蓄積されるものと、選別されるもの

8443342362_4724180678_b

デジタル化、みたいなブログを昨日書いたので、そこから考えたことを。

先日Twitterでこんなやりとりをして。

衣食住のモノに関しては、蓄積された情報源が選択するキッカケと成り得る。ウェブサイトで言えば、食べログのような形で、ユーザーが評価をつけて口コミを書き、その蓄積によって、ユーザーが選択する。また、そのユーザーが、情報を蓄積させる。

ただ、それ以外のものを考えてみると、どうだろう。
これは、蓄積した情報では補えない部分であると思う。食に関して言えば、「おいしい」という共通の評価があるのに対して、それ以外、例えば図書館などを例にあげるのならば、評価基準はそれぞれ異なる。蔵書数が多い、静か、雰囲気がいい、おしゃれ、など。異なる評価基準がある場合は、蓄積型の情報は意味を成さない。

キュレーターという言葉を使っているので、元々の語源である美術館を例に出してもそうだ。
食べログ的な方法で、美術作品を決めて、それを展示させる。これは現実的には難しいことだが、超有名な作品ばかり集めても、その美術館の根本となるコンセプトだったり、が損なわれてしまうんじゃないかなと。

「みんなが良いと言っているから」
「あの人が良いと言っているから」

この違いでしょうか。

考えがまとまらないところで、これにて。

地元の駅に忘れ物をしました、という話

th_DSC_0200

どうもお久しぶりです。
これからブログの頻度を高めていこうかなと思いますので、よろしくお願い致します。

さて、今日のネタなんですが、タイトル通り「地元の駅に忘れ物をしました」というお話です。

最近電車を使って通勤しているんですが、電車の中の過ごし方として読書をしています。で、いつも荷物が多いので、時間があるときは電車に乗る前に読む本をリュックから出しておくようにしているんですね。

今日は、いつもよりも待ち時間が長かったので、ベンチに座って本を出して、電車を待っていました。で、来たので電車に乗ったわけですが、少ししてから気付きました。ベンチに本を忘れてしまっているのを。ただ、電車はすでに動き出しているし、戻ることもできない。

「まあ仕方ないか」と思い、iPhoneを使って「◯◯駅 電話番号」と検索したわけです。ずらーっと検索結果が出てくる中で、もう1つの鉄道会社の電話番号はすぐに出てきたのですが、自分が利用している方の鉄道会社の電話番号は出てこない。結局、その駅の電話番号は見つかなかったため、全体のお問い合せ番号にかけることにしました。

「忘れ物などのお問い合せは、2を…」みたいな、現代では聞き慣れた機械音が聞こえる中、指示されるがままに2を押して、繋がるのを待ちます。

少しすると「もしもし…」と女性の声が聞こえてきたので、忘れ物をしてしまった旨を伝えると電話越しに「お調べしますので、少々お待ちください」と言われ、軽快な音楽が流れ始めます。

ぷちっとその音楽が切れたかと思うと、開口一番「まだ忘れ物システムのほうに登録がなされていないようです。登録のほうが少し時間がかかってしまいます。明日の午後には確実にされていますので、お手数ですがその頃またかけ直して頂いてもよろしいでしょうか」と女性。

ここで感じた違和感。
「いや、駅の電話番号さえ分かれば、解決する問題じゃね?」
ってこと。

たしかに、こういった小さな問題がいくつか重なると、負担がかかってしまうというのももちろん分かるわけですが、とは言っても、そのためのしわ寄せがここにきちゃうの?っていうところに違和感を感じました。

wasuremono

調べてみると、駅や列車の中の忘れ物は、届けられた駅が情報入力をし、警察署の最寄り駅へ送付、その後、集約駅が警察署への手続きをしたのち、警察署へ届けられるそうです。

もちろん、忘れ物の価値(単純に貴重なものだったり、大切なもの)によっては、こちらのシステムというのは非常に有意義なもので、忘れ物をしても、安心感はあるのかもしれません。ただ、それによって、問い合わせることも難しくなっているんじゃないかなと。

「登録している時間」は、忘れ物をした張本人からしたら気が気じゃないでしょうし、ないならないで直接「見当たりませんでした」と言われたほうがむしろ落ち着くし、その後の対策も考えやすいんじゃないのかなと思ってみたり。

昨今、アナログなものがデジタルに移行している真っ只中です。
作業工程が多少なりとも楽になる、ユーザーの安心感、みたいな部分からそのようなシステムを取り入れているのだと思いますが、何から何までデジタル化する必要って果たしてあるんでしょうか。

以前も、電子マネー(いわゆるSUICAなど)を利用して改札に入ろうとした時、システムの問題で入場できません、と言われたことがあります。入金はしてあるので、駅員さんも何がおかしいのかさっぱりわからない様子でした、私は急いでいたため「じゃあきっぷを購入するので、この入金分から差し引いてもらえますか」と伝えたのですが、「でも、システム上、この電子マネーからは購入できないんですよ」と。

