢のなかでそう語りかけると。惨劇を目の前にして、彼らの心の傷は癒えないほど深いものになってしまっただろう。

文中で特に印象に残ったのは、「平和を望むか?」という著者の質問に対して「望まない。お母さんを殺したイスラエル軍を許さない」と答えたことである。10代前半の子どもの言葉は重く深く心に突き刺さった。

このようなことが世界では起こっているのだ。でも、どうしたらいいのだろうか。もどかしい気持ちはあるが、自分にできることは限られているし、それが解決に繋がるとは到底思えない。

読み終えると同時に、ジャーナリストとして事実を伝えることは大事だが、一個人に訴えかけてもどうしようもないのではないか、という想いに駆られた。

例えば、何も知らない人がこの本をたまたま手にしたとして、この本を読んで、何を思うのか。きっと、世界の不平等さに嘆くことだろう。自分に何ができることはないのだろうか、と考える人もいるだろう。そう考えた人が次のアクションに繋げていくためにフォローができるのかということ。この事実を伝えたことによって、何もできない自分を責める人もいるかもしれない。

今までは、人々に伝えることがまず最初のアクションに繋がると考えていたが、国と国との問題は大きすぎる。

何が正解なのか。
「平和は望まない」という子どもの言葉だけが頭の中に残る。自分の家族を殺した相手に対して、平和なんて望まないよな。この気持ちを解消するにはどうしたらいいんだろうか。

まだ答えは出せないが、いろいろと考えさせられる本でした。
子どもたちの偽りのない証言は、ストレートに心に突き刺さります。

読んだことない方はぜひ。

私が教育に携わりたいと思う理由と、そのプラン

 

「教育に携わりたい」

 最近、私が強く感じていることだ。なぜそう思うのかを、自分の夢を含めて、またどのような形で関わっていくかを書かせていただいた。着実に現実的になっているプロジェクト。成功するかどうかは分からないが、今は動き出さなければいけないという思いが強い。協力してくれる人が多ければ多いほど、実現する可能性は高くなるはずだ。

 この文を読んで、何か関わりたいと思った人がいたら教えていただきたい。今はまだ少人数で活動しているが、方向性が定まってきた段階で協力を募るかもしれない。もちろん、反対意見、要望、アドバイスなどがあれば聞かせていただきたい。
 では、長くなるが、お付き合いいただければ。

「ジャーナリスト」という自分自身の目標

 私の人生の目標は「サッカーを切り口とした国際ジャーナリスト」となって、「世界の声」を日本に伝えていくことだ。その夢について簡略に書かせてもらう。

 ご存知の人も多いだろうが、私はイスラエルを旅したことがある。日本の書籍や、テレビや新聞での報道を見ていて、イスラエルが危険な国であると感じていた。なので不安は少なからずあった。不安というのは、テロの危険性や、ユダヤ人、パレスチナ人の仲が険悪なのではないか、などだ。

 しかし、現地に行ってみて、旅する前に抱えていた不安は一切感じなかった。その時、日本での報道と、現地での生活の間にあまりにもギャップがありすぎると愕然とした。偏った報道だけでなく、現地の「リアル」な声を届けたいという想い、また、世界情勢をもっと多くのことに知ってもらい当事者意識を持ってほしいということから、私はジャーナリストを志すようになった。

 サッカーを切り口に、というのにも理由がある。サッカーは、世界一のスポーツだ。競技者人口を考えてもそうだし、ボール1つあればそこでサッカーができることから、「人が生活しているところにはサッカーがある」とまで言われるほどである。この「世界一のスポーツ」に可能性を見出した。サッカーを切り口にして伝えていくことが出来れば、サッカーが好きな層にアプローチでき、なおかつ、情報を得ようとする人が増えるのではないか、という考えがあったからである。

 ここでは、「サッカーを切り口とした国際ジャーナリスト」を志す理由を書かせていただいた。次は、なぜ教育に携わりたいと思ったのか、そのきっかけを書かせていただく。

教育系組織を作ろうと思ったきっかけ

 前述の通り、私は教育に携わりたいと思っている。結論から言えば、教育系の組織を設立したいと考えている。では、どういう経緯でそう思ったのか。それは、自分がジャーナリストとなった時に、伝えていける場を作りたいと思ったことからだ。

 今いるジャーナリストの「伝える」場は、大学の教壇、書籍、テレビ、など。たしかにいろいろな場所がある。だが、それらの人たちはいわば「スター」的存在の人が多いように思える。このような人たち以外にも活躍している日本人は世界中にいるが、伝える場が飽和状態にあると感じた。普通の人が経験していないようなことを体験し、あらゆることを感じている人たちが発言していく場所を提供したいと思った。これは、自分自身が将来ジャーナリストとして活動していく上でも重要な「場」になると思っている。そのような「場」の土台を作っておくことは意味があることだと感じた。

情報の「取捨選択」ができない環境

 Twitterなどを介して人に会うと、様々な考え方を持った人に出会う機会が多い。海外に目を向けて実際に海外で働いている人、今までにない新しい分野でアイデアを出し、それを達成するために起業した人、自分の長所を仕事に活かす人、自分の足りない部分を冷静に分析し、起業しつつ、大学院進学を考えている人…。本当にいろいろな人がいて、尊敬できる人ばかりだ。

 彼らに共通して言えるのは、自分が生涯を通じてしたいことがはっきりしているということ。彼らはなぜはっきりしているのか。それは、彼らが自ら情報を得ようとし、実際に得て、自分なりの考えを持ち、それに対して人と議論し、何が自分のやりたいことか、またはそうではないことか…。要は、情報の取捨選択ができているのだ。

 もちろんそういう人たちばかりではない。将来、自分が何がしたいのかが分からない人や、そんなことすら考えていない人もいる。しかしながら、これは普通のことである。帰納法的に言えば、「やりたいことがはっきりしていない人は、情報の取捨選択ができていない」のである。いや、これは少し強引すぎたかもしれない。情報の取捨選択の前に、情報を得ていない人が多すぎるのであろう。知らなければ考えることも出来ないし、議論もできない。議論ができなければ、自分の考えを持つのは難しくなるので、自分自身のことも分からない。

「自分を見つめる機会がないから、やりたいことも見つからないのではないか」と、考えるようになった。

 情報の取捨選択ができる人は、能動的に動いて情報を得ようとする。例えば、自分の興味のある人の講演会に足を運んだり(自分がどんな人に興味があるかも、自分で動き、どこかしらで情報を得てくる)、交流会に参加したりする。自分から動けば、可能性はいくらだって転がっている。

 ここで少し私自身の話をすると、イスラエルから帰国後、もっと学ぶことが必要だと感じた私は、WorldShift Actionsという講演会に参加した。その時の講演会の詳細や、そこから自分が感じたことは、こちらのエントリを参照していただきたい。乱雑な文ではあるが、そこはお許しいただければ、と思う。
(こちらから→WorldShift Actions

 話を戻す。一方、情報の取捨選択ができない人はどうか。言えることとしては、能動的に動いている人が比較的少ない。講演会に行くにしても、自分がどんな講演会に行ったらいいか分からない、まず、そういう講演会がどこでいつやっているのかも情報として入ってこない。無理矢理なこじつけかもしれないが、受動的な人には、やりたいことが見つかっていない人が多い。そうは言っても、「明日からは能動的になれ!」と言ってすぐになれるような簡単なことではない。私はここがポイントだと感じた。「受動的なまま、能動的な情報を得られる仕組み」を作ればいいのではないだろうか。そして、一番適しているのが、義務教育の場であると考えた。

どこに「伝える場」を作るべきか

 小学生や、中学生の時を思い出していただきたい。年に数回、学校の全生徒が集まり講演会などがあっただろう。何が始まるのかよく分からないまま体育館に集合して、誰かよく分からない人の話を聞いて、その後教室に戻ってから感想文を書かされて…。こんな経験は誰しもがしていると思う。年に数回しかなかったが、その時の話は今でも頭の片隅に残っている。あのような形の、もっと小規模なものを年間通じて運営出来れば、「自分から動かないと得られない情報を提供できる仕組み」になり得るのではないかと考えた。

 大学でそのような時間を作ればいい、と思う人もいるかもしれない。だが、それでは遅い。現状を見てみると、選択肢が提示されていない状況で高校を選び、大学で自分の将来と向い合って考える時間を作ればいいという風潮がある。しかし、それではうまく回っていかないことは今の就職活動1つ見ても明らかである。自己分析の時間が足りず、将来自分が何をしたいのかあやふやなままで就職活動をし、新卒3年以内で退職をする若者が3分の1とまで言われている。これは自己分析の時間が足りないことも影響していると思う(もちろんそれだけではないと思うが)。

 また、義務教育が最適なのはもう1つ理由がある。それは「義務教育」であることだ。そのままだと思われるかもしれないが、これが重要なことなのである。高校や大学でこのような組織を作っても、その時点で選別された人間しか残っていないのだ。義務教育ならば、否応なく全ての人に関わることができる。全ての人に、「伝える場」を通じてあらゆる情報を提供したいと考えている。

 私の理想では、義務教育の段階であらゆる選択肢を提示し、自分が将来何をしたいのか、ということと向き合う時間をなるべく多く作りたいと思っている。例を出せば、例えば中学生の時に医者になりたいと感じるのと、大学生の時に医者になりたいと感じるのでは、どちらがその目標に向かって行動しやすいか、というのは自明である。

 また、根本的なところを突き詰めていくと、義務教育での教育がその人の人格構成の軸になっていると感じる。小さい頃にあらゆる経験をしておくと、大人になった時に多様性のある人間に育つはずだ。

具体的にどういった形式でやっていくか

 次に、具体的にどのような形式でやっていくかということを書かせていただく。話の流れから分かるかと思うが、様々な経験をされている方の授業を受けることをメインで考えている。ジャーナリストの「伝える場」を作る目的でこのようなことを考えたのだが、これはジャーナリストだけでなく、汎用性があるのではと感じた。ジャーナリストをはじめ、会社の社長、NPOの代表、政治家、被災地支援ボランティアの方、ミュージシャン、農家、旅人…どんな人だっていい。きっかけがなければ知ることがないであろう人たちの授業を受けることによって、様々な情報を知ることができる。興味も湧いてくるだろう。これによって、情報を得るということはできる。