きっぷを購入する手間が省けるので、ピッとするだけで入場できるというのはとても便利だと思います。が、便利なものに移り変わってはいるんでしょうが、そのしわ寄せがどこかしらで出てきてしまうんだなと。どれが正解かなんて分からないですけどね。

そんなことを考えながら、私の読書時間は過ぎていきました、とさ。

ああだこうだ言ってきましたが、
まあ、確実に言えることは、忘れ物をするやつが悪い。
…すいません(笑)。

今日の帰りに駅員さんに確認します。
もちろん、アナログな方法で。

ちなみに、忘れた本は世界一周団体TABIPPOのこちらの2冊。
面白い本なので、ぜひご一読を。

にしても、主人を置いて本だけ世界一周しそうな勢いですね、これ。

 

Jリーグ2ステージ制のお話

J-2STAGE

最近の日本サッカーまわりでは、Jリーグ2ステージ制の話で持ちきりですね。詳しい内容などは、あらゆるところに出ているので、今回のことに対しての自分の所感のみ書かせていただこうかなと。

まず自分の立ち位置として、賛成でも反対でもない派、という目線でこの騒動を見ていた。反対派の意見を聞けば、それはそれで納得するし、その逆も然りだったためである。

ただ、気になったのは「ヨーロッパでは○○だ」という話を持ち出す人が稀に見受けられたところ。あれだけ成功している(もちろん成功していない事例もある)と、そのノウハウを日本にも持ち込めば、同じ道をたどることができるのではないか、と思うのは分からなくもない。ただ、言ってしまえばここは日本なのだ。リーグが始まった経緯も、環境も、言葉も、何もかもが異なる。「あのリーグが成功しているから、同じやり方をすれば成功する」とは簡単には言えないのは、ここが日本だからである。その土地それぞれに見合ったやり方があるのは自明である。

むしろ、取り巻く環境や状況は常に変わり続けているのであって、それに即座に対応できる柔軟さが求められるのではないだろうか。20年という節目の年にあって、今まで”成功しているように思える”リーグ運営を1から見直すというJリーグの判断は称賛に値するはずだ。

日本なりのリーグ運営って何?と考えて考えぬき、より現実路線に突っ切った結果が今回の「2ステージ制」という選択であったように思える。
しかしながら、今回まずかった点として「ああ、また上の人達だけで決めちゃったよ」という印象を与えてしまったことであろう。どうしてこういった流れになったのか、という経緯を(手間ではあるかも知れないが)、意見交換会などを開いて話す必要があったのではないだろうか。

戦略会議のメンバーからもそういったことが言える。全てのJクラブから選ばれたわけではなく、JリーグとJFA、関東に近いクラブの代表+αのメンバーで構成されていた。この会議に選ばれていないクラブの監督で、はっきりと反対意見を述べる人もいた。その意見が「若手が伸びない」というものであった。Jリーグとしては、若手育成の費用(もちろん他の費用もある)に充てたいがために今回の2ステージ制に踏み切ったのだが、説明する場所がなかったためにこういったすれ違いが起きたのではないだろうか。「Jリーグが決めたことなんだ。仕方ない」という流れにならなかったのは、そういった部分を怠ったJリーグ側に非がある。

そもそも、金がない金がないと言ってるが、130億円の収入があるのにも関わらず、その使い方の詳細は公表しているのであろうか。調べ不足でそこに関しては分からないが、もしその説明もしなければ、誰も納得してくれないんじゃないだろうか。これでもし、J幹部だけがおいしい思いをしていたら…なんて考えたら、本末転倒の結果になりそうだが。

Jリーグも、クラブも、JFAも、日本のサッカー界をよりよい環境にしていきたいという思いは同じであるはずだ。ただ、その過程が異なるため、この話し合いは時間をかけてすり合わせていく必要があったようにも思える。

とにもかくにも、すでに決まったことである。まずは、どういった経緯でこの決定がなされたのか、説明会を行うことが重要であるかと思う。説明会に参加する側も、真向から反対、という姿勢をとらずに、まずは話を聞いてみて、疑問に思う部分を率直にぶつけてみる。すべての事柄でみんながみんな理解し合えることはないとは思うが、よりそれに近い形になるようになっていってほしいと思う。
まとまりが悪いですが、今日はこんなところで。

※川崎フロンターレではすでに9月21日に行われています。
こちらから
「J1リーグ大会方式の変更について」の説明会(報告)

※その他参照URL
謎に包まれていた2ステージ制復活の意図 成長シナリオを描くために必要な決断

【お知らせ】サッカー記事公開のお知らせ

th_barcelona_palestine

お知らせです。
「徹マガインディーズ」という企画で、記事を書かせていただきました。

タイトルは、
サッカーは“代理戦争”の場としてふさわしいか」。

パレスチナ問題や、東アジアカップでの日韓戦での出来事を絡めながら、
サッカーが代理戦争としてふさわしいのか否かを考察した記事になっております。

自分がどういったことを伝えていきたいのか、という部分が
少しでも理解していただけるかと。

なお、こちらの記事は無料で公開されておりますので、ぜひ読んでいただければと思います。
http://tetsumaga.com/archives/3944
こちらのリンクから『■HTML』というところの下のリンクをクリックすると読むことができます。

また電子書籍にも対応しておりますので
その場合はその下の『■ePub』のリンクをクリックした後、保存していただければ。

今後に活かしていきたいと思いますので、感想をいただけるとありがたいです。
こちらのコメント欄でも良いですし、Twitterでも良いのでぜひよろしくお願いします。

Twitter
@yuukimiura

いつまでも子どもではいられないけど。

Children1

いつまでも子どもではいられないけど、子どものような気持ちは持ち続けていたいという話。

25歳になり、大人の階段を登りつつあります。
周りのみんなは企業に勤め、私のようにぷーたらとフリーターもどきをしている人なんてほとんどいなくなりました。

25歳にもなると、結婚というものが身近に感じる年頃です(自分自身はそんな気配すらありませんが)。
友人の話を聞くと、高校時代は他愛のない話でちゃらんぽらんな話で夢なんかも話したりして盛り上がっていたのに、今話すことといえば、結婚のこと、家族のこと、子供のこと…だったり。
いやいやまだ早いだろうって思っていたことが着実に自分のすぐそばにきているんだなと実感する瞬間でもありますし、でもそれってどうなのって思う自分もいるわけです。

もちろん無意識ではあるとは思うのですが、自分に限界を作って安定を求めちゃってる感があるのかなあと。もちろんそうではない場合もありますけども。現実を見始める時期なんでしょう。

湘南乃風の純恋歌ではありませんが、
「慣れ合いを求める俺、新鮮さ求めるお前」
みたいな感じで、新鮮な気持ちをいつまでも持ち続けたいなあというのは感じるわけで。

そんな出来事があって、今の自分を振り返ってみました。
最近の自分は、頭が硬くなりすぎているんじゃないかとふと思いました。

自分は、アイデアマンというキャラでもないので、アイデアを出してもらってそれを吟味するっていう作業をすることが多いんですが、その意見に対して「これって実現可能?」とか「ここにたどり着くための道筋を考えると…」とかって、頭の中ですぐに考えてしまう癖ができている気がします。

それはきっと悪いことではないだろうし、むしろ必要なことだと思いますが、それはきっと考える時が別にあるはずで、頭の中で直感的に考えることでもないですよね。アイデア出しの段階でそんなことを考えていたら、自分の中で限界を作ってしまう。

自分の中では「できないだろう」って思ったことでも、新しい出会いや、人とのつながりで、実現可能なことってあるんだろうなってまた最近いろんな人に出会うことで気付くようになりました。自分たちだけで全てをやるとなると限界値もそんなに高くはならないでしょうが、人との化学反応で限界値はどこまでも高くなるんだろうなと思います。

いつまでも子どものような発想で、「こんなの無理でしょ」なんて思わないで、はちゃめちゃに考えていきたいな、なんて思っています最近。

なんだか話があっちにいっちゃっている感はありますけども、子どものような感性で、いつまでも居続けたいなと思うわけですね。

つながっているかどうかは不明ですが、頭の中にぽわーんと出てきたので、文字に記しておきたい衝動に駆られたまでです。

インド最終日。

2013.03.10 インド7日目(最終日)

iPhoneを見ると、3時15分だった。
電車が止まったのも気付かないほど熟睡していたが、寝ぼけながらバックパックを背負って電車を降りた。

th_DSC_0300

駅構内は電車に乗る人、乗ってきた人で溢れかえっていたが、明かりは最小限に抑えられていた。駅に着いてからは、やることもないし、相方が風邪を引いてしまっていたらしく、体調もあまり良さそうではなかったため、明るくなる6時頃まで横になることにした。行きの飛行機でもらった新聞紙などを敷いた。

th_DSC_0304

th_DSC_0306

だが、電車内で熟睡できてしまったのがかえって仇となり、眠気がほとんどない。WiFiもないし、むしろ充電すら危うい。彼が寝ている間、時間を持て余していたので、近くのカフェでホットチョコレートを購入し、外に出て一服しにいった。外に出ても人がたくさんいた。

th_DSC_0302

電車に乗るのを待っている人や、早朝から働く準備をしている人も見受けられた。ぼーっとしていると、「インドは好きか?」と30歳くらいの男性に聞かれた。「大好きだよ」と答えると満面の笑みで去っていった。日本にいるときに外国人に「日本は好きか?」なんて聞けるかな、なんて思ったりしてみた。たぶん、聞けない。