 だが、これだけだと頭の中に残る授業には成り得ない。年に数回の講演会で一番大事だったのは「感想文を書く」ということだ。これは極めて重要なことで、その講演会を振り返り、頭の中で思い返してから自分なりの言葉で書くということができる。そうすることによって、自然と印象的だった話題が自分の頭の中に残るため、印象深い出来事としてインプットされる。だが、この仕組みだと「情報の取捨選択」はできない。次のステップが必要なのだ。

 得た情報を「取捨選択できる」ようになるために、講演会の仕組みよりもよい形を導入したいと考えている。それは、「議論の場を作ること」だ。感想文の場合、自分の言葉で書き記すだけでよかったが、議論になるとその言葉で相手を説得する必要性が出てくる。そのためには、より深くそのことに対して理解しなければならないし、そのための準備も必要になってくる。

 そこで私が考えているのは、週に1回ずつこの授業を行う。そして、2週間を1タームとし、最初の週は授業形式で、次の週は議論の場を設置する、というものだ。1週間時間を与えているのは、先ほど言ったように、議論で相手を説得するにはそれなりの準備が必要であるからだ。

 議論のやり方や、どのような内容で議論をするのか、というのはまだ詰まっていない部分である。だが、外枠としてはこのような仕組みを導入したいと思っている。

「あなたのやりたいことは何ですか?」

 この問いかけにすぐに答えられるような人を増やしたい。たくさんの情報を得て、感じ、そこから自分の意見を持ち、自分のやりたいことへと繋げていけるような手助けがしたいと思っている。もちろん、選択肢が増えることによって悩む人も出てくるだろうが、そこに対するフォローも考えている。これについては、まずこのプロジェクトが実現してからでも遅くないだろう。

 教育系組織設立については、自分の地元で可能性を探っている段階だ。まだまだ先の話にはなりそうだが、そこで成功事例をつくって、日本中に広げていけたらいい。その時にいろんな人の協力が必要になってくる。どういう展開になるかはまだ分からない。だが、現状はそんなことを考えている。最初にも書いたが、色んな意見を聞きたいので下記のコメント欄などでリアクションしていただけたら嬉しい。

「やり直しができる社会」より、やり直さなくてもいいように「きちんと選択ができる社会」をつくっていきたい。

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[連絡先]

yuukimiura
yuuki.yuk014[at]gmail.com([at]を@に変えて)

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「議論」ができない人は寂しい

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(Flickr/starmanseries)

議論。
それぞれの考えを述べて、論じあうこと。また、その内容。

ディベート。
特定のテーマについて、肯定・否定の二組に分かれて行こなう討論。

討論。
ある問題について、互いに意見を述べ合うこと。ディスカッション。

引用:広辞苑

まあ、こんなところでしょうか。

で、いきなりですが、最近感じたことがあったので、メモ程度に書かせていただきます。

見渡してみると、議論できない人には2種類あるのかなと思います。

  • 自分の考えを持っていない人。
  • 人の話に耳を傾けない人。

議論ってすごく大事だと思うんですよ。
議論ができる人って、自分の考えを持っている人なんですよね。
「私はこの問題についてはこんなこと考えてる」とか胸を張って言える人。

でもね、それだけで終わっちゃ駄目だと思う。
「人の意見に耳を傾けること」。
これが、議論の中で結構重要なんですよ。

自分の考えを話すこと。そして、人の意見に耳を傾けること。

人の話を聞くことは、すごく好きです。
今まで自分の中になかった考え方や、知識を得ることができるから。
同じ意見だったとしても、新しい視点を提供してくれるかもしれないから。

結局、こういうことに耳を傾けない人っていうのは、自分勝手になっていくと思うんです。
自己主張と、自分勝手が違う点はそこかなあ。

日本ではよく「自己主張」できる人が少ないと言います。
意見をたたかわせる場所が少ないから、自分の意見を持つ必要もない。
だから、そういう場に直面しても、その場限りの対応しかしない。
でもそれは結局、自分の意見ではない。

逆に自分勝手な人ってどういう人かなって考えたら、
良く言えば自分を持ってる。
悪く言えば無駄に頑固。

自分の意見を持って、人の話を聞くようにすること。
大事だよなあ、とつくづく。

自分の意見を持っていない人も寂しいですが、持っていたとしても自分の意見に「改良」を加えることをしない人も寂しいですね。

人の話を聞く。理解する。自分の中に落とし込む。自分なりにアレンジする。発言する。それがだんだん自分の言葉になる。

そうやって、自分を持つことができる人が増えたらいいのになあ。

ネット党首討論から感じたこと

11月29日、六本木にあるニコファーレにて、党首討論が行われた。
党首討論といえばテレビでやるのが基本的だが、今回はドワンゴが各党に呼びかけをし、実現した。

参加したのは計10政党(衆院解散時の議席数順)。

  • 民主党代表の野田佳彦首相
  • 自民党の安倍晋三総裁
  • 日本未来の党の嘉田由紀子代表
  • 公明党の山口那津男代表
  • 日本共産党の志位和夫委員長
  • みんなの党の渡辺善美代表
  • 社民党の福島みずほ党首
  • 国民新党の自見庄三郎代表
  • 新党大地の鈴木宗男代表
  • 新党日本の田中康夫代表