5時過ぎ。
どうしようもなくトイレに行きたくなり、行きの列車待ちで時間を潰した2ndクラスのトイレに向かうと既に空いていたため、そこを利用した。コルカタに着いたらまずシャワーを浴びようという話をしていたので、寝ている彼を起こして、朝水シャワーを浴びる。順番にシャワーを浴びると、外は明るくなっていたので、駅の向かいで朝ごはんを食べることにした。タンクトップを着た男性が、圧巻の鉄板さばきをしているお店に決めて、炒めものを頂いた。インドの料理はほんとうに旨い。

th_DSC_0315

しばらくしてから、船に乗ることにした。
特に目的地もなかったので、ふらーっと何も考えずに川を渡った。ここでも多くの人が朝の沐浴をしていた。インドでは沐浴は欠かせないことなんだな。

th_DSC_0322

船を降りて、Park Streetを目指すことにした。
船を降りると近くに列車の線路が通っていて、そこに住んでいる人たちもいた。日本ではまず考えられないことだが、小さなことだが文化の違い、常識の違いを感じさせられた。

th_DSC_0331RE

th_DSC_0336

タクシーを拾い、50ルピー。

th_DSC_0341

せっかくインドに来たのだから、映画を見たくなり、2時間ほど街を探索しつつ、映画館を探した。途中、TOYOTAのオフィスがあったり、マクドナルドがあったり、Apple Storeがあったり。日本でも見慣れたものが、インドにもあることに不思議な感覚を持ったが、そのどれもが日本だけのものじゃないんだという思考に辿り着くまでにはそんなに時間はいらなかった。

th_DSC_0343

th_DSC_0345

th_INDIA-own13 のコピー

映画館を見つけてから、少しだけ自由時間とした。
ひどく疲れていたため、近くにあったケンタッキーに入る。中には、家族連れの方が多くいたりと、日本で見る風景とさほど変化はない。インドでは日課となっている読書をしようとするが、世界に入り込めない。バラナシでは違ったのになあ、なんて思いつつ、自分が現実に戻りつつあるのを感じる。

th_DSC_0352

th_DSC_0366

相方は市場に行ったそうだ。どこか海外に行っても、市場だったり、歴史的建造物だったり、風景だったり…。もちろん感動するときはあるんだけど、熱くなるものはないんだよな。この旅でのハイライトは、家族に「YUUKI!」と呼ばれて手を振ってもらったこと。言葉はあまりできないけど、人と人とのつながりを感じることができた。何かを見たい、っていうよりも、日本から脱却したいから海外に出る、と考えたほうが自分的には良いのかもしれない。

にしても、都心に行けば行くほど人が冷たくなるというのは日本でもインドでも同じことが言えるのだろうか。バラナシにいた時よりも、ドライな反応に感じてしまう。だからそれが別にどうってわけでもないんだけど。

さて、映画の時間になり、待望のインド映画を見ることにした。英語の字幕は(もちろん)なかった。なのでよく分からなかったが、なんとなく映像で理解した。ラブコメディーといったところだろうか。

th_DSC_0385

th_DSC_0388

日本の映画館と異なる部分として、上映中にも関わらず拍手が起こったり、「いいぞ!やれやれ!」みたいな掛け声が飛び交うところだ。また違った雰囲気で楽しむことができた。男性は笑っている人が多かったが、女性の中には泣いている人もいて、感受性豊かだなと関心してしまった。

th_DSC_0390

th_DSC_0396

映画を見終わるとだんだん暗くなってきていたので、晩ご飯を食べることにした。気になってきた市場近くのカレーを食す。まだ時間があったので、市場で少し時間を潰そうということに。

th_DSC_0397

th_DSC_0405

すると、最後の最後にすごい客引きに出会った。
なんとなくお茶を買いたいなと思っていたところに2人組の男の子たちが近づいてきて「良いお茶あるからこっちにきなよ」と誘ってきた。試飲させてもらうとたしかに美味しい。なので、そのお店についていくことにした。そのお店は少しお高そうな場所だった。最後ということでお金も余り持っていなかったため、これはやばいなあと思っていたところ、案の定自分たちが持っているお金よりも高い値段設定だった。あとから気づいたことだが、量が多かったことや、本当に良質な茶葉だったらしく、かなり良心的な値段だったようだ。帰りの空港で茶葉を見ていたら、それよりも高い値段で少ない量の茶葉を見かけて、変に疑ったことを申し訳なく思った。しかしその時はそんなこととはつゆ知らず、「無理だからもっと安くして」の一点張り。結局購入を諦めて店を出たのだが…。

その客引きの2人はまだまだ諦めない。「ありがとう」と立ち去ろうとしてもずっと後をついてきて、英語で話しかけてくる。そればかりか、「何かギフトをくれ」と言い出す始末。これには苦笑したが、日本から持ってきたポカリスエットの粉末を手渡すと、なぜか満足そうな笑みを浮かべて、写真撮影をすることに。結局何も購入しなかったが、最後の最後で”インドっぽい”部分に触れることができたことはとても満足だった。

th_DSC_0410

彼らと別れてから、momoを30ルピーで食べた。これがインドで食べた最後の食事となった。

th_DSC_0416

th_DSC_0422

th_DSC_0424

その後、タクシーで300ルピーを支払い、空港に向かった。
24時30分発の飛行機だったため、早めに21時頃に到着。最初、国際便のほうではなく、なぜか国内便のほうに連れて行かれて少し焦ったが、無事に辿り着くことができた。

th_DSC_0427

空港には日本人の姿がちらほら見受けられた。
そのうちの1人と話すと、ボランティアでインドまできていたらしい。プリーという場所で1週間ほどボランティアをしたそう。大学でそういう勉強をしているとのことだった。
同じ飛行機だったが、乗り換えの上海らへんで姿が見れなくなった。彼女は無事に日本に辿りつけたのだろうか…。

それにしても、インド。
魅力的な国だった。また機会があったら訪れたい。
その時もまた、本を片手にゆっくりと現実逃避をするために。

バラナシで見た日の出

2013.03.09 インド6日目

前日に「最後の日くらい日の出を見よう」ということになった。
朝6時前に起きて、川沿いに足を運ぶ。その時既に、多くの人がいて沐浴をしていた。前日は夜遅くまで祭に参加していただろうに、本当に元気だ。観光客が入っているのも見受けられたが、ほとんどがインドの方だった。真剣な表情で、作法がありそうな沐浴を続けていた。

肝心の日の出。
日本のように高い建物があるわけではないので、ガンジス川の向こう側から太陽が登っていく様子はとても素晴らしく、綺麗だった。

日本にいるときには意識したこともないが、太陽の光によって世界が照らされていくのを感じるのは、心が洗われるような感覚だった。

th_DSC_0148

th_DSC_0161

th_DSC_0169

th_DSC_0177

th_DSC_0183

太陽が上っていくのを見届けると、前日と同じように久美子ハウスの近くでチャイを飲んだ。久美子ハウスから近いこともあり、ここには多くの日本人が訪れるのだろうと思うが、きっとお気に入りの場所として頭の中に残っていることだろう。

th_DSC_0187

th_DSC_0188RE

th_DSC_0201

th_DSC_0204

それから一度宿に戻り、荷造りを開始。
バラナシで過ごすのも今日が最後かと思うと感慨深いものがあった。近くの露店でタバコを買い、屋上で一服。これは蛇足だが、ライターが落ちてしまって、焦って拾いに行く様子。インドまできて、上腕二頭筋を使うことがあるなんて想像もしていなかった。

th_INDIA-own10 のコピー

th_INDIA-own11 のコピー

さて、チェックアウトをして荷物を預かってもらい、また少し街を散策。川沿いで、この滞在中毎日出会っていただろう、通称「ぼったくりくん」にも遭遇。今日で帰ることを伝えると、おみやげ買うか?といつもの調子。楽しい思い出をありがとう。

th_DSC_0217

th_DSC_0218

th_DSC_0219

th_DSC_0221

th_DSC_0224

th_DSC_0225

その後、宿に戻り荷物を受け取ると、何往復もした川沿いを通り、リキシャに乗って駅へ向かうことにした。

th_DSC_0231

th_DSC_0232

th_DSC_0245RE

th_DSC_0246

th_INDIA-own12 のコピー

駅に着くと、電車内で食べるお菓子を数点購入し、乗り場近くまで移動して座る。

th_DSC_0275

th_DSC_0280

th_DSC_0285

すると、威厳のあるおじいさんが近づいてきて「撮れ」みたいな仕草。貫禄がありすぎて若干焦ったが、明るかったのにフラッシュをたいて撮影。その映像を見せると表情1つ変えずに去っていった。一体何だったんだろうか…。

th_DSC_0290

電車が到着。
時間通りに駅に着いた電車を見て「行くまでに調べて出てきた悪評はどこへやら…」と感じつつ、自分の席に乗り込む。まだ寝る時間でもなかったので、電気をつけて、やはり読書。小説の世界に入り込む。

th_DSC_0298

th_DSC_0299

本を読みながら気づいたんだが、途中の駅でそうじをするために入ってくる人がいた。誰かが言っていたが「インドは道にゴミを捨てることは悪いことではない。汚いおかげで”清掃員”という仕事が存在しているんだ」なんてのを思い出した。ゲストハウスでもそうだし、列車でもそうだし、雇用の生み出し方は様々なんだなと思った。