アクセス数は100万人を越え、一時アクセス困難になるほど注目を浴びることとなった。

ネットで党首討論をやる意味

今回の取り組みを知ったときはとても面白い取り組みだと感じた。
ネットで中継するということは、編集のきかない”一発本番”であるので、党首のリアルな言葉を聞くことができる。
また、ニコニコ動画での放送ということで、視聴者自身が感じたことを直接コメントでき、参加型のスタイルになる。
従来であれば、党首同士が討論をするのをただ見ていることしかできなかったが、自分の意見を直接ぶつけることができる。
匿名性ということもあり、”荒れる”心配もあるが、それは許容範囲であろう。

期待はずれだった

だが、私が期待したような”面白い”取り組みではなかった。
コメントが表示されない時間帯もあったようだし、コメントが拾われて会場に反映されることは一切なかった。
党首討論なので、必要ないと言えばそうなのかもしれないが、国民と直接関われるいい機会であったので、うまく利用して欲しかったというのが本音だ。
第一、政党が多すぎて、討論には至らなかった。

さて、内容について言及する。
議論のテーマは「TPP」、「消費増税」、「原発」の3つに絞られた。
各党が賛成、反対、その他で分けられ、それぞれの意見を主張した。
率直に感じたこととしては、「どこも似通っているな」。
選挙がすぐあるということで、国民に分かりやすいようにキャッチーな政策を打ち出している政党が多く見受けられたせいもあってか、言い方を変えているだけで結局は結論は同じではないのかというのが正直な印象。

その中でも最大の争点となっている「原発」と例に出して言うと、原発推進派、脱原発、卒原発などいろいろな言葉が飛び交っているが、結局はどこも「脱原発」を”目標”にやっているのではないだろうか。
福島での事故を目の当たりにして、「事故が起きてもいいから、原発やろう!」なんて言ったら国民からの支持は得られないのは目に見えている。
国民の票を集めるため、自分たちが政権を担うためには「脱原発」を掲げるしかないと思う。
そういった議論の中でも、”すぐに”脱原発をするか、”長期的に見て”脱原発をするのか、という違いではないだろうか。
そこが各党の政策の違いになっているが、はっきり言って大きな差ではない。
結局は最終目標は「脱原発」なわけだし、その方法をどうするか、なんて議論してもはっきり言って時間の無駄だ。
議論をして、自然再生可能エネルギーが生まれるわけでもない。

原発についての個人的な意見

原発について個人的な意見を述べさせていただく。
311以降稼働している原子力発電所は数える程度だ。
だから、このまま脱原発できる、と安直に考える人がいるが、そうは簡単にいかないと思う。
原発が稼働していたころには稼働していなかった火力発電を”無理矢理”稼働させている現状がある。
ガタがきたら修理をして…ということを繰り返してなんとか保っている。
が、シムシティ的に言えば、いつ爆発してもおかしくない状態だろう。
そんな状態ではどうしようもないし、電力会社も赤字が増える一方である。
結局ツケが回ってくるのは国民で、電気代があがることに繋がる。
そういう背景があることを知ってか知らずか、電気代はあげるな、でも脱原発はしろ、とはあまりにも都合がよすぎるのではないか。

結局は人気投票になってしまう

話を戻す。
テレビなどでは、各項目(TPP、消費増税、原発など)について、「この党は反対だ、賛成だ」と図で示しているところをよく見かける。
果たして、意味があるのか?と疑問に思ってしまう。
というか、既存の政党を離党して、新党を結成して、結局は言っていることが同じということはよくあることだ。
まあそれはいいとして、どの党もあまり変わりのないことを言っている中で、国民はどうやって選ぶのだろうか。
結局は、人気投票だ。
話が上手い人には引き込まれる。
しかし、どれだけ立派な政策を掲げていても話下手な人には不信感を持ってしまう。
でもそれでいいと思う。
人が話すことは変わるし、正解はない。

国民に求められていること

じゃあ、国民にはどんなことが求められているのか。
それは、監査役、チェックマンとしての役割だ。
「あの時はこんなことを言っていたのに、なぜ覆すのか」
こう言った意見が言えないのが現状だ。
正しくは、言っていたとしても伝わらない。
私が今回期待したことはそういうことだ。
ネットを通じれば、リアルタイムで意見を述べることができる。
そういった”声”を伝えていくことはとても大事だ。
誰しも監査役がいなければ妥協をしてしまうもの。
身近にそういったツールができたことはとても良いことだし、これを使わない理由はない。
国民と政治家がもっと密にコミュニケーションを取ることが大事だろう。

そういった意味でも今回の討論会は残念だ。
ネットの良さが1つも引き出せていなかった。
これならテレビでやっているのと同じ。
一方通行のコミュニケーションは成立しないのだから。

会場には多くの取材陣が来ていた。
ネットでの取り組みが活発になってきている昨今なので、メディアの方々も注目されていたのだろう。
“新しい”メディアであるネットでの出来事を、”古い”メディアであるテレビ、新聞が取り上げている光景を見て、時代の移り変わりを見ているようだった。

デルピエロが見たい!