そんなことを考えながら、その駅から乗り込んできた売り子さんから不思議な豆を購入して、腹を満たし、眠りについた。

th_DSC_0296

コルカタ到着は翌朝の3時15分。ついてからどうしようかなんて一切考えていないけど、どうにかなるのがインドなんだろう。

th_INDIA-own09 のコピー

つづく

インドの家族と読書と僕

2013.03.08 インド5日目

完全に風邪を引いてしまったようだ。
昨日の夜も眠れなくて、頭痛がひどい。原因はよく分からないが、若干睡眠不足のため、結局9時過ぎまで寝てしまった。

そこから荷造りをし、チェックアウト。
この日初めてホテルの朝食を頼んでみた。体調が優れなかったので、食べ馴染んでいるものをと思い、コーンフレークとパンを注文。期待はしていなかったが、普通に美味しかった。

th_DSC_0983

そこからバックパックを背負って、バラナシでは有名な日本人宿、「久美子ハウス」に向かう。ガンジス川沿いを歩いた。今日もガンジス川はでかい。

th_DSC_0999

いろんな風景が見れるから、ここを通るのは飽きない。

th_DSC_0001

th_DSC_0002

th_DSC_0010

th_DSC_0016

久美子ハウスに到着。
だが、泊まれるかどうか聞いたらこの日は満員ということだったので、近くにあったオムレストハウスに1泊することに。韓国人の男の子と同じ部屋になったんだけど、経歴がすごかった。誰もが知っているような超有名企業に勤めた後、仕事をやめてインドを放浪しているらしい。

th_DSC_0018

th_DSC_0033

th_DSC_0041

少しまったりしたのち、ガンジス川近くのお店がある道を北上。またもやATMを探しつつ、久美子ハウス近くでチャイを飲む。店番の男の子に作り方を教えてもらった。牛乳、水、茶葉、砂糖、ブラックペッパー、マサラを入れ、5分ほどぐつぐつと煮立てれば完成。安くてこんなに美味いなんて。

3杯ほど飲んで、まったりする。
この日は、体調が悪かったのもあり、まったりする。
とりあえず、何かとまったりする。
ぶどうを1房15ルピーで買ってひたすら食べる。

ガンジス川沿いの階段に腰掛け、読書をしていると、子どもが寄ってきた。やはり子どもには人気な俺。カメラを見つけると、それに夢中になる。警戒心ゼロのため、貸してあげると嬉しそうにいじり倒していた。

th_DSC_0071

th_DSC_0073

th_DSC_0082

それから少しして、ぞろぞろと人が降りてくれる。
みんな一言二言声をかけてから階段を降りていく。

そんな中でとある家族が足を止め、またしてもカメラに夢中になる。
自分の子供を撮ったり、風景を撮ったり、「これ、いくらなんだ?」と聞いてきたり…。気づけばその大家族(10人以上)に囲まれていた。言葉は一切わからないんだけど、なんとなくニュアンスで伝わるのが不思議だよなあ。それでもって彼が撮った写真が味があって良い。

th_DSC_0102

th_DSC_0114

th_DSC_0119

30分くらい経っただろうか。
写真を撮ったり、撮られたりを繰り返し、彼らは去っていった。
すごく感じのよい家族で、インドいいなあ…とおもった瞬間でもあった。

th_DSC_0085

th_DSC_0122

th_DSC_0124

th_DSC_0131

th_DSC_0132

th_DSC_0134

th_DSC_0135

th_DSC_0136

やはり、体調がすぐれないため、宿に戻って寝ながらまた読書。
海外にいると日本語を見る機会が無いためか、読書がススムススム。
日本のように他の誘惑もないため、本の中の世界にすーっと入り込める。
まとめて読書するためだけにバラナシに来るのは、ちょっと豪華だけどいいなあと思ってみたり。

th_DSC_0138

夜になり、さすがに腹が減ったため、ご飯を食べに行くことに。相方が気になっていたというタマゴロールとやらを食べに出かけた。50ルピーでボリューミー。これは当たり。味もすごくうまかった。インドの料理ではないだろうけど、これはこれでありでした。焼きそばみたいなメニューもあったためこちらも食べてみた。うまい。

th_DSC_0141

th_DSC_0143

一旦宿に戻ると、また祭を観に行くことに。
バラナシ最後の夜なので、祭も見納め。人はどんどん増えて、歩くのも困難なほど。ほんと、どこからこんなに人が出てくるんだ。湧いて出てくるように人が溢れかえっている。
人混みにつかれたので、宿に戻ろうとしているところ、後ろのほうから
「YUUKI!!!!!!!!!」
という声が。自分ではないかも、と思いつつ振り返ってみると、昼に戯れていた大家族のお父さんが満面の笑みでこちらに手を降っていた。

とても感動しました。
こんな人混みで見つけ出してくれたことと、1回会って少し話しただけ、しかも言葉なんて通じていないのに、名前をしっかりと覚えててくれて、なおかつ、あんなでかい声で呼んでくれたなんて(かなり離れた位置にいました笑)。
インド人はうざいとかよく聞くけど、人懐っこいがゆえにそう感じてしまう人が多いんだろうなと思いました。たしかにしつこい人はしつこいかもしれないけど笑、それは彼らも生活がかかっているからであって、一概に「うざい」なんて言えないよなあ。
(そんなこと言ったら、毎日かかってくるセールスの電話なんてうざいなんてもんじゃないよ、とか思ってみたり)
この旅のハイライトでした。

th_DSC_0146

そのあと宿に戻り、いつもどおりの水シャワーを浴びる。
疲れた体には沁みるが、いいことがあったので冷たい水も我慢できちゃう。
バラナシ最後の夜はこうして更けていくのでありました。

th_DSC_0147

つづく

まったりリキシャでまったりと。

2013.03.07 インド4日目

この日は10時頃に目覚める。
インドに来てからこんなに寝たのは初めてだ。なんとなく原因は分かっている。

th_DSC_0793

宿を出てすぐに、2人の若者(と言っても12,13歳の子ども)に出会う。パスポートのコピーがしたかったので、彼らに聞いてみると案内してくれることに。電気屋さんに連れて行ってくれたが、朝の時間帯は電力不足のため、通電していないとのこと。「何かくれ」とのことだったので、持っていたものをあげた。彼らは日本語が少し分かるようで、少し会話。インドの子どもの学習能力(?)には常に驚かされる。

th_DSC_0798

彼らに別れを告げるとすぐに、数人の子どもがたむろっているのを発見。近づいてカメラを彼らに向けると、満面の笑みと、少しの照れ笑いを浮かべていた。インドの子どもはみんな可愛い。笑顔が素敵。

th_DSC_0799

th_DSC_0806

th_DSC_0805

th_DSC_0804

th_DSC_0803

th_DSC_0802

th_DSC_0801

さて、そこからは、お金をそこまで持ってきていなかったため、とりあえずATMを探すために歩きまわった。ガンジス川から遠ざかるように歩き続けると、ショッピングモールのようなものが見えてきた。古く少し寂れた建物が多いバラナシの中では目を見張る存在である。よく見ると、某有名ピザ屋さんもあるようだ。バラナシについた時に気になっていた場所でもあったので、そこに向かうことに。これだけの建物ならばATMもあるだろうと高をくくっていたが、結果そこでは見つからず。中を覗いてみると、まだ建設途中か?!と疑うような光景が。

th_DSC_0811

th_DSC_0810

th_DSC_0808

それにしても、人が本当に多い。インド中からバラナシに集まってきているんじゃないかと錯覚を起こすほど。バイクもリキシャも歩く人も、みんな譲らない。インド、すごいな。

th_DSC_0828

しばらくしてからガンジス川のほうに戻り、昼食を取る。スパイスが効いてちょっと辛かったが、とてもおいしかった。

th_DSC_0817

食べ終わって少しすると、日本語をほぼ完璧に操る男の子に出会い、彼に誘導されるがままにコピーのあるネットカフェに辿り着いた。そこでコピーを済ませてから、リキシャに乗って駅に向かう。帰りの列車を予約するためだ。駅までは200ルピーかかった。

th_DSC_0822

3150ルピーの2ndクラスの列車の予約を完了。無事にコルカタまで帰ることができそうだ。駅にはATMがあったので、そこで500ルピーだけおろし、またもやリキシャでガンジス川に帰ることにした。帰りは節約のために電動のリキシャではなく、”普通”のリキシャで。

いじめられているのかなんなのか知らないが、「お前のリキシャはポンコツだぜ!」みたいなことを言われたのかどうなのかわからないが、おじいちゃん運転手はキレ気味。でも、まったりとゆっくりと進むこちらのリキシャもいいものだと感じた。

th_DSC_0892

th_DSC_0879

ガンジス川沿いに到着してからはまったりと散歩。座っていると子どもたちがよってきて、話しかけてきてくれる。カメラを持っているのが大きかったのか、写真を撮って〜とずっとせがまれていた。川沿いでは、クリケットをやる少年たちがいるのがインドっぽいなと思った。

th_DSC_0849

th_DSC_0856

th_DSC_0855

th_DSC_0853

th_DSC_0915

th_DSC_0952

th_DSC_0927

th_DSC_0924

th_DSC_0917

※子どもと戯れているシーンを隠し撮りされていたので、こちらもどうぞ。

INDIA-own05 のコピー

INDIA-own06 のコピー

日が暮れてまつりを少し見学。前日も人がすごかったが、この日のほうが多いんじゃないかというくらいの、人、ヒト、ひと。
まつりの様子を少し撮影したので、ご覧くださいませ。

th_DSC_0969

th_DSC_0971

それから少しインドの子ども商人たちと戯れたのち、帰宿。
チャイ屋さんで仲よさ気な家族をぱしゃり。「この写真、送ってくれ」と言われたが、さすがに実現できそうにない。

th_DSC_0979R

それにしても、インドの子ども商人たちはすごいなあ。母国語以外をマスターしていて、観光客に話しかけている。日本語だけじゃなくて、韓国語ができる子どももいたりして、インドのポテンシャルの高さを感じるとともに、こうしないと生きていけないんだ、という強い意思すら感じられた1日だった。