 

2012年7月21日(土)、カシマサッカースタジアムにて、2012年震災復興支援スペシャルマッチを観戦してきた。

試合自体は、デルピエロの活躍もあり、大盛り上がり。
シーズンオフということで体は重いように感じたが、しっかりと得点を決めるあたり、さすがイタリア代表を長く牽引してきただけあるなという印象を持った。
交代時には、あたかも自分の引退試合のような振る舞いを見せる彼を見て、
”自分の魅せ方”を知っている選手だなと、変なところで感動した。

ほぼ仙台・鹿島の選抜チームの「Jリーグ TEAM AS ONE」のゴール裏は、鹿島サポーターが中心となって選手のサポートを続けた。
スタジアムには、その一員としてプレーしたイタリアのファンタジスタにも同様に、自然と「デルピエロ!」のチャントが鳴り響いた。
それにつられて、対戦相手である「Jリーグ選抜」のゴール裏も一緒になって声を出していた。

デルピエロがJリーグのどこのチームにも属していないということもあるだろうが
ただ単純にサッカーを楽しんでいるサポーターの姿があった。
デルピエロが良いプレーを見せるとき、スタジアム全体が「わあー!」っという声とともに大きな歓声が送られ、一体感がとても気持ちよかった。

デルピエロがもしJリーグのどこかのチームに移籍をしたらーー。
そんな想像も膨らませながら、彼の一挙手一投足に注目していた。

今、スタジアム動員数を増やすためにいろいろな催しが行われている。
去年の復興支援マッチで好評であった「ご当地ゆるキャラ」も登場したり、Jリーグ特命PR部マネージャーの足立梨花さんも熱心に募金を呼び掛けていた。

その効果もあり、各クラブごとでは前年比に比べ増加傾向が見られるクラブもある。(参照URLはこちら
サッカーに興味のある人以外もサッカーを見に来てもらえる環境作りが着々と進んでいて、とても期待できる。

以前、フレドリック・ユングベリという選手がJリーグの清水エスパルスでプレーしていたことがある。
スウェーデン代表で、アーセナルで約10年間プレーをしていた世界のスーパースターだ。
その際の日本の盛り上がりは周知の事実であると思う。

サッカー面でJリーグを盛り上げていくことの可能性を、私はここに感じた。
サポーターは、クラブチーム自体に愛着がある。
選手は移り変わるけど、それでもなお、自分のチームを応援し続けるのは
そういった背景がある。
ただ、そこまでになるには、やはり時間が掛かる。
まずは、ある特定の選手を見たいから、スタジアムに足を運ぶ。
そして、スタジアム観戦の面白さを感じてもらう。
特定のチームを応援することによって愛着がわき、そのクラブのサポーターになる。
Jリーグが始まった当初にも世界のスーパースターがJリーグにきて、盛り上げてくれた。
それが今に繋がっている。

私は、サッカーがもっと根付いて欲しいと思っている。
サッカーサポが増えて、もっと目が肥えてきたら、
選手たちにもより高いプレーを要求するようになり、
自然と選手たちのレベルアップにも繋がると考えている。
日本のナショナルチームの目に見えない形での強化にもなるはずだからだ。

大東チェアマンが「デルピエロがJリーグに移籍するならば、Jリーグが年俸の半分をもってもいい!」と豪語しているそうだ。(参照URLはこちら
デルピエロの出場が決まってから、売れ行きが思わしくなかったチケットが5000枚も売れた。
世界的スーパースターの効果を目の当たりにした形での発言だろうが、
それほどの力をデルピエロは秘めているということであろう。
もしそうなれば、Jリーグのスタジアム動員数も増加するだろうし、
そうなることを期待したい。

色々と書き連ねてきた。
結論を言おう。

デルピエロをJリーグで見たい!
これは日本のサッカー界にとってもプラスになるはずだ。

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やりたいことを見つける方法

 

僕はまだ社会に出たことがありません。
だから社会の厳しさとかそういうのはわかりません。
学生なのか何なのかわからないような24歳の青年が言っている戯言程度で読んでもらえたら幸いです。

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私には生涯かけて追いたい夢があります。

”ジャーナリストとして、世界のあらゆる側面を日本に伝えていくこと”。

あえてジャーナリストと表記しているのは、イメージしやすいようにするためであって、
手段が変わってもいいと考えています。
人に伝える手段は、映像であったり、写真であったり、またはもっと間接的な方法もあるでしょう。
今の自分にとって、文字で人々に伝えていく方法が一番最良であると考えているため、
私はその得意分野を活かせる手段を選択しました。

さて。
いきなりですが、
あなたのやりたいことってなんですか。

明確に言える人はどれくらいいるでしょうか。
学生期間が終了したら、殆どの人は社会人となり、仕事をすることになる。
生きるために仕事をするのか、仕事をするために生きるのか。
どちらにせよ、人生における仕事の割合は3分の1以上と言われています。

そんな中で、自分が生涯をかけてやりたいことを言える人がとても少ないように感じます。

就職難と言われる今、多くの学生が就職活動に精を出しています。
自分の志望する企業に入るために、大学3年のうちからなんだかすごく頑張っています。
私はそんなことをしたことがないのでよくわかりませんが。