つづく

盛りだくさんなバラナシ初日

2013.03.06 インド3日目

目覚めると、外はすっかり明るくなっていた。時間を見ると8時。10時過ぎにバラナシに着く予定なので時間がある。時間があるので、本を読んで過ごすことにした。
コンタクトレンズが片方無くなっていたり、iPhoneが下に落ちていたが、それ以外は特に変わったことはなかった。内心ドキドキしていたが、そんなことは必要のないことであった。

朝食は、チキンライスのようなもの(何かは定かではない)を食べて腹を満たした。

10時半頃になると、前の席の人が祈り始めた。何事かと思い外を見てみると、目の前にはガンジス川が広がっていた。インド人にとって、聖地であることを身をもって体験した。

それから5分ほど経っただろうか。列車は大幅に遅れることもなく、時間通りバラナシの駅にたどり着いた。
悪名高いインドの列車だが、不快な思いはほとんどしなかった。

駅についてから外に出ると、すぐにリキシャに呼び止められた。だが、帰りの列車の確保をするため、外国人用のオフィスに向かった。ここでも後輩くんが大活躍。結局、次の日にもう一度来ることになった。

オフィスから出ると、先ほどのリキシャのおじさんが待ち構えていて、また話しかけてきたので、そのまま乗ることに。泊まる場所を決めていなかったこともあって、そのまま彼の言われるがままの宿に案内してもらうことに。リキシャ代は駅から川沿いの宿まで、120ルピーだった。

宿に向かうまでの間、インドっぽさをかなり感じた。自転車も、リキシャも、オートリキシャも、自動車も、バイクも…。クラクションは常に鳴らしっぱなしなので、かなりうるさい。日本では、歩く人間が優先されていると思うが、ここではその常識が通用しない。車は空いているスペースがあれば突っ込むし、それに負けじとリキシャも突っ込む。改めて、日本がルールを守る国だと感じた。

さて、少しすると宿に到着した。WiFiもあるらしく、そんなに汚くないなー、という印象。ここから別の宿を探すのも少し面倒だし、ここに泊まることにした。1人200ルピー。他の場所に比べたら少し割高か。泊まることが決まると「川渡りはどうするか?」などと言ってきたが、あまりに積極的に誘ってくるので丁重にお断りした。

重い荷物を部屋に置いて、早速ガンジス川に向かう。歩いていると、子どもの姿が目についた。笑顔が可愛い子どもたちがたくさんいる。彼らも日本人に興味津々といった様子で近寄ってきたり、顔をずっと見ていたりした。

雑踏の街中をくぐり抜けると、目の前にガンジス川。でかい川だなーというのが第一印象。インドはどこにいっても人が多い。ガンジス川も例外ではなかった。

川沿いを少し歩いてから、中に入り込み、おみやげ屋さんを散策。スカーフやTシャツがたくさん売っていた。100円以下で買えるものが多く、日本の物価の高さを嘆いた。

そして、また散歩。道沿いでチャイを売っている幼い兄弟(?)がいたので、椅子に腰掛け、インドでの初チャイをいただくことに。

カメラを持っていたからか、人がどんどん集まってくる。チャイを買いにきた人も「俺を撮ってくれ」と執拗に言ってくる。撮ってあげて見せると満足そうに去っていった。

再び、ガンジス川沿いを歩いていると一際騒いでいる子どもたちがいた。近づいてみると、空きペットボトルを使って傾斜を滑り降りていた。大きなカメラを持った外国人も集まり始め、子どもたちは一躍注目の的となった。

その後、ガンジス川を北上。ガンジス川へ行ったら誰もが行くであろう火葬場に行ってみたが、評判通り詐欺されそうになったり、断ったら襲われそうになったり。あとで聞いたが、インド人の中でもあそこは行かないほうがいいということになっているみたいだ。

帰り際、人がめちゃくちゃ集まっていたので何かと思ったら、ちょうど祭りをやっていたらしかった。インドはどこに行っても人が多いと前述したが、この時は歩くのも困難なほどの人がガンジス川に集まっていた。

宿に帰ると、マリファナを嗜む外国人の姿が。その笑い声はその夜途切れることはなかった。

つづく