私が感じることはただひとつで、「就職難って何?」ってこと。

自分がやりたいことが見つからずに、
誰もが知っているような大企業に入っておけば大丈夫だろうと考えている人が多すぎる。
そして、その中で少し優秀な学生が内定をもらえて、
それ以外の人は就職難民と化している状況が起こっているだけ。

それで内定を運よくもらえたとしても、
ミスマッチだなんだと言って、3年以内にやめる人が多いと言われています。
会社をやめるという大きな決断ができる人は、
もっと違ったところでその決断力使ったほうがいいんじゃないの、って思っちゃったりする。

自分のやりたいことを見つけられなかったがために、
そのようなことが起こっているのでは、と私は思います。

仕事と私生活は別だから。
これはよく耳にすることだけど、これもどうなの?と思う。
ちゃんと割り切って出来る人はいいけれども、
仕事の愚痴を言い合うために休日を使っている人もいる。
これは人間関係の問題なので、仕方ないといえばそれまでですが。

色々と言いましたが、
ようは、やりたいことを見つけるのが下手な人が多すぎる。

「自分のやりたいことが明確で羨ましいです。自分は見つけられていないから。」
って言われることがあります。
その気持ち、よーく分かります。
私も、大学生の時はぐうたらな人間でした。
自分の将来について考えたことなんてほとんどなかったし、
考えたとしても最終的には「流れに身を任せればなんとかなる」という結論に至っていました。

じゃあ、そんな私がなぜ生涯をかけて追いたい夢ができたのか。

今ある環境を全てなげうって、まったく異なる環境に飛び込んだ、から。
本当ならば大学を卒業して就職する、という流れに逆らってみた。
4年次を留年し、そのまま休学という道を選んだことによって、自分のやりたいことが明確になりました。

人はなぜ、やりたいことを見つけられないのか。

それは単純です。

自分と向き合って考える時間がないから。

高校時代を思い出すと、やりたいことってなんとなーく、ぼやーっと考えてはいたけど、
まあ大学に行ってから考えればいっか、って人が多かったんじゃないかな。
私もそうでした。

でも、いざ大学に入ると、
部活やらサークルやらバイトやらで日々の生活に追われ、
とは言ってもなんか楽しいし充実してる。
気付けば就職活動の時期に差し掛かり、必死に企業研究して…。

能動的にやっていたことってあまりないんじゃないかな。
自分がどうこうってよりも、周りの環境に合わせて動いてしまう。
というより、動かされてしまっている。

なら、どうしたらいいか。

「自分で考えて行動すること。」

これが自分のやりたいことを見つける第一歩だと思います。
今大学生ならば、休学をしてみるのが一番いいでしょう。
休学期間中は、学生でもない、社会人でもない、いわばどこにも属していないフリーな状況です。
自分がやると決めたことはできるし、やらないと決めたことはやる必要はないのです。
どんな目標を立てようと、全てが自分次第なわけです。
こういう状況になれば、自分から何かしなければ、となるでしょう。

では、具体的にはどんな行動をすればいいのか。

その答えとして一番簡単な方法が、日本から離れること
しかも、日本色があまりない場所へ行ってみること。
日本はとてもいい国です。
レールに沿っていれば、なんかうまいこと生きていけるし、うまく回っていきます。
でも、それって本当に正しいの?
誰かが作ったレールの上に沿って生きていくだけで、本当の自分って見つけられるの?
私はそんなことを思います。

他の方法としては、生活環境を変えること
いつも歩いている道とは違う道で家まで帰ってみる、というような些細な事でもいいと思います。
普通だと思っていたことに対して、疑問を持つようにすることがとても大事だと感じました。
日本にいるとそれを感じづらいのですが、海外に行くとより強く感じるようになります。

私は、イスラエルという日本的なものがあまりない土地だからこそ、
日本を客観的に捉えることができました。
当時はやりたいことなんて何もなかったけど、
日本人があまりにもパレスチナ問題に興味がなかったことや、
この国に対して何も知らなかったので、
そんな現状を打破したいと考えるようになりました。

サッカーと絡めて伝えていくことができれば、
より多くの人に伝えていけるのではないかと思い、
今、宇都宮徹壱さんのアシスタントをやらせていただいて、
色々なことを学ばせていただいています。

私の場合、
その時した行動が直接的に自分の未来に繋がったけれども、
そうでない場合もあるかと思います。
でも、それはそれでいいんです。
行動をしている時に、自分はこんなことをしたいんじゃないと気付けることも重要なこと。
また、そのときに新しく疑問に感じることが増えてきたりするでしょう。
そうしたら、その疑問を解消するために、また新しく行動すればいい。
たくさんの経験をすることで、
自分が本当にしたいことをより明確にしていくことができると思います。

当初書こうとしていた内容とはかなり異なったものになってしまいましたが
私が今回伝えたいこと。

・やりたいことを見つけるためには、自分で考えて行動するようにすること。
・「これって、どうなんだろう。」と疑問を持つようにすること。
・無理に効率良くやろうとしないで、遠回りしてもいいからいろんな経験をすること。

すべての行動に意味を見出せとは言いません。
気張る必要もありません。

新しい環境に踏み出すことで自分がやりたいことを見つけられたら、人生がもっと楽しくなるかもしれませんよ。

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BADO!旅プロジェクトについて

 

お久しぶりです。
2ヶ月ぶりの更新です。

皆様に協力していただきたいことがあるので、更新しました。
今、友達のゆらちむとともにBADO!プロジェクトの「世界を旅するチェンジメーカー奨学生キャンペーン2012」に応募させて頂いています。

それ何?というお方に簡単に説明します。
世界を旅したい!という人を募り、その中から優れたプランの人はBADO!の奨学生になれます。
奨学生に選ばれると、旅のサポート代金として最大100万円支援してもらえるというものです。(詳しくはこちらから)

私達が考えた旅プランは、
「Nomadshare〜世界中に帰る処を〜」
というものです。

“Nomadshare”とは
フィリピンで、”Nomadshare”というシェアハウスがあるんです。
世界中にシェアハウスがあって、それが繋がってたら面白いじゃん、みたいなコンセプトでやっています。
詳しくはBlogがあるので、確認してみてください。→Nomadshare

そこを運営しているのは日本人で、私はTwitter経由でその存在を知りました。
そこに住んでいるのむのむは、フィリピンの日系企業でバリバリ働くイケメンです。
のむのむとTwitterでやり取りを重ね、東京支部創りたいなって話になり、彼が日本に一時帰国する際に会って話しました。

東京支部創設は、資金面で結構辛いこともあり、まだ実現できそうにないんですけど、そのうち創りたいなって思っています。
興味ある人はお声掛け下さい。

今回、BADO!に応募したキッカケ
シェアハウスを世界中に創るってのは、夢があってすごい素敵だと感じます。
ですが、現実的に考えて、日本人が海外に移住してシェアハウスを運営していくということはかなり難しい。
なので、まずは現地の生の情報を日本に伝えていく仕組みを作り、もっと日本の人に海外に興味を持ってもらうようにしたいと考えるようになりました。

今回の旅プロジェクト
そこで考えたのが、今回の旅プロジェクトです。
内容としては、日本人宿の方々に協力していただき、週に1回ほどのペースで現地の生きた情報をレポとして提出していただく。
内容としては、穴場的観光スポットや食事処、現地で今HOTな話題等、を掲載していくつもりです。
それを日本でまとめてメルマガ等で配信していく、というものです。

自分の想い
世界中に日本人宿は存在します。
ですが、それらの横のつながりは薄いように感じます。
ここが連携を深めていくことはとても意味のあることだと感じます。

イスラエルへ行った際に、現地と日本の報道のギャップを感じて、生きた情報の重要性を身をもって体験しました。
情報が入ってこないこと、それが日本人が海外にACTIONする上で大きな足かせになっているのではないでしょうか。

今回のこの旅で、まずは日本人に海外に興味を持ってもらう。
そして、ツアーなどではなく、旅をするキッカケを掴んでもらう。
将来的には、海外就職の選択肢を増やしていくために、語学学校の情報や、就職情報を提供していく。

そのため、訪問する国は、経済成長が著しいBRICSVISTA、格安の語学留学が流行している国を訪問する予定です。

日本人がもっと世界に行きやすい環境を作っていければと思います。

最後に
話が長くなりました。
もっと詳しく知りたい人は、下記のページから企画書を見れるので、ぜひ見てみてください。
Nomadshare旅プラン

グローバル化が進む社会において、日本と世界との距離を縮めていくこと。
少しでも私達の想いに共感していただけたら、私達のプランに投票していただきたいです。
投票はこちらから。
ちなみに1日1回投票できるので、暇な時にぽちっとお願いします。
Facebookのイイネ!ボタンもついているので、それもぽちっとお願いします。
拡散大歓迎です(笑)。

皆さんの1票が、日本と世界との距離を縮める第一歩になります。

世界中に帰れる処、創りませんか。

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猪子寿之×津田大介の講演会に参加してきた。

 

2012.02.27
六本木ヒルズのアカデミーヒルズで行われた、津田大介さんと猪子寿之さんの講演会に行ってきた。
議題は、情報をアイディアに変える「クリエイティブ発想術」。
学生向けの簡単なものではなかったので、多少専門的な言葉が飛び交う刺激的な場でした。
講演中にメモしたものをまとめてみました。

・情報化社会では言語化される領域の共有スピードが高すぎて、競争優位性の必要十分条件にはならない。
・言語で説明しづらい領域の分野(分解依存度の高い領域)を、テクノロジーで再構築しようしている
・どういう思想か、どういう美意識か、世界をどう捉えているか、を紐解きたいと考えている

(例)日本画
日本画を描いていた当時は、日本画は平面的に描いていたのではなく、立体的なものとして描いていたという着眼点
→西洋的な見方が発達した今とは異なった見え方がしていたのでは?

・1レイヤーで描いたものを「何レイヤーですか?5レイヤー?7レイヤー?」と聞かれることがあった。
→日本の論理構造で世界を見ていたときは、世界がレイヤーに見えていたという気付き
逆に空間を作るときに、レイヤーをデザインすると気づいた

例)マリオ
世界初の横スクロールゲーム
世界を横に見ることが多かった日本人がそういったものを創りだした
絵の見方を例にすると、絵の中に入った気になれるような構造(日本画等)
→西洋はそういう見方ではない(パースペクティブ)
絵を見ながら、絵の中に入り込める→ドラクエ等

・産業が生まれてきた時に、その産業と自分たちの文化との相性が良い時、文化の強みが活かされた時、その産業は世界で生き残れる力を保持できるのではないだろうか
→自分たちの先人がどのようにして世界を捉えていたのかというものを大事にして作品作りをしている

情報化社会の競争優位性文化+テクノロジー 対談編 -津田大介×猪子寿之-

津田)チームラボとはどんな会社ですか?
猪子)社会がデジタル領域になってきたとき、新しい付加価値をつけられるのではないだろうかということを念頭に置いている会社。渋谷のメイド喫茶もゲームのような空間を創りだそうと思った。漫画、アニメ、メイドなどの共通している連続性を表面化したものである。
津田)アートを興味を持って、つくろうと思ったキッカケは?
猪子)テクノロジーと文化に興味があったので、これをデジタルでやってみようと思った。
津田)最近の作品で自分が一番気に入っているものは?
猪子)一番気に入ってるのは、紅白の嵐の演出が一番気に入ってる。だいたい1ヶ月弱で完成させた。
※後ろの支柱が壊れたシーンについて特に熱心に語ってました(笑)。壊れたはずの支柱がすぐ復活してるのになんでみんな疑問持たないのよー?とか(笑)。
→現実的におかしいと人間は頭から消去してしまう
テクノロジーによって新しい表現になっているが、あまりにも高度になるとわからなくなってしまう。だからバラすことが大事という意見。(映画のアバターは、公開する前に撮影秘話をテレビで多く流していた。)

津田)自分がチームラボとどれほどコミットしているのか?
猪子)だいたい1割ほど。全く知らない事業もあったりする。でも、ダメだったら”死ね!”と言う(笑)。

津田)世界を紐解いた後、最終的にはどうなっていたい?
猪子)今の日本は古い構造になっていて、競争力が下がっていっている。だから新しい構造にして、競争して、それのお手伝いをしていきたい。
競争力低下は、日本がガラパゴスであったからではない。むしろ結果である。日本は会社が潰れることはあまりない。アメリカは会社が潰れて、また新しい会社ができて、という流れ。会社の循環が自然とできている。なので、日本の産業のシフトが重要。

質疑応答

Q.時間の表現の仕方は?
A.西洋的なパースペクティブでは時間の概念は一瞬であるが、日本は大和絵のような感じで時間の概念がもともとあったので、特に意識していない。

Q.好きな映画は?
A.崖の上のポニョ!船に乗っているとき、すれ違った大人に「大丈夫か?」と聞かれ、「うん、大丈夫!」と答えた宗介くん。それに対し、「おう、そうか!気をつけるんだぞ!」といったあたりから、子供と大人の区別がない世界観が描かれているなと感じた。結婚とかなくていいじゃん!(朝まで生テレビの「婚外子の割合少なすぎ、結婚しなくても子供生めるようにすれば良いじゃん」論)に繋がる。

Q.趣味は?
A.趣味はない。自分、アイデンティティもない。(それに対して津田さん)いや自分あるでしょ(笑)。

Q.リーダーシップとは?
A.ない。森は崩壊しないのと同じ話(それに対して津田さん)会社は森じゃないでしょ(笑)。
むしろ、食わしてもらっているという感覚。言いたいことがあった時に言う、そしてそれを実現する環境、自分が感じやすい環境を作り出している。

Q.スポーツをアートとして捉えた時どう表現するか。
A.「※リアル相撲」が好き。ゲームっぽい要素をリアルで表現したい。デジタル要素を入れることで、見た目だけではなくてルールも変わる。そこに面白さが生まれる。

Q.ノマドについて
A.猪子さん自体はノマドではない。オフィスが好き。理由としては、会話を通して、アイディアを共有できるから。それぞれのスペシャリストとの会話は集積すればするほどいいものができると感じている。チームラボという名前にもそういったメッセージが込められている。

Q.Let’s noteを使っている理由
A.コンセントがない出先があまりに少ないから、チームラボで働いてる人の8,9割がLet’s noteである。コンセントがない会社が理解出来ない。残念な日本企業がLet’s noteを買わせている(笑)。

こんな感じでした。
この後に懇親会も行われ、結婚に対するお話をしてくださったのですが、あまりにもdeepな内容だったため、割愛させて頂きます(笑)。

ここで感じたことは、
・情報人になるには、inputとoutputのバランスが重要であるということ。
・ネットやテレビでいいやと思わないように現場で見ることも大事だなということ。
・猪子さん自身はリーダーシップないよーと言っていたけど、面白いことをして、周りに感謝する姿勢にリーダーシップを感じた。

話についていくのが必死で、自分の中で考えをまとめることができなかったので、もっと勉強しないといけないと感じた。
ただ、猪子さんは面白い。
今回の講演会で、より一層好きになりました。

あまりうまくまとめられませんでしたが、どうかお許しを。
ではまた。



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